☆〜越畑便り〜☆
うつの部屋(私の場合)2
2005年〜2019年


      2005年11月27日・・・23.終わりに(最終回)・・・を追加しました。
      2008年 8月13日・・・25.「うつ病は心のガン」・・・を追加しました。
      2010年 3月 4日・・・26.「高次脳機能障害」・・・を追加しました。
      2019年 2月15日・・・27.「ヘミングウェイ」・・・を追加しました。
                   



うつの部屋1のページ・・・NO.1〜14は【こちら】です。

*******目次 *******

 4月18日  15.記憶に残る背中(不思議な体験)
 4月18日  16.ウツについての理解
 5月15日  17.「記憶に残る背中」へのお便り
 5月15日  18.疲労外来・仮面うつ病
 5月26日  19.列車事故から1ヶ月
 6月19日  20.心の傷
 7月 2日  21.休ませる勇気
10月 1日  22.思っていること
11月27日  23.終わりに(最終回)
 6月14日  24.私のその後(マッターホルンよりも)
 8月13日  25.「うつ病は心のガン」
 3月 4日  26.「高次脳機能障害」
 2月15日  27.「ヘミングウェイ」


1月15日 *歌詩・・・大空と大地の中で


うつ体験、その他、何でもお話してみませんか。
お便りお待ちしています。


お便りはこちらからお願い致します。!

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15.記憶に残る背中(不思議な体験)

ある方のメールの一部を拝借させていただきますが・・・

ウツのお部屋、あまり工事が進まないのもいいですね。 春になると外のお仕事が増えるでしょうから、ぜひそちらを優先に! 私たちが疲れたときに、ふっと立ち寄れる部屋として開けていてくださるだけでいいなと思っています。 これからは、畑仕事やお家の工事に、どんどんエネルギーを使ってくださいね。

・・・という涙が出るほど優しいお言葉に甘えまして、工事の進まない「ウツの部屋」をいまだに開設しております。その上、長く放置してしまいました。


実は、ここに書いておきたい記憶の一コマがありましたが、なかなか筆が進まず、二ヶ月が過ぎようとしています。先日、帰省したバスの中でやっと時間ができ、書いてみる気になりました。信じるか信じないかはお任せいたします。

*** 不思議な体験 ***

あれは私が20代の頃か30代か・・・もう忘れてしまうくらい前の出来事なのですが、誰にもお話したことのない、それでいてよく思い出すことがあります。その人のお顔はもう忘れてしまっていますが、その人の背中と言えばよいでしょうか。

その頃、私はある企業の下請け会社に勤めていました。初期のパソコンが普及し始めた頃のことです。その企業には新しくできたオンライン室というのがあり、その人はそこで勤務なさっていました。係長だったと思うのですが、慣れない仕事の為か、ほとんど仕事がこなせない状態になり、共に仕事をしていた二人の出張職員は私が勤務していた会社の人でしたのでうわさが私の耳にまで入ってきました。

それだけでなく、見るからに状態がおかしいのが傍目からもわかりました。周りから見ればはた迷惑なのか、若い部下からまで疎ましく思われていたようで、いじめとも受け取れる言動を耳にしたこともあります。

ある日、私はいつものように仕事を終え、帰る為に門に向かって歩いていました。ふと気がつくと、前をその人が歩いているのです。いつもと同じように寂しそうだなと思いながらその人の背中を見ながら歩いていますと、いつも以上のゾッとするような暗さを感じました。寒気がするくらい、ゾクッとしたのです。本当に鳥肌が立ちました。どうしてこんなにゾクッとするのだろうと自分でも不思議に思いました。なぜこのことを今でも思い出せるのか・・・それはその次の日に関係があります。

朝、会社に行きますとその人の訃報が告げられました。その人は私が目撃した日の夜、会社近くにある国鉄の線路にまで行き列車に飛び込んでいたのです。それを聞いたとき私の感じたものが何だったのか分かった気がしました。多分そのショックにより、前の日に目撃したその人の背中とその時の感覚が私の脳裏に焼き付けられたのでしょう。今でもはっきりと思い出すことができるのです。

なぜ、止められなかったのだろうと思いました。・・・と言いましてもそのときはその方法があったとも思えませんでした。まだ幼い子供さんと奥さんはさぞ大変だろうとご家族に同情するばかりでした。

しかし今、ウツのことを書いていて頻繁に思い出すのはあの方の背中なのです。ストレスによるうつ病ではなかったでしょうか。ご本人の辛さが今痛いほど分かる気がします。

今では、配置転換など社内の対応や理解も少しは進んできてはいるようですが、このところの不況で会社によっては、そんな余裕はなくなってきているのではないかと心配させられます。

あの人の背中を見たとき何か感じたということは、こんな時、周りは分からなかったと言うけれども、何らかの信号を無意識のうちに発しているのではないか。そう思います。

あの時、何かできなかったか、という思いが私の中に残っていて今でもこんなことを書かせているのかもしれません。

その頃、私は「気」というものに興味を持っていて、本を読んだり、合気道を習いに行ったりしていましたのでその分、人の発する「気」というものに敏感になっていたのかもしれません。今は何もしていませんので多分、感じにくくなっているでしょう。

私の周りで自死した人は3人と書きましたが、この方を含めると4人になります。

不思議なお話のように思えますが本当のことなのです。私の話、信じていただけますか。

2005年4月18日
   
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16.ウツについての理解

先日、帰省しましたが、どうも私と同じ症状・・・と思われる方がご近所にいらっしゃいました。1年前ご主人を亡くされたもう80歳を超えていらっしゃる方です。高さ2メートルもあるような石垣から落ち足を骨折されたご主人は短い闘病で亡くなられました。

突然の事故で、お聞きするだけで大変そうでしたから 奥様にはとても強い衝撃でしたでしょう。「思い出すまいと思っても思い出さずにはいられない。」とおっしゃいます。多分長く連れ添った思い出、闘病生活の大変さ、等等でしょう。「60年も連れ添うことができ、他の人と比べると幸せなほうだと思うけれど、自分に言い聞かせてもみるのだけど・・・。」そうおっしゃいます。

そう簡単にはいきません。そんなに簡単に吹っ切れるものではないのです。それは当然のことで、日にち薬と言いますが、記憶が薄れるためには、傷ついた脳が回復するには、多くの時間が必要でしょう。

私は若くても大変なのだから、いくらしっかりした方とはいえ、このお年ではまだ床に伏せっていらっしゃると思いましたが、外で腰掛けて手仕事をなさっていましたのでびっくりしました。でも、野菜作りでも何でもできていた人が全くできなくなり、顔はむくんで血圧が高い状態で1年前とは明らかに違います。ご自分での健康管理はもう無理のようでした。

私のときと同じように「頭が働かない。」と言われます。とても辛い時期を過ごされていることが一目でわかります。 しかし、息子さんはともかくやはり周りの人の理解があるようには見えませんでした。どうしようもないということもあるのですが、年寄りの繰言のように思われているようでした。ご家族もずっと手を取られているわけには行かないようです。遠くにいて、お話し相手にもなかなかなれない無力さを感じます。


そして、これは別の話ですが・・・暗い話は誰でも嫌なのでしょうが、私がちょっと身内にでもウツの話をするとそんな事くらい誰でもあるよと言います。彼女は波乱万丈の人生で私の知らない時期、ウツで苦しんでいた経験もあると思うのですが、修羅場を潜り抜けてきた強さもあるでしょう。そのくらい皆絶えなくちゃという考えのようです。暇だからそんな事考えるんだよと言います。

ウツなんて周りの人が強制的に病院に通わせなくてはならなかったりするような人、傍目から分かるほど落ち込んでいて自殺ばかり考えている・・・そんな人が本当のウツで大変なのだと言います。 もちろんそうではありますが・・・。

ちょっとした落ち込みとは違うのだよ・・・と思うのですが。離れているからかもしれませんが、私の大変だった時期のことはどうも分かってもらえるとは思えません。どこまでも平行線のようです。 だから、自分の家族にさえ、そこから先は話したことがないのです。やはり同病の方でないと分からないことが多いのではないでしょうか。

ウツの人皆がそんな重症であるはずがありません。重症でも表に見せないようにしている人のほうがきっと多いことでしょう。ある意味、周りから分かれば苦労は無い・・・とも言えるのです。じゃ、死なない人は本当のウツじゃないのかい?と反論したくなりますね。

分かってもらえないしんどさ、一人で耐えなくてはならないしんどさはやはり、体験した人によってしか受け止めてもらえないのでしょうか。そんなことを、再認識させられた里帰りでもありました。

その後、2〜3人の方から過去のこと、現在のこと、ウツらしき体験をお聞きしました。ほとんど人と接触しない私の周りだけでも、苦しい体験をなさっている方の多いことに驚かされます。もちろん私がウツの部屋を書いたから私の耳にも入ってくるのでしょうけれど。

同じ体験者同士の理解。それがあるだけでもずいぶん気分が楽になるのではないでしょうか。皆様の公表しても良い体験談がありましたらお寄せください。お待ちしております。
2005年4月18日

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17.「記憶に残る背中」へのお便り   

先月、書き込みしました後、すぐにお便りいただきましたのに、ここに載せるのが遅くなってしまいました。すみません。

   ◆うつの部屋 書き込みお疲れさまでした。

◇「記憶に残る背中」のお話、その方は私と同世代の方のようですね。 私は70年代初め頃から、コンピュータ関連の仕事をしておりまして、同じよう に潰されていった人たちを多く見てきました。 どこの会社も、どのプロジェクトも、死者の屍の上にあるような状態でした。

7、8千人くらいの会社で毎年数人の自殺者は当たり前でしたし、あるプロジェ クトではトラブルが連続して3人も自殺されたとか、私の先輩は、お正月に目薬のケースに墨を入れて晴れ着姿の女性の着物に墨を掛 けて「晴れ着魔」として捕まりました。

ドラッグと一緒で、まじめな人が悩み始めると止めようもないくらいに病が進行 していくようでした。 また、苛めもありましたね。 私も何度か、2ヶ月ばかり仕事を与えられなかったり、苛めの対象にされたことがあります。

よくぞ、その頃に発病しなかったものだと思います。 ○○さんの経験は、ゾッとしますね。

◇うつについての理解のこと 自分が病んでその目線で見てみると、病んでおられる方の多いことにびっくりし ています。

自分のことでさえ、怠けているのではないかと自己批判したりするくらいですか ら、周りの人たちには「落ち込んでいる」「だらけてる」位に見えていないこと もあるのでしょうね。

「うつの部屋」が、同病の方の情報の交換の場所として扉を開けておいていただ けると良いですね。 もし、昔罹病されていて、回復された方が読まれたら、是非そのご経験を披露い ただいて、キチンと生きていることの意義(意味?)を病んでいる者に伝えて欲 しいです。


お便りありがとうございました。なかなか情報交換の場としては整備できなくてすみません。

しかし、壮絶なお話ですね。本当に私の体験なんかよりもっともっと辛い思いをなさった方々がいらっしゃること、激動の時代を生きてこられた方の体験談をお聞きしても良く分かります。

それにしましても今でこそこんな風にコンピューターも有意義に楽しむことができるようになり、便利な生活を享受できていますが、多くの方々の犠牲の上に成り立っていることも覚えておかなくてはならないのでしょう。

お言葉に甘えましてこのお部屋細々ながら続けさせていただきますね。
2005年5月15日

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18.疲労外来・仮面うつ病

ところで、サイクリストのMさんも指摘なさってますが、慢性的な疲労がウツの引き金になることも多いと思います。

『疲労外来』ほんとうに必要かもしれませんね。 遅きに失した気もいたしますが、全国的に広まればよいと私も思います。

◆大阪市大病院に「疲労クリニカルセンター」開設との情報が、Mさんのホームページ05/04/22 私のこと(4) 〜お酒を止めよう せめて節酒を〜・・・の下のほうに掲載されていますので興味おありの方ご覧ください。

Mさんのご意見です。・・・慢性疲労は、うつにも関係があると思っています。 今は、掛かっている主治医の紹介状が必要で予約制とか。簡単に「何故か疲れが とれない」とか、「気分がすっきりしない」とか、いわゆる病院が相手にしてく れないような症状に対応してもらえると良いのですが。


先日テレビを見ていましたら仮面うつ病のこと放映していました。身体の病が前面に出ていて、うつ病が隠れているのですね。私もうつ病のことを知らなければ、食欲不振とか体調不良が主でしたから、仮面うつ病と呼んでもよかったのかなと思います。

でも仮面うつ病の人は自分がうつ病のことを認めたがらないそうですから、少し違うのでしょうか?

仮面うつ病 について書かれているページ少し見つけました。心の風邪で耳鼻科に行く人もいらっしゃるのですね。
メンタルヘルス その6仮面うつ病
耳鼻科とこころの風邪    

2005年5月15日

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19.列車事故から1ヶ月

多くの犠牲者を出した4月25日の列車事故から昨日で1ヶ月が経ちました。もうずっと前のことのように感じるのですがまだ1ヶ月、気持ちの整理どころか、まだ現実を受け入れることさえできない方が多い時期なのではないでしょうか。

事故にかかわった方々の様々な報道が多いです。いつでしたか、2両目に乗っていて助かった方へのインタビューが放映されていましたが、自分だけが助かって良かったのかと、もっと自分の骨が折れても救助活動を手伝った方が良かったのではないか、等と何の落ち度も無い方さえ、自分を責めておられました。もう普通の精神状態ではないようです。

それはだめだよ。自分を責めないで・・・と言いたくなりました。自分を責めすぎるのはウツの前兆ではないかと、私は私と同じ状況に陥る方が多いような気がして事故に関係した多くの方の今後を憂えています。ショックで深く傷ついた心や脳はそんなに早く治る筈がありません。精神的なサポートもなされるようですが、いつまで続けられるか限度もある気がして多くの残された方の気持ちを思うと辛いです。

偶然通りかかり救助に当たった方さえ不眠や、PTSDなどで苦しんでいらっしゃるようです。こんなときこそ、周りの方々の長く暖かいサポートと理解が得られますよう祈ってやみません。

近年、あまりに多くの災害や事故が立て続けに起こり、あまり書く気にもならないほどなのですが、あのテレビの中の青年は他人事ではありませんでした。

病気で亡くなるときさえ、どんなに良い治療をしていても、残されたものは後悔ばかりで自分を責めることが多いようです。その時期が一番苦しかったと、その為にウツにもなっていったのではないかと今振り返って思います。

亡くなられた方や重症の方が一番大変なのではありますが、その方々に最も近く心寄り添っていた方々は同じくらいの痛みを感じるものでしょう。特に、事故は突然で、若い方が多く、本当に悔やんでも悔やみきれないことでした。

亡くなられた方々のご冥福を心よりお祈りいたします。(-.-)


※ご紹介遅くなりましたが、サイクリストMさんが「心の病気」に対する、企業や社会の理解についてレポートを書いてくださっています。Mさんのホームページ05/05/18 ”うつ”のこと等・・・をご覧ください。

2005年5月26日

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20.心の傷

NHKみんなの健康?でしたか、先週、ウツについての放映がありました。視聴者からの悩み相談も受け付けていました。 やはりまだまだ、周囲の理解が得られていない病気だということですね。

大企業では取り組みが進んでいるようですが、中小企業では8割はほとんど対策がとられていないということでした。 仕事の復帰を受け入れてくれても以前より大変な仕事に回され半日でダウンしたとか、初めから受け入れてくれないとか、復帰しても周囲の目が気になるとか、難しい問題が多いのですね。やはり退職に追い込まれる人も多いようです。

その中で気になったのが、身体の外傷であれば受け付ける会社なのにちゃんと診断書を出して1年間の休職を依頼しても、受け付けてくれない。・・・というもの。精神科医は同じ病気なのに・・・と言っていました。 やはり外傷がないと病気には見られないのですね。怠けているとしか見えないのでしょう。

その傷も身体と同じように、重症から、軽いものまであるのでしょう。でも身体の外傷のように目に見えないためにやっかいなのです。肉体であれば、血を流していればもちろん重症ということになるし、あるいは、ほんの少しの切り傷なのか、擦り傷なのか、一目でわかりますが、見えないからやっかいなのですね。でも自分も経験がある人はそれが見える気がします。ほんの少しの言葉、動作などからです。(??でも難しいかな。心を隠している人は・・・)

いつも患者を見ている精神科医の方さえ本当の傷の深さが見えてないこともあるでしょう。病院で頭の中まで見ることができるようになっているようには見えません。ましてや、周りの家族さえそうですから、利害関係のある会社の人事では受け入れ難いのでしょう。

私は、自分の感覚では、傷を負っていると感じていました。そのことはもちろんしんどいですが、それより、その為に何もできなくなっている自分、本当に完全に動けないほどダウンしていればまだ良いのですが、中途半端にまだ理性も体力も残っているものですから、しんどい身体を叱咤激励して動かさなくてはならないこと、そしてそんなに辛い思いをしていることが周りの人には見えないこと。最初は自分にさえ分からないこと。

周りの人に理解してもらえないと言っても、(時間さえかければ見た目は普通の生活らしきものはできるわけですから、)理解してもらえるように説明さえできない状況であること。なんとか今までと同じように見える生活をし続けなくてはならないこと。この間が一番辛いように思います。

木の実ナナさんも更年期性鬱のご自分の体験を公表なさっていますが、せめて、病気を広くわかってもらい、今苦しんでいる人がせめて自殺を思いとどまって欲しいという一念からのようです。本当に体験した人でしかその感覚は分からないように思います。

心の傷は見た目は分からないけれども確かに傷であること。そして重症の場合もあるということだけでも理解しておいて欲しいと思い、くどくどと書いてしまいました。

私のこと。

いつも重石が乗っかっていたような気分と頭の重さから開放され、半年が過ぎました。それでも突然最高の気分に戻れるわけでもないのですが、徐々に身体が元に戻ってきました。食事のバランスをとれるほどに頭が働き出した気がするのです。

まだちゃんとした味のものが作れるわけでもないのですが、以前よりはレパートリーが広がってきたと言うところです。食事のバランスが整うとやっと身体もちゃんと動き出すということに改めて気付いています。 頭の中のシナプスも少し繋がってきた感じです。

老化現象で身体のあちこちには痛みが出てはいますが、まだまだ家の中も片付いてはいませんが、それでも気分は快調です。 何を見ても聞いても感謝の気持ちが湧いてきます。

6月は私の人生の再出発の月になるのかもしれません。皆さんありがとう!
2005年6月19日

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21.休ませる勇気


28日火曜日、竹脇無我さんのインタビュー番組が再放送されていました。ご覧になった方もいらっしゃるでしょうか。 自殺願望との戦いや、2回の入院もあった8年にわたる鬱との闘病生活のお話でした。なんと長い戦いでしょう。

自殺なさったお父様の発病と同じ49歳のときの発病だったそうです。「 とにかくだるくて何をする気も起こらない、外から見て分からないでしょう?だから怠けているように思われる。 」お話一つ一つが良く理解でき、私と同じ状況だと思いました。 本当に身の置き場がないなんとも言えないしんどさなのです。

認知症のような症状もあるということですが、先日、認知症の症状を聞いていまして私も同じかもしれないと思うようなことが多かったです。あるいは高次脳障害に似ていると思ったこともあります。

竹脇無我さんもやはり、頭が働かなくなるのか、セリフを覚えることもできなくて、仕事をさせることが悪いのだと思っておられたそうです。それにもとても共感致します。

期待されている人ほど、どうしてもストレスは大きくなりますので、どんなに大変だったかと思います。周りの理解がいかに必要か、知らないことがどれだけその人を追い込んでいくかということ、改めて感じました。

インタビューの言葉はよく覚えていませんが、確か、望むことは?との問いに、「休ませる勇気を持って欲しい。」周りに身近にいる人は・・・ということでした。

休ませる勇気、私もこれに尽きると思います。 回復の道を歩んで欲しいならば、苦しませたくないならばそれがスタートであり、また終わりだとも思います。あまりに難しくて、でも経験した者のみが口にできるあまりに的確な言葉。書いておきたいと思いました。

そしてまた、自ら休む勇気も持っていただきたいと思います。これもまた、難しいことなのではありますが・・・。

私も我が家の大黒柱である人が働けなくなることを、最初はなかなか認めることすらできませんでした。目に見える身体の病気の場合でもそうですから、まして、外から見てほとんど分からないとなると、周りの人もおかしいと思っても完全に休ませる勇気など出ないことでしょう。

重病になる前に気付いて欲しいものだと思います。 経験のある私はとても共感を持って見てしまいますが、今関係のない方は通り過ぎてしまうお話になるのかもしれません。でもこれだけの方が全国放送で言っていただけると少しは理解が広まるでしょうか。

2005年7月2日

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22.思っていること

「ファイト」

NHK連続ドラマ「ファイト」の最終週でした。群馬県を舞台にしていて競馬馬が出てくるなんて!最初はちょっと地味かなと思いましたが、主役のゆうちゃんの演技も素敵で引き込まれて見てしまいました。

本当の所は心の病をテーマにしているので気になるドラマだったからでした。家族それぞれのストレス、または体調の変化により鬱気分になっていくのを家族で支えあいながら乗り切ってゆく。素敵なお話です。

国をあげて取り組み始められたうつの問題、今、旬の問題として取り上げられたのでしょうか。登校拒否になっていく過程など細かい描写で素直に主人公の気持ちに同感できました。

しかしちょっと違和感も感じます。ドラマのようにこんなに簡単に解決できたらどんなによい事でしょう。

「そんなに短い間に解決できるもんじゃないよ」とクレームもつけたくなりますが、短いドラマの中で多くのケースを盛り込むのですから、しかたないのかもしれません。

「ファイト」は広く多くの方への予備知識と悩んでいる方へのエールの役割は果たされたのでしょう。本人の理解も必要ですが、周りの方の理解があればどんなにか、楽に過ごせることでしょう。嬉しいドラマでした。


しかし、心の底で思っていることがあります。

食べ物などはこのドラマのように気をつけてもらえる家族がいるかたは恵まれていると言えるでしょうか。

問題は増えてきている一人暮らしの方です。重い症状の場合です。食事が無茶苦茶になってしまったときに、気分が落ち込んでしまったときに、体の病気を重くしない方法があるのでしょうか。

遠くの親戚にしろ、近くの他人にしろ、たまには食事援助できるかもしれませんが、毎日食事を作りに来れる筈もなく、継続して助けることは物理的にも精神的にも無理なことです。何年も症状が続く場合は悲惨でしょう。

私の場合、心と言うより、脳の病と言った方が正確だと思っていることを付け加えさせていただきたいのですが・・・

私の場合、開けてすぐに食べられるものを頂いても、なぜか食べることができず、少し霧の晴れてきた最近になって周りのものが見えるようになり、やっと食べ初めているのです。目の前にお皿に載った物でしたら食べるだけですから大丈夫なのですが。

私が思うには、このどうしようもない状況を生きて乗り切るには、やはり普段からの予備知識も必要でしょうが、最終の武器は一番の武器は、生まれ持った生命力しかないのではないか。そんな風に思っているのです。

ボロボロになっても生きていられる体。究極の結論がいつも私の頭の片隅にあるのです。

そう言ってしまえば実も蓋もないのですが、それしかないとさえ思いました。普段から身体を鍛え、元に戻れる日まで耐えられる体力をつけておくこと、病気のことを知っておくこと、もちろんこれが最低限必要なことでしょう。普段からの地道な努力しか防衛はできないのかも。

人間、いつまでも生きてはいられませんが、特に若い方にはその耐えられる体力が、強い生命力もあるのです。

病院にも行けず、一人で頑張っている方には届かない言葉かもしれませんが、でも、その体験が、新しい血となり肉となっていく日が来ることを信じていて欲しいと願っています。

2005年10月1日

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23.終わりに(最終回)

今年も11月も終わりに近づきました。本当に月日の経つのは早いものです。気分の悪さから抜け出して1年が過ぎました。 しかし栄養バランスのおかしい私の身体はすぐには元には戻ってくれませんでした。

8月ごろでしたか、少し頑張らなくてはなりませんが、考えがまとまりやすくなったと感じました。記憶喪失の方が過去のことを思い出すとき頭を おさて苦しむ様子が良くテレビドラマなどで出てきますね。あれと同じ感じでした。そんなにひどくもないのですが、記憶がつながると 言いますか、徐々にシナプスがつながっていくような感じでした。

脳の神経物質が少し多くなってきたのでしょうか、働き始めた感じが しました。本当につい最近、今年の8月頃のことでした。そして10月になると考えたことが苦もなくできると言いますか、身体が思ったとおりに動いて いる感じがしました。10月頃から一段と楽になった気がします。

これが本当の普通の感覚なのだと思いました。 昨年普通の感覚に戻ったと思いましたが、やはり、今の感覚ともかなり違っていました。まだまだ出口だったのでしょう。

判断力が出てきた感じです。今までは変なことにこだわったり、投げ出してもよいものなのに、しんどくてもやらなければならないもの だと思い込んでもいたようです。そして肝心な自分の周りのことができていなくて、次に進めなくてそれが一段としんどいものになって いたようです。少し頭の中で整理が付き始めてからは、ずいぶん楽になってきました。 何か、根本のところが壊れていたと言う感じです。

今思うには、気分の悪さから脱出できたとしても元の身体に生活に戻るのにやはり1年は必要だったのでしょう。

最後に言っておきたいことがあります。

ネットのページで知ったことなのですが、かなり重症のうつの方だと思うのですが、病院から退院するということで、知人が集まりお祝い の会を催して帰っていったその夜、首をつって亡くなったというものでした。私はそれを読んだ 時その気持がとてもよく分かる気がしました。

皆の期待が考えられないほどの重さとなって圧しかかったのでしょう。身体の病と違い、退院する頃はほとんど良くなっているというも のではないのです。次の日からすぐ元気で動けるというものでもないのです。ほんとうにそっとしてあげて欲しいと切に思います。

無理解故の苦しみは少しでも減らしていただきたいと思います。特に重症の方の回復期においての周りの方の理解が必要と感じています。

最近、(今年になってからでしょうか)皆の健康でもうつのことが頻繁に取り上げられるようになりました。 NHKではインターネットなどでも悩みの投稿を受け付けるようになっているようです。

介護体験を短歌や俳句に詠んだり、ストレスの 軽減の提案もなされているようです。素敵なことだと思い、そんな投稿ページも作りたかったのですが、私には管理が無理のようです。

今、この部屋を更新して行く必要も無くなったと感じています。 うまくは説明できなかったかもしれませんが、私の言いたかった事は書いた気がいたします。5年に渉る私自身の体験も 言葉足らずながらお話できました。

お一人でもでよいのです。同じ体験をなさっていらっしゃる方の苦しいお気持の軽減に少しでもお役に立てましたら嬉しく思います。 また気まぐれに書き込むこともあるかもしれませんが、とりあえず、更新は終らせていただきます。

でもこの部屋は片付けないで玄関扉は開けておきますので思い出してくださることがありましたら、いつでもご訪問くださいませ。

ケセラセラ〜♪ なるようになる〜°°・☆・♪ ・・・で暮らしましょうか。ではみなさまごきげんよう。(^^)/~~~

2005年11月27日

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24.私のその後(マッターホルンよりも)

最終回から1年半が過ぎてしまいました。かなり良くなったとはいえ、やはり回復は完全ではなくその間も自分との戦いは続いていました。

先日、高島忠夫さんご夫婦をテレビで見ました。 私は違う病気と勘違いしていましたが、忠夫さんはうつ病だったようです。 有名な方ですから特に周囲の多くの方々も家族も巻き込み大変なことだったでしょう。

賢明な奥様(寿美花代さん)ですから、重苦しい時間を修羅場を共に戦うことが、乗り越えることができたのだと思い ます。5年とも10年ともいわれていますが、うつの回復には本当に長い年月がかかります。

私の場合も今年で丸6年。多分、もっと前から兆候があったでしょうから7年間というところでしょう。 とてもしんどく頭が働かなかった頃、普通に身体が動いている人が超人に見えました。

「マッターホルンに登るよりもしんどいんだから・・・」いつもこの言葉が回らない頭の中で繰り返し呟かれていまし た。

それはマッターホルンに登る人の方が本当はしんどいのかもしれませんが、でもそれは挑戦したあとはそこで終わ ります。でもずーっと息の切れるその状態が続いていると考えてみてください。何年も何年も。 それはそれは地獄の日々でありました。

それでも長い年月がかかりましたが、やっとやっと私も身体が楽になってきました。や〜っと脱出できた・・・と今は はっきり言うことができます。今年4月のことでした。

その間も自分を客観的に観察はしていました。 その後を、少し記録しておきます。

昨年(2006年)3月・・・まだしんどさが残っていました。 でも、しんどいながらも気力や考える力が少し出てきて、家の大改装を手がけることができました。 それでも身体が思うように動かない中でのいい加減な作業でした。

8月・・・気分が楽になってきました。 秋、遠くに足を運ぶことがかなり楽になり、まわりの景色が見えるようになりました。 11月、帰省のバスの中で今までになく楽な気分でいられる自分を感じていました。 隣の席の奥様に身の上話までしていました。

2007年2月・・・簡単な料理ながら作るのに億劫さがなくなってきたのに気がつきました。

3月・・・調味料の使い方が普通にできる感じ。一汁3菜くらいでしたら楽しく作れるように。(まだ自分の為だけですが ) 昔、美味しく感じていたものがそうではなくなっていましたが、また美味しく感じられるようになり、食材選びも変わ ってきました。

4月・・・食べ物のおかげか身体が、感覚が、普通に戻ったと感じました。 考えるということが普通にできることのありがたさを感じました。やはり、頭の中が改善されないとどうしようもなくて身体も思うように動かない感じでした。

しかし、長い長い暗い洞窟から出てきたばかりのようで、身体の色々な機能がまだ錆びついていることを感じています 。

4月からリハビリ期間を過ごしています。記憶力がかなり悪いです。せめて年相応くらいには戻していきたいものです 。 浦島太郎が玉手箱を開けたときのように、トンネルを抜けると年老いていた・・・これがぴったりの表現かも。

そして、これからは進む老化と戦うことになりそうです。 でもこれは人生では普通のことですから、うつの時のようなしんどさはありません。 楽しく自然に老いて行けたら・・・。 これからはあまり無理をしないように生きて行こうと思います。

良い意味か悪い意味か、私は昔から我が道を行く人・・と言われてきました。(もしかして自分勝手?) 人がなんと言おうと自分の身体は自分でしか守れないのです。

この病気の場合は特に皆さまにも我がままに生きて欲し いと願わずにはいられません。まじめな人だからこそ我がままに気楽に・・・。 本当に信じていれば夜明けはやってくるものです。 暗闇のトンネルの中の方も、いつの日か楽になれることをどうか信じていてください。

中年女性の場合は女性ホルモンの減少もあり、更年期とも相俟ってとても辛いと思います。この頃ちょうど老親の介護など と重なる時期。家庭内、親戚とのトラブル等もかなりこれが原因の場合も多いのではないかと気がつきました。かく言う 私も体験しました。

若かりし頃、「おばさん」への偏見を持っていたこと深く反省しました。皆さんのご苦労に思い至りました。

問題は男性の方に多いと思うのですが、この間にお酒に頼ってしまいアルコール中毒になる方も多いのではないかと思 います。アルコール中毒がひどくなると元に戻れるものも難しくなるかも。 休肝日は意識して設けるようにしてください。 ・・・それができれば苦労はない?・・・ごもっともです。

アルコールが先かウツが先か、議論もあることでしょうが、高島忠夫さんの場合はウツからきたのではないかと想像し ます。 飲みすぎないよう身体にはくれぐれも気をつけて長生きしてください。

先日、頭の中に電極?電気?を通して刺激、脳を回復させる技術が最近できたとテレビで言っていました。震えの止まらない手の震えが止まったり自分の意思で動かせるようになっている人がいました。

ウツにも応用できるかも・・・ということですが、もしそうなれば楽になる人が多くなるでしょう。早く使える技術になればよいですね。


昨年の自殺者も3万人を越えたとの報道がありました。 国を挙げて対策を考えているようですが、良い解決策が早く見つかって欲しいものです。 根本の原因を少なくすることと、周囲の病気の理解が早く進んで欲しいと思います。

でも私は自死した人を責める気分にはなれません。 なにしろマッターホルンに登るよりもしんどい重圧がずっとかかっていたのだと思うとそこから逃れて楽になることが 幸せと思えるのも不思議はないからです。

亡くなった方が弱い人ばかりだとも到底思えません。なぜ他の道を選ばなかったのかと人は言うのですがその判断力が あるのは普通でいられるときでしょう。現状では、その時点で理解してあげられる人が何人いるでしょう。

私はその辛さを理解してあげることくらいしかできませんが、微力ながらこのページを通してそれでも生への応援をし たいと思っています。

そして、その先にあるこの世の天国を共に楽しみましょう。 ご自分を大切にお過ごしくださいませ。


マッターホルンよりも裾野を広く、動じない心を持ち、マッターホルンよりも高い位置からの視野を持ち、マッターホルンよりも美 しい姿を姿勢を保てるよう・・・ 。

これからは苦しめられたマッターホルンを師として生きていきましょうか。

ご成功を祈ります。

では、みなさまごきげんよう!(^^)/~~~

2007年6月14日

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25.「うつ病は心のガン」

皆様こんにちは。暑いですねー!またまた1年が過ぎてしまいました。私、一段と心も身体も回復してきました。まだ夏ばてしていませんよ。

ここ10年来、毎年自殺者の数が3万人を越えているそうです。昨年は3万3千人以上とまた一段 と多くなっているようです。不況の波がまた押し寄せてきている昨今、多くの人の理解で少しでも自殺者の数が減ると良いと思いますが・・・。

3月頃でしたでしょうか。 NHKの番組「この人と福祉を語ろう」でうつ病の体験談を話されているのを目にしました。

脚本家・一色伸幸さんのお話はやはり同感する所が多く、遅ればせながらここに書きとめておき たいと思いました。

「うつ病は心のガン」

本当にガンといってもよいほどの強烈なしんどさがある気がします。そして必ず何パーセントか は死に至る病気なのかもしれません。

「心にも寿命がある」

確かに寿命なのかもしれない・・・脚本家らしい的確な言葉に魅了されました。

8月に入り、今年も戦争体験放送が繰り返されています。様々な記録の開示が進んでいる気がし ます。兵士の心の病についても報道がありました。分裂病、ウツ・・・なんと多くの傷病記録! 私もこの病気になってみて、戦争帰りでボーっと過ごしていた人(腑抜けになった・・と表現さ れていた気がしますが・・)は、きっと同じ症状だったのではないかと思うようになりました。 戦地では極限状態に追い込まれていたでしょうから「ウツになって当然」と私なんか思います。

「脳の機能異常だから」・・・さりげなくおっしゃった言葉ですが、私にとっては嬉しいことで した。

近年でははっきりしてきているのですね。私がそう思っていたことを確認できました。 以前私がくどくどと書いていたことはこの一言で良かったのでしょう。根性論で言われることが最高に辛いこの病気は、周りの人の正しい理解があれば少しは楽になれるのではないかと思いま す。

「心のblueから海のblueへ」

回復した今はダイビングにも夢中とか?

「ひとつ良いことは後遺症がないこと」・・・全く後遺症はないそうです。

そうかもしれません、一色さんの場合は1年後、奥さんが無理やり病院に連れて行かれたことが幸いだったのか回復が早かった気がします。でもすぐ治るかと思ったそうですが、とてもとても・・・3 年かかったそうです。 8年も続いた私の場合はその長い期間が後遺症だったと思いますが。

周囲の理解が必要・・・生きる実感が嬉しい・・・心のメンテナンスが必要・・・当たり前の ことってこの病気になってみないと気づかない・・・とかおっしゃっていたようですが、なかなか書けなくて記憶が朧になりました。

本当に、この病気になった人ほど「普通であること、当たり前のことができること」のありがたさを感じることはないでしょう。



気にかかっていたこと。

以前どこかの相談サイトで読んだのですが「ウツだと言いながら毎日パチンコに行っている。絶対嘘だと思うのですが・・・」という相談が載っていました。

私はそれが心に引っかかり「そう とは言い切れないのじゃないか。」と思っていました。

実は私も(パチンコはしませんが、)簡単なゲームを延々と続けていたことがあります。目が悪 くなっても身体が疲れても止められないのです。 それは異常とも言えるほどでやはり脳の異常ではないかと下火になった今思っています。

簡単なゲームしかできないのですが、それでも何もしないよりは脳の回復訓練に少しは役に立っ ていたのではないかと思います。 無意識のうちに少しでも改善方向に持っていこうとしていたのではないか・・・自分としてはそう思 うのです。 パチンコでも脳の一部は使えているのではないか・・・そう思ったのです。

周りから見れば怠けているとしか思えないような行動。それは一つの症状でもあるのだと今では理解しています。

今でも2枚の同じカードを当てる神経衰弱のゲームをよくやります。これは記憶力を確かめるのに良いのです。自分で頭の回転がどの位戻ったか確かめることができ、ある種バロメーターになる気がします。

近況
7月・・・少しパソコンから離れ近場の旅行にも出かける気になりました。
8月・・・空回りば かりで進展のなかったカードの記憶に少し進歩が・・・。理解できなかった説明書がなんとか理解できるようになりました。ほぼ、正常かも?気分も良くなり聞くことのなかった古いレコードなど楽しむことができるようになりました。

ご回復前の方のお早いご回復お祈りしています。では、またいつかお目にかかりましょう。お元気で!

2008年8月13日

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26.「高次脳機能障害」

前回からもう1年半が過ぎてしまいました。昨年も自殺者の数は3万2千人を越え、12年連続の3万人越えらしいです。残念で心痛むことです。

今もリハビリの域を出ていないのですが、実は私の昨年の病は脳卒中でした。きつい鞍馬寺の階段を上り下りして4日後のことでした。

少し特殊なのですが、奇異性脳梗塞と言って以前は原因不明だったらしいのですが、最近わかり始めた病気とのこと。生まれた時に塞がる筈の心臓の右心室と左心室の間の孔がきれいに塞がっていない人が日本人の5人に1人、広く開いている人が1万人に1人位の割合でいるそうです。私は広く開いているのだそうです。これは自分でも分からなかった筈です。

子供の頃から手足が冷たいことやシミが多いことも一部は関係しているのかもしれません。そう考えれば納得いくことがあります。

この血液にあまり異常がなくとも発生する不思議な脳梗塞。その内30パーセント位の人が足に血栓が認められ心臓に卵円孔開存もあるようです。3拍子揃った時に心臓から脳に飛ぶらしいのですが、生まれた時の異常となると防ぎようがないですね。

まあ3拍子揃わないようにすれば良いことでしょうが。長い人生にはなかなか思うようには行かないこともありますね。日本では心臓の手術は今現在あまり行われていないとか。

それにしましても解明されていない病が沢山あるのですね。自分が患ってみて初めて解るもののようです。

・・・と言う訳で自慢ではないのですが、私の病の後遺症は意外な所にも影響し、まだまだ続いております。

いつか私が、高次脳機能障害かも?と書いたことがありますが、うつ病のみならず、この病気が原因だったのかもしれないです。脳血管性のうつ病だったのかも?崖から落ちた時の後遺症か、脳梗塞によるものだったのか自分としてはどちらか知りたいのですが、10年も経った今となってはもう判らないようです。

実はもう1年以上も前になると思いますが、京都の「府民便り」に書かれていた「高次脳機能障害」の記事が気になっていてここに転載しておきたいと思っていました。遅くなりすぎましたが、載せておきます。私も症状の多くが思い当るのです。


シリーズ人権 心のカギ 

頭部外傷や病気による後遺症を持つ「若者と家族の会」
京都支部長 牧圭子 

高次脳機能障害・・・(何年か前からテレビなどでも耳にするようになりましたね。)

事故や病気の後遺症で起こる脳の障害で、

@記憶できない A気が散りやすい B対人関係が上手く築けない C病気を自覚できない D行動にまとまりがない E自発性が低下し、自分から何もしない F抑うつ状態 G見ているものがわからない、道具が使えない H欲求を抑えきれない I子供っぽくなる J些細なことで怒り出す Kこだわりが強い L空間の片側を見落とす M自分のいる場所がわからない など、沢山の症状があります。

この他にも、「今は何月ですか?」と聞いても全く見当外れのことを言ったり季節外れの服を選んでしまう見当識障害というものもあります。

この障害を引き起こす原因はさまざまで、脳梗塞や脳溢血といった脳血管障害、事故などで脳にケガを負う脳外傷、脳に十分な酸素が行き渡らなくなり起こる低酸素脳症、この他にも、アルツハイマーやパーキンソン病、脳腫瘍、脳炎、てんかんなどが挙げられています。

また、外傷や病気の程度によって、脳のさまざまなところで神経細胞が損傷を受けるために、症状は人によって千差万別です。更に、脳機能の障害であるため、外見上わかりづらく、周囲からの理解や支援を得ることが難しいという特徴があります。

他人事のように思われるかもしれませんが、この障害は誰が発症してもおかしくないのです。現在、高次脳機能障害の患者数は、市内では約3千人、府内では6千人、国内では約30万人いるといわれています。

そして今後も事故などでこの数は増加していくでしょう。こんなにも多くの患者がいるにもかかわらず、高次脳機能障害と診断するドクターが非常に少ないために、長い間、医療や福祉、行政の理解を得られませんでした。

しかし最近は、医療の発達・進歩で、この障害がやっと認められるようになってきました。全国的には北海道から福岡までの12ヵ所の病院でモデル事業が行われています。京都の病院でも高次脳機能障害の支援相談窓口ができましたが、先進的な都市に比べると京都の取組はこれからであり、今後の発展を期待したいと思います。


これは本当に辛い病だと思っています。社会的に理解が広まり1人暮らしの人にも手が差し伸べられるようになることを願って止みません。


私は一昨年夏から長距離ウォーキングに月一度、参加していましたが、足の痛みがあったのに気がつかず奇異性脳梗塞を発症してしまいました。

しかし一病息災。この治療の後、私の頭の方はもう一段楽になり、運動を始めるきっかけにもなりました。これは有難いことでした。

そして少しづつ健康を取り戻しつつあります。今後は膝を治して足を鍛えたいと思っています。寿命は神のみぞ知る。でも自分でできる限りの努力はしてみましょう。

皆様もご自分の好きな運動を日々の生活の一部にして健康で長生きしてくださいませ。どうぞお元気で!

2010年3月4日

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27.ヘミングウェイ

昨夜テレビで、アメリカの作家アーネスト・ヘミングウェイの特集番組を見ました。

短編小説「老人と海」を書いた後、飛行機事故で重傷を負っていたこと、
その後、散弾銃で自殺していたことを初めて知り、とても驚きました。

その一年の間、何も書かなかったのではなく沢山の綴られた文章が残っていたそうです。
纏めることができないのだ・・・と言っていたそうです。

これは事故の後遺症、「高次脳機能障害」ではなかったかと強く思いました。
どれほど大変な思いをしたことでしょう。

亡くなったのは61歳、今の私より5歳も若かったことも驚きでした。


私は少しづつ回復してもう治ったかと思い、その都度「良くなった」と書いてきましたが、
なかなか作業の段取りがうまくできず収集がつかない生活でした。

一昨年2017年暮れに、もう一段頭がはっきりした気がしました。
それから以前よりは、少し楽な生活をしている気がします。
最初におかしくなってから18年以上も経っていました。

長い間、更新していませんでしたので久しぶりに報告しておきます。

事ほど左様に回復への道は、困難で時間がかかるもののようです。
ケースバイケースではありますが・・・。

今は長寿も望める世界でもありますので、回復を信じて長生きして頂きたいと思います。
2019年2月15日

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うつ病、PTSD等については、精神科医の方が分かりやすく書かれたホームページ、「Dr 林のこころと脳の相談室」 http://www.so-net.ne.jp/vivre/kokoro/index.html  を参考にさせていただきました。皆様も色々な事例が載っていますので参考になさったらいかがでしょうか。

うつ体験、その他、何でもお話してみませんか。
お便りお待ちしています。

お便りはこちらからお願い致します。!

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歌の力

2003年の暮れのこと、出なくなった声で、やっと歌うことのできた記念の歌の歌詞を書かせていただきます。
その何年か前、あるテレビドラマの主題歌で流れていて一部を覚えていたこの曲のCDをやっと手に入れました。
松山千春の曲でした。

*。〜・;。・♪〜☆.。〜;.。〜*★・;。・☆*。〜・;。・☆.。〜;.。〜*★・;。・☆〜♪*

大空と大地の中で


果てしない大空と広い大地のその中で
いつの日か 幸せを
自分の腕でつかむよう


歩き出そう 明日の日に
振り返るには まだ若い
吹きすさぶ 北風に
とばされぬよう とばぬよう


こごえた両手に 息をふきかけて
しばれた体を あたためて


*生きる事が つらいとか
苦しいだとか いう前に
野に育つ花ならば 力の限り生きてやれ


こごえた両手に 息をふきかけて
しばれた体を あたためて**


(*〜**くりかえし)


果てしない大空と広い大地のその中で
いつの日か幸せを 自分の腕でつかむよう
自分の腕でつかむよう

*。〜・;。・♪〜☆.。〜;.。〜*★・;。・☆*。〜・;。・☆.。〜;.。〜*★・;。・☆〜♪*