フランス人の道7  痛いのはじまり  

5月16日 歩き23日目
 フォンセバドンの公営アルベルゲ、6時に部屋の明かりが点けられたので準備開始。みんな一斉だ。朝飯もこのアルベルゲで食べさせてもらえるのでありがたい。食事が済んだものから三々五々歩き出す。今日は何故か朝から脛(すね)が痛む。昨日、予定していた村を通り越してここまで来てしまったので少し無理をしたかな?

 しばらく歩いていくとそれは現れた。ローマ時代からの歴史があるという鉄の十字架。巡礼者はそれぞれの思いを込めた石を持ってきて、十字架の足元に願いを込めて置いていくようだ。アメリカ映画「The Way 」ではニコチン中毒の拗ねた女性までが「この石を私の努力の象徴とさせたまえ」とか何とか言いながら石を投げていたが、そんな気の利いた文言がネットのどっかにあるのだろうか?前に訪れたときは本降りの雨の中で十分楽しめなかったが、今日は快晴なので誰もがここで撮影大会だ。昨晩一緒に夕飯を作って食べた人たちもみんな笑顔で写真を撮り合っている。レオンでアルベルゲの案内をしてあげたメタボのブラジル人もやってきたので一緒に写真を撮る。

 鉄の十字架を過ぎるとぐんぐん下りになって、脛の痛みもぐんぐん増してくる。うーん、あまりいい状態じゃないな。山の中の1軒家、名物アルベルゲのマンハリンに寄ってスタンプを貰ってから寄付のコーヒーを一杯もらう。昨日のみんなも名物アルベルゲに寄って中を見物している。ここには泊まれることもできるが、トイレも電気も水道もないそうだ。

 急坂を下って小さな村のエルアセボを過ぎると舗装路が現れたので、脛が痛いのでここからは山道を下らずに舗装路を歩くことにする。それでも痛みは益々増してくるのでただの使いすぎではないようだ。あんまり痛いので途中で休みながら下っていく。

 今日はポンフェラーダに泊まる積もりだったが、こう足が痛いんじゃこれ以上は歩かない方が身のためだろう。昨日一緒のアルベルゲに泊まった多くがポンフェラーダを目指すと言ってたので自分もそこまで行きたかったけど、背に腹は変えられない(脛だけど)。残念だが7キロ手前のモリナセカ村に泊まることにする。これがフランス人の道の便利なところ。ほかの道ではこうは行かない。

 12時50分、モリナセカの公営アルベルゲに到着。すでに一人の男性巡礼が中で寛いでいた。オープンは13時だが、ここは扉が開いていたので自由に中に入れるようだ。オスピタレラは10分遅れでやって来た。日本人と分かるとモリナセカと四国遍路の友好関係をまっさきに言われる。そうなんですよ、ここは四国巡礼とサンチャゴ巡礼との関係で友好都市の宣言をしている日本と関係の深い町。このアルベルゲにも四国遍路関係の品が飾ってある。庭の立木には日本の仏師が彫ったという生木観音がある。生きた木に大きな観音像が彫ってあって、木がとてもかわいそう。どういう神経してるんだよ。

 ベッドルームは2階で、平ベッドが数台あるので当然、平ベッドをゲットする。右スネが痛かったのでシャワー後にボルタレンを塗ろうとしたら赤く腫れてて熱まである。こんなになってたのか、ぶつけた覚えはないんだがな。「痛みにボルタレン」と昨年スペインで買った残りを持参してきたが、この痛みには余り効き目がないようだ。

 シエスタ前に買い物がしたいので、足を引きずりながら1キロほど戻って村の中まで行かなくてはならない。村の入り口ではイタリアのマリアナとイレネが外のテラスで昼飯を食べてる真っ最中。同じモリナセカに泊まってくれないかなと思ったがポンフェラーダまで行くそうだ。やっぱりな。狭い通りには小さな店があり、品揃えもそこそこあった。1リットルビールにカステラパン1袋、ハム、ヨーグルト4にファンタレモン、ジャガイモ2、玉ねぎ迄買っても7ユーロと少し。さすがに重い、足が痛いのに買いすぎた。シャワー、洗濯してからスープを作る。キッチンには塩があったし、スープの素も入れたので今回の味はまずまず。

 後からやって来た男はカタランと自分を紹介した。年は私より3歳下だが、まだ仕事をしているらしい。カタランはカタルーニャ人のことで、バルセロナが州都だ。そう、大騒ぎになったカタルーニャの独立問題で揺れている地域。カタルーニャの言葉はスペイン語と違うし、自分達カタランはスペイン人と思ってなくて、スペイン人もカタランはスペイン人とは思っていないそうだ。とてもフレンドリーで庭のパラソルの下でお喋りする。でもこのカタランはスペイン語しか喋らないから何となくワイワイやってるだけだが楽しい。男の名前はロドリコで、ロドリと呼べと言っている。明日はビジャフランカまで歩くと言っているので、私のこの痛む足では無理だ。これを最後に会うことはないだろう。

 あれっ!?二人のビーサンが同じことに気づく。比べたら色も形もまったく同じだ。これってスペイン製のビーサンだったのかと今頃気づく。実はこのビーサン、昨年のサンチャゴ巡礼で拾ったものだ。サンチャゴ・デ・コンポステラの入り口には記念碑みたいのがあって、そこに不要になった巡礼グッズを括り付ける変な習慣がある。合羽だったりビーサンだったり靴だったりと多種多様。言うなればゴミの処分なのでちっとも良いことじゃないのだが、一人が括り付けると我も我もとなるようだ。その中からビーサンを頂いて再利用してるってこと。ありがたや。

 そこへオスピタレラもやってきて3人でワイワイやって楽しい。知ってる単語を並べる程度のスペイン語でも役立っている。Wi-Fiが使えないと言ったら、オスピタレラは自分のスマホを土台にしていいそうだ。へー、そりゃまた親切なことだな。ここまでしてくれるオスピタレラ初めてだよ。お言葉に甘えて接続させてもらう。

 場所を移してネットをしてるところを見た顔見知りの韓国おっちゃんが、Wi-Fiはどうしたんだと聞いてきたので教えたところ、この人もオスピタレラにお願いして接続していたな。いかにもズーズーしそうな押しの強いおっちゃんなので敬遠したいようだが、悪い人ではないらしい。

 ネットが使えるようになったので、気になっていたスネの腫れについて調べたところ、どうも疲労骨折というものらしい。ドキッとした。骨折だけどポキンとなる訳じゃなくてその一歩手前なのかな?部位によって症状も治り方も違うらしく、脛の上の方が骨折するのはアスリートなどで治癒には時間が掛かるそうだ。私のように下がなるのは一般人で、下の方が治りやすいと希望の持てる情報もいただける。やっぱりただの使いすぎじゃなかったのか。取りあえず今できる治療は当てにならないボルタレンを塗るのと1枚だけ残った湿布薬を貼るだけだ。大きな湿布薬なのでナイフで半分に切って貼っておく。明日までに良くなってくれるといいな。


フランス人の道8につづく