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ポルトガル人の道5 6月26日(日) Lugar do Corga - ポンテ・デ・リマ
Lugar do Corgaの私営アルベルゲ。昨日、修理してあげた女の子の靴底は今のところくっついているようだ。写真を撮ると言ったらポーズを取ってくれた。このとおり元気いっぱい。
7時からオーナー本宅で朝食を食べさせてもらう。夕食はボリュームいっぱいだったが、朝食はどこもあっさり。ドナティーボには感謝を込めて20ユーロ入れさせてもらう。8時出発、今日もピーカンだ。
私とマリアとアメリカの婦人と、歳の似通った4人で歩き始めるが、アメリカ婦人が徐々に遅れだして見えなくなってしまった。二人のうち、妹格のおばちゃんは歩き慣れていないのか、昨日も遅れがちだった。遅れても離れても、歩くスピードは人に合わせないで自分のペースを守るのがベストだ。
村の教会ではミサが終わったところらしく、沢山の人と車がでてきた。そう言えば今日は日曜日だ。その内の誰かが教会でコーヒーが飲めるよと言うので行ってみたが、もうそのサービスは終わったのか貰うことはできなかった。聖堂の中に入って行くと、小さな村なのにとても立派な聖堂だった。せいぜい百人かそこらの村人がこんな立派な聖堂を建てるにはどんだけ寄付をするんだろう。村人の信仰と誇りがここにいっぱい詰まっているんだろうな。
途中にあった町のバルで一休み、ビールとデニッシュで1.8ユーロととても安い。ここでまた4人が合流する。日記帳にアメリカおばちゃん二人連れとマリアに名前を書いてもらう。マリアの苗字はバイエルマンと、如何にもドイツらしい苗字だった。アメリカおばちゃんは姉御ぽい人がクリスタで、妹格の人はダウナだがドナと呼ぶらしい。ドナドナの歌を思い出した。この人は体を左右に揺らしながら歩くのでとても特徴がある。
ガイドブックを見せてもらったら、今夜泊まろうとするポンテ・デ・リマのアルベルゲは橋を渡ってすぐの所だと確認できたので安心する。私が日本から用意してきた地図には、この公営アルベルゲは記してなかった。毎日一番の関心ごとは今晩泊まるアルベルゲなのだが、私が印刷してきたポンコツ地図には凄く簡単なことしか記入してないので、ちゃんとしたガイドブックを見せて貰うのは非常にありがたい。
女性陣はお喋りに夢中になっているので一足先に出発して一人旅。暫く歩いた先に小さな小さな教会があって日陰になっているので休んでいたらみんなも到着してきた。それに、一昨日のアルベルゲで一緒になったドイツ女性で、マツコ・デラックスみたいな人も到着。あれ、この子はもっと先に行ってた筈なんじゃ!?もう一人のドイツの女の子アンナと連れだって、昨日のうちにポンテ・デ・リマに行くと言ってたけど、我々と同じ遅い歩みになっていたらしい。昨日はどこに泊まっていたんだろう?マリアと喋っているので、そこん所を話しているのかな。
その後はまたバラけて、やっぱり一人旅になったまま歩き続ける。目的の町ポンテ・デ・リマには12時半頃に到着する。ガイドブックで見たとおり、大きな川が現れてきたので、このまま川を遡って行けばアルベルゲに行きつくんだと元気になる。途中から人混みになってきて、奥に行くに従ってどんどん混雑してくる。お祭りでもやってるのかな?大きな木が両側に植わっている広い道路は人で埋め尽くされてきた。何のお祭りなんだろう、祭りでなくて何かの市なのか、両側には臨時の出店で埋め尽くされている。お土産を売る店、パンを売る店、チョリソーの店や、その場で食べられる物を売っている店もあるので何か買ってみたい気になる。
前方に古い大きな橋が見えてきたので、この橋を渡りきった所に目的のアルベルゲがある筈だと気を良くして歩いて行く。橋は石作りで何百年も経っているような古い物だった。途中にはヤコブ(サンチャゴ)の顔の巨大モニュメントがあった。センスわるっ。台座にはポルトガル語で「Bon
Caminho(良い巡礼を)」と彫られているので、この橋が巡礼路だと言うのが良く分かる。
渡り終わった橋の袂には古い教会があって、中に入って行くと入口には誰かの顔写真が入ったカードが置いてある。それにどうも棺らしいのが聖堂祭壇の前に置いてあり大きな顔写真が飾られている。これって葬式なんじゃと気づいてそそくさと出てくる。教会から川に至る所は広い芝生公園になっていて沢山の人たちが寛いでいるのが見える。良いところだなー。
アルベルゲはそこから少し歩いた所にあって、大きなものだった。でもオープンはやっぱり4時からだった。どうしよう、時間があり過ぎる。取りあえずビールが飲みたいので、タブレットの地図に載っていたスーパーへ行ってみたが運悪く心配が当たって日曜のため戸閉めされていた、残念。
川を渡ったこの辺りは町外れに当たるので、もう店はないのが想像できる。橋を戻って賑やかな町の方に行ってみるとするか。スーパーがあると良いのだが、地図には500mほど離れた所に市場があると載っているだけだ。この市場と言う表示にはいつも裏切られるので期待はできないな。
歩いている途中にATMを見つけたので、そろそろ路銀が減って来たからキャッシングしておこうと思いつく。サンタンデールと書かれた良く目にするATMだ。一応、付近に怪しい奴がいないか確認してから道端で操作して難なく200ユーロをゲットできる。やっぱりポルトガルでは200が上限だった。今回の旅で3回目のキャッシングで合計700ユーロを借りたことになる。日本から持ってきたユーロは450あったので、もう1,000ユーロ以上を使ったことになるのか。円なら12万円ほどだ。ヨーロッパに入ってぼちぼち45日。泊まって飲み食いして12万円なら安いものだ。毎日倹約してるし歩きなので運賃はタダだし。日本で同じ期間ふらついたら幾らになるだろう?ビジネスホテルは最低でも一泊5,000円だろう。それだけでも5,000×45=225、000円だ。日本の居酒屋で飲むビール1杯500円。とても気の済むまで飲むことはできない。プラス食費を加えたら一日8,000円は必要か、ここではその3分の1で旅することができる。スペイン・ポルトガル、暮らすには良いところだなー。
スーパーを目指している時に向こうからやってくるアメリカおばさんと会う。アルベルゲはあっちだと伝え、今はスーパーを探しているんだと言って別れる。おばさん達も同じアルベルゲを目指しているので後で会えるだろう。マリアは一緒じゃなかったので、もっと遅れているのかな?
市場が入っているらしいビルはすぐ見つかったが、案の定、市場なんて影も形もなかった。でもこのビルの中に安く食べられるレストランがあったので入って行くことにする。レストランと言う名前だが、レベル的にはバルのようだ。ハンバーガーセットみたいな名前の料理を注文するが、出てきたのは1皿に色々載っているプレート料理だった。トマトとオニオンサラダに目玉焼の下にはハンバーグが隠れていた。それに定番のフライドポテト。このプレートにはご飯も載っていたのが嬉しい。ハンバーグが載っているので、何とかハンバーガーと言う名前だった。名前なんかどうでも良くて、安くて腹がいっぱいになるなら何でもオーケーだ。小瓶のビールが1.2ユーロで合計8.7ユーロとレストランにしては安いほうだ。
帰りの露天で何か買おうかなと思って歩いていたら、日本では高級品のサクランボを山のように売っていたので買ってみる。2.5ユーロ。マリアとアメリカおばさんにも食べさせて上げようと思い多めに買ってみた。たまの贅沢と言うところか。
また橋を渡ってアルベルゲ方面に戻り、隣の大きな公園の日陰で待つことにする。そしたらマリアがやって来た。みんなバラバラに歩いていても集合するところは同じだ。少し話してからバルに行くことになった。マリアがレモンジュースを頼んだので、自分もたまにはそういう物を飲んでみよう。1.5ユーロなので値段はビールと同じだ。
一休みしてアルベルゲの近くに行ってみると、ちらほらとペリグリノが集まりだしていた。テラス席で一杯やっていた青年と話してみると、スイスの自宅から歩きはじめたそうで、4月2日にスタートして今日が6月26日なのでもう3カ月も歩いているそうだ。ここポルトガル人の道に居ると言うことは、私と同じようにコンポステラに到着してから、またポルトガル人の道を歩きはじめたのだろう。
極細の靴紐を使用するトレッキングシューズを履いており、その靴紐が途中で切れて難儀しているようだ。靴紐ならスペアを持っているよと言ってみたが、靴紐を通す穴がこれまた極細なので普通の紐は通らないらしい。このタイプの靴は、私が歩き用の靴を買いに行った時にも目にしたことがあるが、極細の靴紐をダイヤルを回すだけで絞めたり緩めたり簡単に出来ると謳っている新型タイプの靴だ。だがやっぱりこんな靴は買うもんじゃないなと実感した。紐が切れただけで使い物にならなくなるとは。似たものにファスナー付きのウォーキングシューズがあるが、あれもファスナーが壊れたらアウトだろう。その点、普通の紐を使用する昔ながらの靴は紐が切れても穴が壊れても応用が利くので安心だ。
この青年はスイスの金貨を持っていて見せてくれた。持ってみると小さいのにずっしりと重い。やっぱり本物の金だ。金は世界共通の価値があるので、もしものときのお守りだと言っているようだ。1枚幾らと聞いたら250ユーロ!!ビックリ。5枚持っているので凄い金額になる。いいのか、こんな路上で見せびらかして。私の日記帳を貸してくれと言って、何やら英語で「Gold
and Silver is the real money うんたらかんたら」と長々と書いている。
時間になったので受付が始まった。通りの反対側にいた人が急いで駆けつけて来たのでマリアが自分たちが先だと強い口調で主張し始める。この人はバックパックを入口に並べていたので、自分には優先権があると言っているがすぐ引き下がった。大きなアルベルゲで60人も泊まれるんだから、順番が少し入れ替わったところで大した問題ではないのに、やっぱりこういう所ははっきりさせたいお国柄なんかなぁと思った。引き下がった人は日本のサンティアゴ友の会発行のクレデンシャルを持っていたので日本人と分かった。
ここは広い部屋にゆったりと平置きベッドが置かれていた。おまけに個人のロッカーまで備わっている。ひゃっほー。
いつものルーチンのあと、やっぱりビールと今日・明日の食料が欲しいので、ダメ元で受付の人に聞きに行く。そしたら橋を渡ったところにあるそうだ!?え、そうなの。地図には出てなかった小さな店があるらしい。私は橋を渡って賑やかな右側に折れたが、家が少ない左に行くとあるのかな。半信半疑のまま行ってみると、確かに目立たない所に雑貨屋があった。なんだ、こっち側に曲がればすぐ見つかったのか。ま、知らないってのはこう言うことだよな。本当に小さな店だが、そこそこの品揃えがある。缶ビール3、ポテチ、玉子、パン、1リットルのピーチジュースで9.3ユーロ。ちょっと高いな。少しボラれた気がするが買えないよりはずっと良い。今日は昼飯をバルで食べたし、いっぱい金を使ってしまった。公営アルベルゲに泊まったのに30.3ユーロ、この金額は使い過ぎだ。
キッチンで小鍋サイズのステンレスカップに並々とコーヒーを淹れている女性はエストニアのターニャ。挽いたコーヒーの粉をそのままカップにぶち込んでお湯を注いでいる。どうやって飲むのか聞いたら、暫くすると粉は底に沈むので、そしたら飲むそうだ。アイラブコーヒーと言っているから相当のコーヒー好きらしい。この子は長身でガリガリ、部屋の中でもサングラスをしていて美人とは程遠いようだがキャラクターが独特でとても面白い。英語は片言で、イエースイエースと連発している。イエースのエを強く言うので、それがまた独特で面白い。サクランボを食べるかと言ったらサンキューと言って摘んでいる。ターニャとはこのあとマリアを含め、3日間を一緒に歩いて楽しく過ごす。
キッチンでカップめんのようなのを食べている女の子がいたので、この子にもサクランボを勧めてみるが、ありがとうと言ってる割には手を出さないでいる。若いのでシャイなようだ。英語はほぼ話せないようだが話をしているうちに空手の黒帯というのが分かったのでカタコトながら話が弾む。名前はアレハンドラだけど、これって男の名前だったんじゃ?でもスペイン人が言うんだから女の名前なんだろう。男ならアレハンドロとなるのか。
日本人は千葉のNさんで、私より年上の72歳だった。日本のサンティアゴ友の会で係りをしているそうだ。私が北の道とポルトガルの道を歩いてからイギリス人の道へ行くと言ったら自分もこのあとイギリス人の道を目指すそうなので、もしかしたらイギリス人の道でも一緒になるかも知れないな。友の会では巡礼経験者に話をしてもらう集まりがあるので、そこで発表してくれないかと言われたが、私はそういうのには興味がないので。
雑貨屋でボラれた気がすると言ったら、特に東洋人はそういう目に遭いやすいと言っていいて、Nさんも何度か覚えがあるそうだ。巡礼に優しい人もいれば食い物にしようとする人もいるってことだ。
ポルトガル人の道6につづく
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