イギリス人の道3 7月7日(木) ミーニョ - プレセド
ミーニョのアルベルゲ。隣の消防署が管理していると思われるが、結局、昨晩はオスピタレロはやって来なくて、誰もチェックイン手続きはしなかったらしい。期待した訳ではないが全員タダ泊まりか。当然、ここのスタンプは無しになった。
朝飯には昨日買っておいたエンパナダとヨーグルト。それにホワンが飲んでいいよと言って残してくれたくれたオレンジジュースを飲ませてもらう。子供の歩くスピードが遅いのか、ホワン達はいつも早いスタートだ。
6時50に出発する。真っ暗!スペインはサマータイムを導入しているので朝が遅い。町の中で矢印に従って歩いていたら、また同じ所に戻ってしまった。あれー、何で?と思って元来た道を戻ってみると、分岐点に矢印が2つもあった。どう言うことだよ。
今回は手間をかけて行き先を二通りに示す矢印の写真を紹介してみた。それでも小さくて確認し辛いが、右はホタテが右を示していて、アルベルゲに誘導しているようだ。左のホタテは直進を示している。巡礼路は直進だった。
長い陸橋を越えて海岸線を越えて山坂を越えてベタンソスの町へ入る。この町は城砦都市だったのか、橋を渡り終えた突き当たりには城門みたいなのがあって、町へはこの門を潜って入るのだった。雰囲気ある~。町の中は印が少なくて分かりづらかった。迷っていたら調度そこへホワン親子が通りかかったので助かる。二人も分からないようだが、それでも3人だと心強い。混雑が途切れた街中を抜けたところにバルがあったので、後ろを振り向いたハイメにここでコーヒーを飲んでいくと指でサインを送り分かれる。実は昨日のアルベルゲでスタンプが貰えなかったので、ここベタンソスの町のスタンプが欲しかったのだ。店の人に聞いたら、ちゃんとスタンプを備えていた。どこにでもあるような町のバルだが、巡礼路になっているのでちゃんとスタンプを作っているので感心する。カフェコンレチェには小さなチュロスが付いてきた。珍しく塩味が付いている。両方で1.1ユーロ。
ひと山越えて、周りには人家がなく広い道路だけが幾つも交差している大きな交差点に出た所で巡礼路を見失う。タブレットのGPSは今日もご機嫌が悪いようでさっぱり電波をキャッチしてくれない。勘で歩くかと考えていたところへ運良く地元の人がマラソンでやって来たので声を掛ける。ペリグリノにはとても好意的な人だった。教えて貰った方角に行ってみたところ、道を入ったところにちゃんと印があった。なんだ、道に入る手前とか、もっと分かり易い所にしてくれないかなと思ったものの、これだって無償のボランティアさんがやっていることなので文句を垂れるのはお門違いだ。
プレセドのこじんまりとした青いアルベルゲには1時半に到着する。周りにはなんもない。既にホワン親子が先着していて、他にスペイン人の家族グループがいるようだ。お母さんらしい人にオスピタレロはいるかと聞いたが、この人は上はTシャツだが下は下着のパンツ姿のまま私と立ち話している。その後もこの姿のまま部屋の中をウロチョロしているが、こんな美人がいいんかなと思った。
ここもオスピタレロは夕方やってくるタイプだった。シャワーと洗濯をして道端のお粗末な物干しスペースに工夫して干しておく。
今日のアルベルゲは知らない顔がいっぱいなので我々とは一日ずれた人たちのようだ。何はともあれ、ホワン親子だけでも知り合いがいるので心強い。この狭いアルベルゲに工夫してベッドを並べているが、隣とのベッドの距離はゼロだ。隣は男だったので緊張も内場だったが、美人のママならドキドキものだったろう。自意識過剰か?
ここのチェックインは7時だとホワンが教えてくれた。イギリス人の道はみんなこのパターンなのが段々分かってくる。この村はとても小さいのでスーパーはおろか、雑貨屋もないらしい。食べられるレストランは400m離れたところに1軒あるのみで、必然的にみんなそこに歩いて行くことになる。親子が行った後に私も行ってみる。着いてみると山の中のレストランにしては大きなものだった。地元の人もみんなここで食べるようで、常連と思しき人たちが何組も飲み食いしていた。
ペリグリノ・メニューとビールを頼む。1皿目は野菜サラダ。健康的でこれはグー。さて、ビールを飲み終わったのにペリグリノ・メニューに付き物のワインが出てこない。隣のホワン親子も同じペリグリノメニューで、そこにはワインの瓶が立っているので、レストランのお姉さんに「ペリグリノメニュー コン ワイン?」と言ったら出してきたが、言わないと出てこなかった可能性が高い。ビールを飲んだからワインは要らないだろうと勝手に想像したのか?すぐワインと水も持ってきてくれるが、ワインも水も新しいものじゃなくて離れたテーブルにあった別の客のを何事もなかったようにかっさらって持ってきたので内心ビックリした。これもスペイン流か。
このワインは味が分からない私が飲んでも旨いものだったので、残っていたボトルの3分の2を全部飲んでしまう。水もいつも飲んでいる水道水より旨くて、ミネラル・ウォーターって実はこんなに旨いのかと思った。二皿目は鶏肉だ。鶏肉は食べづらいけど、いつもこんなもんだ。
このレストランに突然凄い数のペリグリノが押し寄せてくる。えーっ、一体どこから沸いてきたんだと驚くほどの人数で、こっちのテンションまで上がる。その数は20名はいそうだ。イギリス人の道のもうひとつの出発地、ア・コルーニャとの合流地点は次の町ブルナかと思っていたが、この山の中で合流するのかも知れない。この人たちはここには泊まらずにブルナを目指すようだ。ブルナまでは急な山道が14kmも続くので、今からそこへ行くのは大変だろな。何はともあれ、この大所帯が今晩ブルナに泊まってくれれば我々と一日ずれるのでこちらは助かる。
ホワンが飲みきれずに残していったワインが5分の1ほど残っていたので、卑しさを発揮してそれも飲んでおく。ここんちのワインはそれほど旨かった。バルやレストランでは多くの場合、その土地で作られたワインを出すらしいので、この土地は旨いワインが作られる地域なのかも知れないな。ここのレストランではビールとペリグリノ・メニュー。それとホワンが次ぐ朝用にボカディージョを注文してたので、自分も同じのを頼む。合計で14ユーロちょっと。店がない小さな村でも何とか食べられることが出来たので良かった。高いけど。
外のテーブル席にアルベルゲで一緒だったグループがいて、アルベルゲの玄関の鍵は郵便受けの中にあるよとネットの翻訳で教えてくれる。グラシアス。でも、戻ったら玄関には鍵が掛かってなかったけどね。
7時にオスピタレラがやってきて、やっと受付が開始される。今回も6ユーロ。オスピタレラが帰った後にスペインの3人娘がやって来たので、3人娘は昨日に引き続き今晩も無料になったらしい。しかし、同じ距離を私より6時間も遅く着くとはどういう歩き方をしてるのか?今朝は私が出発するときに二階から手を振って見送っていたから、その時間には起きることは起きていたのに。ベッドは下段から埋まって行くので、遅く着くと必然的に上段ベッドに決まりだが、私と違って若い子は気にしないようだ。
そう言えばホワンパブロとはどっかで聞いたことのある名前だな。そこで気がついた、何代か前の教皇の名前だ。ホワンにあんたの名前はローマのパパと同じかと言ったらそのとおりだった。極東の日本人が西の果てに住む自分の名前の由来を知っているとは驚いたことだろう。
イギリス人の道4へつづく
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