☆〜越畑便り〜☆
うつの部屋(私の場合)1
2005年

          2月27日・・・14.病院の現状は?・・・を追加しました。



うつの部屋2のページ・・・NO.15〜 は【こちら】です。

*******目次 *******

1月15日  *.このページ作成の動機
1月15日  1.告白
1月17日  2.PTSD(心的外傷後ストレス障害)
1月20日  3.言っておきたいこと
1月21日  4.無意識の世界
1月24日  5.ウツさんとウツさんのお話
1月26日  6.不眠症について
2月 3日  7.Bさんからのお便り
2月 8日  8.Mさんの体験談・私のこと(1)
2月 9日  9.Mさんとのメール公開
2月13日 10.ウツの後遺症?
2月16日 11.ウツの性格?MさんのHP紹介・私のこと(2)
2月26日 12.MさんのHPご紹介・「加島祥造「タオ−老子−」
2月26日 13.「メランコリー親和型」?MさんのHPご紹介・私のこと(3)
2月27日 14.病院の現状は?


1月15日 *歌詩・・・大空と大地の中で


うつ体験、その他、何でも話してみませんか。
お便りお待ちしています。


お便りはこちらからお願い致します。!

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*. このページ作成の動機

楽しいことを書けばよいのですが、ごめんなさい。

同病のよしみの方、周りに気になるうつ病らしき人のいる方に参考にしていただきたいと思い、こんな部屋を作ってみました。

私は専門家ではありませんから、自分の経験から、考えたことを綴ってみたいと思います。

人生山あり谷あり、とはよく言ったもので、一生のうち、うつ気分のみならず、うつ病にかからないで人生を終える人は少ないのではないかと思います。私は数年前までは、自分が・・・こんなに楽観的で勝手気ままなB型人間の自分が、こんなことになるなんて思っても見ませんでした。

深刻な病気を体験した方はお分かりと思いますが、極限状態に近づきますと、心休まる気がするのは、同じ病気を体験している人のお話を聞くときのみです。病気の家族を持つものとて同じです。同じ体験をしていらっしゃる方のお話を聞くだけで、また聞いていただくだけで気持ちが和らぎ、癒される気がいたしました。

うつのしんどさ、辛さを体験したものとして、このお話が同じ辛さを味わっている方の心の慰めに少しでもなればと思い書いてみることに致しました。

なお、その為、うつ病のことを少しインターネットで調べてみましたが、どうも私の場合、初期の頃は別として、うつ病とまでは行かず、うつ症状と呼ぶべきものかも知れないと思いました。本当のうつ病は、重いと大変なことになるのですね。

私にはパソコン依存症もあったかもしれません。何を覚えられる訳でもないのですが、パソコンを触っていると他のことを忘れていられるので・・・。パソコンは苦痛の種でもありましたが、ある意味、私の医者であり、薬にもなっていたのかもしれません。そして、パソコンで交流できました多くの方々にいただきました優しさ、愛もとびっきりの栄養に薬になっていたのでしょう。





1.告白

私は2002年4月頃からこのホームページ「越畑便り」を日々のメモのように書き始めましたが、昨年11月初めまではうつ状態で・・・不定愁訴というものでしょうか、しんどい状態でした。もちろん、1年ごとに、日々、時間の経過と共にそのしんどさは軽くなってきてはいましたが。軽い運動を始めた事や、ホームページやメールを書くことによって気持ちも楽になり、快方に向かっていったのかも知れません。

そしてある日突然・・・2004年11月8日だったと思いますが、胸の重苦しさがとれ、(実際何をするにも本当に胸がむかむかして吐き気もしていたのです)とても晴れ晴れとした気持ちになっている自分に気がつきました。ちょうど小屋の中から畑のほうを見ていましたが、畑の草取りでも何でも、とても簡単にできる気がしたものです。そして、その後、実際身体が軽く動き、作業が簡単にできるようになりました。これは長い間戻ることのできなかったいわば普通の状態で、それまでが、おかしかったのだとはっきりわかりました。

ですから、それまではこのホームページはうつ状態の中で書かれていたということになります。まさか?・・・い〜え本当です。本もなかなか読めず、理解力もおかしい状態でインターネットを始めるのは本当に大変でした。便りの色々な場面で何かおかしいなと思われた方も多いのではと思います。でも、うつ状態でも人とあまり接しないでいられることなど探せば、何かを残せるのではと思いました。私が稚拙なものばかりですが、小屋作りやホームページをなんとか少しづつでも進めてこられたように・・・。

私にとりましてホームページ作成は日記にも家族への連絡にもなりましたが、知らず知らず心のよりどころになっていたのかもしれません。

うつへの旅

原因はいろいろな場合があるのでしょうが、遺伝的要素を持っている人も含めて、その人に絶えられないような負担がかかると発症するのでしょうか。

核家族で病人を抱えてみて、その精神的肉体的な重圧の中で、人間には限界があるということを嫌と言うほど感じました。ともかく、自分が倒れてはいけないと気を張り続けては見るものの最後の入院の2日前に「もう私は疲れた。」とついに本人に言ってしまいました。

急激に変わる彼の症状に対応しながら、お医者さんの言葉に何度も頭をハンマーで殴られたような衝撃を感じ、本当に脳の血管が切れたのではないかと思いました。そのときは感じるどころではないのですが、今振り返ってみてそう思うのです。うつの人の脳は脳内物質が変化しているようですが、まだ詳しく解明されたわけではないようです。その修復に、脳の回復に何年もの時間が必要だったのだと思っています。

もう一つ考えられる原因があります。

私は4年程前、崖から落ち頭をオイル缶の角で打ちましたのでその後遺症もあるかと思います。(意識を失ったわけでもなく、病院には行っていません)大きい変化ではなかったのですが、計算能力が突然落ちた気がしました。簡単な暗算ができなくて、いちいち、ソロバン、電卓を出してこないとだめになりました。今にして思えば仕事にも差し支えるほど記憶力が悪かった気がします。それは今かなり回復していますが、うつ症状と相まって日常生活が一段と苦痛になった気がします。更年期障害かとも思いましたが、紛らわしい年代なので今思えばもっと注意が必要でした。


でも、私の場合、世間でも一番の要因と言われますように、配偶者の病気、死亡にまつわる、精神的疲労と環境の変化が原因ではないかと思っています。その後遺症の為か、開放感からか、もともとの性格の為かわかりませんが1年もの間ルーズな生活をしてしまい身体を壊してしまいました。運動不足、栄養不足だったと思います。その後、体力のないところに、工事で無理をしたものですから、股関節の痛みが出て長く悩まされました。


闘病生活の終わった後1年の間、食事がきちんと取れなくなっていたことも関係あるかと思いますが、すべての能力が低下していました。一言で言えば老化現象が顕著になっていました。記憶力、判断力、計算能力、視力、体力、すべてが落ちていました。意識が朦朧としたような感じといいますか、頭に白いもやがかかったようで、何を一つするのもとても時間がかかりました。


私は仕方なく二つの家を往復はしていましたが、その移動も、買い物に行くことも、ひどく億劫で、でも、だるい身体を無理やり動かしながら生きていく為に何とか生活らしきものを続けていた状態でした。

もっと前から胃がいつも荒れている状態で、食べても栄養を吸収している感じがしませんでした。また、料理を作る気さえしませんでした。それでも何か食べないわけにはいかないもので料理は味のおかしい形ばかりのものや缶詰で、しのいでいました。

脳はたんぱく質で作られるといわれますが、たんぱく質どころかお茶を飲むこともできなかった時期があり、たんぱく質の足りない、かなりひどい脳の状態になったのだと思われます。そこまで行きますとなかなか自分で戻すことは困難になります。なにしろ、生活の修正を考えなくてはならないその頭が働いてくれないのですから。

でも、病院嫌いの私は病院に行こうとは一度も思いませんでした。皆さんは早く気がつけば病院にいかれたほうが良いでしょうね。栄養面だけでも改善されれば私ももっと早く楽になり、仕事もはかどったかも。


1年後、テレビでうつ病の特集を見て、症状がそっくりで、この無気力はうつ病からきているのだとハッと気づきました。今はそんな情報があるだけでもありがたいのかもしれません。これは病気の為だと客観的に自分の症状を見ることができ、また回りに伝えることができました。

でも、こんなに本人が言っても、いえ、言えば言うほど、ただの口実に思われたり、怠けているように思われたり、一人暮らしだからできないのも当たり前だよね・・・等と言われるのです。一人暮らしでルーズになるのとは絶対的に違うと思うのですが、聞いている方は考えられ得る精一杯の親切心でそう言うしかないのかもしれません。配偶者と離別してから何年もたつのに、おかしいのじゃない?という目でも見られていたと思います。聞かされるほうは関心もないのでしょうが信じられないと言う感じでした。それがまた、精神的に弱っている本人の気持ちを傷つけるということさえ、誰も気がつかないようでした。怠けているように思われることは、本人自身もそう思い、自分を責めているだけにつらいものです。

こんなことも、あんなことも、こんな大変な工事だってできてるじゃない、と皆さんおっしゃるのですが、本当に普通の時間の何倍もの時間をかけているのです。どうしてこんな大変なことができたのにまだ欝なの?という目で見られます。工事もホームページ作りも、どれだけ大変な気持ちの中でこつこつやってきたか、働かない頭の中で、ない知恵を絞ってきたか外から見る限り理解はされません。今思えば考えがなかなかまとまらなかったのですね。

3年かかった工事も、1年くらいでできてなくてはならないほどの仕事量です。私の場合はただ、何もしない時間がもったいなくて、生活に最低必要な工事、やりたい小屋作りなどもありましてこだわり続けて少しづつでも前に進むことができました。関わった職人さんに迷惑もかけながら、働かない頭を無理やり動かしながらですから、ひどい工事になりました。でもそれが生きがいにもなっていたのでしょう。


テレビ番組で、うつ病体験のある俳優の方が、言っておられましたが、ある日、外出のため服を着て外に出て行くまで、自分では5分くらいと思っていたのが、実際は1時間が経過していたということです。私には、その状況がよくわかりました。私もそうでしたから。私の場合いろんな考えが頭の中をどうどう巡りしていて、あるいは何も考えられなくて、知らないうちに時間が経過しているのです。時間がかかっても何もできていないという状態になります。

昨年でしたか、小学6年生の娘さんを同級生に殺された方のインタビューをテレビで見ていますと、「とにかく頭が回らないと言うか・・・考えられない状態」などとおっしゃっていました。あの状態はとてもよく分かります。お気の毒で、ニュースとはいえ、報道陣の残酷さを感じました。

一番身近な家族でさえ、いえ家族だからこそ気がつかないで本人が気になる言葉が出るものです。

これだけおおっぴらに回りに言いふらす私でさえそうですから、周りに訴えることもできない、うつ病のことも知らない方にとってはどんなにつらい状況か・・・と、もっとつらい思いに耐えている方に同情を禁じえません。

そして、知らないままかけられる回りからの重圧に耐えられなくなった状態が、(遺伝的要素のある方は別として、)家庭内暴力などにつながったり、精神を病んでいくこともあるのではないかと、その状況が手にとるように分かってきました。

本人が何もできないでいるとしたら、それがその人の今の状況に必要だからだと思います。あまり、頑張れコールはしないほうがよいのでは。静かな休養が必要なのでしょう。

もともとは、そんな感じではなく普通の生活がおくれていた人は適切な休養と栄養と時間の経過で必ず元に戻ることができる気がします。一緒に住んでいる人がいて食事を作ってあげれば少しは助かる面もありますが、一人暮らしでは無理ですよね。何かしてあげようと思われる周りの方は大変な時期は「何も言わないで」なるべく栄養に気を使ってあげて欲しいと思います。

しかし、周りの方のお世話ばかりしてきている主婦の方の場合は逆の立場にならなくてはならず、周囲の方を巻き込んでしまうのでとても大変なことだと思います。

私の場合は気にかけてくれる人さえわずらわしく感じていた気がします。母親が来ることさえいやでたまりませんでした。それは、お茶を入れて出すという簡単なことにさえ気が回らなくなっているので、誰かが居ることがそれだけで負担になるからです。食事も作る気がしないので何か作って食べさせて欲しいと思いながらそんな人がもし来てくれるとしたらやはりとても私には負担で、それはまた耐えられない感じで、ただほおっておいて欲しいだけでした。

自分でも矛盾しているから、これはだれもどうしようもなく自分で乗り切るしかないと言うことははっきり感じていました。ある期間は、誰も力になることはできません。でも必ず・・・とは言えない場合もあるかもしれませんが・・・多くの場合、時間が解決してくれます。

「一番つらいことは、以前の自分と同じと思って接してこられることです。」
これはうつ病体験者のMさんがおっしゃったのですが、私も本当にそうだったと同感しました。Mさんはリンクして頂いていますサイクリストの方です。同じ体験を持つ方のお話は、少し気持ちを癒してくれました。

うつの私は以前のように何でもできたあの頃の自分じゃないよ・・・と思っても、言ってみても、外見上なんら変わりないように見えると以前付き合っていた人は同じ感覚で話し掛けたり見たりするでしょう。それで無理に、以前のように笑顔で屈託なく話す自分を演じなければならなかったり、そんなことがとてもしんどくて、人と会うことが嫌で、一人の行動が多くなります。

一時は、私もMさんも食事の為お店に入ることもできなかったのです。

私の場合は、身だしなみにも気を使えず、肌が荒れるのでお化粧もできず、身体に湿疹ができて温泉にも入り難かったり、外へ誘ってくれることが、人のいるところへ出かけなくてはならないことが、そんな面でも苦痛になりました。

最近はテレビでもよくうつ症状について放送されるようになりましたが、それでも普通の生活ができている人には理解しがたいことのようです。もちろん私も体験するまではそうでした。

一度も病院にも行かなかった、行く事のできなかった私は胸のうちをホームページやメールに書くことが治療になっていた気がいたします。愚痴を聞いてくださった皆様に感謝をこめて御礼申し上げます。ありがとうございました。m(__)m

でも、こんな経験をしてきたからこそ、今まで見過ごしてきた美しいものがより美しく見え始め、周りの世界をより鮮やかに感じることができるようになったのだとありがたい感じも致します。

そして今、何でもできていた筈の長い年月でしたが、何もできていないので、たまりに溜まった用事をやっと片付け始めたばかりです。なお、今では簡単な暗算はできるようになり、必要だったメガネもかけないことが多くなりました(なんと、視力が良くなりました)。昔の歌も思い出し、口ずさむことも多くなりました。できていなかったことが、できていることに一つづつ気がつくたび気持ちが楽になっていきます。心が柔らかくなってきたなあと思います。外は雪でも私の中では雪解けが始まっています。(^^)

そうしますとこの静かで鮮やかな景色も次第に心の鏡に映る姿が変わってゆくのでしょうか。でもそれもよいかもしれません。
こんなに楽に暮らすことができるようになったのですから・・・。

うつへの旅から無事戻って来れましたこと・・・皆様に感謝しながら・・・


2005年1月15日

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2.PTSD(心的外傷後ストレス障害)

・・・そうは言いましても、そう簡単にすべてを忘れることは出来ないものですね。阪神大震災の被災者の方が、テレビで「10年経ち、やっと忘れかけたのに、昨年の多くの地域の地震災害で又思い出してしまい振り出しに戻った・・・。」等とおっしゃっていました。

私も、PTSD(心的外傷後ストレス障害)というのでしょうか、色々なシーンがトラウマみたいになっていて、まだ思い出すたび気持ちが揺れることが多いです。これはきっと一生治らないのだと思います。

今日の朝の連続ドラマ、「わかば」でも言っていたように、泣きたい時は泣いて、その後又笑顔で過ごすことにいたしましょう。

2005年1月17日

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3.言っておきたいこと

自分の気持ちを整理しようと、くどくどと書いてきまして、何が言いたいかよく分からない文になったかもしれません。    

言っておきたいことは、同情、慰め、激励、等が、欲しいわけではないと言うこと。時にはそういうものが、余裕のなくなった時期に重なりますと本人にとっては、一番の苦痛になるということです。少なくとも私の場合はそうでした。   
   
大きい悲嘆があり、それを何度も思い出すだけで脳に障害が起きることもあると昨日のテレビ特集でも言っていました。それは時の経過と共に快方に向かうと思いますが、周りの方の理解により、それ以上の苦痛を与えることがないようにと願っています。    

たとえば、極端にいえば、良かれと思ってしたことにも、顔も見たくないと言われることもあるかもしれませんが、そんなそぶりを見せても、本当に嫌っているわけではないこと、自分に余裕がないだけのことかもしれませんので、憤慨しないで、病気のためだと客観的に見て欲しいということです。    

2005年1月20日

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4.無意識の世界

これは、自分でコントロールできる範囲であればいいのですが、そうではない場合について考えています。    

自分ではコントロールできない無意識の世界のことだと思うのですが、素人考えを述べてみます。人間という生命体は(大げさですね〜^^:)生きる為に邪魔になる記憶を消そうとして、でもそれのみを消す訳にもいかず、他の機能をも低下させてしまうのではないかという感じを私の場合持ちました。    

そのときに、たとえば、自殺なさったある作家の方のように、自分がやらなければならない現役の仕事があったり、ゆっくり休むことを許されない状況では限界がくるのではないでしょうか。   
   
衝動的にということもあるかもしれませんが、それは悲しみからだけではなく、(悲しみだけから死を選ぶのではなく)脳に衝撃による傷を受けた為、その後の日常生活に差し支えるほどのしんどさがあり、これからも今までと同じことをすることを期待されることに耐えられないのではないか。周りは特に何を要求するわけではなくとも、今までと同じことをする事すらできないわけですから、投げ出すことのできない責任感のある人ほど、自分を責めたり、変に思われるのではないかと気を使ったり、それが一番の辛さになるのでは?    
   
私の場合、かなり回復してからでも誰とも会いたくないという気持ちがあり、まさか他の事はぼつぼつできてるのに会いたくないなどと失礼なことも言えず、出て行く準備にも時間がかかり、回復期は、とても辛かった記憶があります。仕事ができたり、元気でも、それは自分で調整できますからできるのですが、相手がいるとそうはいきません。人と会うことはとても負担になることがあるということです。

自分は元の自分に戻れてないという気持ちがありますから、相手が変だなあと思っただけで敏感に感じたり、なんで掃除できてないんだろうと思われたり、そんなことが負担だということです。その回復途中の辛さは感じずに済ますことのできるものであり、何とか周りの理解で軽減できるのではないかと思い、こうしてくどくどと書いているわけです。でも難しいでしょうか。私でも今だから言えるわけで・・・。    
   
Mさんは以前はサイクリングをお仲間と楽しんでいらっしゃいましたが、それが辛い時期もあったのではないでしょうか。今はお一人のことが多いようです。そんな気配があるときは、無理に誘わず、その時期まで気長に待って頂ければありがたいなあと思います。    

Mさんは1日100キロ以上もの距離のサイクリングもなさったり、とてもお元気で、見た感じ鬱とは思えません。だから、私の場合も特にあまり会っていない人は見ただけでは分からなかっただろうなと思います。

もちろん、Mさんは会社に出勤なさって普通に仕事もこなしていらっしゃいます。ウツを体験していた私でさえ、ご本人からお聞きしないと分からないことでした。でも何とか、週末は外に出ようと自分を追い込んで自転車にまたがっていらっしゃいます。自分を追い込んでやっと行動すること・・・それは本当にしんどいことなのです。私も経験しましたが、自分の健康を何とか維持しようと周りに心配かけまいと残っている理性で頑張りますが、でも鬱の間はそれが精一杯です。実際に身体も思うように動きません。楽しく騒いで忘れられるようなことではないのです。

せめてその間はそれ以上の負担をかけないようにしていただけたらどんなに楽なことかと、そして、同じ思いを気の合う同病者と語り合うことが出来ましたらどんなにその期間を楽に過ごせることかと・・・思いました。

インターネットは自殺志願者を結びつける危険な道具でもありますが、顔を見なくても心の内を話すこともできるわけで、私は苦しみを軽減できる方法でもあるかと夢ある方向への使用を期待しています。


こんな種類の人間がいることを頭の片隅に覚えておいて頂けましたら幸いです。でも、一人ではいられないというタイプの方もいらっしゃるようですので、ケースバイケースでの対応が必要かと思います。私は、本人にざっくばらんに聞けばよいと思うのです。そして、冗談のように言ってもそれをまともに信じてあげて欲しいなと思います。回復期には回りに合わせることができますから軽く言っていることが、実は本当は本人にとっては深刻なことだったりします。

もう一つうまく言えなくてもどかしいのですが、こんなことをオープンに話すことのできる環境が多くなれば・・・と願っています。

私は、残された仕事があった為か、自殺など考えたことは一度もなかったのですが、私の身近な方のご親戚や、知人に自殺された方が3人います。その時はこんなしっかりした方が何故?という気がしましたが、今、その気持ちがよく分かる気がします。でも、なんとか周りの人の理解によってそんなことがひとつでも防げないものかと思っていました。難しいかもしれませんが、やはり理解は必要だと思うのです。そして自分の場合も予備知識があるとないでは、違ってくると思います。原因を取り除けない場合は、周りはできないことをさりげなく手助けしながら気長に待つしかないのでしょう。    

(原因を取り除けない場合・・・取り除けてもすぐ、元に戻れるかはわかりません。たとえば子供の離婚によって孫と会えなくなるかもというショックの場合で考えますと、ショックがひどい場合、離婚を取りやめても一度傷ついた脳はすぐに回復するわけではなく長引く可能性があるのではとも思います。)

2005年1月21日

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5.ウツさんとウツさんのお話

ジャジャ〜ン。今日はあるウツさんとウツさんのお話を公開させて頂きたいと思います。他のウツさんのことはよくわかりませんが・・・。
あるウツさん一人はほとんど回復している私ですが・・・。(^_^;)・・・もう一人のウツさんはAさんと呼ばせていただきます。

>
> 「うつの部屋」の新しい書き込み拝見いたしました。
>
> 本当に良く書いていただいていると、感謝しております。
>
> 今まで普通だったことが、何時ものように出来なくなったり、周りとの調和が取
> れなくなってきた時に、それが病気だと言う自覚がないと、もっとしっかりしな
> ければと自分を責めて、余計にしんどくなってしまいます。
>
> **さんがご自身の経験を自分の言葉で書いていただいていることは、見えない
> 同病の方に大きな力になると思います。
>
> まずは自分が病気だと気付くことが大事ですね。もう自分を責めないでと、分かっ
> ているつもりでも自虐的になってしまいます。
>
> 私も病院に行っていないのですが、自分で”ああ、病気なんだ”と思ってから随
> 分楽になりました。
>
> 最初は、男性の更年期障害だろうと思って調べてみました、符合するところが多
> く病気だと分かって安心したことを憶えています。
>
> 先日、長く接触が出来ずに不義理をしていた方から、震災の報道を見ていて思い
> 出したと電話をいただき、取り敢えずは無事にいることの報告は出来たのですが、
> メールでもさせていただきますと答えたままで未だに連絡ができずにおります。
>
> 仕事で私に全く関心のない方と会うことは余り苦痛ではないのですが、相手が心
> 配してくれていればいるほど交渉を持ちたくないです。


> > そうですよね。しんどいですね。
> > 心配してくれているだけに、余計に後ろめたくて。。つらいですね。
> > よく分かります。


> 本当に心配してもらうことが負担になってしまいます。

> 「二人のアキラ」の奥山章さんの死も、うつからではないかと思います。
> 学歴などのコンプレックスを持っていながらも、一時は光の当るところにおられ
> た方が、仕事もうまく行かなくなった時から、自分の殻に閉じこまれていき、最
> 後は死を選ばれました。

>


Aさん、お便りいただきありがとうございました。m(__)m

このお便りから考えてみたいのですが、

問題は

@ Aさんが  > メールでもさせていただきますと答えた・・・

ということでしょうか。
自然に相手に気を使われるタイプのかたなので、余計に後が大変なのでしょうか。
でも、ほとんどの方が普通そうだと思いますね。

A > 仕事で私に全く関心のない方と会うことは余り苦痛ではないのですが、相手が心
   > 配してくれていればいるほど交渉を持ちたくないです。


の所と思うのですが、私も同じ感じでした。
やはり、あまり自分のことを知らない人には、今まで通りに振舞う必要がないし、会う時間も短くて済むからではないでしょうか。そして、やはり自分のことをよく知っている人には、心配かけないようおかしく思われないよう配慮が必要になるからではないでしょうか。

しかし、普通のことが普通にできない訳ですから、できると思って接してこられるともうパニックに陥る感じなのでしょうね。そして自分でもよく分からない訳ですから、ましてや、周りの人も気づくことができないのでしょうね。

もし相手が心配して電話してくださったとき、どう言って頂けば苦痛が少ないのでしょうか。


これはその後のAさんへの質問です。

今の状況・・・交渉を持ちたくない・・・ということを分かっていて頂き、連絡して来ないでいただければよいのですが、心配で連絡してこられる方が悪いわけでもないですから、本当に難しいですね。

私は、そんな状況にあるかもしれない、又は本人から聞いている場合は、元気そうに見えても、会いたくない場合があることは知っているということを本人に告げて、「ちょっと心配だから電話したまでで、無理しなくていいよ。気長に待って本当に楽になったときそちらから教えてくれれば良いから、それまで連絡しないよ。」と言って頂けばずいぶん楽になるとも思いますが・・・。現状ではそう簡単にはいかないでしょうけれど・・・。

そんなに気を使う人はいないかもしれないけれど、もし、もしも楽でいられる言葉があるとしたらどう言ってくれた時か・・・。

Aさんはどう思われますか。

質問のお答えです。

うつの人を救うには二つの要素がありますよね。
一つは本人が気がついて、必要以上にがんばらないこと。
二つ目は、周りの人の協力でしょうか?
この”協力”が難しい問題だと思います。


> 今の状況・・・交渉を持ちたくない・・・ということを、分かっていて頂き連絡して
> 来ないでいただければよいのですが、心配で連絡してこられる方が悪いわけでもな
> いですから、本当に難しいですね。

そうですね。善意の方の善意を無視したり、敵視したりすることは出来ませんも
のね。

> 私は、そんな状況にあるかもしれない、又は本人から聞いている場合は、元気そうに
> 見えても、会いたくない場合があることは知っているということを本人に告げて、
> 「ちょっと心配だから電話したまでで、無理しなくていいよ。気長に待って本当に楽
> になったときそちらから教えてくれれば良いから、それまで連絡しないよ。」と言っ
> て頂けばずいぶん楽になるとも思いますが。

私の場合、相手から連絡があれば反応(自分の不調とは関係なく)しますが、相
手からのアクセスがなければ、そのままにしています。(そのために世間を狭く
していますが)

相手の状況が分からないのに、独り善がりで自分の高いテンションや、低いテン
ションを押しつけるようなことがいけないのではと思っています。

先に電話いただいた方も、何か月も何年もそっとしておいてくれる方なんです。


> そんなに気を使う人はいないかもしれないけれど、もし、楽でいられる言葉があると
> したらどう言ってくれた時か・・・どう思われますか。

自分が病んでいることをオープンに言える場合と、言えない場合があると思いま
す。
言える相手なら、はっきりと「私がHelpを要求するまで、そっとしておいて
ほしい。私を信じて」と言って理解してもらい「あなたを信じてる。元気になる
のを待ってる」と言って欲しいですね。


自分が自分の病気のことを明かにしない(できない或いはする必要の無い)場合
は、社会の理解の少ない現状では難しいことですね。

打ち明けられない人にはどうしましょう。
先日、昔の知り合いから「また、一緒に飲みましょう」メールが来まして、


> Aは平穏に暮らさせていただいております。し
> 私ごときにお気を煩わされませんように。
と返信しておきました。
相手は、怒っていることでしょうね。でも、そう言う防衛しか出来ませんでした。


う〜ん。そうなのです。私も体験したことですが、私が思うのはそのときのそう言わざるを得ない言葉が、自分に帰ってきて自分をまた責めることになり、自分の症状と二重になり、一番しんどい状況に陥るのだと思います。人と交渉をもつということは防衛状態にある時は一言一言が自分へ返ってきますので、考えられないほどの負担を感じるのです。
お元気な方は、本当にただこれだけのこと?と思われるでしょうが、私が一番言いたかったのはこれだったのだと思います。

親切な人に対しても防衛しなければならない程の状況があるということ。外から見ても決して分からない、その苦しさを理解していただきたいと思います。理解してもらえていると思えばかなり楽になれますが、お互いの理解をどうやってつなげるか、難しい問題ですね。

Aさんも決してその方と一緒に飲みたくなかった訳ではなく、ご自分に余裕がなかっただけなのだと思うのです。だから、怒らないで理解して待って欲しいと思うのです。


別のやりとりです。

> 今はいろいろな種類の薬があるようですので、しっかりした病院で診察していただき
>お薬をもらわれたら治るかもしれませんよ。

うつに関する情報では「医者に行きなさい。薬を飲みなさい」みたいな情報が多
いですね。
服薬は随分楽になることだと思います。(人に勧めたこともあります)
私は、この苦い味をゆっくり味わうことが自分に必要だと思っております。

私もAさんもですが、半分以上の人は病院に行かず自分で何とかしようとしているそうです。普通の人はそう思うでしょうね。それで苦しい時間が長くなるのかもしれません。でも、すぐ合う薬がある場合はよいですが、やはり時間がかかることもあるのではないでしょうか。

ほんとうにゆっくり癒されるものだと思います。私の場合は脳のダメージがひどかったのだと思いますが・・・。
でもそれ自体は、自分に必要と思ってなんとか耐えられますが、外界とのコンタクトがしんどかったです。早く・・と外から急かされても治る物ではないという感じでしたね。何も言われなくとも、心配されると急かされている気になりますから益々しんどいのでしょう。


> > 本当に心配してもらうことが負担になってしまいます。

繰り返しになりますが、善意の人は知人(家族や友人など)の苦しみを黙って見
ていられないのでしょうが、歩き始めた赤ちゃんを見る眼で見てもらえば良いの
でしょうか?

こけそうだからと、手を差し延べるのが良いのか?もう少し我慢して見ていて、
倒れてから、泣いてから手を差し伸べることの方が良いみたいに思います。

本人の為には待っていただくしかないのでしょうね。

> 更年期障害からうつになることもあったり、うつから更年期障害のようになったり、色々あるのでしょうね。複合汚染ですね。

みんな、色々な要素が影響し合って複合的に、病の素を形成しているのですもの
ね。病み方も夫々に違う分、周りの方にも訴え難いことです。


本当にそうだと思います。そして、訴え難いことがとても本人にとって辛いことになっていると思います。実例をあげて教えていただき本当にありがとうございました。m(__)m

このお話が何かの参考になり、今うつのかたが少しでも楽になっていただければ、仲間がいると思っていただければ嬉しいことです。
そして、周りの方も振り回され悩まないよう、ただ心境を理解していただければと思っています。

Aさんのお話とても参考になりました。Aさん、ありがとうございました。

うつは責任感の強い人がなりやすいとよく言われますが、社会生活ができている人は、責任感のない人は少ないでしょうから、私は、ごく普通の方がかかる病気で特別の人の病気ではないと思っています。
ストレスの多い現代だからこそ、多くの方の理解が深まれば・・・と願っています。

2005年1月24日

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6.不眠症について

**さんは夜眠れないってことないですか? とある方からメールをいただきました。 そこで、私の不眠症との戦いについて思い出し少し書いてみます。

家族の闘病中はやはり色々と悩みますし、物理的にも仕方の無い外部要因の不眠症でした。これは身体にはきつかったです。 その後、要因がなくなっても一年間位はウツ気分で動けず、運動不足で不眠が続きました。でもある期間は仕方ないことだったと思います。でも全く朝まで眠れないことはあまりなかったです。

しかし、心臓の鼓動がおかしくなったり、呼吸ができなくなったり、体調があまりに悪くなり、さすがの私も動かないと死ぬかもと思い、動かない身体を無理に動かし始めました。 農作業や、大工仕事は疲れますが、自然に運動にもなっているわけで、身体を動かせば眠れることに気づきました。 当たり前のことしか言えませんが、運動を習慣にすれば良いと思います。家の中での体操でも、体育館のジムトレーニングでもよいと思いますけれど。 私もそうでしたが、何もしないでいては不眠症は治らない気がします。

それと、寝る前に何か食べていませんか。胃に食べ物があると眠りにくいですよね。 これは無理な方が多いと思いますが、私は、最近では夕方5時ごろしっかり食べて後は何も食べないようにしています。 そうしますと、夢を見ることもなくなりました。寝るとき食べ物が胃にあると私は必ず夢を見ます。寝苦しいです。 どこの国でしたか、お昼しっかり食べて夜は簡単食という所がありましたが、これって理にかなっているのじゃない?と思いました。

夜、遅くまでパソコンに向かっていたり、読み物をすると目が冴え、やはり運動していても寝つきの悪い日もありますが、そんな時は私は身体の力を抜いて呼吸法をしてみます。そして、考えても良いけれど、その考えにとらわれないようにします。これは少しコツを覚えないとだめかもしれませんが・・・。布団の中でよいのでゆっくり呼吸していると知らないうちに眠っています。

個人的な意見ですが、私は今までやってきたことの中では、ヨーガが良いのではないかと思っています。 もし身体を動かすことが苦痛でないならば自立神経を整えられるヨーガなどはどうでしょうか。もちろん、太極拳でも水泳でもその他の運動でもよいと思うのですが、呼吸法があるものが良い気がします。そして、ウォーキングやジョギングも平行して続けることができればよいですね。

私はヨーガは少しかじっただけで上手ではないのですが、それでも呼吸法は身体がしんどいときでも役に立ちそうに思います。 ウツで一番辛いときはポーズを思い出すこともできず、頭が働かないと役に立たないなあと思いましたが、回復するにつれ少しずつ思い出せるようになりました。今は習っていて良かったと思っています。これから少しずつ身体を動かそう、体調を整えようと思っています。

習うのでしたら、基本をきっちり教えていただける教室がよいのではないでしょうか。私は「雄弘ヨーガ」を教えていた居住地の保健センターで少し習いましたが、これはよく効くなと思いました。私のお勧めは「雄弘(ゆうこう)ヨーガ」ですが、見学してご自分と合うものを習われたらと思います。自己流ですと無理をして身体を痛めることがありますのでお気をつけください。 (日本ヨーガ光麗会は、ヨーガの祖師である佐保田鶴治博士を創始者とし、番場一雄師によって体系立てられたヨーガ研修会です。ここでお伝えするヨーガを「雄弘(ゆうこう)ヨーガ」と称しています。)

ヨーガはとっつきにくいところもありますが、我慢して何ヶ月か続けてみれば良いところが分かってくると思います。 良い本や、ビデオも出ていますのでそれを利用するのも良いかもしれません。 長い老後が待っているかもしれない現代人が習得しておけば役に立つかも(^^)。いやに宣伝になってしまいましたが、押しつけるつもりはありませんのでご了承ください。 よく眠れる日が訪れますようお祈りしています。

2005年1月26日

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7.Bさんからのお便り  

1月末、ある方(Bさんと呼ばせていただきます)から、

ウツのお部屋、のぞかせていただいています。いま、とてもありがたい気持ちで幾たびも読ませていただいています。

・・・と、とても嬉しい暖かいお言葉のお便りを頂きました。

人間社会が複雑な昨今、よくできた人ほど悩みを抱え込むようです。何事においても経験のある方の言葉や、励ましほど強くひびくものは無いと思います。

本当に・・・経験した人しか分からないことって多いですよね。

このお部屋で癒される方、これからも沢山いらっしゃるはずです。(きっと、わたしもその一人…)居心地のよい穏やかなお部屋へと、こちらの方の工事も進みますよう応援しております。

・・・とのご了解と応援の暖かいお言葉に甘えましてお便り公開させていただくことに致しました。


昨年の初秋から体調の芳しくなかった母が、12月に呼吸困難の発作を起こし入院しておりました。
「肺塞栓症」という、(あまり聞きなれない病気なのですが)20年以上前からの持病です。


大変でしたね。呼吸がとても苦しくなるご病気ですね。

何事もなく無事に退院して、私自身もやっと落ち着いたのですが、本人は気分を戻すのがなかなか大変のようです。 これまでにも何度も怖い目に合っているので、健康な者には理解できない不安が抜け切らないようです。

そうでしょう。恐ろしいめに合われたのですね。ショックだったことでしょうね。 これからも不安がぬぐいきれないでしょうね。

入院したのは、普段からお世話になっている吹田市の国立循環器病センターという病院なのですが、そこでは確かに、人間の生死の境を目の当たりにします。 病院が、心臓や脳専門であるということもありますが、救急車で搬送される患者の勝負(言い方が悪いですが)のはやいこと。

まあ、心臓や脳専門ですか。私達も長い間、救急病院にお世話になりましたので救急車の音に悩まされました。今でも音を聞きますとビクッといたします。自分の病気を治したいと病院に行くのですが、診察の待ち時間、入院の合間にも多くの人の生死にも修羅場にも出会う訳で、自分の病気に専念する訳にも行かないところにジレンマを感じましたね。

父が最期を過ごしたガン病棟のことを思うと、あまりのあっけなさに異様な気がします。 そういうことも関係してか、身体はもう回復しているはずなのになかなかすっきりしない母です。 不眠も出ていますし、ますます越畑だよりにお世話になりそうです。

ウツ気分になってしまうでしょうね。

私は、これまでずいぶん家族の入院に付き添ってきました。 父、母が同時に入院して二つの病院をかけもちしたり、祖母のいた頃は三つの病院をまわったり。 そのたび、いつも感じるのは「病気をする人はどうしてこんなによい人ばかりなの…」です。

やはり、大変な状況を乗り越えていらっしゃったのですね。3人同時とは大変でしたね。 とてもしなやかな強さみたいなものをBさんには感じていましたがそんな状況を乗り越えていらした方だったからですね。 お母様はとても頼りになさっていらっしゃることでしょう。

人に気を遣いすぎるからか、我慢してストレスを出さないからか、神様が意地悪なのかと、どう考えても納得できないくらい、皆さんひとのいい方ばかり。 だから、私はすこし性格悪くするようにしています。(ホント!)

そうかもしれませんね。私も性格悪いですよー。そうしないと身体も持ちませんしね。(^^ゞ    

いつも越畑便りを見てくださってるそうでありがとうございます。お目にかかったことはありませんが、とても優しくてそれでいて強いお方のように思っていました。やはり、多くの試練を乗り越えていらっしゃた方は素敵なお方でした。

最後にこの部分は了解得ていませんが、掲載させていただきます。(^^ゞ

でも明日は節分、春近しです。

そうですね。今日は節分なのですね。福ワ〜ウチ鬼ワ〜ソト〜〜〜年の数だけ豆を食べたらお腹痛くなったりして?ちょっと多すぎ(^^ゞ

母のことなどで少々気の重い私ですが、春めいてくる空にパワーを授かりながらエンジン始動です!

そうなのです、自立してバリバリお仕事も・・・私の憧れの生き方をなさっているBさん。私も見習ってエンジン始動を・・・あれ?なかなかかからないなあ・・・(ーー;)・・・この寒さで?ちょっとモタモタの私。

でも今日はとても気持ちを励まされ元気を頂きました。お便りありがとうございました。<m(__)m>

※本当に大変なこと・・・と思いますのは、ご家族のご病気が重なったときにBさんが仕事も持ちながらお一人で看ていらしたことです。頑張りすぎではなかったかと思います。お母様共々、Bさんもくれぐれもお身体大事にお過ごしくださいませ。

2005年2月3日

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8.Mさんの体験談・私のこと(1)

ウツの部屋をご訪問いただいていましたMさん(1.告白・・にも登場して頂きましたが)から2月6日のホームページの書き込み、読んでみてくださいとメールが届きました。

大変な思いで書いてくださった手記です。Mさんは自己診断で「うつ」という心の病気だと思っていらっしゃるそうですが、私が、これを読ませて頂いた限りでは、やはりうつ病のように思います。仲間の参考にというこの部屋の趣旨に賛同してくださってるのだと思いますが、ここで紹介させていただきますこと、快くご了解いただきました。

越畑便りに、リンクもさせて頂いていますが、サイクリング日記・・・の中の
残日録2月6日「私のこと」にMさんの体験談が書かれています。

私などとは比べられないようなご経験をされています。ご自分の経験を書かれています。私もずいぶん励まされております。・・・これはMさんのお言葉ですが、そのままお返しできますね。

・・・明けない夜はないでしょうから。・・・に涙が出てきました。Mさんありがとうございました。

2005年2月8日

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9.Mさんとのメール公開

Mさんの体験を読ませていただき、その後メールでお話させていただきました。3通ほどのやりとりの中の抜粋ですが、載せてみます。なお抜粋ですので、前後つながらない文もあるかと思いますがご了承ください。

体験談を読ませていただき、やはりウツのベースは同じ感じが致しました。
私も同じだったと思う所が多いです。お酒は飲みませんでしたが・・・。


お仕事、頑張りすぎだったのでは?

> そんなことはないのですが、能力以上に”頑張り過ぎた”ことも大きな原因ではないかと思っております。

私は頑張ったわけでもないいのですが頑張らざるを得ない状況に置かれましたのでそれが原因でしょうね。

> 繰り返しになりますが、単なる怠け者かと思うこともしばしばです。

それってとても辛いことでしょう。
自分でしか分からないと思いますが、私も一人だからだらしなくなったのかと思っていましたが、やはり違います。
昔できていたのなら、ウツのせいですよ。頭がすっきりしてくるとできますもの。
今ではやはり違うと自分では分かります。妹などに言っても分かってくれない感じで悔しい思いもしたのですが。
かといって、今でも急に片付けることができる訳でもないですから疑われるでしょうが・・・(^^ゞ

自分で自分のことを「しっかりしなきゃ」と思うだけでしんどいですね。
ずぼらなら、ずぼらで自分の姿を知らないでいたいですね。
だから病気なのでしょうが。


うちはひどい状態だから来ないで、と言っても、片付いてない事など気にしないから・・・とか謙遜かと思われたりで・・まあいいかと思って来ていただくのですが、自分の周りのこともなかなかできないので気を使えず、とても私はしんどかったです。

そんなことありますね。
私も先週末に人と会ったのですが、昔の部下からの相談と言われると会わざるを
得なくて無理をしてあって、お互いに気まずい雰囲気になってしまいました。



> > でも治れば、元のようにできますよ。
> > 私は今少しづつですがなんとかできるようになりましたが、気分の悪さがないのでとても楽に なりました。

> そうなったら、何をしようかいっぱい考えておきましょう。
> **さんのように、目から鱗が落ちるようになると良いですね。


健康に気をつけて、気長に養生すればきっとその日は来ますよ。

◇自殺願望があります。
 こんがらがった思考から逃避したくて死を選びたいと思うことがあります。結構頻度高くおこります。
 でも、何もきちんとできない人だから、自死なんてとてもできないと高をくくっています。


> > 自殺願望はないとお聞きしてましたのでびっくりです。でも、理性が勝っていらっしゃるのでしょうか。

> もつれて絡み合った糸を何とかほぐそうとしている時に、ついイライラとして・・・
> 酒に逃げている状況と良く似ていると思います。


私も簡単なことができなくていらいらしましたが、どうしようもないですもんね。
できないときはできないと開き直るしかない気がします。
お仕事は普通にできるのですか。私にはそれさえ不思議です。

自分で採点すれば40点以下です。
もっとがんばれるはずだと思うこともしんどいですね。


ご自分では頑張らないほうが良いと分かっていても、周りの方は知らないのでしょうから辛いことですね。

私の場合、一言で言えば、何をするにも段取りができなかった気がします。能力の低下は辛いですね。半分以下の力で今までと同じことをするなんて・・・しんどいに決まってるのですが、回りの人には分かりませんしね。

> 悪魔の囁きは聞こえてきますが、未だ未だ死ねないのですよ。
> やりたいことも、やらねばならないこともたくさんありますもの。


それが良いのでしょう。私もやることが多すぎて・・・。
自分で死ぬことないです。いやでもその日はやってきますから。


> 書いている時は未だ甘いと思っている表現が、少し時間を置くとなんて過激な表現と思うことがあります。
> そうですね。まずは自分のために書いていることをしっかり認識します。もしかしてどなたかの力になれたら。。。くらいに考えておきます。


Bさんのお話ではないですが、やはり経験者のお言葉は力になります。
自分のことはそう言われてもわかりませんでしたが、Mさんが書いて下さったことでよく分かりました。
私の力にもなって頂いていますよ。

本当にそうでしょうか?それはうれしいことです。

もちろんです。なんと言っても現役?の方のお言葉は重いですから。(^^)

◇意欲にムラがあります。
 少し面倒なことを先送りにしてしまいます。身の回りの片づけなどが全くできません。
 できないことでまた、なぜこんなこともできないのだろうと悩んでしまいます。
 本を読んだり、地図や時刻表を眺めたりしていることが一番休まるときでしょうか。

これは私もいっしょでした。何かやろうとするととても気分が悪いのでできませんでした。
今は生きていくだけで精一杯の状況でしょうから、今は仕方ないと割り切っていてください。
自分を責めないで楽にお過ごしください。そんな時期だからこそ、その権利はありますよー・・・とあの頃の私にも声を大にして言ってあげたいです。

好きなご趣味があると少しでも忘れていられて良いことですね。サイクリングは健康にもとてもよいですね。

◆これから
 今の状況はいずれ改善されるだろうと漠然とした確信を持っています。それまでは、これも自分の人生と思って病気と付き合っていこうと思っています。罪深く生きてきたことへの贖罪の気持ちでもあります。
 苦しくて、つらくて、孤独で、、、どうしようもない時間の中にいますが、明けない夜はないでしょうから。


私も・・いずれ改善されるだろうと漠然とした確信を持っていました・・・のでそれが大事なのかなと思います。

> その確信がないと、死を選んだりするのだろうと思っております。

そうですね。ちょっと安心です。


> 中途半端に、自分のしんどさを書き連ねているだけの私の文章などは人様に元気を与えることは出来ませんが、がんばっておられる方の存在を知ることで自分も強くなれたらと思います。
>
とんでもない。元気を頂いています。やはり意見交換は体験談交換かな・・・良いですね。

> グダグダと言いながらも、こうして生きていることを感謝しております。
> いつも元気をいただきありがとうございます。


こちらこそ、元気を頂きました。・・・明けない夜はない・・・本当にそう思います。

Mさん、まだまだ大変な状況でありながら体験談を公開いただきましたこと感謝しています。自分だけではないと思えるとやはり心強く気持ちが癒さ れる気が致しました。ありがとうございました。

2005年2月9日

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10.ウツの後遺症?

最近のことですが、後悔したこと等、心にかかっていたことをある方に聞いていただき、早く気持ちを切り替えて自分を楽にするよう・・・などのお返事を頂き、少し言い足りていないのではないかと感じましたので、書いてみることに致しました。とても優しいお方で、おっしゃることはその通りで、私もウツだウツだと言っていましたので誤解を生んでも仕方がなかったのですが・・・。

自分の中で違和感を覚えましたのは、私は後悔はありましたが、自分では初期の頃は別にして、最近ではくよくよしていたつもりはなかったことです。もちろんたまには思い出すと悲しくなることもありますが・・・それは、そんなに苦しいことではないのです。私は、ただウツの後遺症のために苦しんでいただけだったのではないかと・・・そう気がついたのです。

思うに、何らかの衝撃で脳のダメージがあり、脳内物質の変化がおこり、(神経伝達物質が正常に働いてないらしいですが、)その後、気持ちは何とか持ち直しても脳はまだ回復せず、いくら気持ちで思っても思うように働かない頭なのですから、それがとても辛く気分の悪さに繋がっていたのではないでしょうか。

だから、回復期は気持ちは落ち込んでいる訳でもないから外から見ると元気そうに見えたり、何とかゆっくりでも仕事等はこなしているように見え、それでも、なかなか思うように働かない頭と身体のことは周りから理解されず、それが本人にとって辛いものになるのではないか。私はこの状態を「うつの後遺症」と呼びたいと思います。

だから、私の相談したお方のように優しく言っていただけると良いのですが、たとえば「いつまでもくよくよするな!」とか頭ごなしに言われると、まだ回復途中の気持ちに余裕も自信もない状況では、「自分はいつまでもメソメソ、クヨクヨするダメ人間ではないか。ダメな奴だ。」と自分を責めることになり、辛さが倍増するのではないか、それがまた、回復を妨げ、長引く要因になるのではないかと思います。

そして、とても責任感のある方は特に誰に言われなくても自分で自分を責め続ける人が多いのではないでしょうか。

もちろんうつ病自体が長引く方もいらっしゃるでしょうが、この「うつの後遺症」で苦しんでいらっしゃる方も多いのではないでしょうか。私でしたら、あんな大変なときに見当違いのこと言われたらいやだな・・・と思いましたので。それでなんとか、少しでも理解していただけるようにならないかと思いました。

※こんな場合の回復薬は良いものが出ているようですので長く苦しまず、病院で相談することも必要ではないかと思いますが・・・。

しかし、私のように病院のことなど頭に浮かばない人も多いことでしょうね。(-_-;)・・・そんな方は快復を信じて(信じるものは救われるです)脳に良い栄養をとって、気長に養生してくださいませ。


結論・・・気持ちの回復と、脳の回復(それに伴う身体の不調の回復)には時差がある人がいるのではないか。それが、周りの方々にとっても理解を超え、複雑なものとなっているのではないか。そして対応しづらいゆえに腫れ物に触るように接しなくてはならなかったり、お互いを傷つけ合うことにもなるのではないか。・・・そんな風に思いました。

最近ではそんな人にはあまり激励してはいけない・・・などと言われています。もちろん私もそう思いますが、それはこんなことに起因しているのではないでしょうか。

2005年2月13日

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11.ウツの性格?MさんのHP紹介・私のこと(2)

ウツ症状の方がご自分のことを書くということは一段と落ち込むことも予測されます。お気持ちが大変な中、「私のこと(2)」をアップしてくださいましたので、紹介させて頂きます。

越畑便りに、リンクさせて頂いていますが、サイクリング日記・・・の中の残日録2月14日「私のこと(2)」にMさんの体験談が書かれていますのでご覧ください。


この中でMさんは、ご自分の性格に問題があるのではないか。と考えられていますが、私もこの中では◇小心者である ◇頑固である・・・が該当するかもしれません。でも他は違うような気もいたします。

しかし、性格は裏返せば長所でもある訳で、書いている間にあまり落ち込まないでくださいませ。とても繊細なところがおありだとは思いますが、ここに書かれてありますことは多かれ少なかれ誰もが持っているものではないでしょうか。

その中にいると自分の性格まで責めてしまうと思いますが、私はあくまで何らかの誘引、原因(それもかなり大きなショック、異常な状況が続いたりしたためが多いと思いますが・・・)があって初めて発症するものだと思います。性格的に弱い方もいらっしゃるかもしれませんが、お見受けしたところ、Mさんは普通の人よりかなりしっかりなさっているお方だと思います。

だからこそ、その分辛さが増しているのだともいえると思うのですが・・・。私は性格のためにウツになったのではなく、そのまじめな性格のために一段と苦しい思いをされているのではないかと思うのです。

Mさん今回も公開していただきありがとうございました。

2005年2月16日

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12.MさんのHPご紹介・「加島祥造「タオ−老子−」

「タオ」っていい響きだなと思い大好きな言葉でした。、そしてなぜか神秘的なイメージを持っていました。それなのに何のことかは知りませんでした。(タオ)って「道」なのですね。

Mさんのサイクリング日記・・・の中の残日録2月20日「加島祥造「タオ−老子−」を読ませて頂いていて、気がつきました。以下はその中のご紹介文です。

「タオ−老子−」は漢文からでなく、英訳された「老子」を底本にした加島さんの口語訳詩です。平明な文章で書かれていますが、2500年前の哲学書・・・。・・・哲学書って難しそうですが、加島さんの口語訳だと分かりやすそうですね。(^^)

「老子・道徳経」は2500年前に書かれたものです。病むことの多い現代に生きる私たちに大きな教えを与えてくれます。
 また、加島祥造さんの言葉で生き生きと蘇っています。是非お読みください。

◆生きると言うこと、生きていると言うこと・・・(Mさんのお言葉です)
 時々、自殺願望があるのですが、この章を読んでみるとなぜか力がでてきます。
 わざわざ自らが死を選ばなくても、”固いものに近づいてゆく期間”なのです。
 命を「そっと」大事にして生きていきましょう。


何を隠そう、Mさんは大変な読書家でもあります。よく本をご紹介いただいているのですが・・・私はなかなか読めないので概要を書いていただいていますので当分それで満足しておきます・・・なんて私らしいルーズなこと言ってしまったから・・と言うわけでもないでしょうけれど、お勧めの部分の内容を少し書いていただいています。ぜひ残日録2月20日「加島祥造「タオ−老子−」ご訪問くださいませ。


なぜか今週はうつの部屋を開けて見る気になれませんでした。喉もと過ぎれば・・・なのでしょうか。あの大変だった頃の感覚を少しずつ忘れそうになります。時々、いえ、もちろん日に何度かは、普通に暮らせるってなんて楽なんだろう・・・と深い感慨に浸っているのですが・・・。そしてまだまだ歩き始めた子供のような危なっかしい感覚で完全ではない感じもありますが、普通の生を歩いている気がすることが嬉しいのです。鬱のときって普通に生活できているようで、でも自然な生を生きてはいなかったのだなあとしみじみ思います。

ご了解頂いてましたのに、ご紹介遅くなり失礼いたしました。m(__)m

2005年2月26日

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13.「メランコリー親和型」?MさんのHPご紹介・私のこと(3)

実は私がこの部屋を書こうと思いましたきっかけの一つはMさんと出会ったことでした。お話していて言葉の端から洩れたうつ症状の辛さをお聞きしたことが私の中に残っていたのです。もしかすると同じ苦しさを味わっていらっしゃる方が多いのではないか・・・と。

今回もサイクリストMさんのホームページの紹介をさせていただきます。ストレスからのうつ病になりやすい性格について、とても分かりやすく引用して書いていただいています。サイクリング日記に「鬱の部屋」を作って頂きたいくらいです。最近はご紹介ばかりですね。(^^ゞ

Mさんのサイクリング日記・・・の中の残日録2月25日私のこと(3) ぜひご覧くださいませ。

私がご紹介していながら「Dr 林のこころと脳の相談室」 をちゃんと読んでいませんでした。「うつ病と性格」のページの中に書かれてあるそうですが、確かに対人関係は思い当たる節が多いようです。最近では(この年ですから^^;)かなり自分でも気がつき、治してきたつもりで、実際かなり大雑把な性格に変わってきていると思うのですよ。でもなかなか三つ子の魂は完全には変われないのでしょう。

ストレスの多い職業を選んでこなかったので職業による病気はなかったのかもしれません。しかし、最後の職業ヘルパーの仕事中、患者さんの死に接し、ストレスがピークに達したこともありました。色々なことが重なり、今思えばその頃から私は徐々に病んでいたのだと思います。

以下はその中のMさんのお言葉です。

ぼんやりと、「うつ」になりやすい性格というのがあるのかと思っておりましたが、このページに出会って解決いたしました。

テレンバッハ博士は、このようにうつになりやすい性格を「メランコリー親和型」と呼ばれているそうです。
こういう性格の人はうつになりやすいのだということは分かりましたが、この性格って私たちの世代(団塊)より前の世代では、美徳とされた性格或いは生活習慣ではなかったのでしょうか。

親からも、学校からも、職場の上司などからも、  ・秩序を乱さぬこと  ・几帳面であること  ・仕事熱心であること  ・律儀で誠実であること  ・他社への気配りをすること  ・責任感が強いことetc.  と、教育されてきて、曲がりなりにも少しでも近づこうとしてきた結果が「あんたの性格が病気の素」と言われても戸惑うばかりです。


本当にそうですよね。美徳といわれていたことで、そういう方は素敵な方ばかりですよね。Mさんはその上、とても努力家だと思います。それでこんなにしっかりした方が・・・ということで一段と辛いことになる訳ですよね。 私はそこまできっちりした人間ではないと思うのですが、(やはり、私はあまり几帳面ではないですね。責任感も気配りもさほどないです。それで、自殺願望までは抱かないのかもしれませんね。)何割かはそんな方がいらっしゃいますよね。少ない人数ではないと思います。

しかし、それでも長い期間ウツではなかったわけですから、やはり受け止められないほどのストレスが気がつかないうちにかかっていたと言うことだと思います。そして私はその傷は癒すことのできるものだと思っています。人間のみならず、生物の自然治癒力は素晴らしいものだと思いますから。その回復期間において周りの方々の理解が広がることが、必要だと感じています。

追伸・・・テレンバッハ博士のおっしゃるように本当に性格からくる鬱もあるのでしょう。でも、私はよほど何も考えない人は別として、発病は皆さん同じようにあるのではないかと思うのですが・・・。    

ただ、そういう性格故に、長引いたり、自殺願望など危険な所まで行く人が多く、病院まで行ってしまうので表に出てきているのではないかとも思うのですが。・・・個人的な意見です。    

   
2005年2月26日

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14.病院の現状は?

先日私、大阪で開かれましたセミナーに参加しましたが会場で「日本生と死を考える会」発行の最後の会報を受け取りました。な・なんとそこにはウツと関係の深い昨年7月のセミナーのことが書かれてありました。そして病院のことも少しふれてありましたので、お伝えしたいと思いました。

テーマは「人はなぜ自殺するのか。防ぐ手だてはあるのか」、講師は国際ビフレンダーズ・大阪自殺防止センター(いわゆる、「いのちの電話」のボランティア活動をしている所ですね)所長、横田氏でした。

お年寄りの方が電話もかけてこられないことが自殺率の高さに結びついているかもしれないので呼びかけていきたいとか、生きがいを取り上げてしまってはいけないとか、遺族の方同士が感情をケアしあう、遺族の会の有効性、必要性とか、色々と同感することの多いお話でした。

その中で病院(一部の病院かもしれませんが・・・)の現状をおっしゃっていた部分がありました。病院はもっと進んでいるかと思いましたが、ちょっと気になることが書かれてありましたのでご紹介させていただきたいと思います。

死にたいと思う方は、それまでに、精神科とか、お医者さんにかかっておられたことはないわけですか。との質問へのお答えです。語尾は省きますね。

電話をかけてこられる方の半数以上が、精神的な障害、病気を持っておられる方。カウセリングも受けておられたり、もちろん薬もいただいている。今の医療体制の中で、病院へ行けば、長い時間待って、3分診療という形。

調子が悪いと言えば、そんなら薬かえときましょかと、簡単に薬を出される。その薬が結構きついみたいですね。もちろん、有効な場合もあるけれど、分量を超えて飲んだりとか、危険な状況が起きていますね。それで、お医者さんに不満を持っておられる方も多い。

本当はお医者さんに話したかった気持ちを話していただくこともある。それは、病院へ行って、あんまり悪い状況を言うと、悪いように診察されますよね。だから、あんまり「悪い」って言いたくないんですね。患者さんは。

だけど、本当はしんどい。だからお医者さんから、「どうや」と聞かれたら「ああ、何とかやってますわ」と適当な返事をして、その実は、もう死にたいような思いを抱かれていたりする。

そこらあたりで、病院では長い時間、聞けないから気持ちを聞いてもらいなさいと、うちの電話番号を教えられるところもあるんです。

だから、自殺防止というのは、一つの機関が、頑張って成果を上げれるものではない。いろんな所が、ネットワークを作って、お互いに、足らない所を埋め合いながら、やっていくしかない。


・・・ということです。患者さんのほうからみるとそんなことあるだろうな、病院では私でも同じような気持ちになるかも・・・って感じですね。だから何とか生活できていれば行かない人が多いのだろうなと思います。 なかなか難しいものですね。

とてもしんどい病気でありながら求めるほうも求められるほうも手立てが少ないのですね。そして今の時代、患者さんも多くなっているので対応しづらくなっているのかもしれません。
   
2005年2月27日

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うつ病、PTSD等については、精神科医の方が分かりやすく書かれたホームページ、「Dr 林のこころと脳の相談室」 http://www.so-net.ne.jp/vivre/kokoro/index.html  を参考にさせていただきました。皆様も色々な事例が載っていますので参考になさったらいかがでしょうか。

うつ体験、その他、何でも話してみませんか。
お便りお待ちしています。

お便りはこちらからお願い致します。!

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歌の力

2003年の暮れのこと、出なくなった声でやっと歌うことのできた記念の歌の歌詞を書かせていただきます。
その何年か前、あるテレビドラマの主題歌で流れていて一部を覚えていたこの曲のCDをやっと手に入れました。
松山千春の曲でした。

*。〜・;。・♪〜☆.。〜;.。〜*★・;。・☆*。〜・;。・☆.。〜;.。〜*★・;。・☆〜♪*

大空と大地の中で


果てしない大空と広い大地のその中で
いつの日か 幸せを
自分の腕でつかむよう


歩き出そう 明日の日に
振り返るには まだ若い
吹きすさぶ 北風に
とばされぬよう とばぬよう


こごえた両手に 息をふきかけて
しばれた体を あたためて


*生きる事が つらいとか
苦しいだとか いう前に
野に育つ花ならば 力の限り生きてやれ


こごえた両手に 息をふきかけて
しばれた体を あたためて**


(*〜**くりかえし)


果てしない大空と広い大地のその中で
いつの日か幸せを 自分の腕でつかむよう
自分の腕でつかむよう

*。〜・;。・♪〜☆.。〜;.。〜*★・;。・☆*。〜・;。・☆.。〜;.。〜*★・;。・☆〜♪*