イギリス人の道6 7月10日(日) シグエイロ ー Santiago de Conpostera
早朝、トイレに行きたいのだが女の子たちが寝ている脇を通らなくちゃならないので我慢している。アルベルゲではそんなの普通なのだが、やっぱり一般の民家だと思うと何となく遠慮してしまう。部屋の外でゴソゴソと音がしているので、彼女たちはそろそろ起きだすのかなぁ?外はまだ真っ暗で大分早いのだが。
それから30分ほどしてから部屋を出てみたら、すでに女の子たちは出発した後でモヌケノ空だった。なんだ、それが分かってたら遠慮するんじゃなかった。今朝はみんなで朝食を食べるらしいのだが、一人で別の部屋に寝ているので何処で食べるのかも時間も分かっていない。他の人たちの動きも見えないのでボチボチかと思われる時間に部屋の外に出ていったら、全員がバックパックを背負って出かける準備ができていた。えっ、もう行くの?デサジュノ(朝飯)は?どうも朝飯を食べるところはここではなく別のどっからしい。良かったぁ、パッキングだけはして置いたのですぐ出発することが出来る。
少年が一人待っていてくれて、他の人たちはどっかに行ってしまった。表に出ると、真っ暗なのに地元民があちこちに居る。この人たちは早起きなんじゃなくて、昨日の夜から遊んでいる人たちだ。スペイン人が夜更かしなのは知っているが、こんな時間まで遊んでいたんだ。もう朝だよ。普段からこんなことやってたら仕事に差し支えるだろうが、今日は日曜日の朝なので特別なのかも。
二人で急いで後を追うも、真っ暗だしどこに行ったのか分からない。少年は分かっているのかな?昨日、最初に尋ねたアルベルゲの入口が見えるが、そこじゃないと思って少年の後について行くが迷っているようだ。ちょっと戻ってみようと言うことにしてみたら、さっきのアルベルゲを見つけて、少年はそこで食べられることを知っていた。私は今朝の流れが分かっていなかったのでチンプンカンプンだったが、中に入って行くと我々のメンバーの他にこの建物の中に泊まれたペリグリノ達が何人も朝飯を食べていた。オスピタレラのおばちゃんはトーストを焼いて後から後から出してくれた。途中で腹が減らないように5・6枚食べておく。
同じ宿に泊まった6人で一緒に歩き出す。町の中で顔見知りの親子と合流し、今日は8人の大所帯になった。この親子は最初に泊まったネダのアルベルゲに居た人で、何度か一緒の宿になったことがあり、最初から一緒だったのはこの親子だけだ。
薄暗い森の中にあった給水所は水が出しっぱなしなので湧き水だろう。私は絶対に飲まないようにしているが、空手親子はボトルに残った水を捨ててさっさと汲みに行った。平気なんか?そんなの飲んだら下痢するんじゃないのかね?
森を抜けて丘を越えてだんだんとコンポステラが近づいてきた。途中の工業団地の中にあったバルに寄ると、ここでも休んでいるグループが何組もいた。ブエンカミーノ、もうすぐだね。
住宅団地の中に入ってきたようだ。同じような住宅棟がいっぱいたち並んでいる所で全員で巡礼路を見失う。協議するついでに全員で記念写真を撮ってみる。迷っている割には何とも呑気だ。さすがスペイン人のグループで、近くにいた人を捕まえて道を教えてもらう事など朝飯前。そこから20分ほど歩いただろうか、ここは遠くから見たことがあるなぁと言う特徴のある建物が現れたので、いよいよカテドラルに近づいて来たのが分かる。もう歩いている端にはお土産の屋台まで現れだした。
あ、ここは昨年、バスターミナルへ行く途中に歩いたところだ!ほどなくカテドラルの尖塔が見え出した。ここで全員の写真が撮りたいのでバタバタと走り出したら、何事かと思ったらしく、みんなが後ろから笑っているのが聞こえる。振り向いてカメラを向けたら、全員がその場で立ち止まってポーズを取ってくれたので、その阿吽の呼吸がまるで昔からの仲間みたいだった。
オブラロイド広場でそろって記念写真を撮る。空手少年のマヌエルがさっきもここでも私とツーショットで撮りたがっていた。親父さんもそれが分かるので、さっさとカメラを用意している。解散するときになったら、マヌエルが自分が持ってるマルチナイフをくれると言い出したのでビックリする。結構高いんじゃないの?一年前に親父さんからプレゼントされたナイフで、近くで見ている親父さんも、うんうんと頷いているので承諾済みらしい。日本人の悪い癖は封印して素直に戴いておく。自分はスイス製のちっこいのと、ポルトガルの道で買った安物の2本を持っているので、両方ともプレゼントする。日本びいきの少年の良い記念になってくれるかな。取りあえずここで解散として、各々当てのある宿に散って行く。
今回もおなじみのメノール・アルベルゲに行ってチェックイン。受付してお金は払っても清掃時間なのでベッドルームに行くことはできない。地下のキッチン前は広いロッカールームになっているので、そこにバックパックを置いてカテドラルに戻る。ミサの30分前だが、空いた席は既にひとつもなかったので、パラドールのただ飯待合所に行ってみると、まだ3人しか待ってなかった。結局、時間になっても7人しか並ばなかったので、今回は定員割れしてしまった。知り合いでも居たら呼んでやりたいところだ。
今回の賄い食は前回より劣ったが、腹はいっぱいになったので満足。冷えた白ワインが旨かったので、ボトル半分を飲んでしまう。他の人は幾らも飲まなかったのが幸いした。
満腹になったところで、巡礼事務所に足を運んでコンポステラーノ(巡礼証明書)をゲットする。クレデンシャルはポルトガル人の道で使ったのと同じ物だったので、スタンプはどうするのかなと思ったら、(コンポステラのスタンプは押すところが決まっている)前に押されたスタンプの横に日付だけのスタンプを押してくれた。へー、こうやるんだと新鮮な驚きがあった。
事務所を出てカテドラル方面への道を歩いていると、ラストを一緒に歩いたソロの女性と再会する。この人はナップザックと杖だけで歩いていたので、どういう巡礼スタイルなのか興味があったが、足だか腰を痛めて大きなバックパックは配達サービスを使って歩いていたのだった。広場へ行くと、やはりラストを一緒に歩いた親子と再会し、すぐ美人ママの4人家族にも再会する。みんなで一緒にランチしようと誘われたので、昼飯はさっき食べたばかりなのでビールだけ付き合おうと一緒に歩いていく。結局、昼飯時で大混雑していたので手頃なレストランが見つからなかった。ママ達は聖年の門へ入る列に並ぶという。私はきちんと別れの挨拶をしていないマヌエル親子を探したいので、そこでハグして分かれる。
やっぱり人が大勢集まるのはオブラロイド広場と巡礼事務所だろうと、広場から事務所へ行ってみる。今度は顔見知りのカップルと母娘3人と再会する。そんなに付き合いは深くなくても、みんなゴールしたことでテンションが上がっているのでやたらと喜び合う。あ、マヌエルが居たっと走り寄ったが別の親子だった。結局、空手親子とは最後のさよならをすることなく会わず終いになってしまった。とても心残り。
メノールへ戻る途中に、いつも行くパン屋で食料を調達する。いつものように1リットルビールにポテチ、KASオレンジジュース、ヨグール4で5.15ユーロ。暑い日差しの中をメノールに戻り、キッチンの冷蔵庫にビールを入れてたら教師のホワン、ハイメ親子がやってきた。部屋に行くと、これも知り合いのカップルが同じ部屋だった。ホワン親子も同じ階に決まったようでやってくる。次から次へと知り合いと再会できるので不思議なようだ。
このイギリス人の道は日数が少ないので親しくなる人も少ないだろうと予想して来たが、実は逆だった。歩いている人自体少ないので仲間意識が強くなり、泊まるアルベルゲも限られているので何度も何度も同じ人たちと出会うことになる。更に、期間が短いと言うことはゴールまでの日数が同じになり易く、離れ離れになる確立が低い。親しくなる人が多くなるのは必然だったのだ。
日本で立てた計画ではイギリス人の道は影も形もなかったが、日数が余る関係で急遽採用してみた。当然、カミーノの地図もなければアルベルゲ情報も何も持ってなかったが、期待していなかった分、この道はとても素晴らしかった。
明日からは最後のルート、フィステラへの道を歩き始める。
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