ポルトガルの道5 地元の人のお接待 6月2日 日本出発から42日目 ホステルは個室だがアルベルゲのようにキッチンもなければ食堂や談話スペースのようなものはない。朝日が当たる部屋の窓辺にイスを2つ持ってって朝飯にする。一つはテーブル代りだ。チョリソー、チーズ、パンにヨーグルト。お湯が沸かせないので温かい飲み物はいただけないのが淋しいかな。 借りといたポルトガルの道のガイドブックをレセプションの小さなカウンターに返して7:10に出発。駅の横から、昨日、越えてきた陸橋を渡って巡礼路に復帰する。ずっと線路近くの草原の道を歩き続ける。 ビニール袋勝手に草の中に入って何かしている男がいた。近づいたら袋の中にはカタツムリがどっさり。うぇー、あれ食べるんかい。日本人はそこらにいるカタツムリを食べる人は滅多にいないと思うが、ヨーロッパでは時々みかける。ちょっと歩けば無料の食糧が転がっているのは理想的と言うか何と言うか、幾らタダでもちっとも羨ましくもない。少し行った先にも同じようにカタツムリを集めている男がいて、こっちは更にビニール袋がパンパンだった。 1時間半歩いた所で線路と直角にぶつかる。たしか昨日のホステルの人の話では、ここからは右に線路沿いを歩いた方が車が少なくて安全だと言ってたよな。でもそこへ通りかかった親父が巡礼路は陸橋を渡った先だとしつこく言うので教わったことを説明するのも面倒だし、黄色い矢印は陸橋に向かっているので親父の意見に従うことにする。ホステルの人が教えた道は雑草が生い茂る歩きにくそうな道だったし。陸橋の上からは遠くにて火力発電所が見える珍しい風景だった。少し歩いたらカフェがあったのでコーヒータイム0.70ユーロ。飲み終わって歩きだしたら先ほどのオヤジがプップーと鳴らして走り去って行った。 ここで初めてファティマからリスボンへ向かうドイツ人のおっちゃん巡礼と出会った。サンチャゴからファティマを経由してリスボンに向かう巡礼は稀少だ。出会ったら必ず声を掛けることにしている。滅多に会わない巡礼同士なので互いにテンションが上がる。「あんた達はサンチャゴ、ファティマ、リスボン?」と言い、自分を指して「リスボン、ファティマ、サンチャゴ?」と、これしか言わないけどこれだけで意気投合できて互いに満面の笑みになれる。逆ルートを歩く人は最初はサンチャゴまで、たとえばフランス人の道とか普通のサンチャゴ巡礼の道を歩きとおしてのち、更にこの逆ルートを辿ってファティマ経由リスボンを歩いている筈だ。それもあと3日で到着だね、長い間お疲れさん。 実は私も今回、マドリッドの道を歩き終えてから逆ルートでファティマを経由してリスボンに行こうか考えたことがあった。でも逆ルートにはちゃんとした矢印がない。あるのは逆向きの矢印なのが恐怖だ。どのカミーノでも逆に歩くのはとても難易度が高く道に迷う確率は200%増しだろう。しかも巡礼者同士はすれ違うことはあっても道連れになる確率は殆どないのが辛い。と言うことを考慮して却下。普通にリスボンスタートに決めた。 この二人はお揃いの青いスティックを持っていた。巡礼中に良く見かけるスティックで、握るところにはベルトでなく細い紐が下がっているだけだ。このスティックを見るたんびに、これ作った人は自分ではスティックを使って歩いたことがないんだろなと思う。 どういう訳か、駅があったらまた陸橋を渡って線路の反対側に巡礼路が続いていた。まぁ矢印さえ続いていれば何でもいいけどあちこちに振られる意味が分からん。 次の町にあった道端のベンチで休んでいたらフィリップスがやって来た。彼のバックパックはとても小さい。荷物運びのサービスもないポルトガルの道なので、あれで全部か。すごい軽量化をしたもんだな。どんな装備なのか見せて貰いたいようだ。でも日焼け止めは大きなチューブを持っていて、休んだついでにせっせと塗っている。白人は肌が弱いので日焼け止めしないと火傷にやってしまうのかな。近くの水道でボトルに水を汲み出したので一足先に出発する。ブエンカミーノ。 12時前にアザンブジャに到着。この町にはアルベルゲがある。印刷してきた地図にちゃんと手書きで描き足してきたので迷うことなくアルベルゲを目指せるが、最後の詰めでどっちに行ったらいいのか分からなくなる。そこへ地元のお婆ちゃんが「あっちだよ」と教えてくれる。巡礼が通る道筋の小さな村や町は巡礼に親切。 遠くから見るとアルベルゲ前に腰掛けている人がいるようだ。近づいていくと、昨日も一足先に到着していたイタリア人のジャンピエールだった。やっぱりこの道は宿が少ないから再会率がとても高い。オープンは3時なので、あと3時間も待たなくてはならない。バックパックは宿の前に置いといて店の下調べに出たら、向こうからフィリップスがやって来たのでアルベルゲまで連れてってやる。 少ししたら時間前なのに管理人らしき婦人がやって来た。早めにチェックインさせてくれるのかなと喜んでみたけど、バックパックだけ中に入れて後はやっぱり3時まで待たなくてはならないそうだ。ま、それでも有難いよ。 3人でビールを飲もうと歩いていくことに。通りに地元民がいたので「ビールが飲みたいんだ」と尋ねたところ、どういう訳か家の中からグラスに入った冷えたビールを持ってきてくれる。見たところ店でもなさそうだし、どうなってるのだろう?開け放たれた家の中には闘牛で使うマントがあった。へー、こりゃ滅多に見られない代物だな。持たせてもらったらズシリと重い。テレビで見る闘牛ではこのマントをヒラリヒラリと風呂敷のごとく軽く扱っていたが、実際はこんなに重たい物だったんだ。百聞は一見にしかずとはこのことだ。 この通りにはごっつい木の柵が両側に張り巡らせてあり、パンプローナで行われるような牛追い祭りがあるようでポスターも貼られている。これからあるのか終ったのかは不明だが、見られるもんなら是非見てみたい。グラスが空になるとまた持ってきてくれて、結局ここでビールを3杯も飲ませてもらった。アルベルゲが開く時間になったので、ビールの支払いがしたいから幾らと尋ねると、いらないそうだ。どういうことなんだろう?一緒に飲んだフィリップスは「いーからいーから」と気楽だ。まぁ好意は素直に受けとこう。 3人でチェックインしてここは6ユーロだった。大きな部屋が1つだけあって、ベッドルームとキッチン兼談話スペースは衝立で仕切られている。2段ベッドが5台のこじんまりとしたアルベルゲだった。洗濯物を干すところはベランダになっていて、一段下がった隣の古い建物では数人のボーイスカウトが掃除をしている。学校なのか、それとも公の建物を掃除ボランティアしてるのか?買い物がしたいのでまた通りに出たところ、向こうから年配のソロ巡礼がキョロキョロしながらやって来た。「アルベルゲ?」と聞いてこの人も連れてってあげる。この70過ぎの男はこれより仲良くなって何日も再会を繰り返すパベルだった。 さっきの通りに行ったら、まだ地元の人たちが酒盛りをしていた。こんどは更に人数が増えていて、バーベキューコンロに火まで燃えている。「やぁやぁ良くきた」と(言っているらしい)今回もビールを飲ませて歓待してくれる。一緒に写真を撮りたいと言ったら「女ども集まれ」と号令したのか、周り中に女性陣を集めてくれる。写真で見ると私もすっかり地元民のごとく馴染んで写っているな。家の中まで入れて説明してくれている。大きなテーブルがあって、ここで何十人もの人たちが一緒に飲み食いするんだと、そのときの写真を誇らしげに見せてくれる。どういう集まりなのかさっぱり分からないが、普通の近所付き合いと言うより何かのコミュニティーのような感じがする。何だか分からないけど楽しそうな人たちだな。他の人たちもみんなフレンドリーで、珍しい日本人を歓迎してくれているのが伝わる。 スーパーに行きたいんだと伝え、教えてもらった方に行ってもそれらしいのが見つからなかった。仕方ないので来るときに見かけたフルテリア(果物屋)で果物4種類と1リットルビールにヨーグルト4個、それから前から気になっていたウエーハウスの大袋で5.89ユーロ。ここでは50ユーロ札を崩したかったから現金支払い。もっとも小さな店ではカードは使えない。果物をたくさん買ったのは、ここんとこビタミン不足の感じがしていたから。日本でぐーたらやってると感じないが、何十日も歩き続けていると油不足やビタミン不足を感じるときが時たまある。ビタミン不足には果物で油不足にはポテチだ。 買ってきた物をアルベルゲで食べ始める。同じテーブルに(て言うかテーブルひとつしかないし)いるフィリップスにビールを2杯飲ませたる。ジャンピエールと管理人にも礼儀上ビールを勧めたがノーサンキューだった。あー良かった。果物をいっぱい食べて昨日のパン2個にチーズを挟んで食べ、腹いっぱい。 夕方に近くの教会でミサがあるからと4人でぞろぞろ歩いていく。知らない土地でこういうのをみんな良く見つけるよな。やっぱり言葉は違ってもアルファベット圏の人たちはポルトガル語で書かれた文字が理解しやすいんだろう。私はハナから読もうともしないのが理解できない最大の原因かも知れないが。ミサには地元の人たちが沢山来ており、スペインもポルトガルもみんな信仰が篤い。 みんなは夕飯を食べる積もりなのか、カフェへ行くことになった。でもちゃんと夕飯を注文してたのはジャンピエールだけで、残りの3人はみんなビールやワインだけ飲んでたな。ジャンピエールは食べながらずっとスマホで喋り続けている。アルベルゲに戻ると知らない若者が一人増えていたけど日記に残ってないので若者としか記憶がない。今日の年配4人は長い日数を離れたりくっついたりしていたが、若者の歩くスピードは速いので、この兄ちゃんとはこれ切り会うことはなかった。 オスピタレロが日本のコインを持ってないかと聞いてきた。各国のコインを収集してるそうだ。そうだ、50円玉がポケットにあったな。穴あき硬貨は外国では珍しいと聞いていたので喜んでくれるだろう。上げるよと言いながら差し出したら、ちゃんとユーロと交換して集めているそうなので「これはユーロでは幾ら?」と聞かれる。現在の交換率は1ユーロが130円だが、面倒なので0.5ユーロと答える。ちょっとこちらが儲けになるが交換成功。もっと持ってないと聞かれるが、もうないよ。でもこれは後になって気づいたが、まだ百円玉を幾つか持っていた。惜しいことをしたな。コイン数個でも数グラムはある。たった数グラムでも減らしたいのにずっと日本まで担いで行かなくてはならない。 パベルが明日の巡礼路を心配しているので、一緒に付いてって教えてやる。町の中心に駅があって、巡礼路は駅の大きな陸橋を渡った反対側だ。陸橋の昇り口には黄色い矢印もちゃんと付いているのを見て安心したようだ。 ポルトガルの道6へつづく |