北の道23 Luaruca − Caridad


6月8日(水)ルアルカのアルベルゲを予定どおり6時半に出発。まっくら。

 マルテンは一足先に出発していった。互いに31km先のカリダドを目指す。町の中の巡礼路は矢印が少ないので迷い易いが、取り合えず最初の矢印だけは昨日の内に見つけておいたので、それに従い黙々と歩いていく。周りにはペリグリノはおろか、町の人も誰もいないので道が分かれる所では真剣に矢印を探す。






 3時間ほど歩いたピニェーラ手前のバルでマルテンが休んでいたので同じテーブルに座って遅い朝飯みたいのにする。カフェコンレチェとボカディージョ(スペインのサンドイッチ)で2ユーロと少し、とても安い。隣のテーブルにいたイタリア人にマルテンと一緒のところを撮ってもらう。イタリア人がカリダドのアルベルゲはやっていないが、その1キロ先に新しいアルベルゲがあるという情報をくれる。プラス1キロならいいか。
その後はマルテンと一緒に歩く。身長は私よりずっと高いが歩くスピードはほぼ同じ。登り坂になると私は2本スティックでぐいぐい登って行くが、マルテンのスピードはぐっと落ちるようだ。マルテンもスティックを持っているが、いつもバックパックに仕舞っていて、使うのは下りだけらしい。

 山坂越えながら、ひたすら歩き続けてカリダド町の外れ迄やってくると道沿いにペリグリノがたむろしている小さな家が!?え、これアルベルゲ?カリダドやってんじゃん。小さなアルベルゲだが、まだベッドは残っていた。残念ながら上段。そしたらカタリナと手首を痛めたドイツ婦人が既にチェックインしてベッドにいた??なんで??二人は私が朝でるときには寝ていた筈だよな。一本道なので抜かれたら気が付くはずだし、二人とも私より歩くのが鈍いので抜かれる筈がないのになぁと不思議がっていたら、手首を怪我したドイツおばさんがヒソヒソと「トレインを使った」と白状した。二人の夫人にとって今日の工程は歩く前からキツイのが分かっていたんだろう。アルベルゲが少ない北の道では次に宿がある地点まで何としても辿り着かなければならない。途中で泊まれなかったり行き倒れになるよりずっとマシだ。長い道のりにはそんな日もあるわいな。

 ここのオスピタレロはどう見てもまともじゃなくて、行動がおかしい。みんなが寝るベッドに自分の寝床を確保しているし、キッチンにみんなと居たら外からホースの水を勢いよく後ろの硝子にぶっかけて驚かすし、みんなの靴が外に並べてあった所にまで水を掛けられた。誰かが叱ったらやっといけない事をしたと分かったようだが、それじゃぁ子供以下だ。カタリナは彼はクレイジーと言っている。この人はオスピタレロなのにチェックイン事務をしなくてスタンプも押してくれないので何でかな?

 少し離れた町の中に行くと、スーパーが開いていたので買い物ができる。アルベルゲの外にあるテーブルで1リットルビールと共に食べ始める。パンを千切ってハムとチーズを挟んで食べると、店で売っているボカディージョと同じでとても旨い。そこへマルテンがやってくる。スーパーがシエスタと思っているので変なスープだけ作ってお昼にするらしいので、私が広げている食料を勧めたが、ハムだけ貰えればでいいそうだ。

 前に何度も一緒の宿になった感じのいい夫婦も到着してきた。まだベッドが空いていたので無事に泊まることができて良かった。意外にもモスクワからやってきたそうだ。ロシアならロシア正教だろけど、ロシア正教にもサンチャゴ巡礼ってあったのかな?奥さんがセブトラナで旦那がルステム。名前はその国独特なのがあるので、それだけでも面白い。

 昨日のアルベルゲで苺を上げたらサラダをくれたカップルもやって来たが、この二人はベッドが満杯で泊まる事ができなく、他の宿を紹介されていた。サンダルおばさんも同様に、町のホテルを紹介されていた。サンダルおばさんは歩くのが鈍いので、こういう憂き目に遭いやすいだろう、気の毒だ。

 何故かペリグリノが前よりずっと増えている気がするし、知らない顔も増えている気がする。多分、気がするんじゃなくてその通りなのかも知れない。ここ北の道もサンチャゴ手前100kmから歩き出すと巡礼証明書をゲットできる資格が得られるので、それできっと増えだしたんだろう。
 巨漢のおじさんはポーランドのジャニスと言い、なんと日本の弓道が趣味だって。ヘイアンと言っているがポーランド語と思っているので理解できないでいたら、日本語の平安のことだった。源氏物語が好きらしい。ダイミョーと何度も言うのでこれは大名のことだと分かった。その後、二人の合言葉はダイミョーとなった。自分と同じくらいかなと思ったら62歳と若かった。ふけ顔だ。

 アルベルゲの反対側にもテーブルが幾つかあったので、みんなで座って楽しくお喋りをする。手首を怪我したドイツのおばさんは72歳だった。英語が堪能で元気元気。オランダのマルテンはドイツ語も喋るのかと思っていたが、少しだなんて言っている。でもきっと謙遜だろう。オランダにはオランダ語があるそうだ。マルテンにしてみれば、そんなことも世界の人は知らないのかとガッカリしたかも知れない。日本人に日本語という言語があるのかと聞くようなものだ。


 ドイツの髭じいさんもやってきたが、割と寡黙な人だった。それに対して手首を痛めたウヅゥラは喋る喋る。その都度フィンランドのおばさんが大笑いしている。羨ましいくらい英語が達者だ。
 マルテンがワインを出してきたのでみんなで頂く。私はほとんど言葉が分からなかったが、とても楽しい時間だった。

 夕方になったら別のオスピタレロが車でやってきて、それでやっと全員がチェックインして5ユーロも支払うことができる。スタンプもその人が持っていたので押して貰える。ますます居座っている謎のオスピタレロの存在が分からなくなってきた。あの様子じゃぁ金を任せることなんか出来ないだろし受付事務もできなさそうだ。あの人は何でここにいるんだろう?

 その後また外のテーブルに戻って、こんどはカタリナ提供のワインとポテチでお喋りを続ける。
 夕方遅くなってもペリグリノはやって来て、ベッドが足りなくなるとマットレスを地かに床の上に敷いてそこに寝ることになるが、謎の人のベッド分をペリグリノに渡せば一人は泊まることができるのにと思う。

北の道24につづく