プリミティボの道7 Pola de Allande - Berducedo やっちまった 6月25日 スペイン人の団体は早起きだった。まだ5時なのに全員が出発準備で行動し始めた。勘定してみたら8人の大所帯だった。ソロで後からやってきたモンセラットも合流したようで一緒に起きだしている。みんなテンションが高く賑やかだがフレンドリーなので楽しい。今日はこの人たちに付いて行こうと勝手に決める。 キッチンで何か食べていると、6時なのにもう出発するようだ。自分も急いで出発の用意をして後を追うことにする。いつもは忘れ物をしないように少し明るくなってから慎重にパッキングするのだが、今日ばかりは急いで準備をしたために悔いの残る結果となるが、それが判明するのは今日の夕方だ。 外はマックラ。急いで後を追うも、やっぱり急いでやったパッキングが心配なので貴重品だけチェックするために街頭がある所でバックパックを下ろして改める。パスポートなどの貴重品は間違いなくあるので安心したが、その間にまた離されてしまったので急ぎ足で後を追う。 小さな町なので、ぽつぽつあった街頭もすぐに無くなって自分のライトだけが頼りになる。スペイングループに追いつこうと足早に黙々と歩いて行く。8人グループと思ったが、一人加わったらしく、私を入れて合計10人の団体になった。これなら放し飼いの犬が何匹いてもへっちゃらなので、とても心強い。 一人、ものすごくテンションの高いおっちゃんが居て、何かと話しかけてくる。あまりにテンションが高いので最初は少し警戒していたが、普通に楽しいだけの人のようだ。途中、休憩を挟んだりしながらぐんぐんと高度を上げていく。2時間近く歩き、上り坂が急になったところでみんなが遅れだしたので、そこからは一人歩きになる。 すっごい霧の中、狭い山道に牛が通せんぼをしていた。おまえ野良牛か?牛は人間が近づくと離れるまでじーっと見ているのが特徴だ。基本的におとなしいが何かの拍子に蹴られたんじゃたまらないから1m離れた所を迂回してやり過ごすと、また1匹いる。牧場でもないこんな山の中にいる牛って何なんだろう。 ぐんぐん上って行くと霧は益々濃くなってくる。今度は霧の中に大型のテントが出現した。え、これ何?中にも外にも人がいないので、もしかして巡礼者の緊急避難用?それくらいしか思いつかないが実態は不明。そこを過ぎると、どうやら頂上になったらしく、原っぱのような所に出た。どういう訳か、霧の立ちこめる中にテーブルがあって、上に水らしきボトルを並べて女性が二人立っている。これも巡礼者のために?でも滅多にやって来ない巡礼のためと考えるのはかなり無理があるだろう。いったい何なんだろう。 そのまままっすぐ歩いて行くと、今度は男の人から「そっちはカミーノじゃないよ」と声が掛かった。霧の中を目を凝らしてみると、確かに離れた所に巡礼の道標が立っているのが見えた。人がいて教えてもらったから良かったものの、こんな濃霧の山奥で間違った方に進んで行ったら遭難ものだ。それにしても何で人がいるんだろう? 峠を越えて下りだすと青空が広がっている。さっきまで濃霧の中を歩いてきたのに何てぇ天気だ。後ろを振り向くと相変わらず凄い霧が渦巻いているが上の方にはこんな青空があったのか。あの中を突き抜けて来たんだなぁと写真を撮っておく。まるで映画インディペンスデーに出てきた高密度の雲のようだ。映画ではあの中から巨大な円盤が出てきたな。 今度は急な下り坂が待っていた。上りより下りのほうがよっぽど危険だ。スティックを使いながら捻挫しないように慎重に降りて行く。すると後ろから何やら人がやって来る気配が。なんとその人は走って急坂を下りてきたのだ。え、えぇぇぇぇ!軽装どころか何も持っていないから巡礼じゃないのはひと目で分かった。おまけにやって来たのは一人じゃなかった。その後もドカドカと走り下ってくる人が何人も続いてきたのだ。それでやっと山岳マラソンをやっているのだとわかった。頂上に居た人たちは水の補給係だったのか。と言うことは霧の中のテントは中継本部か何かだったようだ。テントの謎がやっと判明した。写真右に写っている青いリボンはマラソンコースの印らしく、そこかしこに立っていた。 降りる途中には舗装路が横たわっていた。ここを車で来ればテーブルやテントも運べたのか。舗装路を横断した先に飛び出た小さな岩棚があって、そこに昨日ベッドを交換してあげたフリアンが待っていた。フリアンは喘息もちなので、舗装路を歩いてきたらしい。顔に似合わず愛想のいい男で、やたらとスペイン語で話しかけてくる。そのうち、スペイングループも追いついてきて、この棚でみんな休憩しだした。一息ついた私はまた一足先に出発することにする。少し下ると小さな分岐にマラソンの係がいて、ランナーが間違った方に行かないように誘導していた。巡礼路はまっすぐ、マラソンコースはそこから左の谷底へ下っていた。自分的には濃霧の中をすっごい山越えして冒険してる気分だったのに、そこにマラソンの誘導係がいるとは気が抜ける気がした。 この辺りがプリミティボの道、最大の山場のようだ。文字通り山だし。眺めの良さも最高潮。暫く下っていくとオール石つくりの素朴な集落が現れるが、人の気配はない。でも首輪の無い犬が日向ぼっこをしているので無人の村でもないようだ。後ろを振り返ると、さっき越えてきた山が見えている。こちら側は晴れているが、越えてきた向こう側は相変わらず濃い霧で覆われている。あそこを越えて来たんだなぁと何だか感慨深い。 道があるような無いような、時には藪を搔き分けるようにしながら山の中を歩いて、やっとLagoの村に辿り着いたが、期待していたバルは日曜で休みだった。コーラが飲みたかったのでがっくし。ここからは舗装路歩きとなる。 Berdusedo村の入口に公営のアルベルゲがあった。11時45着。スタートが6時と早かったので午前中に到着できた。オスピタレラは既にやって来ていて、でも12時のオープンまで入らせないらしい。一番乗りで好きなベッドを取ってシャワー・洗濯をする。建物はかなりボロく、トイレ・シャワーは1つしかないが泊まるには十分だ。 後から巡礼がやって来るが、誰もこのアルベルゲにはチェックインしないで前を通り過ぎて行く。察するに、どうもこのアルベルゲは良くないと言う情報が流れている気がする。実際そうだし。近くには私営のアルベルゲが複数あって、そっちは多分綺麗なんだろう。私営10ユーロでここは5ユーロだ。差額の5ユーロで食料が調達できることを考えれば少しくらい設備が落ちてもそのほうが有難い。モンセラットやスペイングループもやって来たが近くの私営に流れていった。 近くの商店兼バルに買い物に行く。そしたらそこの女性オーナーはアルベルゲの管理人だった。ここんちが公営を管理していたのか。大きな肉団子の缶詰を買って開けようとしたら、パッカンじゃなくて缶切りが必要なタイプだったので百均で買ってきたナイフの出番がやって来た。でもこのナイフ付属の缶切りはヤワで使い物にならなかった。百均は安くていいが、たまにはこんな憂き目に会うことがあるんだな。アルベルゲにも缶切りはないので、さっきの店に缶持参で行って手まねで缶を開けてくれるように頼むと、奥に持っていって開けてくれる。スペインで幾つも缶詰を買ったが、パッカンでないのは初めてだった。まさか十数年前の売れ残りじゃないだろな。キッチンで温めてから食べてみると、肉団子は塩っぱ過ぎるので、このままスープにでもするのか?体に悪そうな塩辛さなので汁は捨ててしまう。 前の道端にタワワに実っているサクランボをバルのおかみさんと、どっかの爺ちゃんがバケツにいっぱい取ってたので、いなくなってから一つ取って食べてみたが、想像に反して酸っぱいだけだった。サクランボじゃなくてユスラゴのようだがハッキリしない。 夕方、歯磨きをしようとしたら歯ブラシを入れて置いた筒が見当たらない。ここに到着したとき、バックパック底部の同じポケットに入れて置いたサンダルを出しながら転がり出てしまったかと思い、付近を捜してみたが見つからない。到着してサンダルを出した時にも確認はしていなかったことも思い出した。筒の中に一緒に入れて置いた電動歯ブラシは仕方ないとしても、銀の道の巡礼証明書と距離証明が入っていたので、それを無くすのはちょっとショックだ。今朝のアルベルゲを出発するときに、スペイングループに追いつこうと急いでパッキングしたとき、サンダルを底部のポケットに入れたので、そのときに丸い筒なので転がり出た可能性が高い。いつもは忘れ物が出ないように必ず慎重にパッキングするのだが、唯一今朝だけは急いでしまったのが、そのまま悪い結果として現われてしまった。がびーんもいいとこだ。 銀の道は今まで歩いた中で多分、最難関と思われる道だし距離も1,007kmと最長だったので今までは買ったことのない距離証明書まで手に入れたのに、その両方無くしてしまった。でも、パスポートやクレカなどの本当の貴重品をなくした訳じゃないからまだ良かったとしよう。もしかしてサンチャゴの巡礼事務所で頼めば再発行してくれないかと、google様の翻訳を使って依頼のためのスペイン語を作って保存しておく。それでダメなら諦めるしかない。銀の道の各地でスタンプを集めたクレデンシャル(スタンプ帳)はあるので、こっちの方が証明書より価値があるんだと自分に言い聞かせる。 アルベルゲに若者グループが入ってきた。これがまた騒がしい連中で、男女混合だから更にはしゃいで大騒ぎ。若者は一人二人だと大人しいが、束になると総じてこうなってくる。むかつくのが顔に出てきていて若者と目があってもニコリともしない。 プリミティボの道8へつづく |