欄間から差し込む蒼白い光は、異様な光景に色彩を与えた。 各方位を守護する四神の彫像。 四隅に焚かれた篝火。 掠れて哀愁を帯びた琴の音に、春を予感させる美しい笛の調べ。 綿々と綴られる太鼓の響きは漣となって、はとりを夢幻の境地へと誘った。 天井から吊り下げられた春夏秋冬の切り飾りは、森羅万象を具現化し、 さながら舞殿全体を雄大な宇宙として、再現しているかのようである。 枯木の間を通り抜ける寒風は、ヒュウと細い息を吐いて殿堂の中へと舞い込んだ。 吹き付ける妖風。 この世のものではない存在が、現世に出現する情況。 跫は―――無い。 だが影は生命を与えられたように、じわりじわりとその領域を広げていく。 さらさらという衣擦れの音がして―――― やがて火燈にあてられ、男とも女ともつかぬ麗しい容貌が、 夢のように浮かび上がった。 同時に、雲が流れ、月光の面紗 光は頭上から肩、肩から胸へと、佇む二人を徐々に染め上げた。 凛と、臈たけた面差しをして色気を漂わせているのは―――紫呉。 赤と黒の着物は対極する色でありながら、互いに融合しているようにも 感じられた。 その嫋やかな笑みの裏に、誰も抗うことの出来ない勁 隠されていることを知る者は少ない。 髪を無造作に肩から背へと流し、巫覡装束に似た衣に躰 包んでいるのは―――楽羅。 薄く施された淡い化粧は、柔らかく優しそうな曲線を象っていた。 紫呉が流れるような動作で楽羅に手を差し延べると、彼女はそのままクルリと 流麗な舞を舞って、彼の方へと向き直り――― 優雅に翻った衣は緩やかに波打って、蕩けるような薫りを放った。 十二支の口からほう、と感嘆の溜め息が零れる。 刹那―――― 激昂するような慊人の嗤いが、凛 鳥の羽ばたきのような音と共に、火の粉が空へと舞い上がる。 はとりは闇の狡猾さを身に纏ったその男の顔を一瞥すると、 暗い、遣瀬ない心を落ち着かせるように、一呼吸置いた。 穢れは、ぴちゃりと撥ねた浄水に溶けて、空中に舞った。 ゆるりと首を傾げ、花片が散るかのように楽羅が舞えば、 虚空を凝眸 袖口から覗く腕は折れそうなくらい細かったが、 その手には三尺ばかりの棒状の採物が確りと握られていて。 鞘に収まった刀は、風を捕らえて薙ぎ払うかのように紫紺の軌跡を描きながら、 舞うように空を進んだ。 大地を踏み伏すような紫呉の足裁きと、楽羅の柔らかな手の動きに、 眩惑されそうになる。 衣はフワリと中空に円を描き、燕脂の着物の裾は 紫呉が足を大きく踏み出す度に、翻って畳の上に影を投げた。 まるで絵の中から抜け出たような水際立った姿に、茫然と―――見蕩れる。 張り詰めた気は、紫呉本来の無垢な美しさを存分に引き立てていた。 古今東西、人は常に神と共に在った。 神と人とが交わり遊ぶこの祭りの日に、十二支の舞は神を思い、 その再生を願う心で舞われ続けてきたのである。 十二支 蝶のようなものであろう。 呪いと祝い―――それは恐らく、紙一重で。 若しかするとこの舞殿自体が、呪いそのものなのかもしれない。 完全に舞の中に没入した紫呉。 透き通るような眼差しが、はとりの胸を射抜いた。 ぞっとするほどに艶っぽい。 あぁ―――あれは最早、紫呉ではない。 採物に降臨した神は、紫呉に憑こうとしているのであろうか。 りん、と鈴が鳴った。 舞がさらに荒々しくなった。 巻き起こった剣風で、燈 紫呉の額に細かい脂汗が滲んだ。その顔色は蒼白に近い。 影は大きく壟 決して人では在り得ないものが、嫋嫋 炎を反射して青味を帯びた瞳が妖しく煌いた。 ―――止めなければ。 嫌な予感。 ジリジリと迫る焦燥感が、はとりの胸を圧迫する。 それは彼にとって、悲愴の舞でしかなかった。 日常的に絶えず付加され、累積された穢れを祓うために、 荒ぶる神を恐れ鎮めるために繰り返されてきた―――十二支の舞。 だが、外からの軛に堪えるためには、想像以上の力を消耗せねばならなかった。 燈は紫呉の肌を嘗め、その生気を吸い取るかのように、 ゆらゆらと形を変えながら揺蕩うている。 瞬間―――― 生命力を包括する気を使い果たした紫呉が、ゆらりと蹣 気は力を喚起すると云うが、今や彼の躰はその強靭な精神力だけで 支えられていたに違いない。 思った通り―――彼は無理をしていたのだ。 膝の力を失った紫呉が沈み込むように崩れ落ちる。 「―――紫呉・・・っっ!!」 駆け出したのが先なのか、叫んだのが先なのかすら解らなかった。 手前に倒れ込んでくる紫呉を、間一髪のところで抱き留める。 「・・・紫呉・・・紫呉・・・紫呉っ――――!!」 「・・・は・・・さん・・・・・・?」 揺れた睫が躊躇うように微かに上下し、紫呉が薄らと眼を開いた。 だが、その透けるような頬の色は、平生よりも蒼褪めていて。 紫呉は何か云いたげに唇をほんの少しだけ開くと、 やがて安心したように昏黒とした闇に身を委ね―――瞳を閉じた。 全てを覆う紅蓮の炎と黒煙が、宴の終焉 はとりは、安堵の拍子で軽くなった腕の中の存在を凝眸め―――― 己の肌の温もりを分け与えるかのように、ゆっくりとした動作で 黒犬
春は梅を覚ます東風 秋は菊を嘆かす西風 如何なる時にも四季は巡り、春は必ずやって来ると云うのに―――― 此処、草摩には一年中、枯枯とした蕭散な雰囲気しか漂っていなかった。 葉を失った枝と幹は淋しげに哭いて。 肉の内まで沁み込んで、その髄の体温まで奪って行くような凛い風に、 はとりの精悍な顔が歪む。 しんしんと底冷えのする暗い房 往来で犬の吠える声が起こると、あとはただ寂寞だけが辺りを包んだ。 障子に映る光線を―――夢のように眺める。 あの時、倒れたのが信じられないという表情 肩で息を繰り返す紫呉は、硝子細工の人形のように見えた。 血の気の失せた白い顔。 傍に居ながら何一つしてやれない己の愚かさに、吐き気すら覚える。 はとりは躰の底から湧き上がってくる哀しみを凌ごうと、 臥 病み震えていたその躰も今では落ち着き、小康状態を取り戻しつつあった。 「・・・ん、・・・・・・はーさん?」 程無くして、紫呉は微かな声を上げて身動ぎをした。 薄い瞼が押し開かれ、その下から漆黒の瞳が露になる。 はとりは不安に責め苛まれながらも、静かに彼を見た。 「―――気が付いたか?」 「御免ね。はーさん・・・・・・慊人さん、怒ってたでしょ? こんな大事な時に―――縁起でもないって」 また迷惑を掛けちゃったね、と瀟洒な襦袢の襟を掻き合わせながら 紫呉が躰を起こすと、樟脳の匂いが僅かに鼻腔を突いた。 膝で這い寄ろうとする彼を、複雑な表情で一瞥する。 「謝るくらいなら、最初から無理をするな」 その辛辣な言葉に―――紫呉は酷く哀しそうな表情を浮かべた。 苦し紛れの笑顔が、翳る。 はとりは言葉とは裏腹に、柄にもなく頭を垂れて思い沈む紫呉の髪を、 愛しむように撫でてやった。 まだ僅かに熱 「―――紫呉」 両手で頬を包み込むと、紫呉は観念したように眼を閉じた。 何をされるのか、もう見当が付いているのかもしれない。 水薬で、乾き切った唇を霑 コクリ、と白い喉が上下した。紫呉を、そっと唇から解放する。 薬は直に効くであろう。 やがて若々しい放肆 盛んな遊戯 紫呉は庭を駈け回る無邪気な子供たちを、眩しそうに眺めた。 はとりはそれを流し眼で見遣りながら、然りげ無く切り出した。 「―――食べられるか?」 「これ・・・・・・若しかして、はーさんが・・・・・・?」 粥の入った鍋に視線を落とした紫呉は、心底意外そうな声で問うてきた。 無言で頷く。 鍋の蓋を開けると、もわりと白い湯気が立ち昇り、 白米独特の香ばしい匂いが辺りに漂った。 はとりは椀に粥を装うと、そこへ摩り下ろした大根と根生姜を加えた。 女中は現在、慊人の処へ出掛けていて、宅 何もしてやれない自分が、ただ口惜 何でも良い。兎に角、紫呉のために何かしてやりたかったのだ。 「・・・ねぇ、はーさん。食べさせて」 匙の乗った盆を差し出すと、紫呉は此方の表情を窺いながら甘えるような声を上げた。 はとりの表情が俄かに、曇る。 これが平生ならば自分で喰え、と一蹴するところなのだが。 相手は病人。 ぐっと堪えるように匙を握ると、はとりは熱い粥に息を吹き掛けた。 彼が火傷をすることのないよう、慎重に口へと運ぶ。 紫呉は嬉しそうに粥を頬張ると、ゆっくりと咀嚼した。 「―――ありがとう。美味しい」 粥を完全に嚥下した後、紫呉はそう云って破願した。 それと同時に、何とも表現し難い感慨深いものが、はとりの心を満たしていく。 「・・・・・・そうか」 紫呉は、はとりが運ぶ粥を燕の子の如く倖せそうに食べた。 障子越しに、子供たちの流行唄が聞こえて来る。 そんな穏やかな時間に酔いながらも、素湯 果たして本当に美味しいものかと不思議に思って。 はとりは、軽い気持ちで匙を舐めた。瞬時に眉を顰める。 恐ろしく―――甘い。塩と砂糖を間違えたのだ。 それはとても食べられるようなものではなかった。 「駄目だ、紫呉―――食べるな!!」 声を張り上げて、叫ぶ。 何故、自分は味見をしなかったのだろうという後悔だけが 後から後から押し寄せてきて。 はとりの唇が微かに震えた。 余りにも幸福そうに顔を輝かせていたから、気付かなかったのだ。 紫呉はそんな自分を困ったように見て、それから柔らかな笑みを浮かべた。 「如何して・・・?はーさんが作ったものなら、何でも美味しいよ」 それは―――労わるような優しい口調だった。 軽く受け流そうとする紫呉を見て、はとりは返答に詰まる。 染み渡る澄んだ声が、はとりの内側で大きくなって。 込み上げた温かい感情が、緩緩と溢れ出すような気がした。 「待ってろ―――今、水を持ってくる」 はとりは、台所の流し許へ汲み置きの清水を取りに行こうと腰を上げた。 その時―――― 「可厭 お水もお粥も要らないから。はーさん以外、何も要らないから・・・!!」 紫呉の細い指が、取縋るように自分の腕に掛かった。 ぐいと引き寄せられた拍子に、手から放れた椀がコトリ、と転がって。 はとりは欠けた椀を拾い上げようと、手を伸ばした。 「―――っ!!」 指先に鋭い痛みが走り、傷口からじわりと血が滲む。 動揺を―――抑えきれない。 如何して、こんな肝心なことに気付いてやれなかったのだろう。 自分を引き止めようとする紫呉の言葉には、強く人の心を動かすものがあった。 漆黒の双眸が、はとりを捕らえる。 「はーさん・・・手、見せて―――」 怪我してるでしょ、と云う紫呉の口調には、有無を云わせぬ強さがあった。 差し出した指を口に含まれ、頭の芯がぼうっと霞む。 彼なりの消毒なのだろう。 見え隠れする紫呉の舌は、吸い付くようにはとりの指を濡らしていく。 躰は冷えているのに、指の先だけが熱を孕んでいて。 無数の痛みと、そこから伝わる温もりに、はとりは言葉を失った。 余りにも甘美で、蠱惑的な誘惑。 疼くような欲望が、躰の中で燻っている。 全ての痕跡を拭い去るのと、紫呉が喉を鳴らしたのは、ほぼ同時だった。 それを見て、はとりは一見冷たく見える切れ長の瞳を眇める。 痛みは鎮まっても、はとりの精神 襦袢の裾からは、紫呉の白い脚が見えた。 欲情の虜となった自分を、彼は軽蔑するだろうか。 ―――確かめたい。 障子の向こうで、子供の影がさわりと揺れた。 紫呉、と彼はその男の名を強く呼んだ。 唇を耳許に寄せて、低音 「お前の全てを―――俺にくれ」 瞬間、ひゅっと息を呑むような細い音がして、紫呉が眼を見瞠 窮屈で単調な懶い空気が、全ての時間を止める。 暫しの間隙の後、漆黒の虹彩の縁が赤く染まって―――― 「・・・―――優しくしてくれるんだったら」 いいよ、と頬を染めながら、紫呉が答えた。 その声は、少しの羞恥 はとりの背筋を、甘い微弱な痺れが走り抜けていく。 何処か擽ったくって、面映いような心持。 嗚呼、彼もまた自分と同じ想いを抱いていてくれたのだ。 何時の間にか往来は、夜の底のように微昏 紫呉の手の上に、漢 探るようにその瞳を覗き込んで唇を覆うと、 彼は少し驚いたように眼を見開いて――――微笑んだ。 躊躇うように緩緩と指を絡めてくる、そんな紫呉の些細な仕草さえ、 心の底から愛しいと思う。 求め合う二つの唇が一つになって。 次第に遠ざかる軽やかな靴音と子供の笑い声が、大気に弾けて、消えた。 * 耳を欹てると、鳴り止まぬ風の乱舞。 はとりの手の中で、艶やかな黒髪がさらり、と零れる。 世界から隔絶された空間では、夜の宴が始まろうとしていた。 花が開くように、紫呉の襦袢は滑らかな音を立てて、畳に広がって行く。 はとりは、そんな花片 永遠の花として、己の胸に咲かせるために。 ゆっくりと、その腕に、肩に、首に触れた。 薄く開かれた唇に、舌を滑り込ませながら、 背から頸、そして頬へと、紫呉の像 彼は確かに―――此処に在るのだと。 「ん、ぅ・・・はーさ・・・・・・」 暗闇に浮かび上がった白磁の頬が紅潮した。 綺麗だと―――思った。 血潮が熱い想いを乗せて、はとりの体内を循環した。 歯列をなぞり舌を絡めると、逃げるように顎が引いて。 下唇を甘噛みすると、紫呉の唇から切なげな声が漏れた。 ―――独りにはさせたくない。 「・・・・・・紫呉・・・っ」 此処に居るぞと、呼んだ名前に想いを籠めて、 はとりはその汚れなき花を、きつく抱き締めた。 睦みごとのためなら、歯の浮くような科白の一つや二つ、云えなかったわけではない。 自分だって、誰かが―――支えが欲しい時は、ある。 それでも相手が、誰でも良かったわけではない。 「・・・っ、あ・・・や、ぁ・・・・・・っ!!」 凛い潤滑剤の感触に、紫呉が上擦った声を発した。 躰の奥へ捩じ込んだ指を、一旦引き抜く。 「―――痛い・・・か?」 「・・・ぁ、はぁさん・・・っ、何か、変・・・・・・」 息を継ぐのも苦しそうに、紫呉が頭を振った。 宥めるように指先で髪を梳いてやりながら、俺を信じてくれという思いを込めて、 はとりは再び、濡れたその指を紫呉の躰の中へ忍び込ませた。 「大丈夫だ。直に―――よくなる」 捩る躰に愛撫を施しながら、歯を食い縛って痛みに堪える紫呉にそう告げる。 滑る指先は、徐々に紫呉の裡へと吸い込まれた。 長い時間を掛けて、慎重に、丹念に、解すように揉んでやる。 「ほんと・・・?本当に―――よくなる?」 「お前が―――信じてくれるのなら」 「・・・ん・・・・・・解った」 沁み入るような温かさ。 粘膜に吸い付くように締め付けられる感触が、心地よい。 指の腹で内壁を押すと、紫呉の躰がびくりと跳ねて。 「・・・・・・っ、あぁん!!」 擦り上げる度に、紫呉は喘いだ。 瑞々しい肌に、花が綻んだような笑顔。 幾度も幾度も抱擁を繰り返すと、紫呉は恍惚とした表情を浮かべた。 もう、素のままの自分を曝け出しても怖くなかった。 紫呉を保護しようとする欲求と、彼に喜びを与えたいと思う切実な願いが頭を擡げて。 「・・・ぁ、はとり―――」 紫呉が、充実し屹立するはとりの熱を手にとっていることに、暫く気付けなかった。 不慣れな手付きで、昂ぶった熱を内股へ導こうとしている彼を見て、 思わず眼を細める。 ―――あぁ、欲してくれているのだ。 紫呉が自分を受け入れてくれることを祈って。 はとりは僅かに痙攣している紫呉の脚を片手で掴んで持ち上げると、 ゆっくりと所有の楔を打ち込んだ。 ひくりと震える蕾から、熱い潤滑剤が溢れ出す。 「・・・んっ、あ・・・く、ああぁぁん・・・っっ!!!」 紫呉の咽喉に宿る熱の籠もった声が、一気に解放された。 腕の中で咲き乱れる熱い躰。 重なる半身から伝わる紫呉の鼓動。 脈打つ生命。魂の慟哭。 これが―――命なのだ。 体重をかけないように配慮しながら、繋がった箇所を揺さ振ると、 閉じられた紫呉の瞳から涙が零れた。 乾いた涙の跡を、生まれたばかりの新しい雫が伝っていく。 「・・・っ、あんっ・・・はーさ・・・もっと」 狂おしいほどに熱く、欲望は熟れる。 はとりが激しく腰を打ちつける度、紫呉は仰け反って白い首筋を晒した。 蕩けるような快楽の波に、感覚までもが麻痺していく。 飛び散った飛沫が汗なのか、涙なのか、それとも情事そのものなのか、 それすらも解らなくなって。 彷徨う紫呉の腕は、その首筋に唇を這わせていたはとりの背に、 縋り付くように廻された。 絶え絶えに漏れていた嬌声も、やがては掠れ、吐息だけが残る。 甘く、深く、心を溶かしていくようなこの薫りは―――― 紛れもなく、愛慕の薫り。 「っ、あぁ・・・紫呉―――!!」 一度滾った想いは、もう抑えることが出来なかった。 紫呉の吐息に同調するかのように、はとりの意識も高揚する。 噎せ返るような優しい薫りの中、夢のように自分の腕の中で舞う紫呉を はとりは折れるほどに強く、強く抱き締めた。 「―――っ、はとり・・・・・・!!!」 達したのは同時だった。 締め付けられたその瞬間、視界全てが、真っ白に染まって。 紫呉は、はとりの広げた腕の中へとひらめいた。 覆い被さるその温もりと、重さを肌で感じながら―――― やがてはとりもまた、倖せの端に落ちた。 * 「―――あ、雪だ・・・・・・」 自分に寄り添うように躰を預けていた紫呉が、突然くいと寝衣を引っ張った。 その拍子に、銜えていた煙草の灰が崩れて落ちる。 縁側の障子は開いていて。 曇った嵌硝子からは、庭が寒そうに透けて見えた。 中が微昏いためか、外は不思議な明るさを造り出している。 まだ躰中の皮膚が快楽の余韻で粟立っているような気がしたが、 薄らと浮いていた汗も引いており、房は躰 視線の先には、吐き出した紫煙。 はとりは行為の後、陶然と紫呉の心臓の鼓動に聴き入っていた。 紫呉は暫く屋外 やがて―――― 「・・・はーさん―――屋外に出たい」 と云って、立ち上がった。 上半身が、闇に溶ける。 はとりはふう、と大きく煙を吐き出すと、苦々しく告げた。 「駄目だ」 熱は下がったとは云え、まだ紫呉が恢復したとは思えなかった。 弱りきった躰に、この寒さは堪えるに違いない。 だが―――― にべも無いその云い方に、やっぱりねぇ、そう云うと思ったよ、と 肩を揺らして苦笑する紫呉の着物からは、自分の咲かせた紅い華が覗いていて。 はとりは眼の遣り場に困って、視線を逸らした。 煙草の烟が紫呉の髪を掠めて昇り、天井の隙間を流れて行く。 何時の間にか自分の隣から移動していた紫呉は、 曇った硝子戸を指の腹で拭っていて。 そこから雪の冷気が流れ込んでくるような心地がした。 全く、幾つになっても子供みたいな奴だ。 そんなに窓の近くへ寄ったら寒いだろうにと、 そんなことを考えながら、煙草を揉み消す。 灰皿の上で、背の縮んだ煙草が転がった。烟も消える。 はとりは軽く嘆息すると、紫呉に外套をかけてやった。 「―――少しだけだぞ」 「っ、はーさん・・・・・・!?」 自分も甘いな、と思いつつ、後ろから細い肢体を抱え上げる。 紫呉は一瞬、息を止めて自分の視線を受け止めた。 背中に廻された体温が、はとりのそれと同化する。 玻璃 ひらり。 また、ひらりと。 淡い雪は、少しずつ、少しずつ、二人の躰を湿らせていく。 風に舞う無数の白片。 額に、鼻にと、痛いほどの凛い感触が残る。 雪は風に靡く黒髪に戯れながら、楽しげに舞い遊んだ。 少し湿った庭土を踏みながら歩くと、 息を吸う度に、ひやりとした冷気が体内に侵入 凛さが全身を包み込む。 「寒く―――ないか?」 吐く息も、白い。 腕の中の紫呉は、雪に溶けてしまいそうなほど、美しかった。 「平気だよ。だって、はーさんが傍に―――居てくれるから」 眩しそうに眼を細めて、吸い込まれそうな笑顔を向ける紫呉の髪に はとりは、これ以上出来ないくらいの優しい接吻けを落とした。 これだけ魅力溢れる男を眼の前にしたら、 どんな人間だって優しくしないわけにはいかないだろう。 言葉にならない無数の想いが、雪と共に静かに降り積もっていく。 風がまた、勢いを増してきた。 春は梅を覚ます東風。夏は菖蒲を戦がす南風。 秋は菊を嘆かす西風。冬は雪を眠らす北風。 春夏秋冬。それは恰も人の一生のようで。 大自然の壮観と同じ循環過程 何時しか淡雪は溶けて流れ―――― この草木も柔らかな芽を吹く春が、やって来るだろう。 だから今は、孤独に耐えて。雄々しく生きようではないか。 永遠に途切れることのない巡りに思いを馳せ、 そうして十二支 芳しき薫り。控え目で淑やかな雪の舞。梢の雪。 互いに寄り添うようにして生えている庭の枯木に、次々に雪の華が咲いて行く。 透き通るが如き真白な花弁は、空を覆い隠すかのように白い、白い春を舞う。 きっとこの雪は、怨みも誹りも哀しみも、この呪いさえも、 何もかも覆い尽くしてしまうだろう。 閉じた瞼の裏に映るのは―――極彩色の衣装と舞の饗宴。 街は次第に白い夜の底へと沈んで行く。 降り積もる雪は、二人を深く埋め―――― はとりは心の深淵に、雪が白い幻影を像造 |