北の道34 モンテ・ド・ゴソ − サンティアゴ・デ・コンポステラ
6月19日(日)モンテ・ド・ゴソのアルベルゲ。昨日の残りのゆで卵3個とピーチジュース、パプリカ少々で朝飯にする。世界一周の女の子二人がキッチンにやって来たのでジュースを飲ませてあげる。
7:25コンポステラに向けて出発。郊外の森の中から坂を下って行くと、すぐにサンティアゴの街並みが眼下に見えてきて、特徴的な階段も現れた。この辺りもまだ記憶に新しい。
サンティアゴの大きなモニュメント広場までやって来た。昨年は先にスタートしたカミーノ友達4人に追いつこうと急いでいたので、このモニュメントも通りから写真を一枚撮っただけで足早に過ぎてしまったが、今回はゆっくりと何があるのか見物していくことにする。ローマ教皇だろうか、人のレリーフがいっぱい埋め込まれているようだ。そこへ一人の男性ペリグリノが到着して、手形があるんだよと教えてくれる。ホントだ、確かに誰かの手形がレリーフに収まっている。由来は分からないが、自分の手をその手形に押し当ててみる。
街の中心にどんどん入って行き、昨年もこんな所を歩いたかなぁと半信半疑だが間違いなく歩いたんだろう。8:20、カテドラル前のオブラロイド広場に到着する。40日近く歩いて来てやっと到達した訳だが、今回も特に感激するものはないようだ。ま、こんなもんだろう。すぐ巡礼事務所へ行ってみる。昨年とは別の所に移ったそうなので、事前に仕入れた情報を頼りに行ってみると、すぐに見つかった。昨年の事務所より格段に立派になっている。敷地内へ入るにはガードマンが待ったをしていて、クレデンシャルを見せないと入れてくれないようだ。その心は?巡礼の振りをした泥棒でも入るんだろうか。
早朝だが既に列が出来ているものと想像していたが、まったくのガラガラだった。巡礼証明書は難なくゲットできる。これは無料。一日に何百人もやって来る巡礼全員にタダで上げるので大した太っ腹だ。寄付も受け付けてないし、この費用は一体どこから出てくるのだろうと非常に不思議。まさかガリシア州?
2ユーロ出すと距離証明書というのも発行してくれると言っているがいらない。証明書がしわくちゃにならないように専用筒も売っているが、私は昨年の筒を持参してきたのでそれもいらない。その筒は乾電池で動く電動歯磨き入れとして無駄なく使っている。
このあとポルトガルのポルトに移動したいのだが、ここには期待していたバスチケット売り場はないのがひと目で分かった。しかし、トイレを借りようと建物の奥に入っていったところ、Rnfeと書かれた出張所があるのを見つける。Renfeはスペイン国鉄だ。じゃぁここでチケットが買えるんかな。まだ開店時間前だから、開くまで外の庭で待っていよう。広い庭の椅子に座っていたら、世界一周中の女の子二人がやってきた。女の子達も無事に証明書をゲットしてきたようで赤い筒を誇らしげに見せている。お喋りして写真を一緒に撮る。
電車のチケット係はスペイン語しか話さない人だったがいちいち確認しながら無事に買うことができる。明後日の6:17サンティアゴ駅発ビーゴ行き。ビーゴ駅で乗り換えて、ビーゴ発9:02でポルト着が10:18なので時間的にも余裕があってバッチグーだ。ポルトまで24.7ユーロと値段も手ごろかな。ただ、相当早起きしなくちゃならないのが気がかりだ。
今年は滅多に開かれないと噂の聖年の問が開いている筈なので、いつもは行かないキンターナ広場へ回り込む。大行列を作っているかと思ったが、そんなものはまったくなかったので拍子抜け。でも混んでないのはいいことだ。ここの入り口にもガードマンみたいのが頑張っていたが、巡礼事務所みたいにクレデンシャルを見せろなんてことは言わないで、ただ不審者対策で見張っているだけのようだ。今年の1月にローマのバチカンで聖年の門をくぐれて、半年後にはここサンティアゴでもくぐれた。計らずも私みたいな不良信者が2か所の聖年の門をくぐれたので罰が当たらなくちゃいいが(?)。
カテドラルの中に入って空いた席を探していたら、8日前のゴンタンで一緒になった小さくて弱々しいフランスおばちゃんが声を掛けてきてくれた。やぁやぁあなたも無事に到着したんだねと互いを称えあう(気がした)。おばちゃんが「ナエミを知っているか?」と言っている。ナエミもこのミサに与るためにカテドラルの中にいるそうだ。二人で探したけど人が多過ぎて見つけることは出来なかった。ナエミにも会って無事にたどり着けたことを喜び合いたかったな。後でナエミとメールで写真を送りあったが、ナエミはこのとき私の写真を撮っていたのが分かった。ナエミからは私が見えていたのだ。それと、フランスのおばちゃんやカタリナと一緒に写した写真も送ってくれた。
予想したとおり、ミサの終わりにはボタフメイロのぐるんぐるんが始まった。今日は日曜日だからやるだろうと期待していたのだ。初日で見られたからラッキーだ。日程の都合で一度も見ることなくコンポステラを後にする人が沢山いるのだから。
ぞろぞろと表に出ると、何度も会っていた寡黙なスペイン青年がいたので、互いにニコニコ顔で挨拶する。このお兄ちゃんは若いから私より数日早く到着した気がするが会えたので嬉しい。それを見つけたカタリナがやってきてくれた。私より一日前にモンテ・ド・ゴソに泊まったそうだ。カタリナとは9日にカリダッドのアルベルゲで会ったのを最後に、それ以来一度も会ってないので、11日振りの再会だった。オシャレなカタリナらしく、上下とも買い直した街着になっていた。あと会いたいのはセルジオの相棒のレンソにヤナとアッラ母娘やマルテンを始め沢山いるが残念ながら会うことはできなかった。
スーパー寄ったりぐれぐれと歩きまわってからアルベルゲに帰り、地下のキッチンで一人宴会をする。ここで信じられないことが起こった。昨年の巡礼で何度も一緒になって、最後はこのメノールで1か月振りに再会した中川さんの奥さんが向こうからやって来たのだ。思わず「あーっ」と叫びながら指を指す。奥さんもぶったまげているがそりゃそうだ。互いに来年の話なんて一言も言ってなかったのだから。すぐご主人もやってきて奇跡的な再会を喜び合う。私の腕は鳥肌だらけだ。ご夫妻は、今年はポルトガルの道をリスボンからずっと歩いてきたそうだ。私は北の道。それぞれ別の道を1か月前後も掛けて辿りついたのに、良くもまぁここで一緒になったもんだと何度も感心するやら驚くやら。我々はドイツのイーデンとも親しくて、昨年はイーデン交えて1カ月ぶりにここで4人は奇跡的な再会をしていたのだ。それもイーデンがドイツに帰る最後の日に再会だ。あれだって本当に奇跡的だった気がするが、今回はそれ以上だろう。この写真をイーデンにメールで送ることにする。イーデンが信じるように、見覚えのあるキッチンを背景にして。
いやー、それにしても偶然にも程があると言うものだ。思い出した私の腕にはまたしても鳥肌が!中川さんは来年も会うかも知れないですよ二度あることは三度あると言うからと言っているが、まぁそれこそ奇跡的じゃなくて奇跡だと思うので可能性は万分の1くらいかな。そう言いながらちょっと期待する自分がいた。
私は明後日ポルトへ移動してポルトガル人の道を歩き始めることを伝えたら、夫妻が持っているポルトガル人の道英語版ガイドブックを見せてくれたので、その内の数ページをメモさせてもらう。ポルトガル人の道の情報も北の道同様、非常に心もとないので情報は少しでも頂けると有難い。
昨年も泊まったポルトのドミトリーにタブレットから予約を入れる。2泊で1泊19ユーロと格安だ。今回の旅で初めてコカコーラを飲む。
(※中川さんに昨年のことを紹介している私のサイトを見せたら、顔も名前も出していいですよと言ってくれたので、今回はそうしました)
北の道35(最終回)へつづく
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