フランス人の道15   全員神父

5月24日 歩き31日目
 ポルトマリン、6時に起きてキッチンへ移動。部屋のスイッチが見つからないので暗い中でパン、ヨーグルト、コーヒーで朝食。後からやって来た人もスイッチを探しているが、やっぱり見つけられないので諦めたな。その後も数人やってくるがみんなスイッチが見つからないので暗い中で何か食べたり出発準備をしている。スイッチはきっと鍵の掛った管理室の中なんだろう。

 7時、薄暗い中を出発。昨日の夕方雨が降ったし、ダムの町なので元々湿度が高いから凄い霧が出ている。痛み止めは飲んだがまだ効いてはこない。朝から脛が痛むので休みながら歩くのがいいだろう。やはり昨日の無理が祟っているようだ。良くなって来ているとは言っても予断は許せる段階ではないらしい。これからは調子づいて歩かないよう気をつけよう。

 今日も沢山の巡礼がゾロゾロと歩いていて、まるで歩け歩け大会のイベントのようだ。本当に巡礼銀座。ずっと歩き続けて、陸橋を渡るために巡礼路がぐるっと回る特徴のある所にでた。あー、ここは覚えてるな、ポルトマリンを越えた所にあったのかと気づく。覚えている風景が出てきても、それが何処だったのかは記憶が薄いので突然現れたりする。橋のたもとにバルがあったので寄って行こう。コラカオ1.5ユーロ。私しかいない外のテラス席だったが、呼び水になったのか後からやってくる巡礼が沢山ここで休みだしてアッと言う間にテラス席が埋まっていった。サクラって大事なんだな。

 ここんとこ6日間はネットの巡礼紹介サイトでモデル区間となっている20数キロのコースをなぞって歩いていられる。まぁ痛くても脛の怪我は確実に上向いているということだろう。ゼヒそうであって欲しい。サンチャゴに到着した後もポルトガルの道とフィステラ・ムシアまで歩く予定なので、この先800キロ以上も残っているのだから。まだまだ距離的には半分歩いてないのだ。お願いだから早いとこ治ってくれ。

 りゴンデの村には泊まったことのある小さな公営アルベルゲがある。ドイツのイーデンと久しぶりに再会した思い出があるアルベルゲだ。ここで3人のイタリアおばちゃん達とも仲良くなった。まだ時間が早いのでオープン前だが懐かしいので写真だけ撮っておく。近くに店がなくて不便だったが少し歩くとバルがあるので食べるには困らない。そしたらバルから少し歩いたところに同じリゴンデの公営アルベルゲが新設されていた。えっ、なんでこんな近くに!?古い方は負けちゃうでしょ。

 パラスデレイの入り口に差し掛かったら巨大な公営アルベルゲがあった。オスピタレロがホースで水を撒いていてのどかな風景だが近所には店がなさそうなので私には不便だな。そこを通り越して行くと前方に小林さんを発見する。すぐ追いつきそうだが直前に巡礼路を外れたので私営アルベルゲかオスタルにでも行くようだな。良く予約して泊まっているらしいので私みたいに倹約してるのでもなさそうだ。

 町の中に入って3年前にも寄ったパラスデレイの教会に寄ったら少し話したことのある同じ神父さんがいて、前にも寄ったと伝えたら何と私を覚えていると言われた!!やっぱ日本人は目立つのかな。ミサは7時と言われたのでこれは行かなくてはだ。公営アルベルゲはここから200mだよと教わる。だがアルベルゲの横を通ったのに気がつかなくて町を通り越して少し行った所でおかしなことにやっと気づく。タブレットの地図で確認すると、とっくに通り越していた。面倒でも早めにタブレットを出すのが吉だが何度やっても懲りない。アルベルゲの位置を確認して戻って行くと確かにあったが、横を歩いても気がつかないような目立たないアルベルゲだった。

 受付に行くと時々見かけるコリアンの年配二人組がチェックインの最中だった。一人は愛想がいいがもう一人はいつ会ってもニコリともしない。韓国の「日本憎し教育」の成果なんかなと思った。ま、そういう人とは仲良くしなくちゃいいだけの話だ。二人は共に下段ベッドをお願いしているな。自分も痛みを抱えていて薬を飲んでいると伝えて下段をお願いする。ここもガリシアなので6ユーロ。教会に寄ったら神父さんが私を覚えていたよと何となく伝えてみると、なんで?との返事。きっとハポネスは珍しいからだろうと何となく伝えてみる(スペイン語オンリー)。さっきのコリアンには上げてなかった頑丈な買い物バッグを頂ける。へー、何でだろう?でもごっついバッグだなー。嵩張るし少しだけ重たそうなので持ち歩くのは遠慮したいな。あとで考えよう。お礼の積もりで和風マリアカードを進呈すると喜ばれる。このカード何かと活躍してくれる。

 シャワー、洗濯したら早速もらった黄色いバッグを下げて買い物に出かけていく。シエスタの時間だが細い小道を入った所にある大手のスーパーが開いていた。バケツ野菜はいつもよりちょっとだけ高い2.89ユーロのを買ってみる。1リットルビール、オムレツ、オイコスヨーグルト2で合計6.61ユーロ。帰りは雨が降り出してた。洗濯物を干した場所は屋根がないので取りこみに行ったところ、誰かが屋根の下に動かしてくれてた。オスピタレラのお姉さんかな?

 キッチンにコップはないので昨日のカップ麺の空き容器の出番だ。これとても便利。今回は珍しいオムレツが加わったので何となく一味違う気がする。チンしたから温かいしね。大きいので半分食べて残りは朝飯に取っておく。初めて冷凍のオムレツを買ってみたが、これはヒットだ!いいモンを選ぶことができたので私のレパートリーがひとつ増えた。レパートリーって言うか、買う種類が増えただけだが。隣でおばちゃん巡礼が同じスーパーから買ってきた物でお昼にしているが、パンに水とチンして食べられるパスタを食べている。公営アルベルゲに泊まるような人はみんな質素だ。

 同じ部屋に一昨日のサリアで隣のベッドになったフィリピンの3人組が入ってきたのでヤァヤァと盛り上がる。もう一人、ブラジルのメタボ旦那も入ってきたので再度盛り上がる。近くのベッドには前にも見かけたことのあるペルーのお嬢さん二人組が入ったので「友達がアレキパに居る」と片言スペイン語でちょっと話せる。アレキパはペルー第二の都市なのでペルー人なら誰でも知っている。二人ともフレンドリー。最後に昨日一緒だったイタリア親子もやってきたので知ってる人だらけになった。もう2回目なので親父さんは自分をフランチェスコと名乗ってきたな。道で出会ったときもこちらから「ちゃお」と言うと嬉しそうにしてくれてた。逆に、愛想の悪いコリアンは相変わらずブスッとしていて何処かぎこちない。同じアジア人なのに。韓国の「日本憎し教育」は双方に取ってひとつも良いことない。あるとしたら国民の目を政府じゃなくて日本に向けるための工作だろう。それは韓国政治の歴史を読めば一目瞭然だ。大統領の都合で反日キャンペーンが唐突に始まる。

 写真は今日のパラスデレイのアルベルゲ。私のベッドは真ん中の下段でその上段と両隣をフィリピン3人組とブラジルのメタボ君が埋めている。部屋はいつも男女混合。今日は歩き出しこそ脛が痛かったが、2時間歩くとまったく痛みがなくなってきて下りもオーケーだった。このアルベルゲまで痛み止めが切れずに続いたので快調に歩くことができた。6時に薬を飲んで1時半にチェックインだから調子が良けりゃ痛くないままアルベルゲに到達できるってことだ。4時5時に飲めればスタートから痛くないことになるが、それも難しい。

 フィリピングループと日程について話した中で、自分はサンチャゴに到着したらリスボンからファティマ経由で歩くと伝えたところ、彼らもファティマに寄るそうだ。歩きじゃなくてバスらしいが、5月末に行くそうなので、もしかしたらファティマで再会するかなと漠然と想像した。

 雨になったが少し離れた教会まで合羽を着込んで行ってみる。聖堂は巡礼でいっぱいで後ろには立っている人が何人もいた。ミサが始まる前になったらフィリピンとブラジルの4人が急いで香部屋に入って行ったので不思議に思っていたが、この4人が地元の神父と共にミサを始めたので全員が神父だったのが分かる。アルベルゲに帰ってきてから尋ねたら、もちろんその通り。メンバーの中の大柄の人は今日が誕生日という事でサンチャゴケーキを1ホール買ってきていた。自分も誘われるが歯を磨いたし一人分のケーキが小さくなりそうなので遠慮しておく。階下の談話室から賑やかな声が届くのを聞きながら眠りについた。


フランス人の道16へつづく