マドリッドの道18   とうとうフランス人の道と合流

5月10日 歩き17日目
 6時10分、部屋の明かりを点けて全員が起床。朝飯にはトマトとバナナを食べたがフランス組とディミトリはバルの出前朝飯を頼んであった。食堂に既に用意がしてあったが、それを見てみんなガッカリしている。金額は忘れてしまったが、それくらい粗末な朝食だった。

 全員揃って出発。今日でマドリッドの道を歩き終える。と言ってもそれ以上長い距離を歩くフランス人の道が午後から始まるんだが。ジャンマリーとは最後になるので二人で記念写真を撮ってみる。

 分岐が現れたらディミトリが「ここからサアグンへ行く道と何とかに行く道とに分かれる」と言っている。サアグンまでまだ大分あるが、フランス人の道と合流するにはそのずっと手前から分岐になるのだ。右へ行くとサアグン、左へ行った方が距離は短いが、ジャンマリーがサアグンで終わりにするのでサアグン方面に行きたいな。ほかの人もそう思ったのか、全員がサアグンへ向けて歩き出した。

 最初の村にはバルがなかったが、道端に健康器具が設置してある公園があったのでみんなで休憩がてら寄っていく。色んな運動するための器具があるので、みんなで試してみる。とても楽しい。私がやってる所をディミトリが撮ってくれて、すぐメールで送ってくれた。インターネット便利過ぎ。私のタブレットはWi-Fiがないとメールもネットも出来ないのですぐ写真を送って上げることは出来ないが、ディミトリやボビーには日本に帰ってから送ってあげよう。

 スペインにはこういう健康公園みたいのが時々あるのでそういうお国柄のようだ。こんなところまで来るか!?と言うほど町や村から離れた所まで散歩やジョギングに来ている人も良く見かけるし、みんな健康には気を使っているようだ。

 ジャンマリーが歩きながらやたらと「マウッ、マウッ」と叫んでいるのでフランス語かと思い、フランス語と英語がネイティブのディミトリに「英語でマウッて何だ?」と聞いたらスペインのビール「 Mahou 」のことだった。暑くなったので冷たいビールが飲みたいらしい。

 写真はベンチのあるミニ公園で休んでいる所だが、何をふざけあっていたのか記憶がない。でも、ポーズを見るとダンスをしていたようだ。ジャンマリーは良くスマホからユーチューブの音楽を流していたので。振り返ってみると今回の80数日間のなかで、この連中と一緒に歩いた日々が一番楽しかった。こんな旅を4年で300日以上もやっているので「あとでこの日々を振り返るとキラキラと輝く掛けがえのない時間と思うんだよな」と先取りみたいに感じるときがある。帰って来て思い返すとそのとおりだと確認できてしまう。これこそが私がサンチャゴ巡礼に感じる一番の魅力なのかも知れない。

 次の村には城があったが、みんなはバルに寄るのが目的なので城には入らなくて離れた所から写真を撮るだけのようだ。バルではいつものようにコラカオと言った積もりなのだが何故か小さなカップでコーヒーが出てきた。面倒なので出されたものを飲むことにする。私とボビー以外の3人はボカディージョを食べだしたが私とボビーはいつも倹約してるので食べない。何も考えることなしに皆の後を付いてきたが、この村は巡礼路からは外れていた。食べ終わったらまた分かれ道まで戻りだしたのでやっとバルだけのために寄ったのかと気づいた。

 12時ころサアグンの町が見えてきた。フランス組は今日はアルベルゲでなくオスタルに泊まるそうだ。最後なので少し贅沢をするのかな。ディミトリは公営アルベルゲと思っていたが、聞いてみたらオスタルを予約してあるそうだ。私は懐かしさから3年前に泊まった公営に泊まりたかったが、ボビーが数キロ歩くと小さな公営アルベルゲがあるからサアグンは通り越すと言っているので、ちょっと残念だが付き合うことにする。ディミトリとはまたすぐ会えると思ってたので、いつものようにバイバイもせずに分かれたが、ディミトリと会うのはこれが最後になってしまった。ジャンマリーとはハグしてお別れする。時間が早いのでオスタルに入る前に一杯やるらしく、クリスチアンと一緒にバルに向かって行った。クリスチアンはサンチャゴ迄行くと聞いていたが、これ以降会うことはなかった。


フランス人の道1
 ここからはフランス人の道だ。巡礼銀座のフランス人の道なので、もっとずっと巡礼が歩いているかと思ったが、午後歩く人が少ないらしく予想に反してぽつんぽつんしか居なかった。その中で日本人ぽい夫婦連れがいたので声を掛けたら韓国の人だった。ボビーもフランス人の道は歩いているので、早速「この橋は覚えている」と言いだした。でも私はさっぱり記憶になかったな。

 日本で計画を練っているときから3年前に泊まったサアグンのアルベルゲに泊まろうと思っていた。アルベルゲのキッチンでスパゲッティを作って食べようとしたら韓国人の親子に一緒に食べようと招待されたり、その時に利用したスーパーで買い物するのを楽しみにしていたので、サアグンの終わりを示す赤い斜線の入った看板を見たら、サアグン泊まれなかったなと少し残念な気持ちになる。でもボビーとの友情の方が大事だから仕方ない。

 1時半、ボビーと次の村カルサダ・デル・コトに到着。村の通りに昔風の帽子とマントを羽織って長い木の杖を持った男が歩いていた。なんのコスプレだよと思ったが、この男がアルベルゲの管理人だった。チェックインしてから珍しいので写真を撮らせてもらう。コスプレするような人は写真を撮らせてと言うと間違いなく喜ぶようでマントを整えている。

 手前のサアグンには大きな公営アルベルゲが2軒もあるし私営も何軒もある。サアグンは有名な町なので殆どの巡礼はサアグンに泊まるだろうとの予想どおり、ここまで来る人は少なそうだ。でも先着が二人いた。オーストリアからのつるぴか兄弟で、兄の方は足を怪我してるようだ。大きなベッドルームはご覧のようにガラガラだがサアグンの公営は2段ベッドの上まで使っていることだろう。

※お役立ち情報
 まぁ誰でも気づくことだと思うけど、大きな町の公営アルベルゲは巡礼が集中します。その隣の小さな村にある公営アルベルゲはその煽りをくらってガラガラなのは良くある話です。静かなのが好きな人には狙い目です。もっと言うと、巨大公営アルベルゲのオスピタレロは沢山の巡礼をさばくのに忙しいため事務的で面白みがないけど小さいアルベルゲのオスピタレロはフレンドリーで親切だったりします。

 チェックインしてここはドナティーボなので二人共5ユーロ札を貯金箱に入れる。朝食が付いてるそうなので5ユーロじゃ安いと思うが、次は10ユーロ札なので朝食に5ユーロは出せないから結局5ユーロ。シエスタの2時が迫っているので取り合えず買い物に行く。オスピタレロに聞いてみると、この村には店はないそうだ。でも近くのバルで簡単な食べ物は買えると言うので行ってみよう。バル付属のティエンダの品揃えは大体ロクなもんじゃないのが相場だが、ここんちはそこそこの品揃えだった。枚数を言って塊を切ってもらうチーズと生ハム、トマト、1リットルビール、ヨーグルト4、カステラ2で8.74ユーロと大目に買っておく。明日朝は朝食が出るそうだが、どうせ当てにならないだろうと大量に買い込む。ビールを冷凍庫に入れてからシャワーと洗濯。物干しは建物の裏で陽がよく当たっているのですぐ乾いてくれそうだ。

 3時40にソロのフランスおばちゃんが到着してきたのでジャンマリー達の写真を見せたる。まぁ写真を見ても顔にフランス人とは書いてないけど、話のとっかかりとして。オスピタレロのおっちゃんがコーヒーをいれてフランスおばちゃんにサービスし出したのでキッチンのコーヒーは飲んでいいのかと気付いて自分もご相伴にあずかる。おっちゃんは小さな木片を繋ぎ合わせて何やら一生懸命に工作をしている。今まで作った作品がアルベルゲの中に展示してあるのでお愛想で褒めておく。結局、この大きなアルベルゲに泊まったのはたった5人だけだった。

 さっき買い物したバルで暇つぶしにネットをしてこよう。途中のこんまいサッカーグラウンドで一人の少年が遊んでいたので構ったところ、調度いい遊び相手が現れたと思ったのか、やけに気に入られてしまった。私が言葉が通じない外国人と言う意識は微塵も感じられず普通に近所の友達のように接している。子供の世界に言葉は必要ないのだと感じた。まず少年が攻撃側で私はゴールキーパーらしい。それが済むと今度は攻守交替で遊び相手をさせられる。小さな村だから同じくらいの遊び相手がいないのかな。それも可愛そうだ。昔見た映画「穢れなき悪戯」を思い出した。捨て子だったマルセリーノは修道院の大人ばかりの世界で育てられて同年代の友達がいない。話で聞いただけの会ったこともない少年を架空の友達として一緒に遊ぶと言う話が挟まれていた映画だった。あれも同じスペインが舞台だったな。ひとしきり遊んでやってからバルに行ったら、この子も付いてきてバルの中に入ってきた、どうやらここんちの子供らしい。白ワイン1ユーロを頼みずっとネットをさせてもらう。


フランス人の道2へつづく