北の道6 ビルバオ - ポベーニャ
昨日の夕飯も今朝の朝食もドナティーボだそうなので、感謝を込めて10ユーロ入れる。元気なおばあさんジェルソミーナにマリアカードの裏に名前を書いて進呈する。8時頃、ハグして出発。スタート直後から仲良くなった母娘とイタリアコンビと一緒に歩く。ビルバオの街の外側をグルッと回り込んで行く道なので、ずっと山側を歩いていく。街を挟んで反対側ならグッゲンハイム美術館とビスカヤ橋のすぐ近くを歩く筈なのだが、歩きなんだから今更そっちへ行くことはできない。今回はあきらめよう。
しばらく歩いた村に教会があって、その前にはベンチがあったので5人揃って休んでいく。朝の内は涼しくてみんな厚着をしていたが、陽が出てきたので暑くなり、みんなここで薄着に着換える。
ここでみんなと名前の交換会。イタリアコンビは年上に見える方がセルジオで、ソニーの一眼レフと大きなこうもり傘を持っている。もう一人はレンソ。レンソはなぜか妙に親近感の沸くような顔をしていて、こんな顔の人が親戚にいたような気がしてならない。
母娘のお母さんの方がアッラで娘がヤナ。ヤナはご丁寧に住所と電話番号まで書いてくれた。アッラ、ヤナ、二人の名前を繋げると日本語のギャグみたいで妙な名前だなぁと思うが欧米人からみたら日本人の名前なんてもっと変に思えることだろう。ドイツかと思っていたがウクライナのようなことを言っている。お母さんは母国語しか喋れなくて娘が英語で通訳している。セルジオはイタリア語だけでレンソも殆ど英語は喋れないみたいだ。イタリア人はスペイン人と母国語同士でも何となく話は通じると聞いたので、巡礼路では特に困ることはないのかも知れないな。ウクライナは名前は知っててもヨーロッパのどこにあるのか分からなかった。ドイツの近くかなと想像して地図で調べたらすっごく離れていてロシアの隣だった。
一休み後のスタートからは段々とバラけてきて一人旅となる。次の大きな町の中で矢印を見失ってしまう。スペイン人にカミーノを聞いたら、それは知らないけどポルトガレテはまっすぐだと言う。少し歩くが心配になってきたので、矢印を最後に見た地点まで戻ることにした。屋根の上にでっかいキリスト像が載っている教会のところまで戻ると、そこには大きな道路の反対側に渡るための地下道があって、矢印もそこを指しているのが確認できた。ちょうどそこを母娘が降りていくところだったので合流する。大きな街で巡礼路も矢印によって右に左に振り回される。また一人になって公園隣の広い歩道をずんずん歩いていくと、ヤナが追いかけてきた。何と道を間違った私を追いかけてきてくれたと言うことだ。二人で今来た道を戻っていくと、分かれ道で母親のアッラが二つのバックパックの番をしていた。行ってみると確かにそこには左に折れる矢印があった。大きな町は道に迷う確率が高いので注意しているがやっぱりやってしまう。わざわざ追いかけて教えてくれるなんて何て優しい母娘なんだろうと思った。暫く一緒に歩くが、二人が休憩をすると言うところでまた一人旅になる。
この道は立派な遊歩道で、マラソンしたりサイクリングしたりしてる人たちが沢山いる。距離も隣町まで続いているほど長く、いったいどこまで続いているのだろうと不思議に思う程だった。途中で、遊歩道から離れて一般の道に接続する分岐があり案内の看板が立っている。片方は今まで通りの遊歩道で便利に歩けるけど、何か食べたい私としては遊歩道より少し遠りになるが店がある一般道を選択する。直後にやってきたスペイン人が、カミーノはあっちだと教えてくれるが、キエロコメール(食べたいのだ)と返事をしたら、なるほどと言う顔をして立ち去った。スペイン語は単語を並べる程度しか喋れないが、この程度でも間に合うことが割とあるので勉強した甲斐がある。
さて、わざわざ距離が長い一般道を選んだ訳なので、これは食料が手に入らないと何の意味もない。くたびれ儲けどころか、腹ぺこのまま歩き続けなくてはならない羽目になってしまうので、道の両側にくまなく目を走らせて店を探すことしばし。あったありました、果物屋だけど食料を売っている店には違いない。店に入っていくと期待通りいろんな物を売っている。トマト、オレンジ、缶ビールとチョコパンで5ユーロ。袋がいるかと言うので、店の前においてあるベンチを指差してコメールと伝えたら、ゴミはこの中にねと言う感じでダンボール箱を用意してくれた。
その後も元気に歩き続け海が見える所までやってきた。どんどん歩いて行くと海水浴場になっていて、パチモンのスニーカーなどを売っている人たちが道端で店を広げている。この先にアルベルゲがあるのは分かっているが、場所が良く分かっていないのでビーチの砂浜に迷い出てしまう。パラパラといる海水浴客を横目に砂浜を歩いていくと、前方に形の洒落た橋らしきものが見えるので、橋を渡った先にアルベルゲがあった地図を思い出し、あの橋を渡って少し行けばアルベルゲがあると確信する。そしたら別方向からアッラ・ヤナ母娘とレンソがやってくるのが確認できた。なんでこのタイミングで会うかなぁ、偶然とは言え不思議でならない。セルジオがいないので、どうしたのか聞いたら、セルジオは歩くのが遅いので置いてきたらしい。で、今はどこにいるのか分からないそうだ。携帯もつながらないって、どういうこと?
アルベルゲには無事チェックインできたが、今晩も上段ベッドしか空いてなかったガチョン。4時過ぎに到着じゃ仕方ないか、今までで一番遅いチェックインだ。ここもドナティーボだったのでいつものように5ユーロ入れる。一緒にチェックインしたアッラとヤナ達も上段ベッドだが、ここの2つのベッドはぴったりとくっついているので、まるで一部屋をあてがわれたようで広く感じる。ユーアーゲットワンルームと言ったら受ける。仲良くなった印に和風マリアカードを上げたらとても喜ばれ、よっぽど嬉しかったのかヤナがその後もやってきてサンキューと言いながら私の腕をさすっている!これはまた経験したことのない親愛表現だなとちょっと感激した。私が欧米人ならハグするんだろうが、東洋人なので遠慮したんだろうか? 明日はどこに泊まるのかと盛んに聞いてくるので、イズラレスだと伝えたら私達もそこに行くと言っている。よくもまぁこんなに懐かれたもんだとほんわか暖かな気持ちになる。
この村にはスーパーはなさそうだが、一応狭い集落を一回り見て回る。残念ながら何もないのがすぐ分かった。ビーチの近くなので、小さな小屋でアイスや飲み物を売っていた。まともな店はないのに、こんなのはあるんだな。缶ビールを2本飲みながら近くのベンチで日記を書く。つまみは持ち歩いているポテチだ。夕飯はビールだけと言うわけにはいかないので、アルベルゲ推薦のバルに食事をしに行く。ペリグリノ定食10ユーロ。巡礼路には時折このような巡礼者向けに休め設定した定食を食べさせてくれるバルやレストランがある。スーパーがないときの強い味方だ。でも、日本円で1200円はちっとも安くない。スペインは物価が日本より安いが、こと食堂に関しては牛丼やラーメンなど、日本の方がチープなのが揃っている。
マルテン登場
テーブルに座っていると、アルベルゲで顔見知りになった人がやってきて、一緒に座っていいかと言うので勿論だ。オランダから一人でやってきて、名前はマルテン、61歳だ。マルテンは英語が堪能だが、片言英語の私とも楽しくお喋りしてくれる。マルテンとはこの後、一ヶ月近くもくっついたり離れたり、一緒に食事をシェアしたりすることになったので人の出会いは貴重で不思議だ。
暗くなってきてもセルジオの行方が知れないので心配になってきた。どこかホテルでも見つけて泊まっていられればいいのだが。
北の道7へつづく
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