32)地蔵山〜愛宕山 946m、 : 2016年12月10日 、 2016年山の記録に戻る
愛宕山(あたごやま、あたごさん)は、京都府京都市右京区の北西部、山城国と丹波国の国境にある山である。京都市街を取り巻く山の中で、比叡山と並びよく目立っており、信仰の山としても知られる。山頂は京都市に所在するが、約1.5km西に市境があり、山体は亀岡市にまたがる。標高924m。三等三角点「愛宕」(890.06m)は山頂の北方約400mの地点に所在する。京都盆地の西北にそびえ、京都盆地東北の比叡山と並び古くより信仰対象の山とされた。神護寺などの寺社が愛宕山系の高雄山にある。山頂には愛宕神社があり、古来より火伏せの神様として京都の住民の信仰を集め、全国各地にも広がっている(愛宕権現)。亀岡市側の登山口にも「元愛宕」と呼ばれる愛宕神社がある。本能寺の変の直前に明智光秀が愛宕神社を参詣し愛宕百韻を詠んだことでも知られる。亀岡市から愛宕山への登山道は光秀が通ったことから「明智越え」と呼ばれている。昭和初期には愛宕神社参詣の足として愛宕山鉄道が嵐山駅からふもとまでの鉄道と山上までのケーブルカーを敷設し、あわせてホテルや遊園地もある愛宕山遊園地が開かれ、観光客で賑わった。しかし世界恐慌や戦争の影響で客足が落ち、第二次世界大戦末期にはケーブルカーが不要不急線として廃線になり遊園地やホテルも閉鎖された。これらは戦後再開されることが無かった。ドライブウェイが整備され市街地に近い山として戦後観光客が増加して発展した比叡山や六甲山などとは対照的である。天気がよければ大阪市内の高層ビル上などからも山塊を確認することができる。主な登山道は、清滝からの表参道、清滝から月輪寺経由の道、水尾集落からの道がある。その他に、高雄(神護寺)から首無し地蔵を経由する道、樒原集落からの道などがある。愛宕山という名前は日本全国で100以上もある。一方の地蔵山であるが、こちらはウイキペディアによれば8山でている。愛宕山が有名で、こちらまで足を伸ばす人は急に少なくなる。しかし、一等三角点があり、京都府内の一等三角点の8つのうち最高峰となっている。登山ルートは、@)愛宕山から北上するコースと、A)北の越畑集落から登るルートがある。
前回の単独は、愛宕山から地蔵山〜芦見峠〜三頭山〜星峠〜どんどん橋を歩いたが、今回は、越畑から地蔵山に登り、愛宕山を経て、水尾南尾根を保津峡下った。折からの寒気で、みぞれ、雪、霧氷、ナメコ採りと盛りだくさんの山行となった。
守山駅(7:01)−京都駅(7:27、7:35乗り換え)− 八木駅(8:06、8:24バス)−越畑(9:05、9:10)−芦見峠(9:40〜9:50)−西向き地藏(11:00)−地藏山(11:10〜11:15)−反射板(11:20〜 11:47、昼食)−樒原林道出合(12:30)−首無地蔵分岐(11:54)−月輪寺分岐(12:58)−
愛宕神社本殿・山頂(13:10〜13:25)−総門(13:41)−水尾分れ(13:57)−水尾南尾根分岐475m(14:04)〜(水尾南尾根)〜荒神峠(14:45)−府道50号(15:45)−JR保津峡駅(15:48、15:02JR乗車)−京都(16:24、16:31)−守山駅(16:56)
行動時間:7時間38分 休憩時間:約1時間含まず 歩行距離:13.5q
守山駅から電車を乗り継ぎ、八木駅に着く。八木駅8:24発の原行き京阪京都交通バスに乗り、越畑に向かう。集落に近づくと、山麓の静かな田園風景になる。越畑バス停で下車し、時雨模様のため、カッパを着こむ。越畑は、京都市右京区嵯峨越畑が行政区で、古く平安前期の9世紀半ばに遡る。表示に従い集落の中を芦見峠に向かう。阿弥陀寺の横を通り進む。火の見櫓があり、民家の間の細い道を進む。見返せば趣のある家屋が目に入る。
茅葺もある越畑の集落
やがてスギ林になり、山道に入る。獣よけフェンスを開け、緩やかに続く道を進むが、倒木があって荒れた様相がする。出発して20分ほどで、大きく斜面が崩れ落ちたところに出くわす。通行禁止で迂回路があるが、土曜日、重機のそばを、崩れそうな崖に気をつけながら通過する。間もなく雑木林に変わり、曲がった先に明るい芦見峠に着く。スギ、ヒノキ、アカマツの林で、道が十字路に交差している。右手が地蔵山、直進は芦見谷川に下り、少し進んだ左手は三頭山(みつずこやま)への道になる。服装を調整し、小休止する。
芦見峠は荒れた感じがする。
芦見峠からぬるぬるした滑りやすい道を進む。右手はスギやアカマツ、左手は枯れたシダの様子である。少しばかりササもある。道は緩やかな傾斜で、やがて枯葉で覆われた歩きやすい道になる。スギ林の中に、空き缶や、瓶、がらくたが無造作に散らばっている。かつての越畑スキー場があった場所だそうだ。ゲレンデはヒノキ林に代っている。ヒノキ林、広葉樹林、スギ林が出てくる中を進む。クリの木も結構多く、イガがたくさん落ちている。やがて平坦になって、広葉樹の中のアセビの低木帯の道になる。峠を出るとき、ちらちらと雪があったが。このあたりでは木々や、アセビの葉っぱは白く雪が積もっている。やがて開けた場所に出ると、金網フェンスが現れる。かつては関電の反射板が設置されていたそうだ。雪は結構積もり、その奥の広葉樹は霧氷となっている。その先に「西向き地蔵」と呼ばれる地藏さんがある。地蔵は、西向で「西向宝庫地蔵尊」と彫られている。地蔵山の名の由来とすぐ考えてしまう。東方向が開けており、すぐの正面に竜ヶ岳がある。その奥に比叡山が展望できるはずであるが、今日の天気では無理だった。
雪の道 フェンス付近のアセビと霧氷
西向き地蔵
雪の積もったアセビをかき分けるような格好で進み、スギ林を抜けると地蔵山の山頂に着く。山頂はケルンが置かれ、広場になっている。昼食場所に良い。灌木で覆われ、展望はよくない。春ならば明るい気持ちのよい絶好の休み場所になる。一等三角点が設置されている。
写真だけにして、地蔵山から南へ下る。アセビの多い道をアップダウンをしながら、時には明るい中を進む。寒さにもある程度慣れ、雪を楽しみながらの歩きである。最後に少し登った先が電波反射板があるピークである。振り返るとガスの中に地蔵山が、正面にはこれからゆく愛宕山の山頂が見える。山頂はやがて雪雲で見えなくなってしまった。東方向は滝谷をはさんで竜ヶ岳があるが、しっかりとは見えなかった。ここで昼食休憩となる。シートを広げ、カップ麺にお湯を入れた途端、パラパラとアラレが降り、リュックに結構な粒が集まった。上着をしっかりと固め、気ぜわしいお昼になった。早々に反射板のピークを南へ下る。クマザサやアセビの多い登山道は続く。広葉樹林(クヌギやミズナラ)、スギ林、アセビは相変わらずだが次第に少なくなり、広葉樹林帯になる。積雪もなくなり、左右に目を凝らしながら進む。2箇所、キノコを見つける。高いところのナメコは近くに落ちている枝を使って掻き落とす。2回のナメコ採りでポリエチ袋は一杯になる。リュックにおさめきれない人は手に持っての歩きになった。
広葉樹林帯を行くナメコが一杯
スギ林が現れ、少し登りとなったところで直進の道を分け、右手の道に入る。やがて、樒原(しきみがはら)から愛宕神社に通じている参道に出合う(樒原分岐)。山道というより林道である。広い参道を左にとり、愛宕神社に向かう。途中、愛宕スキー場跡の表示が出てくる。昭和3年に完成し、数万人のスキー客が訪れたそうだ。ケーブルカーが設置され、現在の清滝トンネル(旧鉄道トンネル)をn通る電車と組み合わさっていたのだった。戦争激化のため廃止になり、清滝遊園地、愛宕遊園地、愛宕山ホテルなどの諸施設もなくなったそうだ。愛宕山(神社)に向かう途中に愛宕山の三角点(890m)の分岐があり、更にく地蔵ヶ辻の分岐に出合う。左は、首無地蔵に向かう。更に月の輪寺分岐を過ぎればすぐに愛宕神社の境内に入る。この前から青空が広がり、視界が広がる。京都市街、遠くの山々を望めることができる。さて、この愛宕神社、十返舎一九作の『東海道中膝栗毛』の二編の上「浮世道中膝栗毛後編」に、『さてもわれわれ、伊勢へ七度、熊野へ三度、愛宕さまへは月参』と歌われている。信心の厚いことを言ったものであるが、我々が良く知る弥次郎兵衛と喜多八の大阪までの道中記に出てくるものである。『かぶきそうし』の踊歌にも、『茶屋のおかかに末代そはば、伊勢へ七度熊野へ三度、愛宕様へは月まゐり』 と出ているそうである。滋賀県に住む我々にとっては、
『お伊勢七度熊野へ三度、お多賀さまへは月参り』といった俗謡もあったそうである。いずれにしろ、愛宕神社への人々の信仰は大変に厚いものであった。参道の階段を登ってお参りし、前の休憩所でカッパやザックカバーを外した。残りの湯でコーヒを入れ一息ついた。神社の詰め所では、火の神として「阿多古祀符火廼要慎」と書かれた火伏せの護符を買う人も結構いた。愛宕山には千日詣りもあり、7月31日から8日1日に夜を徹して参拝ことが今も続いている。
地蔵ヶ辻の分岐 神社手前の参道から京都市内が見える
温かい休憩所でゆっくりとした後、表参道を下る。神社前の階段で全員写真をと思ったが皆が先に進んだため、黒門(総門)で記念撮影になった。
黒門(総門)での撮影
この後、7合目の水尾分岐まで進み、左の清滝方面に折れる。更に少し下った枝分かれの分岐(清滝の表示がある)を右に取る格好で、水尾尾根(南尾根)を下る。道には踏み跡、テープもあり、迷うことはない。前半と最後に急坂が何箇所かあるが、気をつければ大丈夫である。途中からは、愛宕山を見ることができるポイントもある。最初は杉林で暗かった道も広葉樹に代わり、葉は散ってしまったおかげで明るい道に変わった。途中尾根筋に「ぬたば」が現れた。以前にはなかった。最近のことだろうか。足元はシダ類の緑が敷き詰められるようになる。最後に急坂をつづら折りに下る。保津川、保津峡にかかる赤い橋、JRの列車の音などを見・聞きながら府道に出る。その直前、ピンクのツツジの狂い咲があった。少し戻るような形で、橋を渡り、3分ほどでJR保津峡駅に出る。保津川越しに山の上に半月が見えた。しばらくの待ち合わせで京都行の列車がきて、帰宅の途についた。
ポイントから牛松山〜愛宕山 尾根筋道に「ぬたば」
半月が晴天の空に
行程マップ
(国土地理院の地図を引用)
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作成日: 2016年12月11日
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