ポルトガル人の道2  O Porto 2日目


6月22日(水) ポルトのタトバ・デザイン・ホステル2日目。7時半から朝食なので行ってみたら、もう既に沢山の人たちが食べていた。7時でもいいのかな?早めに出発したい明日はパッキングを済ませてから7時に来てみよう。

 昨年は見当たらなかったオレンジ、キュウリ、トマトが置いてあったので一通り食べてみる。コーンフレーク2杯、パンにチーズ・ハムを挟んだのを2個、コーヒー2杯を飲んで腹いっぱい。私は30分ほど掛けてゆっくりしたが、殆どの人たちは食べたらさっさと食堂を後にして部屋に戻って行った。隣の談話スペースにも誰もいない。どんだけ早く観光に出かけるのかと思ったが真実は不明。
 コリアンのペリグリノが居たので少しお喋りする。こちらはリー君、フランス人の道とフィステラの道を歩いてきたそうだ。ポルトへは観光に来たらしい。

 市内地図を見ながら今日の作戦を練り、それに沿って一日観光する。まずカテドラル隣のインフォメーションに行ってポルトのスタンプを貰う。新らしいクレデンシャルに加え、北の道で使っていたクレデンシャルにも押して貰う。スタンプがいっぱい押されたクレデンシャルを見たことがないのか、受付にいた4人が凄く驚いてくれたのでこちらも嬉しくなり記念写真を撮らせてもらう。ポルトガル人の道では、ここポルトをスタートに選ぶ人が圧倒的に多いので、今まで見てきたクレデンシャルはスタンプが押されていないのかも知れない。
 市内アチコチを回り、楽しみにしていたポルトワインも飲む。昨年は5ユーロで3杯飲めたのに、今年は2杯だけと、値上げされていたので悲しい。夕方になる時間まで歩きまわってホステルに帰る。


6月23日(木) O Porto - Vairao
 昨日は7時半に食堂に行ったら既に沢山の人が食べていたので、決まりでは7時半と言っても7時から食べられるんだと思い込んで早めに朝飯を食べに行く。しかし、食堂へ上がる階段にはイスが並べてあって入れないようになっていた。今日はポルトをスタートする日なので早く食べてさっさと出発したいのだが運が悪い。
 時間通りに7時半から食べ始められて8時半にホステルを出発する。カードキーを返しても5ユーロは返してくれなかったので、デポジットではなかったようだ。何で5ユーロ取られたのかさっぱり分からない。

 まず昨日見つけた黄色い矢印のある地点を目指す。どこの街でも同じだが、大きな街ほど矢印が見つけにくい。分からない所では近くにいるスペイン人を捕まえて教えて貰う以外ないのだが、一人目はカミーノを知っていたが2回目の人は知らなかった。道端で困ったなと考えていたら、小型トラックが脇に止まりおじさんが降りてきた。ペリグリノが道に迷っていると認めて、わざわざ教えに来てくれたのだった。この人はさすがに良く知っていて、どの巡礼路を行きたいのかと言っている。どの巡礼路!実はここポルトからの巡礼路には3つあることをつい昨日知ったところだ。海沿いを行くラコスタ、真ん中を行くセントラル、もうひとつは覚えてない。セントラルを行きたいと伝えると、今行こうとしているのはラコスタへ行く道だから、セントラルなら少し戻って教会の所にフレッチャー(矢印)があると言っているようだ。危なかった、このまま運良く(と言うか運悪く)矢印が続いていたらラコスタへ行ってしまうところだった。日本で作って来た地図はセントラルだけなので、当然、セントラルへ行きたいのだ。

 教えてもらったとおり、少し戻った所に小さい教会はあった。あ、これかと広い道路の反対側にある教会を見ながら信号が変わるのを待っていると、バックパックを背負ったコリアンが反対側の歩道を歩いているではないか。おぉ、渡りに船だ。なんて間がいいんでしょう。実はこれは間が良いどころでなく間が悪かったのが後になって判明する。教えてくれた人は教会の所にフレッチャーがあると言っていたが、このコリアンはカミーノを知っているようで自信を持って歩いている。この人の後ろを着いていけば間違いなくカミーノの矢印が見つかるだろうと100mほど後ろを見失わないようについて行く。3、40分ほど歩いた交差点で信号待ちをしているコリアンの後ろにはバックパックを背負った西欧人カップル二人が着いたので、これで駄目押しで間違いないと確信する。私も追いついたのでコリアン青年に声を掛ける。だが返って来た答えは意外な返事だった。自分はペリグリノだが、これからマドリッドへ行くためのバス停に向かっているところだとーっ!ソーリーとか言いながらバス停の方に歩いて行ってしまった。
 二人の西欧人はコリアン青年とは別の方向に歩きだしたので、今度はこの後に続こうと思ったが、さっきのこともあるしもしかしたらカミーノへ行かない可能性も無きにしもあらずだ。万いち違ってたら傷が深くならないうちに修正した方が身のためだ。念のため呼び止めて聞いてみることにする。そしたらまたまた意外な答えが!自分たちはペリグリノだが、スタートするのはスペイン国境のTuiなので、これからTui行きのバス停に行くところだとーっ!なんかさっき聞いた話とデジャブるんですけど。Tuiとはここから100km以上離れた巡礼路上の町だ。良かったー早めに聞いといて。状況的にはちっとも良くないけど。
 Tuiからサンティアゴまでは115kmあり、サンティアゴまで100km以上歩いた巡礼者に発行される巡礼証明書の条件をクリアする地なので人気の町だ。Tuiから歩きだす人は沢山いるそうだ。
(※この辺りはカミーノを探すのに必死で写真がありません)

 カミーノとはまったく別の所に来てしまってるし、もう頼れるものは何もないので雨粒の当たらない所に移動して必殺技のタブレットをバックパックから引っ張り出す。ポルトから脱出するための地図も情報も持っていないが、セントラルルートでポルトの次に大きな街はMaiaと言うことだけは分かっているので、GPS頼りにMaia方面に歩きだす。霧雨になった中を暫く歩いて行くと正面に高速道路が横たわっているのが見えだした。通常は高速道の下には向こう側に行くためのトンネルがあるので、このまま進んでも問題ないだろうと想像する。が、残念ながら行き止まり。チーン。仕方ないので今来た道を300mほど戻り、大きな交差点で迂回することにする。今の道だって大きかったのに行き止まりになったのが解せなかったが、考えても仕方なかろう。今度の道は大きいだけじゃなく交通量が多いので、こっちなら高速道を突っ切れるだろうと歩いて行くと、案の定、道はそのまま高速道の向こうまで伸びている。と、なんと電柱に黄色い矢印を発見!!わっ、もうカミーノを発見できた。紆余曲折があったがこれで一安心だ。

 一度矢印を発見すると、あるわあるわ、これでもかと言うくらい道の両側に黄色い矢印が大量に描かれている。しかも、分岐点には正解の方に矢印があるのは勿論、行ってはいけない方には×印まで描かれている念の入れようで、こんな丁寧な巡礼路は初めてだ。ポルトを脱出するときにこれを見つけていれば苦労することなく市外へ出られただろうにと残念になる。あのコリアン青年がタイミング悪く目の前に登場したのが迷うきっかけだったが、やっぱり人頼みじゃなくて自分自身の目と耳で確認しないといけないなと感じる。

 ポルトからの巡礼路は、家並みが途絶えることなく続いており、道もずっと平らでまるで関東平野のようだ。ここにきて面白いことに気がついた。ポルトガルにはファティマと言うマリア様が出現した聖地があって、そこへの巡礼路がサンチャゴ巡礼路と重なっていたのだ。黄色い矢印と一緒に青い矢印が反対方向を指し「FATIMA」と書かれている。時にはナルトの模様みたいにグルグルが3つ描かれた印もあって、これはマリア様が出現したときに天空がグルグル回ったという言い伝えに因んだもののようだ。

 民家の玄関口にもファチマの奇跡が再現されたアズレージョ(装飾タイル)があちこちに見えるので、ここポルトガルのマリア信仰のほどが伺える。私みたいな天の邪鬼にはこんだけまっすぐ信じられると言うのは幸せなんだろなと言う気がしてくる。

 途中に銀行があったのでキャッシングに挑戦する。失敗してカードが戻らないとそれこそエライことになるので慎重を期して今まで人に見て貰ってやっていたが、初めて自分一人だけでキャッシングすることが出来た。でもポルトガルでは200ユーロが上限だった。スペインはいつも300出来たのだが、これは物価の差だろうか?カードの決済日は27日なので、その前にもう1回キャッシングしておきたい。キャッシングはシャッキンなので利息が掛かる。日割り計算なので決済日に近い方が利息も数日だけで済むと言う訳だ。

 来てみるとMaiaの街はとても大きかった。巡礼路は街の中には入って行かずにずっと外側を迂回するように作られていたので有難い。市街に入って苦労するより長く歩いた方がずっとマシだ。段々と田舎道に代わり、道筋に大きなスーパーがあったのでこの脇に座り込み休んで行くことにする。靴を脱いで足を開放してやり、昨日買ったまま飲まずに持ち歩いていた500mlの缶ビールをスナック菓子と一緒に飲む。缶ビールを持ち歩くことは普段ないのだが、昨晩は腹がいっぱいになってしまったので勿体ないから飲まなかったものだ。その判断が功を奏して、今ここで楽しむことができる。目の前の通りは車が頻繁に走っており、中にはこちらを珍しそうに見て行く人もいるが気にしない。飲んでからすぐ歩きだしたので少し酔ったようで気持ちがいい。

 ポルトガルの田舎道は両側に石積みがずーっと続いていて、道路上には10cm四方の石が斜めに敷いてある。独特でいかにもポルトガルぽい。しかも、そのような道が延々と続いているので、これはもう文化じゃないかと思うほどだ。

 ついにポルトガル人の道で第一ペリグリノ発見。少し前を夫婦ものらしい二人連れが歩いている。ポルトガル語は「ありがとう」しか知らないが話しかけてみる。私が泊まろうとしているVairaoよりひとつ進んだVilarinhoに泊まる予定だそうだ。ビラリンホか、私も都合によってはそこまで足を延ばしてもいいかも知れないな。覚えておこう。この夫婦は歩くのが遅いので、ぐんぐん差を広げて見えなくなった。

 暫く歩いて行くと、はるか先にペリグリノらしき人影が見えだした。二人目のペリグリノのようだ。やっぱりポルトガル人の道は巡礼者がぐっと少ない。青年のように見えるが、疲れているようで歩みが遅いからその内追いつくだろうと歩いて行くと、町の看板が掲げられた所に立って地図を見ていた。男性に見えたが近づいたら女の子だった。ドイツからやって来た子で、今晩は最初に私が予定していたバイラオに泊まりたいそうだ。コンポステラで会った中川夫妻がビラリンホのアルベルゲは良かったと言ってたので、どっちにしようか迷っていたが、この子がバイラオならバイラオでいいやと言う気になった。

 この子を後にしてぐんぐん進んで行くと、やがてバイラオの村に差し掛かる。看板にはバイラオのモナステリオ・アルベルゲまで500mと書かれている。もうすぐじゃん。気を良くして歩いて行くと、ほどなく大きな建物の前に到着する。これが今晩の宿らしい。小さな村なので食べられない可能性がある。スーパーかバルがないかなとタブレットの地図で探していると先ほどの女の子も到着してきた。この子は良いガイドブックを持っていて、近くの民家に行ってアルベルゲの鍵を開けて貰うことを知っていた。呼び鈴を押して出てきた夫婦がオスピタレロだった。モナステリオの鍵を開けて貰うために着いて行くと、鍵は開けっぱなしだったようで先着のペリグリノが中から出てきた。入ると大きな建物で、ベッドルームは少人数用が沢山あり、なんとここは平ベッドだった。しかも、1グループに1部屋をあてがってくれるので私たちは一人一部屋になった。ベッドは少々お粗末だが、初のシングルルームだ。バイラオにして良かった。料金はドナティーボだったのでいつものように5ユーロを入れる。こんな巨大なアルベルゲなのに、本日の宿泊者は先着のドイツ人と我々二人に後からやって来たポルトガル夫婦の5人だけだけだった。

 女の子がスーパーへ一緒に行かないかと言うのでそうする。こんな小さな村だけど、小さなスーパー(何でも屋)がちゃんとあったので有難い。1リットルビールもちゃんとあった。チーズとハムは塊を切ってくれる方式だった。生ハムは良くあるが、チーズをこうして切って貰うのは初めてだ。ほかにバナナ2、トマト、プラムとパンを買う。全部で5.28ユーロととても安い。女の子はコーヒーが好きなようで、バルも兼ねているこの店から空き瓶にコーヒーをテイクアウトしていた。
 ビールは冷えてなかったので、キッチンの冷凍庫に放り込んでからシャワー、洗濯して飲もうとしたらキンキンに冷えていた。今回の旅の中で最高に冷えたビールなので嬉しい。食堂で一人宴会の始まり。

 食堂に居たドイツのおじさんが「ここはどこなの?」とドイツ語のみでとぼけたことを言い出したのでバイラオだと教えてやる。ドイツ語しか話さないのでドイツの女の子を連れてってやる。どうもブルゴスからファティマへ行ったようだが、方角的に随分離れているので何だか良く分からない。

 女の子の持っているガイドブックでは、ポルトからここまで28キロだった。この子は私が泊まったのと同じタトバ・デザイン・ホステルに5泊もして今朝出発したそうだ。ポルトって、そんなに見るとこあるかな?それは置いといて、じゃぁ私とは2泊一緒だったということか、そう言えば朝食のときに見たような気がするが定かでない。明日はまた28キロ歩いてBarcelosまで行くそうだ。私はそこまでは歩かないのでこの子とは一期一会だろう。何しろ日程が2日進んでいるのでなるべくゆっくり歩いて日にちを埋めたいのだ。

 ひと眠りして目が覚めたら10時過ぎだった。いけない、外に洗濯物を干したままだった。このままでは折角乾いたのが夜露でまた濡れてしまう。スペインなら10時は日暮れ時だがポルトガル時間の10時はスペインの11時だ。真っ暗になった中を懐中電灯を頼りに3階から下まで降りて行って取り込んでくる。人けの無いでかい元修道院の中は気持ちが良いものではなかったが、良かった気が付いて。
 ついでに今後の日程を考えることにする。どうしても日にちが余りすぎるので、フィステラの道に加え予定しなかったイギリス人の道も歩こうかと思いつく。これだと日程を余すことなく使い尽すことになりそうだ。2日必要なムシアルートは日にちが足りなくなるのでカットすればいいし。よしっそっちで検討しよう。


ポルトガル人の道3へつづく