プリミティボの道15 Pedrouzo - Monte do Gozo ゴソの丘

7月3日
 朝、アルベルゲのキッチンで朝メシにしてたらモンセラットが旅支度をして、またお別れしにやって来てくれる。2度もお別れしてくれたのは、きっと自分の日程を考えるともう会えないと分かってたんだろう。あとでWi-Fiが通じたらフェイスブックの友達申請が届いてたし、美人で歌手なのに情が深いええ子や。日本に帰ったらカメラで撮った分をみんな送ってやろう。

※お役立ち情報
 写真はペドロウソの公営アルベルゲだが、屋根の上に三角形の窓が見えるだろうか。あそこはベッドルームの明かり取りになっていて、そこだけは天井が低い関係から平ベッドが2台ずつあり他は二段ベッドだ。そこに割り当てられるのは先頭からなら3番と4番だ。私は3番でチェックインしたときに平ベッドになれたが、ほかの平ベッドは何番なのかは知らない。但し、西日がばっちり当たる。

 ペロドウソのキッチンは昨年までは鍋釜に食器が充実していたのだが、今年はそのどちらもが殆ど無くなっていた。どうしちゃったんだろう。ここはキッチンが充実しているのが最大の魅力だったのだが。。。ガリシア州のアルベルゲは立派なキッチンがあっても調理器具も食器もないのが残念ながら普通だ。これはきっと巡礼者の質が悪いのが原因の気がする。サンチャゴまで114km手前のサリアから出発した人たちはピクニック気分の巡礼が多いのか(特に団体の若者)、巡礼者をサンチャゴまで導いてくれる大事なモホン(道標)にも軒並み酷い落書きがされている。他のカミーノでは命を預けるに等しいモホンには感謝こそすれ落書きするなんて思いもしないだろう。それからも分かるように、行儀の悪い巡礼に長い期間キッチンを荒らされたガリシア州が備品を片づけてしまった歴史があるんじゃなかろうかと想像する。とても残念。

 のんびりと7時半にスタートする。遅めの出発にしたのは今日はショートコースだから。普通はここペドロウソからサンチャゴまでは19.4kmしかないので1日あれば余裕で行けてしまう行程だが、サンチャゴ5km手前にある巨大アルベルゲのモンテ・ド・ゴソは好きなアルベルゲなので泊まるようにしている。それに、ゴソに泊まって朝のうちにサンチャゴに到着すると巡礼事務所で大行列に並ばないで済むというメリットもある。

 1時間歩くと毎年休んでいるバルが見えてきた。昨年までは手前の道路を横断していたが、今年は地下道をくぐるようになっていた。横断するときに誰かがここで亡くなったのかなと思うが真相なぞ知る由もない。それとも自分が気付かなかっただけか?コラカオ1.5ユーロを頼む。沢山の巡礼が休んでいるが、ほとんどの人は軽装で、みんなサリアからのスタート組のようだ。

 途切れることのない行列に混ざってモンテ・ド・ゴソを目指す。ここまで歩いてきた銀の道もプリミティボの道も滅多に出会うことのない希少生物みたいな巡礼者密度を思うと別世界に来たようだ。ここでは誰もが仲間でも友人でもないような顔をしているのでブエン・カミーノと言うことさえ躊躇われる。

 何故か犬っころが列に混ざって一緒に歩いている。まさかと思ったが、巡礼者の飼い犬らしい。リードなしだけど大人しい犬で、私が歩調を合わせて歩いていたら飼い主の一人かと思ったのか、じっと私の顔を見ていた。スペインには放し飼いの犬が沢山いるので、よそ者の犬が地元犬の縄張りを歩くのは凄いストレスだろな。暑くてへばっているようで、水場を見つけたら飼い主がジャブジャブと水を掛けて上げてた。でも犬は迷惑そう。

 11時25、ゴソの小さな教会前に到着。人がうじゃうじゃ。少ししたらスペインの3人家族が到着してきたので再会を喜び合い、モニュメント前で一緒に写真を撮る。シャッターは息子。

 ここに来たらやっぱり歓喜の丘の像は見ておきたいので歩いて10分ほど離れた丘まで一人で行ってみる。昨年は整備中だった像の回りはすっかり綺麗になっていた。

 ゴソの丘といえばローマ教皇がやって来た記念のモニュメントと思い込んでいて、こっちに来ない人が9割の気がするので勿体無い。歓喜の丘(モンテ・ド・ゴソ)とは、長いこと歩いてきた巡礼が初めてコンポステラの尖塔を拝んで歓喜の声を上げたことに因んでいるのだが、教皇のモニュメントからじゃ尖塔は見えないんだがな。

 12時、ゴソの公営アルベルゲ前に移動したら既に数人が開くのを待っていた。北の道を歩いて来たと言うフランスのおばちゃん二人が待っていたので、カメラに入っている北の道の写真を見せっこする。この人たちはスタートはルルドと言っているらしいが良く分からない。ルルドからだと1,000キロ近くなるだろうか。もう2ヶ月も歩いているそうなので私とどっこいだ。小柄なおばちゃんだが凄いパワー。

 コリアらしい女性と欧米人らしい男子がやって来たが、日本人と思わなかったので気にも留めなかった。そしたら男の子がなんと日本語で話しかけてきた。「日本語が聞こえたので」とのこと。マジか!日本語での話し相手がいないので、無意識に独り言を言っているのを聞かれたらしい。一緒にいるのは母親で日本人だそうだ。しかも西欧人に見えるこの子も日本国籍だそうな。日本語を良く喋れるがイントネーションがちょっと違うので生粋の日本育ちではなさそうだ。どっかに行ってた母親が戻ってきたので昨日に続き日本語でお喋りできる。愛知の出身でアメリカ人と結婚したらしい。サンジャンから歩き始めて今日はサンチャゴ泊まり。明後日からはフィステラの道を行くそうなので色々情報を教えたる。明後日サンチャゴ出発だと私と同じ日程になりそうなので、また会う機会がありそうだ。

 男の子は足を故障したらしく少し弱気になっていた。なのでザックの配達を利用したが、勘違いでここに配達されてしまったため受け取りに寄っただけのようだ。母親はちゃんとバックパックを背負って到着していた。今晩はサンチャゴのルーツと言うアルベルゲを予約してあるそうで、ザックを受け取ったらサンチャゴへ向けて歩き始めた。

 ここから10分ほど戻った所にあるいつもの雑貨屋は休みとの情報をオスピタレラから得たので、暑い中をサンチャゴの町まで仕入れに行くことにする。明日到着する筈のサンチャゴに入ってしまうのは何だか白けるな。教えてもらった店は工事中で、扉を開けたら職人が作業をしていて「今日は休みだ」みたいなことを言われる。ここまで来たら買わずに戻れるものか。ずんずんと市内へ入っていく。もう完全にサンチャゴの町の中。通りの反対側にパン屋らしいのを見つけたので入っていくと、ここんちは色んな物を売っていたのでラッキーだ。1リットルビール、カット野菜、トマト、チョリソー、ファンタにパンで5ユーロとちょっと。往復3キロを歩いた甲斐があった。


 サンチャゴ市内の入り口には巡礼者を歓迎するようなモニュメントがあって、今日はそこに不要になった巡礼グッズが沢山括り付けてあった。靴、雨合羽、衣類などなど。そこにビーサンがあったのでもっけの幸いと頂いていくことにする。お墓に供えてあるものを頂くんじゃないから構わないだろう。自分のサンダルは百均のぺらぺらサンダルなので足裏が痛くてしかたなかったのだが、こっちのは底がしっかりしている。フィステラ・ムシアまで残り120kmを歩くのでまだまだ必要だ。熱い中を歩いたお陰で良い拾い物ができた。写真、履いているのが拾ったビーサン。

 戻る途中、汗びっしょになって一人で歩いていたフリアンとばったり。肩がバックパックで摺れて真っ赤っ赤なのだが、今日はバックパックは配達してもらわなかったのか背負わずに斜め掛けにしていた。フリアンは喘息持ちなので歩くのがとても遅い。でも最後まで歩きとおしてフリアンは偉いよ。

 アルベルゲに戻ってシャワーしながら洗濯もして、やっとビールのお時間がやって来た。キッチンで飲み食いを始めたらインディラ達もやって来た。隣にはいつものフランス組じゃないフランス人4人とも簡単な話が出来たので楽しい。その中には私やインディラ達と同じように、オビエドからプリミティボの道を歩いてきたソロの女性もいたので互いの健闘を讃えあう。と言っても言葉は分からないんだが。ここでは少数派になるプリミティボの道を歩いてきた仲間がこんなに揃うなんて凄い偶然なのでは。インディラ達もこのあとフィステラへ歩いて行くそうなのでまた会えるか知れないな。楽しみができた。

 明日はいよいよ今回2回目のサンチャゴ到着日だ。やるべきことが幾つかあるので段取りを間違えないようにメモしておく。まず1、巡礼事務所に行ったら今回の巡礼証明書ゲットの他に無くした銀の道の証明書再発行の交渉をする。2、国鉄のRenfe窓口でマドリッドへの列車チケットを購入。3、Wi-Fiのあるメノールにチェックインしたらフィステラの道のアルベルゲ情報の収集。今年のフィステラの道では泊まったことのないアルベルゲに何泊もすることになるので。この中で一番の難関が証明書の再発行だが、果たしてどうなるか。


プリミティボの道16へつづく