ポルトガルの道3   ポルトガルの道スタート

5月31日  日本出発から40日目
 リスボンのホステル。7時半に朝飯が食べたくてキッチンに行ってみるが、やっぱり8時にならないと食べ始められないらしい。普通の観光客と違って、せめて8時には出発したいんだが。眺めのいいベランダに行って時間つぶし。8時ぴったりにキッチンへ。今日から歩き出すからたんまり食べてエネルギー満タンにする。昨日の朝食でスクランブルエッグを作ってくれたお姉さんは今朝はやってくれなかったな。今日も長めのTシャツの下は下着のようだ。人の目を気にしない欧米の人は潔い。ここは何泊もしてリスボン観光する人が大多数のようで、メキシコのおばちゃんビアネイもまだ連泊を続けるらしい。

 9時にホステルを出発して、まずは出発点のカテドラル前に行く。巡礼路に出るにはカテドラルに行かなくても出られるが、やっぱり最初なのでスタート地点には少しばかり拘る。カテドラルの根元には目立たなく黄色い矢印が描かれていて、多くの人は気づかないだろうが、我々にとっては重要な印だ。相変わらず細くぐねぐねと続く坂道を降りて行くと、フィエスタ用のカラフルなリボンが通りの上を走っている。

 黄色い矢印はちゃんと確認できるので普通に歩いていれば迷うことはない。2年前にポルトからサンチャゴまでポルトガルの道を歩いたときも感じたが、他の巡礼路と比べ、ポルトガルの矢印はやたら多いと感じる。それとこの道だけの特徴、ファティマへと続く青い矢印も一緒に描かれているので更に見つけやすいのも有難い。

 都会を脱出してもまだまだ賑やかな通りが続く。さすがポルトガル第一の都市だ。前を二人の女性巡礼が歩いているのを発見する。お、いたいた。歩く人が少ないと噂のポルトガルの道だが、昨日のホステルには二人も巡礼がいたし、こうやって今朝も別の巡礼を見たので想像よりずっと巡礼に出会う気がしてきた。せっかく見つけた巡礼なので、すぐ追い越すのは勿体無いから50mほど距離を置いたまま付いていくと、道の反対側にカップルの巡礼を見つける。お、またいたよ。でもこの二人は歩くのが遅くてすぐに見えなくなってしまった。

 リスボンの郊外までやってきたら矢印を見失ってしまう。付近を見渡してもないけど、最後に見た地点から考えると方角はあっている。工場があったので中に入っていき「どんですた かみの で さんてぃあご」と尋ねる。ポルトガルでも「どこですか」はスペイン語の「どんですた」で通じる筈だ。このオジサンはカミーノを知っていて、あの道をまっすぐ行って左だよと教えてくれる。近くにはやっぱり矢印を見失った先ほどの女性二人組がいたので、こっちだよと手真似で教えて先に歩き出すと後ろから「サンキュー」と声が掛った。

 スペイン語で道を尋ねるためのフレーズは「○○に行きたい、○○はどこですか、右、左、まっすぐ」だけは知っている。これはポルトガルでも似たようなものなのでスペイン語で言っても何となく通じるようなのが嬉しい。今更ポルトガル語まで覚えらんない。

 ここいらは工業団地のようで広い道路に大きな建物が両側にあるばかりで店も住宅も皆無だった。教えて貰ったとおりの筈だが矢印は相変わらず出てこないな。立体交差に出たところが四つ角だったので、さぁ分からない。離れた所で刈り払い機で草を刈っている人たちがいたので教えてもらう。この人もカミーノを知っているようで行くべき方向を指さして教えてくれる。

 ずんずん進むと近未来都市のような空間に入ってきた。しゃれたデザインの高層ビルや巨大な商業・レジャー施設が並んでいる。ブログを通して知り合いになったハックさんが泊まったと言うイビスのホテルもあった。ハックさん情報ではここは1泊90ユーロとのこと。90ユーロも出すんなら野宿でいいよ。リスボンからまだそんなに歩いてないのに、随分近いところに泊まったんだなと思うが歩くペースは人それぞれだ。

 相変わらず黄色い矢印はカケラも出てこないので、方向は合ってるが巡礼路とは違うようだと分かった。でも、地図では右は海で巡礼路はきっと海の側を通っているに違いない。この大通りも海に沿って平行に続く道なので心配はない。そのうち河口に突き当たるから、そこで巡礼路と合流するだろうと歩き続けると、その通りだった。これで黄色い矢印を追いながら歩くことが出来るので安心だ。

 リスボン隣の町までやってきたようだ。これまではずっと舗装路を歩いて来たが、フェンスの切れ目からいきなり野生の道へと矢印は誘(いざな)っている。何の整備もされていない高い草だらけの道だった。でも時折矢印が登場するので間違ってはいない。これ以降はこんな道を何時間も歩くことになる。地図では細い川に沿ってしばらく歩くようなので歩きやすい道が続くだろう。この上は空港を飛び立った飛行機の通り道になっているらしく、規則的に旅客機が低空で通り過ぎていく。グオーン。

 川から離れて2時間歩き、リスボン出発から一度も腰を下ろすことなく1時半に Alpiate 村に到着。村の入り口にはアルベルゲはこっちと書かれた札があったので安心する。こういう札がどこでもあるといいのになー。到着前に200m前を歩いていた巡礼がいたので、リスボンのホステルで一緒だったフィリップスかと思ったが、別のイタリアおじさんだった。今日は5時間の歩き。休み明けには調度いい行程だった。

 アルベルゲはオープン時間を過ぎてるけど、中をまだ工事中とかで、おっちゃんは外のベンチで待たされていた。オスピタレラが出たり入ったりしていて、30分待ってと言うので一緒にベンチで待たせてもらう。木の陰にあるベンチで風が気持ちいい。この辺りの木にはご覧のようにレースやら布などが巻き付けてあった。どういうおまじないなんだろうと気になった。でもどの木もと言うわけではなく、この広場の木々だけのようだ。

 おっちゃんはスキンヘッドで目玉がギョロギョロしているいかにもイタリア人。ローマ時代の衣装がめちゃくちゃ似合いそうだ。名前はジャンピエールと言った。先月一緒に歩いたフランス人がジャンマリーだったので、この人の名前は割りと簡単に覚えられて、ジャンだけ覚えていれば後ろのピエールは自ずと思い出される。ジャンピエールとは不思議な縁で、離れたり一緒になったり長い時間をすごすことになる。しかも途中2度も何日間も離れる別ルートを行ったのに、その都度また再会を繰り返して、最後に会うのはこれより32日後のサンチャゴなんだから本当に不思議なもんだ。あとから数人の巡礼が到着してきた中にリスボンのホステルで一緒だったオーストラリアのおばちゃんもやって来た。

 さてチェックインが始まった。到着した順に、ジャンピエールが一番で私は2番にチェックインさせてもらう。ここは8ユーロでベッドは全て平ベッドだったのが嬉しい。シャワー・洗濯して裏のロープに干しておく。隅には工事用の道具があったり、本当にまだ未完成のアルベルゲのようだ。

 この村には店がないそうなので、近くのカフェ(スペインはバルでポルトガルでは名前がカフェになるが中身は同じ)に行ってツナサラダとビール2本で7.5ユーロ。パンが付くのはポルトガルでも同じだった。店の中で飲むのに瓶ビールが1本たったの0.80ユーロ、日本円なら百円ちょっと。日本の居酒屋で飲んだら生中500円くらい!?この小さな村にはここしか行くところがないので、他の巡礼者達もパラパラとやってくる。歩いている人が少ない道の良いところはすぐ仲良くなれること。明日用に小さいパンの袋詰めを買って帰る。

 明日はアルベルゲがない日だ。オスピタレラに相談したら、アルベルゲはないが安いホステルがあるそうなのでメモメモだ。隣のベッドの女性二人組に聞いたら、この人たちはホステルを予約してあるって。自分もそこに予約して貰いたいようだが、歩きの具合でどうなるか分からないからお願いしないでおく。この二人はきっと、リスボンを出発して最初に見かけた二人だろうと思った。

 夕方、行くところもないからまた昼飯を食べたカフェに行ってみると、アルベルゲに泊まったほぼ全員がひとつのテーブルを囲んで談笑していた。自分が店に入ると、すぐ席を広げてくれ仲間に入れてくれる。フィリップスは私よりちょっとだけマシな片言英語だが、がんばって話しに加わっているようだ。時折フランス語を混ぜて喋っているな。ジャンピエールはイタリア語しか喋れないからなのか、ここには居なかった。


ポルトガルの道4につづく