北の道02 サンセバスチャン − デバ
アルベルゲがない
5月14日(土)外は曇り、でも必ず降る。 7時半サンセバスチャン出発。やっぱり小雨がパラついて来たが、昨日よりずっとマシ。ずんずん坂道を登っていく。途中、接待なのか食べ物などが載った小さなテーブルがあり、そこの椅子に雨具のまま座っている女性がいた。ロンドンから来たそうだが、イギリス人ってカトリックじゃなくてプロテスタントが殆どの気がするのでカトリックの巡礼路に来る人は珍しいのかなと思ったりしたが良く分かってない。
海岸線を離れてからは結構な山の中に入って行く。ひと組の男女が前を歩いているからいいが、たった一人だけだったら不安になるような山道だ。雨降ってるし。
こんな山道なのにマウンテンバイクで走っている人たちがやってきた。足をつくスペースもないような狭い山道なので転落しそうだなーと思ってすれ違ったが、案の定一人が谷側に転落した。でも、上手に着地したのか大したこともなさそうで仲間にひっぱり上げられていた。
ひと山越えた海辺の町ではお祭りをやっていて、凄い賑わいだ。通り抜けるにも人混みをかき分けて通らせてもらうこと数回「ほらー、ペリグリノを通してやんなー」な感じで。
バスク地方特有のベレー帽を被っている人がちらほらいたり、テレビのスペインの祭りでよく目にする巨大な人形や、子供たちは何やら伝統的な遊びをしている。ここで巡礼路が分からなくなったので地元の老人に訪ねたら、私の手を引いて案内してくれ、老人はちょっと誇らしげに見えた。海辺の町なので、やっぱり海関連のお祭りなのだろうか。女の子達がやっている長縄は波に例えているらしかった。
沢山の大きな手漕ぎボートが繰り出している。何かレースでもやるのだろうかと、暫く見ていたがちっとも進展しないので歩きだす。
目的地のZarautzの町が見えてきたところで、昨日一緒だった男性と一緒に町に入っていく。宿を見つけるときは誰かと一緒の方が心強い。でもこの人はビーチが見たいと言って途中から海岸方面に行ってしまったので一人で宿探しをすることに。アルベルゲ情報がおぼろなので勘を頼りに探してみたが見つからないので町のインフォメーションに入って聞いてみたところ、この町には何とアルベルゲはないと言う。あるのは夏季しかオープンしないアルベルゲだけだって。ホテルは50ユーロもするらしいので、さっさと町を後に次の町を目指す。海岸線を歩いていたところ、巡礼の女性がやってきたので話してみたところ、この人は次の町のゲタリアに泊まるそうなので、ゲタリアに当てがある訳じゃないが少し心強くなった。
5キロ歩いてゲタリアに到着したがアルベルゲの当てはないので、ここで一緒になったフランス人3人組とうろうろする。道筋にペンションと書かれた看板を見つけたので「ペンションはチープホテル」と伝えたらすぐに呼び鈴を押して一泊幾らなのか聞き出した。一人40ユーロ!!ちっとも安くないじゃん。でも、宿の人にアルベルゲのある所を教えてもらったので、瓢箪からコマだった。山の上と聞いてきたが、上り坂は丘程度だったのに加え町外れだったのでこれはとてもラッキーだった。受付開始が3時半で、数人が入り口にある椅子に座って待っていた。女性以外の3人はイルンで一緒だった知った顔なのが嬉しい。すぐ受付が始まり12ユーロとちょっと高めかな。朝食は別に4ユーロだそうだが、周りに何もない所なので頼んでおく。
いつものルーチンの後、20分ほど坂を下りて町まで食料を仕入れに行く。結構離れているが、他のみんなも歩いて買出しに来ていた。北の道はアルベルゲが本当に少ないので、知り合いになった人達が同じアルベルゲに沢山集合してくる。これが北の道の醍醐味で一番の魅力なのかも知れないと思った。
食堂で一人宴会していたところ、「ヘーイ、ジャパニーズ」と言いながらオランダ人が到着してきた。こちらも「オーッ、ネーデルランダーッ」と返す。67歳元気そのもの。その後もブラジル人のジルベルトが到着してくる。二人ともイルン以来2度目なので親近感が増しているようだ。
アルベルゲは駅の中(デバ)
5月15日(日)
朝から雨がバシャバシャと音を立てて降っている。7時15にドイツ人が出発していった。今日はデバ迄行くそうだ。欧米の人はみんな詳しく書かれたガイド本を持っているので予定が立てやすいらしい。私はと言えばgoogleからダウンロードした地図に自分で書き込んだアルベルゲ情報を印刷した紙だけなので非常に心もとない。だから、欧米人にはなるべく宿情報を教えてもらうようにしている。朝食で前に座ったオランダ人もデバだと言っている。雨の中、かなり歩くのかと思ったら18キロだそうだ。私もそうすることにする。
合羽の上下を着て出発するが、午前中には青空になってきた。今回3日目にして初めての快晴だ。港町に出たところの果物屋でオレンジ、バナナを買って歩き出すと、どうも矢印が見当たらないのに気づく。近くにいたスペイン人に聞いたら、その人はカミーノは分からないけど通りの店の人に聞いてくれ、町の案内図をくれて教えてもらう。やっぱり果物屋を出たところで道を間違えたのが分かった。どうも家の中に入ってしまうと方向が分からなくなることが往々にしてあるので注意しなくてはだ。
本来の道を歩き出し、暫くしたらフランス人に追いついたので道を間違ったことを伝えたら、その人は私が別方向に歩き出したので声を掛けたのだが私が気づかずに行ってしまったと言っていた。名前を聞いてきたので教えたら、今度は「ヘーイ、ミッチャン」と声を掛けるよと言っている。彼の名前はルーゴンで、私と同い年だった。このグループと半日一緒に歩き、山の中にあった接待のワインみたいのを皆で回し飲みしたりしてとても楽しかった。そのあとは2日前のサンセバスチャンで一緒にアルベルゲを探したオーストリア人夫婦と歩く。道は一本なので、馴染みになったオランダ人とも時々会って挨拶を交わす。途中の村の教会に入ってみたら、なにか特別なことをやっているようで人でごった返している。着飾った子供たちが列を作って登場してきたので、あぁ初聖体なんだなと想像できたので、近くの人に聞いたらやっぱりそうだった。
デバの町へ入るには、何と公共のエレベーターで降りて行くのだった。エレベーターが巡礼路なんて初めてだよ。ガラス張りのエレベーターは奇麗で洒落ていた。この町でもお祭りをやっていて、テレビで見た巨大な人形が練り歩いていて大賑わい。スペインはお祭りが大好きな国らしく、アチコチで出っくわす。
この町までは18キロと聞いたが、実際にはデバまでは20数キロあったようで、山越えもあったから少々疲れた。デバのアルベルゲは何と駅の構内にあった。離れたインフォメーションで受付して宿代の5ユーロを払ってからまた駅に戻る。その間に何人ものペリグリノが集まりだしていて、インフォメーションまで受け付けしに行かなくても、ここで出来るようなことを言っている。どうも余計な無駄足を踏んでしまった気がする。
オープン時間になったら二人のホスピタレロがやってきてベッドを振り分けだした。私のベッドは9番で下段なのだが、ドイツの夫人は自分のベッドが下だと勘違いしている。面倒なので上段にしたがちょっと残念。下段の方が手の届く所にザックがあって何かと便利で楽なのだが。
合羽のズボンは足上げが大変なので、ホスピタレロに断ってこのアルベルゲに置いていくことにする。新品で1度しか使用してないので勿体無いのだが、使わない物をこの先2ヶ月間も持ち歩く訳にはいかないだろう。そこそこ重いし。これから雨が降ったら合羽は上着だけだ。
シャワーのあと町に買い物に出るが、シエスタでどこもシャッターが下りていて買うことができない。唯一、中国人経営の雑貨屋だけは開いていたので1リットルビールと菓子、それに変なパンみたいのを仕入れてアルベルゲ外のベンチで食べる。このアルベルゲには食堂も食べるスペースもなく、椅子のある共用スペースには「飲食禁止」なんて張り紙がしてある。でも、外でもWi-Fiだけは通じるのでフェイスブックを更新していたら、友達がログインしていたのでテレビ電話で話すことができる。凄いねインターネット、スペインからでも無料でテレビ電話ができちゃいます。
シエスタ中でもフィエスタ(祭り)はやっている。巨大人形のほか、でかいお面を被った人が紐の先に袋が付いた物で子供を叩く祭りイベントらしく、子供は隠れたり出てきたり走って逃げたり大騒ぎ。子供はいつも可愛い。
商店はシエスタで開いていなかったが、バルに入ったらちょっとした食料が買えそうなのでオレンジとパンを2個買っておく。バルなのでオレンジは絞ってジュースとして提供するものらしかったが、「いいわよ」と言う感じで売ってくれた。
明日のカミーノ(巡礼路)を確認するために少し先まで歩いてみる。離れて見ると、本当にこのアルベルゲは駅構内に作られているのが確認できてビックリだ。
部屋に戻ると明日のカミーノの標高差が話題になっていて、結構ハードらしい。オランダ人は6時に出ると言っているので私も早めに出ようかな。ハードそうなので、食べなくてもいいと思っていた夕飯を食べに近くのバルに行ってみる。ジャガイモのトルティージャと大きなビールで3.5ユーロ。トルティージャが思ったより安かったので、もっと食べても良かったかなと思った。明日の行動食用にはパン2個と2日前から持ち歩ってる硬いパンとオレンジ他があるので途中で腹が空くことはないだろう。
ブラジル人ジルベルトの足が驚くほど酷いことになっていたのでビックリ。足の爪が1枚剥げて真っ赤。他にも剥げそうな爪がある。みんな平気な顔してるけど、それぞれに色々抱えて歩いている。
北の道03 へつづく
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