北の道16 La Isra − Amandi


6月1日(水)快晴。
 とうとう6月になった。家を出発したのが5月9日なので、既に20日間は遊び暮らしていることになるが、まだまだこの先2ヶ月も外国の空の下でウロウロ出来るので嬉しいような気が遠くなるような・・・。言葉がもっと分かればもっと気楽でいられて楽しめるのになぁといつも思う。

 La Israのアルベルゲを8時に出発する。今日は朝からカタリナと一緒に歩き出す。田舎道をだらだらと歩き、Colungaの町にあったスーパーマーケットでOIKOSのヨーグルトを2個買い(2個入り)、そこから少し歩いた所にあったバルのテラス席でカフェコンレチェを飲みながら食べる。同じアルベルゲに泊まっていたオランダのマルテン、スペイン、ドイツの3人が既に休んでいたので、彼らはカルテラ(舗装路)を歩いて来たようだ。我々より後から出発した筈なのに、ちゃんとここでは先に着いていたので。
 マルテンが先に出発するときに、今晩の宿はアマンディだよねと確認してきた。昨晩、明日はアマンディの新しいアルベルゲに泊まるんだと皆で話していたのを覚えていたらしい。知り合いがアルベルゲでいっぱい集合すると楽しい。

 その後もカタリナと二人でずーっと歩き続け、途中で他の人たちも加わって4,5人で歩いていると、山の木陰でマルテンが一人横になって寛いでいた。マルテン大丈夫か!?そんなことやってるとアルベルゲに着かないぞと皆で笑いながら通り過ぎる。嘘から出たマコトと言うのか、後でこの冗談が冗談でなくなるのだが。

 やっとVillaviciosaの町に入ったので、カンカン照りの中を歩き続けたので、二人して町に入ったら飲もうと楽しみにしていたビールを飲みに通りのバルに入る。私は大ジョッキでカタリナはグラス。これはカタリナが奢ってくれた。二人で店に入るといつも奢る奢られるを繰り返しているので、ちょっと面倒だな。次は私が奢る番か。

 このビジャビシオサの町から巡礼路が分岐するのかと思っていたので、その表示があるかと注意しながら通りの両側を見ながら歩いているが、特にそういったものは見当たらないようだ。どこから分岐するのか興味津々。分からないまま希望しないルートのプリミティボの道を歩き出してしまうのが一番困るので割と真剣だ。別の道を数キロ歩いてしまったら、もう戻る気にならないだろう。


 そうこうしてる内に、2キロ歩いて次の町アマンディに入ってきた。みんなといるので出来たばかりというアルベルゲを簡単に見つけることができる。でも、新築じゃなくて古い家をリフォームしてアルベルゲにしたのが分かった。ここは夕食、朝食、洗濯までしてくれてドナティーボと言うことだった。私営にしては珍しいかも。金儲けのためじゃなく、ペリグリノの為に作ったというのが容易に想像できる。サンティアゴ巡礼はこういう奇特な人のお陰で私たちが歩かせて貰っていることを忘れてはならないだろう。


 気が付かなかったが、カタリナは指にマメを作っていた。それを知った他の婦人ペリグリノが早速噂さの手当を始めてくれる。マメに針で穴をあけ中の水を出し、そこに糸を通したままにして湧いてくる水を外に出すという治療法だ。なんか痛そうだけどそうでもないのかな?糸の端同士を結わえて糸が抜けないようにしているようだ。すっごい原始的に見えるが、これが早く治って効果的らしい。



 シャワー洗濯して洗濯物は小さな中庭にロープが張ってあったので干させてもらう。そこに一緒に歩いたスペイン人カップルがいたので適当なスペイン語でお喋りをする。こういうときに私が良く使うフレーズは「カミーノのためにスペイン語を習ったが、スペイン語は少ししか喋れない」だ。日本人が喋るスペイン語はカタカナ発音でばっちり届く。でも、スペイン人の喋るスペイン語は早口でほぼ分からない。続けて「スーパーマーケットはどこですか?と聞くがスペイン人は早口なので、その中から右・左・まっすぐと言う単語を見つけるとグラシアスと言ってから次の地点まで行き、そこで同じことを質問、またそこから右・左の単語を拾って次の地点まで行く。これを繰り返すと目的のスーパーへ行けるんだ」と、身振り手振りを交えてと言うか、このうち半分は身振り手振りだ。でもちゃんと伝わって必ず受ける。音声だけの電話じゃこうは行かないし、機械相手の券売機なんかはアウトだ。身振り手振りは国境を越えて伝わり、しかも勉強不要で誰でも使えるから素晴らしい。世界共通の身振り手振りが開発されたら外国語が話せなくても気楽に海外へ行けるようになるかも知れない。

 暫くしてからマルテンがやってきたが、既にベッドに空きはなかった。だからあんな所で昼寝してるんじゃないよと、みんなから言われていたようだった。オーナーからVillaviciosaの町に行けばアルベルゲがあるよと教えてもらって、また2キロを戻っていった。その前に自転車ペリグリノが3人もチェックインしてたのが原因だが、良く聞く話ではアルベルゲは徒歩のペリグリノ優先で、自転車巡礼は夕方にならないとチェックインできないそうなのだが、私営じゃそれは適用されないようだ。可愛そうマルテン。でも後で逢ったときに聞いたら、ちゃんとアルベルゲに泊まれたと言っていた。

 カタリナが上をワンピースの水着になっている。海もプールもないのになんで?洗濯しちゃって着るものがないのかな。そしたら大きく開いた背中にはお洒落なタトゥーが入っていたので褒めたら誇らしそうにしている。欧米人はタトゥーを気楽に入れている。中には汚らしいのもあるが、カタリナのは本当にお洒落だった。

 ここは町から離れているので近くにスーパーがない。ビールが飲めないと言ってたら、それを耳にしたオーナーが缶ビールを出してきてくれる。幾ら?と聞いたらいらないそうだ。そんなんで経営が成り立つのかと心配になる。

 ここの息子が日本に非常に興味を持っていて、私のところにやって来てあれこれ質問攻めにあう。日本語も勉強していて少しだけ話せるし、英語は私よりずっと喋れるので、まだ15才なのにたいしたものだ。私は子供の頃から興味のない勉強は見向きもしなかったので、60才を過ぎてから必要に駆られて英語を勉強しだしたので相変わらず単語を並べる程度のカタカナ英語だ。許されるなら今から中学校の英語授業に参加して一から勉強し直したいと本当に思う。光陰矢のごとしとは私のことだ。

 少年は四国の遍路に行きたいそうだ。言葉が通じないところは互いにGoogleの翻訳を使ってコミュニケーションする。少年はスマホ、私はタブレットを持っている。日本は物価が高く、四国の人は巡礼に優しいことなどを伝えてあげる。行くために倹約していることを翻訳を使って伝えてくれるので本気の本気のようだ。日本の漫画も良く知っていて、ナルトや亀仙人も知っていたので変な所で盛り上がる。2歳の可愛い甥っ子もやって来たので写真を撮らせてもらう。4歳くらいに見えたけど、2歳ってこんなに育ってたんだ!?

 夕食は全員がひとつの長いテーブルを囲み、オーナーと息子も一緒になって食べるスタイルだった。オーナーは息子を同席させることで何かを教えたいのかなと思った。この前のアルベルゲで作ってくれたのと同じ、どろどろスープにサラダ、メインは何だったか忘れてしまった。サラダは大皿をみんなで突っついて食べるスタイルで、とても自由だった。最後にカップのヨーグルトが出てきた。モチロン、スペインではパンとワインは必ず付く。みんなで食べる食事はいつも楽しい。毎日こういう生活をしていて、経営もそれなりに成り立てばこんな楽しい商売はないだろうなと思う。でも、シーズンオフになると一日経っても巡礼が一人もやって来ない日もあるだろな。副業でやってるのでなければ成り立たないのは想像できる。親切なアルベルゲなので是非とも頑張って続けてもらいたい。

 日本びいきの少年が、自宅からルービック・キューブを持ってきて、私にぐちゃぐちゃにしろと言っている。へー、この子はテレビで見るようなルービック・キューブ技が出来るんだと思いながらぐちゃぐちゃにして渡すと、キューブをグルリと見渡しながら作戦を立てて、一気にぐるぐる回し始めて最後にはちゃんと全面同じ色に合わせて見せたので周りから拍手喝さい。テレビでは何度か見たことあるが、目の前で見たのは初めてだった。少年もオーナーの父親も満足げな表情だった。私は1面を合わせることしか出来ないので教えてもらいたいところだが、それにはスペイン語が必要だろう。


北の道17へつづく