ポルトガルの道16 アゲタで宴会 Aguada 6月13日 日本出発から53日目 修道院付属のアルベルゲ。下の階に下りていって手持ちの朝飯をがっちり食べる。その横をイタリアのおばちゃんが出発して行った。このアルベルゲ出入口、昨日は巡礼者専用の扉から出入りするように言われていたが、今は早朝なので幼稚園児も誰もいないからか、ショートカットできる園側の扉から出て行ったな。賢い選択だろう。 7:20、自分もショートカットになる園側の扉から出発することにする。どちらから出ても施設の外に出るにはもうひとつ外側の扉を越えなければならないが、園側から出たら外へと出られる扉には鍵が掛かっていた。あら、こりゃ困った。戻ろうにもアルベルゲの扉はオートロックなので園庭に閉じ込められてしまった状況だ。先に出発したイタリア婦人は塀を乗り越えたんかな?仕方ないから自分もそのコースかなと思っていたら、ちょうどそこへ早出の職員がやって来てくれる。よかった、お世話になったのに塀を乗り越えるなんて無礼をしないでも済んだ(やる気だったけど)。「巡礼の人はあっちから出るのよ」と優しく言っているようだ。私は自分が出したゴミを入れたレジ袋を持っていたので「それはこっちで捨てて上げるわよ」と、一応中身を確認してから引き受けてくれる。巡礼路に戻る近道も教えてくれたので、オブリガードと言ってさよならする。 昨日は38キロ以上も歩いてしまったのでスネが心配になったけど、歩き出したら何ともないので良かった。空は曇天なので、降るようなら15キロだけ歩いてアゲタの私営アルベルゲで、調子良く歩けるならその先の Albergarila Velha を目指そう。 20分ほど歩いたら、なんと昨日見た道標が現れた!!!!!あの変人イタリア姉ちゃんと分かれた分岐点で、こっちからの道はイタリア姉ちゃんが進んでった道だった。そっか、姉ちゃんはこの道がアルベルゲに続く道だと知ってたんだな。私は道標に従って別方向に歩いてしまったが、ここで気がつけばエライ回り道しなくても済んだのだ。この間違えた分岐から歩き続けて、GPSを出して気がつくまでの時間は33分も掛かっていた(写真に時間が記録されてる)。間違いに気付いてから20分戻ってアルベルゲにたどり着いたので、合計53分も余計なことをしてしまったてことか。これからは面倒と思ってもタブレットは早めに出してGPSチェックしよう。なんて一体いつから同じこと繰り返してんだよと言う話だが。 次の町に雑貨屋があったのでセブンアップ0.7ユーロを買って、道路を挟んだところにある小さな公園ベンチに座って休憩。ここにはごみ箱があるのを確認済み。空き缶は持ち歩きたくないので、いつもゴミ箱がある所で飲み食いするようにしている。少ししたら昨日のエチケット知らずの若者5人組が通過していったが互いに挨拶なし。あっちは自分たち以外は興味の外だしこっちは腹立ててるし。毎年、礼儀知らずの若者グループにはうんざり。今朝もマットレスの上で朝飯喰ってやがったな。礼儀うんぬんでこんだけ腹が立つのは自分が日本人だからか? 次に年配のソロ巡礼がやってきた。あ、この人は見た顔だな。すぐには思い出せなかったが、おっちゃんは10日前のN1ホステルで一緒だったと言って来たので思い出すことができる。日本人は珍しいから覚えて貰えるが、相変わらず欧米人の顔はすぐ忘れてしまう。公園内でちょっとお喋りしてから連れ立って歩き出す。歩くスピードもほぼ同じようだ。 Agueda de Baixo の町に入ったらカフェに寄りたいそうだが、おっちゃんのガイドブックには少し先にパナデリアがあるから、そこの方が良いとのこと。ガイドブックは良くできてるんだな、ちゃんとパン屋が出てきたので二人で入っていく。パン屋は好きなパンを買って中で飲み食いできるので割と好き。オレンジペーストみたいのが挟まったクロワッサンとビールを頼む。このおっちゃんはN1ホステルの前にも会っていたと言い出した。聞いたら確かにフィリップス、ジャンピエール達と一緒に村のカフェに寄ったときに居た人だった。あぁそうだ、N1ホステルには鼻にピアスしてた女の子もいたよねと身振りで言ったら、おっちゃんも良く覚えていてスマホに保存してあった女の子の写真を見せてくれる。 町の外側を歩いていたとき、会社に戻って来た車のセニョールがやたらと話しかけてくる。え、なに?そしたら倉庫の中から小さなビニール袋を出してきて二人に手渡してくれた。中には小さなリンゴ2個と冷えた水ボトルが入っていて、セニョールの名前や住所などが記された紙片も同梱されていた。どうやらこの人は前を歩く巡礼を見つけると、こうやってお接待してくれてるらしい。ありがたく頂く。長いことこんなことを続けているらしく、世界各国から送られてきた感謝の手紙を盛んに見せてくれる。一緒に写真を撮っていたら、あの若者5人組もやってきた。同じように袋をプレゼントされ、親切なセニョールは大忙しだ。メタボの青年はフェンス隅のコンクリートの上で、ゴロンと寝そべり出したな。親切にお接待してくれた人を前に、まったく失礼なやっちゃ。観察していると、礼儀知らずはこのメタボ野郎だけのようで他の若者は普通にしている。みんなで盛んにお喋りをしているが、私は凝った英語は理解できないので一足先に出発させてもらう。ブエンカミーノ。 冷たい水は貴重なので、温まる前に飲んでしまおう。でもさすがに500mlを一気に飲むのは良くないので半分飲んで道端のごみ箱へ。リンゴも歩きながらバリバリ食べてしまったので、エネルギー補給にはちょうど良かった。 アゲタの町へは橋をふたつ渡って入る。さっきの話によると若者達は次の町まで行くそうなので、じゃぁ私はアゲタ止まりだ。町の入り口に今晩の宿「Alberugue St.Antonio 」の矢印が出ているので迷うことなく目指すことができる。でもここはアゲタの町を通り越した町外れだった。アゲタには有名なコウモリ傘の通りがあるけど、それは傘祭りの時期にならないと飾られないのかな?アゲタではコウモリ傘通りを見られるのを唯一の楽しみにしていたのだが。 12時、アゲタのアルベルゲに到着。一番乗りだった。ここはホステルも併設している、と言うかホステルにアルベルゲが併設されてると言う方が本当かな。大きな宿で写真に写っているのはホステルの部分。アルベルゲは奥の脇から階段で下がった所だった。受付のセニョーラもホテルのフロント並みの身なりで受け答えもスマート。チェックインを済ませると一段下がったところがアルベルゲで、入る所こそ何だがなーと思わせる入口だが、ここは今まで経験したことないような素晴らしいアルベルゲだった。私営としてはちょっぴり高い12ユーロの価値は十分ある。ベッド代の他にシーツ2ユーロ、朝食5ユーロとのことだが、節約旅なのでベッドだけにしてもらう。ベッドルームは1階と2階にあり、一番の到着なので2階に3部屋あるベッドルームで2段ベッドが1台だけの個室同然の部屋をあてがって貰える。 誰も居ないので、ゆっくりシャワーを浴びながら洗濯もして、日当たりの良い物干し場に干して本日の業務終了。キッチンに何があるか確認してから少し離れたスーパーへ。途中、向こうからやって来るフィリップスに遭遇。まったく良く会うね。「ここをまっすぐ行けばアルベルゲだよ」と教えてスーパーへ。1リットルビール、冷凍パエージャ、パンはスーパーで焼いていたので、焼き立てを買うことができる。ネクタリン1パック4個入り、ヨーグルト4。ファンタの缶を買いたかったが、ここんちは6本入りしか置いてなかったので買えなかった。こっちのスーパーは袋は有料が多いので空き袋を持ち歩いているのだが、また今日も持って来るのを忘れた。同じ RiDo の袋を持ってるのに。 アルベルゲに戻ると大所帯のチームが到着してきた所だった。話を聞いてみると、みんなバラバラだが出会った者同士で一緒に行動しているらしい。夫婦が2組とソロが3人の大パーティー。わいわいと楽しそうだ。キッチンでパエージャを暖めてから、外のテーブルで食べることにする。今日は暑からず寒からずなので、外もたまには悪くない。 パベルも到着してきた。今までは3人一緒の部屋が多かったが、今回は3人別々の部屋になった。二人にはビールを一杯ずつ飲ませてアゲタ。 一眠りして外に出たら、みんなが一つのテーブルを囲んで楽しくやっている。すぐ私も仲間の輪に入れてくれる。一人だけ青年がいるが、他は全員が50代60代のようだ。パベルが74歳なので最年長かな。次がソロのアメリカ婦人で、この人も70代のようだ。年配者の中に加わるととても居心地がいい。次から次へとワインが出てきて、これどっから買ってくるのかなと不思議に思った。後になって気がついたが、アルベルゲ1階にくつろぎコーナーがあって、そこに10本近くが置かれていたのを勝手に空けていたようだ。支払い、どうするんだろう? 飲ませて貰うばかりじゃなくて自分も何か出したいな。前に買って置いたクックテイルのナッツがあるのを思い出したので部屋に戻って一袋を皿に盛って提供すると喜んでくれたので嬉しい。パベルもサラダを作って出して来たし、フィリップスもニンニクとオリーブオイルを混ぜ、小さく切ったパンに載せるつまみを作ってきた。みんな色んな芸当ができる。私ももっと何か提供したいがつまみになりそうな物はもう何もなかった。 オーストラリアの男がコインを持ってきて私に持たせた。1951年の1ペニー銅貨だった。へー、私の生まれた年と1年違いだよと珍しがったら、「おっ間違えた」みたいなことを言って別の銅貨を持ってきた。今度は私の生まれた年のコインだった。これをプレゼントしてくれるそうだ。えっ、こんな貴重なものをいいの!?もしかして何十枚も持ち歩いていて、出会う人たちに生まれた年のコインをプレゼントしてくれてるのかな?私は同じ目的で和風マリアカードを持ち歩いているが、このコインは重たそうなので大変だな。 日が落ち始めたらこれから夕飯にするそうで、本格的な料理が運ばれてきた。女性陣手作りのパスタで、これだけの人数で食べる食事を毎回作ってるのかな?流れのままに夕飯を一緒に食べさせてもらう。料理はこれで終わりではなかった。最後には大きな大きな容器に入ったアイスクリーム2缶の登場。ひえー、この上まだ食べるんか。欧米の豊かな食生活を垣間見た気がした。 日没したのに宴会はまだ続いてる。数人が自国の歌を披露して、私には日本のソウルミュージックを請われたので、待ってましたと兄弟舟を披露する。テンションがあがっているのでいつもより音量が高くなる大サービス。ネットが使えるのでカラオケの伴奏が付けられたので3番までフルコーラス。録画してる人までいたな。日本の恥にならなきゃいいが。 ポルトガルの道17へつづく |