プリミティボの道4 Cornellana - Bodenaya 歌姫のいるアルベルゲ 6月22日 同室のフランス親父3人組は暗い内に出発していった。私はアルベルゲで食べられる時は椅子もテーブルもあるキッチンで食べてから出発することにしている。その方が効率的だしそのためのスーパー通いだし。 スープを作りパンをいっぱい浮かべる。冷蔵庫に入れて置いた残りの桃とヨーグルトにチョコパンを1個食べて充実した朝飯。セブンアップの缶は持ち歩くので途中で飲むのが楽しみだ。 今日は17.6km先のBodenayaを目指すが、そこのアルベルゲにも是非泊まりたかったのだ。何故なら昨年の北の道で泊まったペンデュエレスのアルベルゲとオーナーが友達同士だそうだから。ペンデュエレスと同じように夕飯と朝メシが付いてドナティーボ(寄付)だそうだ。オスピタレロはきっと良い人なのが容易に想像つく。ペンデュエレスの時の写真はカメラに入っているので見せるのが楽しみだ。 表は霧雨状態なのでバックパックにカバーを掛け、雨合羽を着こんで7時15に出発する。開けゴマの鉄門は開けっぱなしになっていた。キッチンもベッドルームも無施錠なので物騒な気がしないでもないが、それよりも遅く到着した巡礼が入ることが出来るようにかな? 少し登り始めたらアルベルゲの全景を見渡せる所にやってきた。ここから見ると相当大きな建物だったのが分かる。修道院として使われてた頃はさぞや沢山の修道士たちが暮らしていたんだろうな。 これからは山々々の連続となる。なのにいきなり巡礼路を見失う。山の1本道なのに何故だーっ。だいぶ前を歩いていたフランス人が急に見えなくなったので、写真を撮っている間に差をつけられたかと思ったが、それにしても見当たらな過ぎる。変だなーと思いながら上っていたら後ろからやって来た地元のドライバーが「これはカミーノじゃないよ」と教えてくれる。がびーん(ふるっ)やっぱりぃ!悪い予測が当たってしまった。おじさんが喋っているスペイン語から知ってる単語を拾って意味を推理すると、ずっと戻って最初に家があった所を左に曲がるんだと教えてくれている。戻るのは嫌なので、このままこの道を進んで行ってカミーノと合流してくれると良いんだがなーと思ったが、どんどん違う方へ進んでいく可能性の方が高い気がするので戻るのが正解だろう。 20分上って15分下り合計35分のロス。でも、まだ下りで間違ったんじゃなくて良かった。間違って下った道を登り返すのは体力はもとより精神的ダメージが大きい。半信半疑のまま下っていくと、さっきのオジサンが教えてくれたとおり、最初の家の隣に細い巡礼路が続いていて、ちゃんと道標もあった。くっそー、こいつを見落とさなければと思うが自分が悪いんだからしょうがない。滅多に他の巡礼者とは出会わないプリミティボの道だから、貴重なフランス組と差が付いてしまったのは残念だが、間違った時間が30分以上あるので追いつく可能性はないだろう。予想どおりこれ以降はずっと一人歩きとなる。 小さな村はずれに休憩所があったので、椅子に座って持ち歩いていたセブンアップを飲んで気晴らしをする。休憩所の周りは草が奇麗に刈り取ってあって、休むには絶好の場所だった。サンチャゴ巡礼路の小さな立て看もあるので巡礼用の休憩所なのかな? 10時半、山の中の町Salasの広場にバルがあったのでコラカオ1.5ユーロを頼んで、外のテラス席で持参のチョコパンを食べてエネルギー補給をしておく。ここには立派な城門があるので昔は要所だったのが想像できる。広場の一角にはアルベルゲ・ミゲールが面して建っていた。立地良すぎだろう。ここにも泊まることができたのか、私営だから泊まらないけど。 歩き出したらまたカミーノを見失う。でも昼間だから町の人に聞くことができるので問題ない。年配の婦人に聞いたらこの人はカミーノを知らなかったが、次におじさんに聞いたらこの人は知っていて教えてくれる。やっぱり男の方が道に詳しいのは万国共通か。 ずっと寂しい山の中で細い上り坂が続くが銀の道で経験した5キロも続く急坂よりずっとマシ。でも30分以上も上っているとさすがに疲れてくる。途中、間違いやすそうな分岐に来ると、木の枝や石を矢印形に並べてあった。前を行く巡礼者が作ってくれたのだろうか、こんな山の中で間違った方向に行くのはまっぴらだ。こういうのは本当に助かる。二つ目の矢印の写真を撮っていたら駆け上がってくる巡礼がいたのでビックリ。話してみると北の道にあるビルバオからやって来た巡礼なので、去年はビルバオに泊まったことを片言スペイン語でお喋りする。見送ったら、また急坂を走って上がっていった。どんだけ体力があるんだよ。でも先まで見渡せる長い坂では歩いてたな。 そろそろ目的のボンディアナ村が近いかなと思い、雨の当たらない屋根の下に移動してタブレットで確認する。まだ少し先だった。GPS大助かり。 村もアルベルゲも巡礼路沿いにあったので、すんなりアルベルゲに到着することができる。まだ時間前だし入り口は施錠してあったので、アルベルゲ前に設置してあった細いベンチに座って待つことにすると、すぐオスピタレロが車でやって来た。タイミング良すぎ。 準備があるのでまだオープンは出来ないが、モチーラ(ザック)は中に入れて食事をしてきたらと言うのでそうすることにする。早速、ペンデュエルスのアルベルゲのことを言ってみると勿論知っていたし、その後に泊まったアマンディのオーナーとも友達だそうだ。Wi-Fiがあったので、私のタブレットに登録してあるアマンディのサイトを見せて上げる。それらのアルベルゲはどこも宿賃はドナティーボで2食の食事が付いて洗濯までしてくれる方式なので、こういうアルベルゲの同盟みたいのがあるような口ぶりだったが本当の所は分からない。 アルベルゲは手作り感満載で現在も絶賛改築中なのか、大工道具がそこら中に置いてあった。屋根まで自分で葺いたそうで、そのときの写真を盛んに見せてくれる。薪ストーブの煙突付近の板が黒こげになってるので、これ危ないんじゃない?と指摘してみたが、へーきへーきとでも言っているのか、平気の根拠を説明してくれてるようだが何を言ってるのかさっぱり分からない。 食事が出来るバルまでは遠いので今晩の買い物がてら車で送ってくれるそうだ。濡れたTシャツだけ着替えてオーナーの車に乗せて貰う。バルまではやっぱり結構の距離があった。帰りは歩くことになるので30分は掛かりそうだな。 入ったバルには山の中で会った先程のマラソン巡礼が食事中だった。同じテーブルに誘ってくれたので、また片言スペイン語でお喋り。バカシオネス(バカンスね)の期間が決まっているので一日平均40kmを歩き走っているそうだ。フェイスブック友達になろうと言うので名前を交換し、その場で繋がることができる。父親が私と同い年だそうだ。私のスペイン語は知ってる単語を並べるだけだけど、このくらいだと何とかなる。 アルベルゲに歩いて戻ると近くの教会が凄く良いから見てきてと、教会入り口の鍵を貸してくれる。教会の鍵まで持っているこのオーナーって村に取ってどういう人なんだろう?まさか神父じゃないよな?開けにくい鍵を何とか開けて中を見てくる。うーん、特にどうと言うことのない教会のようなんだがな。ま、村に取っては貴重な教会なのは想像できる。今度は閉めにくい鍵を何とか施錠してアルベルゲに戻ると、他の巡礼が到着してきていて一気に賑やかになる。 楽しい夕食の時間が始まった。今晩の宿泊者は私を入れても5人なので食卓もゆったり座れるが、昨日はもうひとつのテーブルも使って満員だったので、一日違えば別の風景がありそうだ。(左一番手前がオーナー) 食後もペチャクチャとお喋りの時間が続き、そしたら隣の女性は本物の歌手らしい(写真右奥)。アカペラで歌いだしたら、一瞬でその場の空気を彼女の世界に変えてしまった。プロの歌手って凄いんだなと思った。デジカメをテーブルの上に置いてたので、すかさず動画で撮影開始。 女性はバルセロナの人で、その名もモセンラット!!それってバルセロナから数十キロ離れた聖地の名前なんじゃ!?人の名前としても使えるんだったのか。ユーチューブでの活動名はPARELLUNA(パレジャーナ)と言うそうなので、さっそく検索したらすぐヒットした。オーケストラをバックに歌っているのもあるので、ソプラノ歌手らしい。顔もそこそこ美人なので密かに「歌姫」と命名する。2曲目を歌う前にカメラ無しで聞いてと言うような事を言ったらしいのでそうする。 歌手なんて滅多に出会えないので一緒に写真を撮らせてとお願いしたら、モンセラットが肩を組んでくれ、私の腕を取って自分の肩に回させた。凄くフレンドリー。ベッドは2段が多かったが、平ベッドが二つ並んだ配置が1画あって、最初に到着した私は勿論そのひとつをゲットしていたが、あとから隣にモンセラットが来たので、何もある訳ないけど少しドキドキする夜となった。 プリミティボの道5へつづく |