北の道7  ポベーニャ - イズラレス


 5月21日(土) 早朝、母娘におはようはウクライナ語で何と言うのか聞いてみた。ホーベンと言うらしいが、次に会った時には確実に忘れているだろう。ポベーニャを7時にスタートする。

 すぐ海沿いの遊歩道に出て素晴らしい眺めが見られる。雨だとこの景色の感激も半減するか知れないけど、足元を気にしないで済む曇りなのでよかった。途中にあったベンチに座り、持っているもので朝飯にする。ベンチの隣には水道も設置してあるのでオレンジで濡れた手を洗うのに具合がいい。
 その後もしばらくのあいだ素晴らしい景色を堪能しながら舗装された遊歩道を延々と歩く。途中には素掘りのトンネルもあって、昔自転車で走ったことのある新潟の笹川流れを思い出した。


 アスファルト道路を歩いたり小さな山を越えたりしてまた海岸に出て、漁村みたいのを通り越したところで断崖に空けられたトンネルが2つ並んであった。頼みの矢印は見当たらない。どっちを行けばいいんだろう?どちらを行ってもまた1本の道になる可能性も考えられるが、そうでなかったら面倒なことになる。ふたつとも中を覗いても先に光がまったく見えない。正解なら巡礼路、不正解の方はどこに行くんだろう?ふたつとも似たようなトンネルだが、出口からこっちに続く道は左の方が幾らか人が通った形跡が感じられるので、そっちを選択する。真っ暗闇のトンネルなのでザックから懐中電灯を出して、それで照らしながら入っていくと、トンネルは平らではなく上に向かって伸びていた。それで入り口から覗いても先に光が見えなかったんだ。入っていくと上の方に出口の光が認められたのでほっとする。

 トンネルから出て一安心するも、そこからの巡礼路は恐ろしいものだった。これが巡礼路ーっ!?と思わせるもので、狭いコンクリート通路の両側は落ちたら怪我では済まないと言う代物だったのだ。幸い、両側に古びた鉄の手すりが付いているから良いものの、これがなかったら足がすくんで歩くことができない。その危険地帯を通り越すと、今度は両手を使って這い上がるような急な崖が待っていて、見落としても不思議でないほどの狭い獣道がうっすらと付いていた。いったい何なんだこの巡礼路は。まるでアスレチックのようだよ。驚きながらも話の種にと写真をいっぱい撮る。

 上りきってしまうと景色は抜群だった。苦労あってのこの景色かとも思うが、ケガをしてしまっては元も子もないだろう。

 丘を越え反対側に出ると公園のようになっていて犬の散歩をしている人たちがちらほらいる。ここで持参のチョコパンなぞ食べながら大休止。
 歩き出したらすぐ町の中に入り、速攻で巡礼路を見失うも、おおよその方向は分かっているので暫く歩いてまた巡礼路と合流する。

 ひたすら歩き続け山間部へ入って行く。途中の町を通り過ぎる所にアルベルゲの看板があったので、こんな所にもあったんだと思うが今日はIslaresのアルベルゲに泊まるとアッラ達に伝えてあるので途中で引っかかる訳にはいかない。スーパーもその近くにあったが、この道筋には食べられるようなベンチも見当たらないので何も買わないで通り過ぎる。が、それ以来スーパーには1軒も出会うことはなかったのでちょっと残念。チャンスに後ろ髪はないのだ。


 軽めの山道で数日前に会った黒人のアメリカ青人が道端で休んでいたのでオラーと言いながら抜いて、また海岸線に戻ってきた。この青年は怖い顔をしていて服装も飛び跳ねた格好をしているが、片言英語で話してみると気持ちの良さそうな青年だったのが分かった。

 腹が減ってきたけど手持ちの食料も尽きてきたことだし、村の中に1軒だけあったバルに入って何か食べることにする。ビールとプレート料理で、内容は目玉焼き1個、俵型コロッケ5個、ソテーした豚肉と大量のフライドポテト、それに別皿でパンも付く。後から顔見知りのペリグリノ夫婦がやってきたのでお喋りしながら一緒に写真を撮る。今日は私と同じアルベルゲに泊まるそうだ。旦那がショーンコネリーに良く似ているのでそう言ったら、本人も自覚があるようで、自分からジェームズ・ボンドとか言っている。


 その後も上り降りの道を歩き続け、やっとこさIslaresのアルベルゲに到着する。シャワーも浴びて一段落したところへアメリカ人がやってきて、入り口で「ジャパニーズ」と呼びかけているので玄関に出てみたら、自分はここには泊まらないで次のアルベルゲに行くと言っていた。私がアルベルゲの外でやって来るアメリカ人に向かって手を振ったので、自分が泊まると思って手を振ってくれたのに別のアルベルゲを目指すから悪いと思って、それでわざわざ寄ってくれたのか、ありがとうよアメリカ人。

 この村にもスーパーがない。仕方ないので村で唯一のバルで、またもやワンプレートの定食9ユーロを食べることにする。1枚のプレートに目玉焼きが2個、コロッケと豚肉に定番のフライドポテトが山盛り載っている。昼間とおんなじだよ。それにビールを3杯も飲んだので大枚14.40ユーロも使う羽目に。店で飲むビールはスーパーの5倍だ。今日は2食ともバルでご飯を食べたので出費がオーバーしてしまった。スーパーマーケットがないと辛い。手持ちの食料は尽きているので明日の朝飯は食べるあてが無い。

 アルベルゲに戻ると、昨日の夕飯を一緒に食べたマルテンが私のベッドの上段になっていた。このアルベルゲは恐怖の3段ベッドだが、1段目は床からマットレスの高さしかないので驚くほど高くは感じない。でも3段目は勘弁だ。小規模のアルベルゲなので、ベッド数以上のペリグリノがやってくると、床にじかにマットレスを引いた上に寝ることになる。だがその方が3段目よりずっとマシだ。
 ビルバオで洗濯機をシェアして金払うのを忘れていてるカタラン(カタルーニャ人)のバネッサもやってきた。バネッサはどうでもいいが、アッラとヤナが頑張ってやって来るかというのが気になって何度も外を見に行くが、4時過ぎてもやって来ないので途中にあった私営のアルベルゲに泊まったのだろう。見るからにお洒落な新しいアルベルゲが巡礼路沿いにあったから。

 明日の作戦を練る。ポンタロン迄4.5キロ、幾ら何でも近すぎる。次にアルベルゲがあるLiendo迄は14.1キロ山坂有りなので、ここに泊まりたいがアルベルゲがあるか確認できてない。それが駄目だと次にアルベルゲがあるのはLaredoで(Liendoと似てるが別の村)、そこから更に山坂を11キロ歩かなければならない。合計29.6キロは私には無理っぽい。手ごろな所に私営でいいからあれば良いが分からない。さてどうする!?
 昼間一緒になったスペイン語を話すショーン・コネリー夫婦はサントーニャ迄行くと言っているが40キロ以上はありそうだ。しかし、25.6キロだと言っている?マジですか?それなら歩ける距離だが本当の所はどうなんだろう?私の持っている地図より欧米人のガイドブックの方が確実なので、それに賭けるか。


北の道8へつづく