7月28日(木)  バルセロナ - 日本帰国

 スペイン最後の日なので、オスタルの簡単朝食じゃなくて少しマシなのを食べようと考えて朝のバルセロナをうろつく。でも、朝からマシな食堂も見つからないと言うことで、ちょっと洒落たカフェに入ることにする。ガラスケースの中に色々な種類のパンやらケーキが並べてあって、それを買って店内のテーブルで食べさせてくれるようだ。もちろん、何か飲み物も頼むのが普通だ。ベーコン入りクロワッサンと小さなフルーツが入ったパンを頼んでカフェコンレチェも頼む。本当はチョコラテとチュロスの組み合わせが希望だったのだが、そういう店は見つからなかった。全部で5.6ユーロ。私のちょっと良い物はせいぜいいこんなところだ。

 オスタルに戻り帰り支度を開始。ここのベッドの下には自分専用のでっかい鍵付き引き出しが付属しているので、その中に何でもかんでも放り込んで4泊生活していたのでパッキングには少々手間取る。ポルトのドミトリーでも同じだったが、部屋へ入るのも引き出しを開けるのも渡された専用カードキーで行うので、ちょっとトイレに行く時も必ずカードを持っていることを確認するのがちょっと神経を使ったな。

 9:40、4日間お世話になったファクトリー・ガーデンズを出発する。物干し場がないのが玉にキズだったが、まぁまぁ良かったかな。節約旅住めば都だバルセロナ。ここでの観光は4日間バックパックなしで過ごしていたので、久しぶりに背負ったその重さがズシンとくる。良くこんなのを背負って1230kmも歩いたもんだと我ながら感心する。

 飛行機は夕方の便なので、まだバルセロナの町を見て歩くことができる。特別行きたい所もないがランブラス通り辺りをふらついてみよう。必ず毎日1、2度買い物したスーパーの前を通ったので記念に一枚撮っておく。大きな店ではないが、色んな物を売っていたので便利に利用できたので感謝だ。レジのおっちゃんにはすっかり顔を覚えて貰って、日本語で挨拶してくれるようになっていた。
 そのまま歩き続けてカタルーニャ広場に行こうとしたら道を1本間違えたことに気づく。一度歩いた道という気安さで間違えてしまったようで、これも海外旅行あるあるだ。本屋があったので来年目指す「銀の道」のガイド本があるかと聞いてみたが、ここもやっぱりおいてなかった。スペインで買うのはもう諦める。

 世界遺産のカタルーニャ音楽堂に行こうとして、また道を間違え、ぐるっと回ってから同じ道に戻り音楽堂へ到達する。ここも外から見るだけでいいやと思って来たものの、音楽堂の主要な所は巨大なガラスケースの中に入ってしまったようで外からだと普通のガラスのビルにしか見えないので面白くなかった。NHKのテレビでスペイン語では、この中に入って中を紹介していたのでちょっとだけ見てみたかったが、バルセロナの入場料はどこも高額なので入らなくてもいいや。気を取り直して次はグエル邸に行ってみる。入り口からして奇抜なデザインなので案内表示を見なくてもすぐ分かる。ここも高いので外から見るだけにしておく。もうガウディはお腹いっぱい。

 近くにあるバルセロナの台所、サンジュゼッペ市場へ行ってみる。すっごい賑わいだ。肉、野菜、フルーツ、お土産、ありとあらゆる物が並べられているので見てるだけでも楽しい。中をぐるぐる回ってから数種類のカットフルーツが入ったカップを買って歩きながら食べてみる。近くの売り子のお兄ちゃんがバックパックにぶら下げてあるホタテ貝を見て「ブエンカミーノ」と声を掛けてくれたのが嬉しかった。そういう人は間違いなく巡礼経験者だろう。空港で食べる用にボカディージョも仕入れておく、3ユーロ。空港は何しろ物価がメチャ高いのが分かっているから。

 最後にもう一度、カタルナスの泉の水を飲んでからカタルーニャ広場に戻り空港行きのT1バス停を探す。バス停にはチケットの販売機があったがカード専用らしいので、通りかかった係に聞いたら運転手から直接買えとのこと。実はそっちの方が分かり易くてありがたい。バスはすぐやって来たので乗り込む。席は女性と合い向かいだったので、ちょっと恥ずかしいかな。80%の乗車率で出発し、途中のバス停でも客を乗せている。まぁ当たり前か。モンセラットに行くときに利用した見覚えのあるスペイン広場も経由していたのが嬉しかった。丸い闘牛場も見えるが、今は使われていないようだ。スペイン闘牛、残酷だということで賛否両論あるらしい。

 空港には12時に到着。飛行機は17:25のフライトなので、5時間以上も待たなくてはならないが、もうやることは全てやり終えたのでこれでいい。時間がたっぷりあれば現地で情報収集できるしチェックインまで落ち着いて待つことが出来る。まだカタールのチェックイン窓口は開設されないが、専用のブースはあるのが分かった。ここを拠点にして空港内をうろちょろする。

 2時になったらカタールのチェックインが始まる。目をつけておいたカタールのブースに行ったら、そこはチェックインする所じゃなくてチケットを売る所のようだった。なるほどね、落ち着いて見ると確かにチェックインカウンターとはまるで違っていた。近くのチェックインの列に並んでいると中国人の団体をお世話しているらしい青年が、同じ飛行機なので一緒に行きましょうと声を掛けてくれる。それも日本語で。中国人にも親切な人がいるんだなぁと思った。て言うか、中国人に偏見持ちすぎか?日本語は勉強したそうで、今はアメリカに住んでいるとか言っているようだが良く分からない。7,8人のグループの中に私が割り込んだ格好になったので、固まった方が同じ席に座れるよと並び順を譲ってあげると他の中国人もウンウンと喜んでくれている。揃って不安げな顔をしているので海外旅行は初めてか?

 チェックイン・カウンターの男性とパスポートコントロールの係も簡単な日本語を喋ってくれたので嬉しくなる。ほんとに片言でもいいからその国の言葉を喋ると喜ぶんだなと確信する。同時に、礼儀正しく真面目な日本人は好感持たれているのかなとも思った。これはアチコチで感じたことなので、日本人が海外で長年培ってきた日本の誇りだろう。自分も日本の恥にならないように気をつけなくてはだ。

 出発ゲートのE70に移動してきたので、もうあとは時間になったら乗り込むだけだから、空港の高いビールで祝杯を上げることにする。500ml缶ビールが日本より高い3.4ユーロ(約400円)もした。さすが空港だ。乗り込んだ機内には色んな人種がいたが、中国人が一番多そうだ。次が一目で分かる中東の人たちなので国に帰るのだろうか。ここいらはさすがカタール航空。日本人らしいのは私一人だけのようだ。

 乗り換え地のドーハには時間より少し遅れて到着する。席を立つと隣の列に座っていた中東親子3人づれの席の下が凄いことになっていた。まるで数ヶ月かけて汚したような散らかし方で、よくもまぁこれだけゴミを散乱させたもんだと呆れるほどの散らかし方。自分たちで使った全てのゴミを床に捨てていたらしい。余りの凄まじさに写真に撮りたかったが、さすがにそれは止めといた。文化や習慣の違いでは済まされないほどの汚し様だった。

 遅れて到着したのでドーハでの乗り換え時間は1時間45分しかないのでちょっと心配する。でも次に乗る飛行機も遅れたようで、そのようなことが電光掲示板に表示されている。良く分からないが次の飛行機の便名だけは分かるので、出発時間を見ると遅れているらしいのが分かる。
 ドーハの乗り換えゲートは大別するとAからFまでの6つあるが、写真のように大きくアルファベットが掲げられているので分かり易いのがいい。

  番号通りの乗り換えゲートに行って、そこにいた係に「ナリタ?」と確認するとゲートが変更になったと言われる。えーっ、なにそれ。でも係が言うんだからそうなんだろう。広い広い飛行場の中を早足で移動する。中には走り出している人もいるので同じ成田行きに乗る人のようだ。途中にいた女性の地上係員さんから「ナリタ?ハリアップッ」と声を掛けられたので焦りまくる。下の階まで降りて行ってやっと辿り着いたら、今度はそこにいた係員はゲートはまた替わったととんでもないことを言い出した。えーっ、だって最初のゲートでこっちに変わったと言われたんだよと良く分からない英語で言っても替わったと言うだけだ。欧米人数人もやってきて同じことを係に言って喰らいついているが替わったの一点張り。係はパソコンで確認して、やっぱり替わったと言うのでそれを信じてまた元のゲートを目指して広い広い空港内を早足でとび回る。結局、最初に発表されたゲートのままでしたとさ。この苦労は何だったんだ。

 出発の遅れは1時間どころではなかった。ゲートも振り回されるし、空港は近代的で立派だが、ソフト面がなっちゃいないなドーハ空港。成田に着くのが遅くなると前橋まで帰るアシがなくなってしまうから心配なんだよ。なくなってたら成田で夜明かしだと腹を決める。

 それでも何とか飛行機は飛び立って、ドーハから成田へ向かう飛行機内は日本人客もいるしCAさんも一人は日本人なので日本語も使える。ビデオも日本語対応が沢山あったので、ぐっと安心するものがある。バルセロナからドーハへの飛行機は日本語未対応のビデオばっかだったから。

 良いこともあれば逆もある。前のシートの男が遠慮なしに目一杯シートを倒してきたので少し戻してもらう。それでもこいつは巨漢なので、体重を掛けるとまたググーっとシートが倒れるので面白くなかった。自分の後ろの人も同じ気持ちだろうと、こちらは少し遠慮気味にシートを倒しているのでテレビが近くて気分が悪い。次に乗るときは遠慮なしにシートを倒せる一番後ろを取ろうと固く誓う。

 成田には大分遅れた8:10に到着する。帰りのバスがあるかどうかが一番の心配だ。入国審査、荷物のピックアップ、税関とだらだら済ませて外に出たところですぐパスチケット売り場に行ってみると、9:05出発のあざれあ号最終便のチケットをゲットできる。ふー、これで前橋までは帰ることができるので一安心だ。フェイスブックで応援してくれていた人たちに無事に成田に戻れたことを伝えようとタブレットを開いたと同時に、うぶちゃんからメッセンジャーで電話が入る。と言う事は、今か今かと待っていてくれたに違いない。ありがたいこってす。前橋到着のおよその時間を伝える。

 バスは予定通りにやってきて、一路前橋へ。アザレア号では前橋成田間を通常4時間で結んでいるが、夜中と言う事もあって、降りる客のいない途中のターミナルはパスしたから予定より早めに着くことができる。それでも前橋到着が0時を回ってしまったので今回の総日数が1日増えたことになった。家を出てから帰ってくるまで83日間。よくまぁ遊びまわったもんだと自分でも少々呆れる。前橋駅にやってきたら、うぶちゃんが車で迎えに来てくれていた。成田でのやり取りがあったので、なんか少しそんな気もしてたのだが本当に出迎えてくれたのでありがたい。駅からは家まで徒歩で1時間歩いてしまおうと思っていたから。前橋を出発するときにも駅まで見送りに来てくれたし、こうして帰りも出迎えに来てくれるなんて、なんてありがたいんでしょう。ありがたくうぶちゃんの車に乗せてもらい家路に着く。

 最後まで読んでくてありがとうございました。 
 今年も素晴らしい体験がてんこ盛りでした。と言うことで、来年は南のセビージャからひたすら北上し、スペインを縦断する「銀の道」に挑戦しようと思っています。それと北の道が途中から二手に分かれるところがあって、今回は海側を歩くラ・コスタだったので、その分岐点まで移動してもう一方のプリミティボの道も歩きたい。まだ余裕があったらポルトガルの道のポルトからは3つの巡礼路があって、今回は真ん中のセントラルを歩いたので、次は海岸沿いルートのラコスタも歩いてみたい。この間に日数が圧縮できたら最後はまたフィステラの道も歩きたいが、そんな旨くいくかな?

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