歪んだ扉
倦怠るい闇は、四方の空を完全に侵蝕した。 消えゆく凡てのものの中、取り残されたのは幾瀬の星々ばかりで、 今はもう、それすら明瞭と映らなかった。 何も彼もが、嬾き空の中へ、ドロンと溶けて行く。 岩礁のように聳えた巨大ビル。それは、完全に孤立しており―――― その隙間を縫うように、高速道路が走っている。 秩序もなければ、意志もない、無機質で凸凹な風景。 無数のエンジンの音が、鈍い唸りとなって、窓を叩き続けた。 三車線のラインは、ヘッドライトに照らし出されて、仄白く浮き上がっている。 車窓を暖色系のライトが、幾つも斜めに滑っていくのを、はとりは痺れた感情のまま、 ただ黙って眺めて居た。薄暗い闇の中で、チロチロと青白く煙草が烟る。 車は、包む夜を押し分けるかのように、遣らじと逆らう風を打った。 緩やかなカーブに沿って、殆ど自動的にハンドルを切りながら、 肺に溜まった煙を、ゆっくりと吐き出す。 一流ホテルのレストランなど、落ち着かない。 脂粉を漂わせ、華やかさを装いながら近寄ってくる女は、 虚しく消えた青春の幻影を、形だけでも取り戻そうとする 浮かれ女の華やかさにも似ていた。 甲冑のように服を着込んだ知名士たちの眼付きは、大層、 貪婪そうで―――― それは、父の死後、自分に阿諛追従してくる重役たちの顔を髣髴させた。 冷ややかなその微笑の中には、総てを宥す冷嘲さえ 浮かんでいる。 そのような喧噪と侮蔑の中では、風采や性格ばかりでなく、 日常の些細な行動すらも、嘲罵の材料に成り兼ねない。 何処かの商事会社の高級社員が、バターのたっぷり付いた親指を、 平然と椅子に擦りつけて拭いている光景を目の当たりにした時は、 流石のはとりも、唖然としたものだ。 絢爛を極めた会話は、どれももう、虚覚えでしかなかったが、 自分から率先して話を繋いでいこうとする程、魅力のある会話でなかったのは、確かだった。 甲の社は景気が良くて羽振りが利くとか、乙の社は相次いで不祥事が発覚した為に 大幅な赤字を計上しただとか、貰った賄賂は倍にして返すべきか否かとか、 やれ、あそこは即金で報酬を支払ってくれるだとか、 何やら秘密結社にでも加わっているような、そんな会話だったような気がする。 煌びやかな照明の中から何とか脱け出した時、 外は刻の止まった廃墟のようだった。 ディナーの席を勝手に脱け出したことを、秘書は怒っているかもしれない。 ――――取引先との接待も、大事な仕事の内なのだよっ!! 腰に手を当てて、困ったように笑う秘書の顔が、一瞬だけ脳裏に浮かんで、消える。 堪え性のない自分のフォローをしてくれるのは何時も彼で―――― 上司と部下の間柄であるにも拘らず、自分と対等に話をして、談笑を交わしながら、 背中をポンと叩いてくるそんな心安立ても、自分にとっては有り難かった。 車は螺旋傾斜を下りながら、巨大なマンションの地下駐車場に滑り込んだ。 管理をする為のノウハウが、各種、詰め込まれたマンション。 指紋を照合させると、ドアは抵抗もなく簡単に開いた。 躊躇うことなく最上階へと向かう。 流行りの衣装に憂き身を窶している女の相手をしながら、取引先のご機嫌を 伺うことよりも、マンションに残してきた紫呉の方が、心配だった。 都会の昼は短く、夜は長い。 蛾は燈に集まり、人は電光に集まるとは良く云ったもので―――― エレベーターから一眸することの出来る街は、色取り取りのイルミネーションという 化粧ですっかり飾られていた。 人の心を奪う金剛石は、人の心よりも高価なのであろうか。 文明に麻痺した文明の民は、そのイルミネーションに己の生きたる証拠を求め、 それぞれの居場所を求めて彷徨いながら、夜の扉を叩く。 銜えていた煙草を左手で摘んで取り去ると、はとりはエレベーターから降りる 直前に、ネクタイを緩めた。 ピッ、と信号音が鳴り、セキュリティシステムが鍵の解除を告げると同時に、 玄関の明かりが自動的に点く。 中から、静かにドアが開いて―――― 「お帰りなさい・・・はーさん――――」 そこには、紫呉の笑顔があった。 瞬間、何とも云い様のない甘ったるい感情が、はとりの胸の中に溢れ、拡がっていく。 リビングから漏れる光が暖かいと感じたのは、何年振りだろう。 幼い頃に母を亡くし、五年前に父が他界して以来、家族とは無縁の暮らしを続けている はとりにとって、ほんの一箇月程前まで、扉を開いた時に自分を暖かく迎えてくれる存在 など居なかった。 仕事の影響で帰宅時間が定まらない為、食事は殆ど外食で済ませ、偶にマンションへ 帰って鍵を開けても、誰も居ないことが当たり前の―――そんな日常。 メッセージが残されていることを知らせる留守番電話のシグナルの点滅だけが、 ただ、妙に冷たい暗い部屋の中に、浮かんでいた。 迎えてくれる存在を失った人間とは、何と淋しい生き物であろう。 「はーさん・・・御飯出来てるけど、食べる・・・?」 「・・・あぁ。遅くなって――――済まない」 最初は、"草摩さん"と"さん"付けだった呼び方は、 何時の間にか愛称に変わっていた。 それだけで、心做しか、互いの距離が縮まったような 不思議な気分になる。これが俗に云う幸福感というものなのだろうか。 紫呉が来てから、それまで埃の溜まっていた壁や床、テーブルやテレビは 病院のように清潔になった。 気が付くと、キッチンの鍋や皿も、徹底的に磨き抜かれて、ピカピカになっている。 恐らく、自分が見ていない間に、汗みずくになって格闘しているのであろう。 染みや埃のない部屋は、自分でも見違えるくらい輝いていた。 白い大理石のテーブルの上に並べられているのは、オリーヴとトマトのサラダ、 肉団子のミルクスープ、サーモンのソテーに、シーフードとパプリカのパスタ。 スープの温かな湯気は、ミルクの柔らかい香りがした。 カブやニンジン、グリーンピースの色合いは鮮やかで、見る者の食欲をそそる。 子供の頃はよく作ってもらったそれを、はとりは口の中へと運んだ。 思ったよりもサラッとした感触が、口の中へと広がる。 片栗粉と卵白で繋いだ肉団子は、フワフワとしていた。 肉の隠し味として加えられた味噌が、スープに落としたバターの香りと相まって 絶妙な味を醸し出している。 じっくりと煮込まれた野菜は、ほんのりと甘く、溜まっていた疲れが 一気に解されていくような気がした。 「・・・如何―――?」 凝乎、と不安げな表情で此方を注視る紫呉を見て、 胸中で苦笑する。 思わず眉を顰めたくなるような料理を口にしたことが無かったとは、云えない。 正直、これまで紫呉の味覚を疑ったことは何度かあったのだ。 だが、今は―――― 「――・・・美味しい、ぞ」 素直にそう答える。 瞬間、紫呉の口元が微笑に綻びた。 こう云う何でもない些細なことに含羞を示すのは、紫呉の特徴で、 だが、そうした純情さこそ、紫呉の魅力なのかもしれない。 心持ち、自分の頬が赤くなったような気がした。 その照れを押し隠すように、はとりはワインを口へと流し込む。 よく冷えた、心地良い優しい香りのする白ワインは、爽やかな後味を口に残した。 勢いのよい水道の音と、食器の触れ合う音が、独特の音色を奏でている。 時折、自分の耳に届くその音を聴いていると、皿を洗う手は休めないままで、 不意に紫呉が振り返った。 「はーさん・・・コーヒーは・・・・・・」 刹那―――― 紫呉の表情が僅かに変化したのを、はとりは見逃さなかった。 料理をする際に誤って疵付けたのであろうか。 手に怪我を負っている。 振り返った瞬間、恐らく傷口に水が浸みたのであろう。 はとりは背後から歩み寄ると、紫呉を包み込むように、そっと抱いた。 「―――無理に家事をするなと、云っただろう・・・?」 躰に手を回した瞬間、心臓の鼓動が伝わったような気がして―――― 頭の芯が熱くなった。 目の前が、真っ白になる。 全身の皮膚がゾクリと粟立ち、気が付くと、紫呉の顔が間近に迫っていた。 吐息が、耳元にかかる。 グラリ、とはとりの中で何かが動いた。 「―――はーさん・・・?」 怪訝そうな紫呉の声に、思わず我に返る。 辛うじて残っていた理性を総動員して、はとりは紫呉から身を離した。 解っている。何かが、怪訝しいのだ。 倖せなのに、満ち足りていない。 決定的な何かが壊れている。 そう、これは多分――――歪な関係。 気まずい雰囲気を誤魔化すように、はとりは紫呉の髪を撫でた。 紫呉が心地良さそうに目を閉じて、微笑む。 手を伸ばして髪に触れていると、また愛しさが込み上げてきた。 誰にでも見せる笑顔ではなく、自分しか見せない深い笑顔を見せて欲しい―――― はとりは夢とも現ともつかない複雑な心地で、ただそう願い続けた。 * 指先に巻かれたバンドエイドが視界に入って、 紫呉はそれまで動かし続けていた手を止めた。 先刻、はとりが巻いてくれたもの。 心配そうなはとりの双眸が、此方へ向けられた時、何だか胸が締め付けられるような 妙な感情が沸き起こった。 彼は、今頃、シャワーでも浴びているのだろうか。 舟のような総皮張りのソファ・ベッドの上に脱ぎ捨てられたスーツを、 紫呉はハンガーに掛けようとした。 瞬間―――― 胸ポケットから、一枚の紙が零れ落ちた。 拾い上げて、それに軽く目を通す。 「・・・はーさんってば」 彼はもう、夕食を済ませていたのだ。 何も云わなかったのは、自分がまだ食事を摂っていないことを瞬時に悟ったからであろう。 彼なりの優しさ――― それが、今は酷く胸に沁みる。 カタリ、と四角い飾り気のない箱を閉じると、紫呉は立ち上がった。 跫を立てることのないよう、細心の注意を払って部屋から出る。 月はゆっくりと、そして冷たく、紫呉の姿を照らし出した。 * 二重の世界があった。 現実と重なり続ける過去の情景。 それは振り払えない、消えることのない、哀しい光景。 忘れたいのに、いっそ忘れてしまいたいのに、自分は忘れた振りをしながら 生きることしか出来ないのだ。 胸中に渦巻く漠然とした不安。 心の平安など、絶対に得ることの出来ない己の境涯。 脅かされ、泣き叫んだあの日の一瞬は、今も刻印のように胸に焼き付いている。 何時かそれが過去のことになる日が、来るのであろうか。 その瞬間は、誰によって齎される? ―――否、それは自分で掴み取らなければなるまい。 夢は再び、踊り始める。 夜を込めて揺られ、暗きうちを駆けながら、紫呉は険しい暗礁も、 危険な浅瀬も、それ程怖いとは思わなかった。 暗き世界を胸に抱き、紫呉は眠りに就く。 何時かこの手で―――― 意識が、盪ける。 其処は、閉寂としていた。 混沌とした闇の中。 半分だけ開いた戸の隙間から、夜は既に、染み出していた。 その部屋は、奈落の底のように昏かった。 何もない、墨を流したような黒の中で、夜陰だけが蠢いている。 その闇に呑み込まれてしまいそうになりながらも、紫呉は半歩だけ踏み出した。 ぴちゃり。 何かが滴る音。 掠れた闇に、ボウッと漆黒の塊が浮び上がる。 血溜りの中に沈んだ、妹の死体。 振り返った母の顔には、妹の返り血がベッタリとこびりついている。 目を見開いて、息を呑んだ。 嗚呼―――これは、血の匂いだったのだ。 気が付くと、自分は、地の海の中に佇んで居た。 全身の筋肉が弛緩し、関節という関節が機能を失って、 紫呉は腰が抜けたように、ペタリと座り込んだ。 地面の底が抜け、地獄が口を開けているような奇妙な感覚。 畳はもう、夜に蝕まれた、ただの黒一色に塗り潰されていた。 立ち上がろうと、畳に手を付く。 ぬるり。 濡れた感触。温かい。 ゾクリとして、思わず、自分の手の平に視線を落とす。 両手を濡らす緋色のそれは、手首から肘へと伝わり―――― ポタリ、またポタリと滴り落ちて、足元に拡がった。 厭だ厭だ厭だ厭だ厭だ厭だ厭だ厭だ厭だ厭だ――― 誰か、誰か―――― 助けて―――――――― 「ひっ、あ、あああああぁぁぁぁぁっっっ――――――――!!!!」 絶叫。 耳から鼻へと、痺れるような耳鳴りが抜けていく。 「あ、あ、ああぁぁぁぁ!!!!」 腰を抜かしたまま、闇雲に足を動かす。 ぬるぬると足は滑って、紫呉は床に拡がった血溜りの中で、もがき続けた。 「あああ、あぁぁぁっっっ!!!」 怖い。渾身の力で叫ぶと、誰かが引き摺るようにして、自分を立たせた。 上手く立てない。 悪寒がする。鳥肌が立つ。 ―――大丈夫だ。大丈夫だから・・・ 誰かが、自分の両肩を強く抱いた。 息が詰まる。足が、がくがく震えて動くことが出来ない。 冷や汗が背中を伝うのが解った。指先が、ジン――――と痺れてくる。 怖い。厭だ。気持ち悪い。胃が痛い。強い異物感。 何かがグッと迫り上がってきて、酸い液体が、口中に充満した。 両手で口を、押さえる。 ――――・・・気分が悪いのか?・・・ 頭の上から、静かな声が降ってくる。 頷いたつもりであったが、震えていた為、上手く頷けたどうかは解らない。 気が付いたら、自分は洗面所に居た。 如何やら少し、吐いたらしい。コップの水を含んで口の中を浄める。 コップを持つその右手が、少し震えた。圧倒的な恐怖感は、未だに消えない。 誰かが、自分の背中を摩っている。 その手は、酷く優しかった。 「――・・け・・・助けて・・・・・・」 掠れた声音で、震える肺を落ち着かせながら、漸く言葉を紡ぎ出す。 呆然と何も考えられない頭のまま、紫呉は無我夢中で手を伸ばし、その腕を掴んだ。 暖かな体温が、躰に沁みた。 「・・・もう、大丈夫だから―――紫呉・・・・・・」 誰かが、自分の上に覆い被さって来る。 腰に腕を回されて、躰が密着する程に引き寄せられて、涙が溢れた。 あぁ・・・彼だ―――― 「――――はとり・・・っ!!!」 叫んだ瞬間、一層強く抱き締められた。 はとりの真っ直ぐな髪の毛が、紫呉の肩にかかる。 絡んだ視線を逸らすことは、もう出来なかった。 心が震えるような優しいキスが、降りてくる。 輪郭が溶けてゆくような暖かい手が、頬に添えられて―――― あれだけ酷かった躰の震えは、何時の間にか治まっていた。 心地良い微睡が、紫呉を抱擁した。 * 喉が張り裂けんばかりの悲鳴が、聞こえた。 自分を夢の国から引き戻すには、十分過ぎる声。 カーテンの隙間から覗いているのは、漆黒の闇で、 夜明けにはまだ程遠い時間だった。 気が触れたように叫び、無茶苦茶に手足を振り回す紫呉に近寄った瞬間―――― 思いっきり腹を蹴られた。壁に背中を強かに打ち付け、その拍子にゴミ箱が倒れる。 紙屑が床に散乱した。痛さは、感じない。 一瞬、何が起こったかさえ、解らなかった。 恐怖に慄き叫ぶ紫呉を、躰全体で抱え込む。震える手を懸命に掴んで、 はとりは半ば引き摺るようにして彼を立たせた。 泣き出す寸前のように歪んだその顔は、蒼白と云うよりも寧ろ、土気色だった。 唇が、ガタガタと震えている。血の気のない顔に表情はなかった。 大丈夫だから、とそう繰り返し、はとりは自分の肌の温もりを分け与えるかのように、 ゆっくりとした動作で、紫呉を抱き締める。 何に怯えているのか解らなかったが、ただ抱き締めてやることしか出来ない 己の無力さを、はとりは呪った。 こんなに苦しむ紫呉を見るのは初めてで、 このまま彼が壊れてしまうのではないかと、本気でそう思った。 毎日肌を重ね合わせていた訳ではない。 紫呉は自分が何をしても、決して抵抗しようとはしなかった。 恍惚を感じてくれているのかどうかも、解らなかった。 しかし、元々、欲を受け止める為に出来ていないその躰には、 かなり負担が掛かっていたに違いない。 今夜、紫呉の誘いを拒んだのは、無理をさせたくなかったからで―――― 否、若しかすると、恐かったのかもしれない。 自分は、彼に溺れてしまうのが、恐かったのだ。 紫呉には、何処か人を惹きつける不思議な力がある。 だから、無意識の内に距離を置こうとしていたのだ。 だが――― 怯えて蹲る紫呉の躰は余りに細くて、そんな自分には解らない痛みを たった一人で抱えているのかと思うと、はとりは如何しようもなく 遣る瀬ない気分になった。 繰り返し繰り返し声を掛けてやりながら、背中を摩っていると、 次第に状況を把握したのであろうか、紫呉の手に漸く力が入った。 必死で救いを求めて手を伸ばすその頼りない姿に、思わず喉が詰まりそうになる。 背中を撫でてやりながら、自分もまた強く、それに応えた。 ぎこちない微笑みが、零れる。 日を追う毎に柔らかくなっていく紫呉の微笑を見るのは、切なかった。 自分の腕の中で、何時の間にか眠りに落ちてしまった紫呉の寝顔を眺めながら、 グッショリと寝汗で濡れてしまった躰を拭いてやる。 不意に強い寂寥を感じて、はとりは眠ったままの紫呉を強く抱き締めた。 冷たいのだ。生きているのに、生きている筈なのに、紫呉はこんなにも冷たい。 その冷たさが、寒々とはとりの心の中に沁み通る。 自分は誰かを救う為に、生きている訳ではない。 それでも、出口の見えない煉獄に、一人で囚われている紫呉を救ってやりたいのだ。 頬や目尻に残った涙の痕。ソッと手を当てて、その頬に触れた。 それを消してやるように、はとりはゆっくりと指の腹で痕を辿る。 だが、もう乾いてしまったその指先で、痕を消してやることは叶わなかった。 人と深く関わりを持たないように生きてきたことが深く悔やまれて、 はとりは血が滲むくらい強く唇を噛んだ。 人間の心は、人間の心でしか救われない。 だが、自分すら救えない人間が、如何して他人を救えるだろう。 真実を隠したままの状態で、紫呉を救うことなど、出来やしないのだ。 ほんの一握りの、幸福。 それは、掬い上げても指の間からサラサラと零れ落ちてしまう砂に、何処か似ている。 この関係は、近い内に何時か必ず、崩壊していくだろう。 「何もしてやれなくて――――済まない」 天は二人を微笑していた。 闇空にくっきりと浮かび上がった三日月は、混沌に満ちた世界を照らし出す。 消え入りそうなはとりの言葉は、流星のように尾を引いて、闇の彼方へと消えた。 |
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