フィステラの道2   7月12日(火)   Negreira - Santa Mariña

 朝飯にインスタントスープを作ってカット野菜の残りとパンを入れる。食糧をいっぱい持っていると何時でも何所でも食べられて便利だし、もし、最悪宿に有り付けなかったとしても腹さえ空いてなければ歩き続けることができるので気持ちに余裕も生まれる。そんなこんなで心も豊かになるので良いことずくしだ。難点はバックパックがちょっと重たくなることか。

 まだ薄暗い7時半に出発する。今朝も朝やけがすこぶる気持ちいい。もう7月だが、朝のうちは気温も低く風が吹いて寒い。歩きだせばすぐ暖かくなるのが分かっているので、今日も半そでTシャツで出発する。まず100m戻って巡礼路に復帰。今日も所々に見覚えのある所が現れて楽しく歩くことができる。

 ソロのおばちゃんと何度も前後してその度に挨拶を交わす。そんなことをしながら歩いていると、その前方にもソロの女性ペリグリノが歩いているのが目に入る。おばちゃんに追いつかれるんだから、随分ゆっくり歩いているようだ。この人は後からこの道で一番親しくなるスペイン人アナだったが、この時点ではまだ挨拶程度の仲だ。そこへ向こうから歩いてくるペリグリノ発見。フィステラとムシアを回って、またコンポステラに戻る人のようだ。とても珍しいがたまに見かけることがある。私もいつか凄~く日数が余ったときにやってみてもいいかな。

 3人でお喋りしながら歩くようになり、おばちゃんに昨年泊まったビラセイロに泊まると言ったら、エーッと言われてしまう。幾ら何でも近すぎる(と言ってるようだ)。おばちゃんは次にアルベルゲがあるサンタマリーニャに泊まると言うので、じゃぁ私もそうするか。ビラセイロなら様子が分かっているので安心だが、知らないアルベルゲもそれはそれで面白いだろう。フィステラの道はこの後も何度か歩くか知れないので、情報は多いに越したことはない。そのビラセイロにはまもなく到着する。やっぱり近すぎた。アルベルゲも経営しているバルでビールを一杯飲ませてもらう。小さいグラスなのに1.6ユーロって高いんじゃね?

 このバルからは一人旅になる。気分よく歩いていたら後ろから日本人青年に声を掛けられ、1時間ほどお喋りしながら一緒に歩く。どちらも久しぶりの日本語会話なので、後から後から話題が尽きなくて喋る喋る。

 予定のサンタマリーニャに着いたら、お兄ちゃんはここで昼飯にするそうだ。私もチェックインを済ませてからビールを買って一緒に飲む。ここは私営アルベルゲなので12ユーロだった。

 食べ終わった頃になって「あーっ、写真撮るの忘れた」と言っている。毎回、何を食べたのか写真で記録しているらしい。私と同じようなことする人いるんだなぁ。一緒に写真を撮り手作り名詞をもらう。H君は臨時で仕事をしては失業保険を貰って好きなことをするを繰り返しているそうだ。色んな生き方があるなぁ。私も若いころに乗っていたランドナーと言う旅行用自転車で日本一周したこともあるそうで、宗谷岬で撮った写真を見せてくれる。私も国内なら北は札幌から南は下関まで走りまわっていたので、そこでも話が盛り上がる。今日はまだ先まで歩き、Oriveiroaの私営アルベルゲ泊まりだそうだ。
※日本人は検索でヒットする可能性があるので承諾を頂いてない人は顔と名前を伏せています。

 さて、このアルベルゲの具合はと言うと・・・ベッドルームは狭いし暗い。シャワールームもゴチャゴチャして使い勝手が悪そうだ。洗濯スペースはないので、洗面所で洗濯して道路の反対側にある離れた物干し場まで干しに行く。これもマイナスポイントだが、一番の難点はキッチンは元より、食事するテーブルさえ無いことだった。バルやレストランもやっているアルベルゲに良くあるパターンだが、これは無さ過ぎだろう。小さな村には雑貨屋の一軒もないから食事は全員この店で食べてお金を落としてくださいねと言う無言の圧力を感じる。そうは行くかい!手持ちの食料を持ってバルのテーブルで食べさせてもらう。泊まり客だって客なんだから文句はないだろう。こっちは昨日大量に買ったので、今晩と明日の朝飯の分まで食料を持ってるんだぜぇ。

 手前のビラセイロのアルベルゲもバル併設だが、キッチンには鍋釜や食器もあったし、もちろん食事するためのテーブルもある。あっちの方がずっと良かったなぁと思うが後の祭りだ。次にこの道にやって来たときは、ここには絶対に泊まらないぞと心に誓う。

 店も何もない小さな村なので、やることをやったらもうすることが何も残っていない。あとは寝るだけなのでさっさとベッドに入ってしまう。こんなアルベルゲなのに、ほぼ満員の盛況だった。昨日泊まったネグレイロを出発すると、手前のビラセイロかここしかないので、好き嫌いなんか言ってられない。


フィステラの道3へつづく