プリミティボの道11 O Cadavo - LUGO 今日はひとりか 6月29日 今日は城壁の町ルーゴまでの31キロを歩く。キッチンでヨーグルトを2個だけ食べておく。昨日は飲みすぎたようで腹の調子がおかしい。長年の酒飲みの勘でトイレに行って少し戻してみたら調子が戻った。もどすともどる。 山の中なので寒いし霧が巻いているのでフリースの上に雨合羽を着込んで6時に出発。約束通りスペイングループが泊まっているアルベルゲに行ってみるが、扉は外からは開かなかった。玄関の中に誰の気配も感じないので、まさか既に出発したんじゃないだろな。寒い中、暫く真っ暗な外で立ちん棒をしていると、2階の窓が少し開いた気がする。すると玄関が開いてスペイングループの親分格の人が出て来た。誰かが足を怪我したので今日は全員バスでルーゴに行くと言っているようだ。昨日はそんな話は無かったんだがな。仕方ないので一人でトボトボと出発する。気持ちが既に全員で楽しく歩くことになってるのに加え、真っ暗闇の山道なので一人歩きは普段よりずっと嫌なんだが。 プリミティボの道は今日の目的地ルーゴまでは急な上り下りが続くが、ルーゴを過ぎればなだらかになるとの情報を得ていたので、これが最後の上りかと思いながら歩いていく。 最初の村に教会があったので入っていったらスタンプを押す係りのセニョーラがいた。スタンプ係りでもないか、やって来る巡礼にこの教会の案内でもしているようだ。ちょっと話して外に出たら道端のワゴン車で飲み物を売っていた男性が教会入り口までやって来ていて暖かい飲み物を勧めてきた。寒いし飲んで行くことにしよう。教会の女性とも親しげだし飲み物も食べ物もドナティーボで運営しているそうだ。それに教会入り口下屋の休憩スペースを利用して飲ませているので教会とも関係があるらしい人たちだ。この通り仲が良いので二人は夫婦なのかな? ひとしきりお喋りして(と言っても勿論片言)立ち上がろうとしたらまた坐骨神経痛に襲われる。連日天気の悪い中を山登りしていたので少し悪化したようだ。それを見たセニョーラがちょっと待っててと言って家まで飛んで行った。こういうのに良く効くと言う塗り薬を持ってすぐ戻ってきた。家は教会のすぐ近くらしい。ここが痛いんだと言うと親切に塗ってくれ、塗った側からカッカと温かくなってきた。もしこれが効くようならメッケもんなので写真を撮らせてもらい名前もメモさせてもらう。薬局で買うととても高いけどルーゴのメルカドーナなら2ユーロで買えると勧められる。 お礼を言って村を後にするが、塗り薬は温かくなったものの痛みが消えるほどのものではなかったので買わないことにする。激痛があると言っても最近の私の場合は5分もソロソロと歩くと痛みは引いていくので大体オッケーだ。骨盤の穴に嵌っている大腿骨が歩くことによって上手くはまるような感覚だ。逆に、座るとそこが少しずれて立ち上がる時に痛くなる気がする。4月の末に発症して、もう2か月間も大事に抱えている。重たいバックパックを背負っている間は治る気がしない。 次は村ではなく町だった。町中の巡礼路脇にアルベルゲがあったので、距離が手ごろなら泊まりたいようなこざっぱりした建物だった。町の中には洒落た噴水があったので写真に収める。水は傘の上からピチャピチャと降り注いでおり、その下で子供たちが肩を寄せ合っているという名作のような噴水だった。情報どおり、これ以降は急な坂道が出てくることはなくなった。山岳の道プリミティボもこれで終わったかと気楽になる。ルーゴからサンチャゴ迄はまだ101kmほどあるが、急な上り下りがなくなっただけ気が楽だ。 小さな村にあった休憩所。自販機が何台も置かれてあり電子レンジに流しの設備まである。もちろん何人も座れるほどの椅子とテーブルも完備されている。雨の中なので最高の休憩場所だ。親子なのか、初めて見る顔の母娘らしい巡礼が先に休んでいたのでちょっと言葉を交わす。日本ならどこにもありそうだが、スペインでこういう休憩所は非常に珍しいので写真に撮っておく。そこをいつものフランスグループの4人が「あーみっしゃーん」と言いながら過ぎて行った。言葉は通じないがいつも愛想よくしてくれるので会えるととても嬉しい。 小雨の中を31km歩き切ってルーゴに辿り着く。ルーゴは大きな街なので、近づいたと思った頃からが長かった。アルベルゲは城壁の中にあると言うことなのでひたすら街の中心にある城壁を目指す。 千年以上前からあるプリミティボの道なので、きっとアルベルゲもその時代からあるのだろう。旧市街の一等地にあると探すのも楽だ。大きな門から入っていくと、事前の情報とは違ってアルベルゲはすぐ見つからなかった。こんな時は面倒でもGPSの出番だ。ふたつの日本人ブログ情報を地図にメモって来たのだが、GPSでチェックすると、そのどちらのアルベルゲ情報も少し間違っていた。私のこれにしたって、この書かれたものを鵜呑みにして歩く人がいると違っていたという事に成りかねないから、どうか注意しましょう。 ※お役立ち情報 Lugoの公営アルベルゲは巡礼路の城門から入って二つ目の角を右に入ったところにあり、曲がり角からは見えています。門から40mほどです。 アルベルゲは3階建の近代的な建物だった。チェックインしてベッドルームに上がって行ったらひとつ下のベッドルームにはバスでやって来たスペイングループ全員が既に入っていた。おまけに歌姫まで一緒ってどー言うことだ!?さては便乗したな。私の隣のベッドには2日間一緒に泊まって歩いたスペインカップルが入っていた。5日振りの再会だった。 天気の悪い日が続いたので着る物がなくなってきた私は最後の手段で洗濯乾燥機を使おうと行ってみると、スペインカップルのスキンヘッドの男も洗濯をするようで、シェアしようと言われる。洗濯機の使い方も分からないし願ったり叶ったり。雨合羽も汗臭くなっているので、いい機会だからついでに洗濯しちゃうことにする。 あとからインディラ、アストン組に加え、2日一緒になったソロの女の子も隣のベッドに入ってくる。背がとても低くて、顔を合わせるといつもニコニコしている。とても愛想がいいので話してみたら人生初のメキシコ人だった。サラちゃん。この後も時々一緒になるだろうと思ったが、この日を境に顔を見ることはなかった。インディラも膝を故障したままなので、村の教会で休んだ時に私と同様に暖かくなるクリームを塗って貰ったそうだ。「ベリーカインド」と言っている。あの教会の二人は巡礼路のオアシスのような存在なんだな。 インディラ達がレジ袋を提げて帰って来たので、大よその方向を教えてもらって行ってみたが迷い狂う。結局、道行く人数人に教えてもらって大きなスーパーへ辿り着く。巨大なスーパーで、さすが街が大きいとスーパーも大きい。買い物して出ようとしたら入り口で待ち構えていたおばちゃんが食べ物をくれと言い出した。近くで遊んでいた子供もサッとおばちゃんの隣にやって来て物欲しそうな顔をしている。急なことなので立ち止まることなく通り過ぎてしまったが、後になって反省する。お金をくれと言われることはあっても、食べ物をくれと言う物乞いは初めてだったので、食べ物なら上げるべきだったのでは。気になったので後からスーパーに戻ってみたが、既に親子の姿はなかった。 下のベッドルームにいたフリアンがワインを飲みに行こうと誘いに来たので近くのバルへ出かける。でもフリアンはいつも酒を飲まないでトニカと言うものを飲んでいる。店の兄ちゃんが白ワインを注いでくれたが濁っていたので捨ててしまう。新しいボトルを開けて注いでくれたのだが、どうも味が変だ。3口飲んでも変な味のままなので半分残す。こんな所で腹痛になんかなりたくない。何度もフリアンに奢って貰っているので、奢り返そうとしたが頑として自分が払うと言うので面倒だからご馳走になっておく。もしかして私がいつも節約してるので貧乏巡礼と思ってるのかな? フリアン以外のスペイン人4人はルーゴを最後に故郷に帰るんだと言われる。そして来年またここから歩き始めてサンチャゴに到達する作戦と言っている。他の数人はこのままサンチャゴまで行くようだ。なので帰る4人とはここでハグしてお別れをする。プリミティボの道では、ひょうきん者始め、この人たちと出会えたのがありがたかったな。 冷凍だが今日は久しぶりにコメが食えた。ビールは日本でもお馴染みハイネケン。そう言えばドイツ人にハイネケンはドイツのビールだと言ったところ、大慌てでハイネケンはオランダと言われたことがあったな。40年くらいずっとハイネケンはドイツだと思っていたよ。だって音の響きがドイツそのものなんだもの。ハイネケンを見るたんびに思い出しそうだ。 プリミティボの道12へつづく |