北の道20 Muros de Naron ー Soto de Luina


6月5日(日)アルベルゲでいつものパン主体のあっさり朝食を食べさせてもらう。どこのアルベルゲでも朝食を食べさせて貰えるもんじゃないと分かっているが、年に一回行く海外旅行のツアーだと毎朝の朝食は豪華バイキングなんだよな〜と、しょーもないことを思い出す。隣のテーブルでは昨日誕生日だったフランスの4人組おば様たちが盛んに喋っている。4人同時に喋るフランス語は、まるで小鳥のさえずりのように聞こえる。意味は1ミリも分からないが何故か耳に心地よい。意味が分からないから心地よいと言う方が本当かな?

 曇り空の中を8:20に出発する。最初からもうずーっと上り下りの連続。でも今日はいつもより距離が短いので、その点だけは気楽だ。石鹸が買いたいので、村に入るとお店を探しながら歩くが、この村の通りには店らしきものは何もなかった。

 平地になったところにあった大きな村には私が末席を汚す前橋教会とそっくりの聖堂があったので写真を撮りたくて敷地の中に入っていく。(左前橋、右スペイン)庭に地元の人らしき男性がいたので、日記帳に押してきた前橋教会聖堂のスタンプを見せて、ほら、良く似ているだろーと言うと伝わっているようだ。言葉が通じない人とほんの少しでも気持ちが通じるとうれしい。



 1時半ころ、目的地のSoto de Luinaの村に到着。ここの受付はアルベルゲじゃなくて少し離れたバルのECUと言う店でチェックインする情報を得ていた。こういうスタイルは今回2度目だ。昨年のフランス人の道ではお目にかからなかった方式だが、歩く人がフランス人の道の1割しかいない北の道では色々省エネにする必要があるのだろう。人件費節約には効果的だ。
 このバルに同時におばさんペリグリノもチェックインしていて、バルのマスターも手馴れた感じで、はいはいと受付してくれる。今回も5ユーロ。スタンプはそこにあるから勝手に押してと言う感じなので巡礼者を手篤く持て成してくれるアルベルゲとは一線を画すようだ。こういう時はこちらも割り切って事務的にこなしてくれる作業をを事務的に受けるのがいいだろう。

 テオと道端で再会する。テオはここの刑務所みたいなルベルゲが気に入らないようでオスタルに泊まるそうだ。私はどんなんでもいいから安くっちゃいい方だが、気に入らないからと言う理由だけで高いオスタルに泊まろうとするテオって金持ちだったの? アルベルゲへ行く途中に大きなスーパーがあったが、やっぱり日曜日で閉じているのが恨めしい。アルベルゲの建物は、廃校になった学校を再利用したのが丸出しの建物だった。テオが気に入らないと言うのも分かる気がするが、私にはこれで十分だ。
 私より幾つか年上に見えるおばさんペリグリノと一緒に室内に入っていくと、広い部屋に二段ベッドが山盛り置いてあってなかなか壮観だ。トイレとシャワールームはあるがキッチンはないのが分かった。スーパーが休みのために石鹸は手に入らなかったので、今日は石鹸なしで温水だけのシャワーだ。でも、外にある洗濯場に行ってみたら、そこには四角くてでかい洗濯石鹸が置いてあったので、洗濯だけは石鹸で洗うことができたので喜ばしい。

 カタリナが到着してきたので、チェックインするためのバルまで案内してやる。洗濯物を干してからバルへ行ったらカタリナがテラス席でいっぱいやっていたので私もビールを頼んで一緒に座って飲んでいたらテオもやってきた。テオはぶるぶる震える手で頑張ってて偉いなーと会う度にいつも思う。カタリナとはドイツ語で話せるのでうれしいようだ。テオが泊まったオスタルは15ユーロだったそうだ。山の中の辺鄙な村なのでオスタルも安いんだな


 さて、昼・夕食兼ねるのでいいから食事がしたいのだがスーパーが休みの現状ではバルで食べるしかない。チェックイン作業をしたバルで教えてもらったペリグリノ・メニューが提供されているというバルに行ってみる。ここはホテルにもなっているので、バルと言うよりレストランかな?
 「巡礼定食ある?」とスペイン語で言ったら通じて、あるそうだ。値段も教えてもらったとおり10ユーロだった。10ユーロは日本円で1200円なので決して安くは無いのだが、スペインではこれが安いらしいので仕方が無い。1皿目にはサラダをチョイスして2皿目は豚肉を頼む。出てきたのはポテトサラダで、日本では4人前はあろうかという代物だった。ポテトサラダは好きなので嬉しいが、さすがにこれは多すぎだろう!常識を超える量なので、もしかしたらこっから食べたいだけ自分の皿に取り分けるのかも知れないと思って「とどすぱらみ(これ全部私に?)」と確認するほどだった。でも全部完食。パンはコロンとテーブルの上に転がしてった。2皿目には豚肉のソテーの隣に定番のフライドポテトが山盛り載ってきた。もちろんこれも完食。普段が粗食なので定食なんか食べる日にゃ何があっても完食しかない。デザートにはいつものようにスーパーから買ってきたまんまのカップのヨーグルトが出てきた。日本じゃありえないがスペインではこれが普通だ。

 アルベルゲに帰ってくると、カタリナの食事は手持ちのパンや魚の缶詰にパプリカなどを食べたようだった。カタリナは泊まるのもアルベルゲだけだし食べるのも贅沢しないので節約してるのかな?

 昨日のアルベルゲで誕生日だったフランスおばちゃん達が6時過ぎにやって来たので、いったい何時にナロンのアルベルゲを出発したのだろう?私より4時間半も遅い到着だ。オスピタレロがその人たちに明日の行程をgoogleの衛星地図を印刷したのを見せながら説明し始めたので私も参考にしようと見ておく。Cabadelまで行くのが良策らしいので予定通りCabadelを目指すことにする。この辺りの矢印は私たちが書いてるんだと誇らしそうだった。矢印や道標はその地の巡礼友の会の人たちがボランティアでやってくれていると言うのは知っていたが、その人本人を見るのは初めてだった。おじさん有難う。


北の道21につづく