北の道9  サントーニャ − Guemes


 5月23日(月)サントーニャ。大きくて立派なアルベルゲなのにペリグリノは8名しか泊まらなかった。他の人たちはみんな私営に泊まったのだろうか?
 朝飯をゆっくり食べる。まだ誰も起きてこないようだ。同室の女の子は夕飯をオーダーしなかったので、朝飯も抜くなら買っておいたパンを上げようかと思っていたが、朝飯は頼んだらしく後から来て一緒に食べ始めたので安心した。金欠病でもなかったのか。みんなより早く食べ終わったので、早めの8時少し前に出発する。大きな橋を渡って町に戻り、迷いそうな道を矢印を探しながら歩く。

 小振りの山を越えてから次の町の中に入って行き、珍しくいつまでたっても家が途切れない道を1時間ほど歩いて巡礼路が分かれるという分岐点で立ち止まっていたらサントーニャで一緒だったフランス人グループが追いついてきた。昨日は短いルートを行こうと思っていたが、みんなは遠回りのルートを行くそうで、そっちは景色が良いらしいので私もそうすることにする。途端にすんごい上りが続き、足を踏み外したらまっさかさまになるような所でフランスの太めおじさんは大変そうだった。しかし、上りきってしまうと景色は抜群だった。が、ここから砂浜に下りるにもまた一苦労があった。海岸沿いの道は登ったり降りたりどこもこんなもんだ。

 狭い急坂をスティックで体を支えながら下りていくと途端に真っ平らな砂浜になって、前には一人フランス人のおっさんが歩いているので、その後を追う。欧米人は詳しいガイドブックをみんな持っているから道をよく分かっているだろう。ラッキーだと思っていたが、このフランス人も分かってなくて、30分ほど長い砂浜を歩いてから巡礼路に戻るために地元の人に聞きまくっている。あんたはスペイン語が話せるのかと聞いたらダメだそうだ。それでもフランス語と片言のスペイン語でやり取りしているので少しは話せるらしい。私も知っているスペイン語で聞いてみるが、相手の話すスペイン語はだいたい分からない。

 聞いても分からないので迷い狂って、とうとうフランス人は身長より背が高い葦の中に分け入って行ってしまった。こりゃダメだと見切りを付け、最後に見た海岸から上がれる地点まで一人で戻る。路上で車から荷物を降ろしている人にカミーノを聞いたところ、運良くこの人は知っていた。ハッキリしないまでも凡その方向が分かったので歩いていくと、程なく黄色い矢印を見つけられたのでやっとカミーノに復帰することができる。

 ずっと舗装路を歩き続け、山の中に入っていった所に古い教会があって、その建物を背に二人のペリグリノがお昼を食べていたので私も靴を脱いで手持ちの食料でお昼にする。食料を持っていないとこう自由に食べることはできないので、多少重くても持っていないとだ。今年は1リットルのジュースを良く持ち歩いていて、休むたびにゴクゴク飲んでいる。最初は重たいが徐々に軽くなるのが嬉しい。1日に1リットル飲んでしまう日もあれば、2日3日に渡って飲み続けるときもある。100%ジュースって数日持ち歩いたくらいじゃ腐らないよね?

 私より幾つか年上のスペインおじさんと、国が分からないおばさんの3人でアルベルゲを探しながら歩く。道ずれがいると心強いのは誰でも同じだろう。2時過ぎにGuemesのアルベルゲに到着する。村から離れた山の中の一軒屋なのでスーパーもなければ雑貨屋もバルもない。それなのにこのアルベルゲには売店もなければ自販機さえ置いてないので楽しみにしていたビールが飲めないよ。大きなアルベルゲで、食堂で何か食べている人がいるが有料で食べているのでもないような、よく分からないシステムだ。

 洗濯スペースには液体洗剤が置いてあったので誰でも使うことができる。いつもは自前の固形石鹸なので本物の洗剤は泡立ちが良くて気持ちいい。一段落したので手持ちのビスケットと干しブドウと水ボトルを持って外のベンチで飲み食いする。何でもいいから食料を持っているとこういう時に助かる。そこにイタリアのレンソが到着。まだ相棒のセルジオは一緒でないが、携帯で連絡が取れたと言っていた。我々より一日二日後ろを歩いているそうだ。でも無事なのが分かってよかった。実はこの26日後に私は一人で歩いていたセルジオと再会することになるので不思議なもんだ。その話はまた後のお楽しみです。

 ビスケットと水じゃお腹は膨れないけど食べないよりずっとマシ。でも、このあと夕飯が食べられるのか食べられないのかはさっぱり分からないけど、オスピタレロに聞くのもハシタナイのでじっと待つより方法がない。スペインの夕食時間は遅く普通は夜8時だ。運良く食べられたとしても、あと5時間は待たないとだろう。やっぱり常に食料は切らさないようにしないとだ。昼間、村のミニスーパーで買っておいたビスケットと干しブドウが早速役に立った。また店を見つけたら仕入れておこう。


 このアルベルゲは収容人数が多く、沢山の知り合いペリグリノが集まってくる。大部屋3つがいっぱいになると、キャンプ場で見られるようなバンガロー風の小さな家も解放してくれる。少人数のグループペリグリノには楽しいだろう。
 ブラジルのジルバート(ジルベルトじゃなくてジルバートだって)はスタートのイルンから一緒だ。カタランのバネッサ、イタリアのレンソ、黒人のアメリカ人は怖い顔と奇抜なファッションだが愛想が良い。昨日一緒の部屋になった長い杖を持った女の子もやってきた。ロシアの夫婦とアメリカのリンダはここで知り合いになって、このあとも何度も一緒になる。こちらは覚えていなくても、向こうは親しげに話しかけてくる欧米人が何人もいるが、昨年はそういう場合はウーンなんて顔しか出来なかったが、今年は相手をガッカリさせないように愛想良くしようと心掛ける。

 夕飯前に大きなミーティングルームで何やら集会が始まった。一人一人に何か言わせると嫌だなぁと思いながら参加したが、ここでは一人のリーダーみたいな中年がスペイン語で何やら絶好調で喋り、それを子分みたいな青年が英語に訳して皆に伝えるスタイルがずっと続き、最後まで一人舞台で終わった。20分くらいそれが続き、内容はさっぱり分からなかったが最後の方で食事やシャワーがどうとかなのでドナティーボを沢山入れてくれと言うところだけは分かった。周りの壁には色んな額が飾られていて、日本語で道と書かれた額もあった。

 ミーティングの後はお待ちかねの夕飯が食べられそうなので心を躍らせながら全員で大きな食堂へ移動する。ドロドロのスープはマルキナで皆で一緒に食べたものと同じだった。パンとワインは後からどんどん追加してくれる。2皿目はジャガイモと肉のスープ。人数がハッキリしない沢山の人に提供するのは決まった皿分を作るのでなく、スープや煮込みにしちゃうのがいいんだろうと想像する。これも旨い。パンをいっぱい食べて腹いっぱいになった。最後のデザートには青りんごが全員に1個配られて、これは丸かじりするらしい。今夜の夕食は今回の旅で一番腹がいっぱいになった。今まで腹いっぱい食べられるような状況無かったし。

 明日は21キロ歩く区間かと思っていたが、船の区間も入っているから歩きは14.5キロしかないそうだ。ジルバートも私と同じサンタンデールを目指すそうなので、今いる人数(40人くらいいる)が一斉にサンタンデールのアルベルゲを目指したらベッドがやばいかも知れない。早めに出発した方が良さそうかな。


北の道10につづく