4)牛松山 636m : 2016年2月12日 丹波富士、 2016年山の記録に戻る 牛松山は丹波富士と呼ばれる。丹波富士と呼ばれる山は他にも多く、京都府ではほかに弥仙山、兵庫県では、自髪岳、高城山、三尾山などが加わる。亀岡盆地に秀麗な山容を見せる。山頂までは、一丁から十八丁までの石の道標が有り、十八丁には金昆羅神社が祀られている。保津川下りの船乗りたちの神様として崇められており、休憩所の天井には組合の奉納による船が2隻つりさげられている。1隻は大人が横たわれるくらいの大きさである。参道には亀岡の街を展望が出来る場所が2〜3か所あるが、山頂は見通しがきかない。下り口の愛宕神社から亀岡駅に至る府道亀岡園部線には、七福神を祭ったお寺があって看板が出ている。丹波七福神 毘沙門天 神応寺が見どころである。また、七谷川堤周辺に整備された全長2.2kmの散策道があり、春には約1,500本の桜が見事に咲く。和らぎの道と呼ばれ、季節にはライトアップもされる。 亀岡駅(9:39)−保津川下り船着場−金比羅神社標識−登山口(10:22)−金刀比羅神社(11:45〜 12:25、昼食)−山頂(牛松山三角点)(12:35〜12:45)-テレビ中継所(12:48)−鉄塔−国分との分岐−下山口(13:42)−和らぎの道−亀岡駅(14:30) 歩行時間:4時間51分 休憩時間:約1時間含まず JR亀岡駅で4人が待ち合わせ、北口を出て道なりに保津川下りの発船場に出る。保津大橋を渡り、2つ目の信号を右折する。保津八幡神社の横を通り、旧道を進む。この神社から右手の別れは明智越えと案内がある。道なりに進むと保津バス停の次に北保津バス停があり、右折する。牛松山の表示、金昆羅神社の道標がある。集落をまっすぐに進み、竹林の中を進むと石の鳥居横に登山口の表示がある。すぐの手前には、左手に福性寺(臨済宗)の古刹がある。登山口からは、すぐに一丁が出てくる。山頂まで十八丁ある丁石を確認しながら、尾根道を進む。一丁あたり5〜6分の間隔である。道は雑木林の中だが、参道で結構広く、歩きやすい。6丁石は開けた見晴らしの良いところで、「常夜燈」(明治)と共にある。山頂までの途中、展望の良い場所が2〜3ヶ所ほどある。行者山や半国山も見える。最後に、スギ林が出てくると、金昆羅神社がある牛松山山頂に着く。牛松山の三角点は下山する途中にあり、さらに低い。最高点は、神社の横を更に進むと、電波塔(NHKのアンテナ)がある場所である。ここからは、何とか愛宕山が見える。神社横には休憩所があり、昼食にはうってつけである。カップ麺、コーヒで温まり、しばらく歓談する。持参のリンゴやお菓子をご馳走になった。休憩所の脇には、滑り落ちた残雪が少し残っている。山案内には、この時期積雪があり、アイゼン必須とあるが、暖冬のため、雪はほとんどない。40分の休憩の後、下山道から外れ、先の最高点を経由して、牛松山三角点に着く。見晴らしはなく、表示がある。木々の枝には牛松山山頂の表示が複数ぶら下がっている。記念撮影の後、国分・ハイキングコースと書かれた道を進む。急坂になる。ヒノキの緑と落葉の雑木林を進む。道の左右には、朽ち果てたアカマツが目立つ。亀岡ゆえ、この山も昔はマツタケが多かったであろう。表示にもマツタケの文字が出てくる。中ほどまで下ったところで、踏み跡が分岐する。ここで、国分・ハイキングコースから離れる。道は倒木や、朽ち果てたアカマツで先ほどの広い山道ではなくなるが、しっかりとしている。木は込み合っている。先の鉄塔付近で更に道が左に分かれるが、ここはまっすぐに進む。涸れ沢のそばをしばらく歩くと、動物避けに突き当たる。開閉の扉がなかなか凝っており、開けるときも、閉めるときも要領がいる。これだけでも皆の話題になった。開けたお墓で、右に行けば愛宕神社であろうが、帰り道の左手に出る。新しい住宅のそばを通り抜けると府道亀岡園部線の道に出る。丹波七福神を祭ったお寺の案内看板がある。さらに進むと、古い門構えの屋敷、石の土塀など趣を感じることができる。あれやこれやと話をしながら進むと、先に曲がった登山口への角に着く。ここからは同じ道を亀岡駅へ向かう。 |
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(千歳町まちづくり推進会議の案内より) 行程マップ (国土地理院の地図を引用) 2016年山の記録に戻る 作成日: 2016年2月13日 |
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