北の道10 困った夕食 5/24 歩き8日目、7時前に起きてキッチンで自前の朝飯を食べる。ハンバーガー用のゴマ付きパンにチーズとチョリソーを挟む。キッチンにはマーガリンとコーヒーがあったのが嬉しい。洗濯物は室内干しだったが乾いている。 7:40、アルベルゲを一歩出たら霧雨が降っているのですぐ戻ってバックパックにカバーを掛けて再出発。ずっとこんな天気だが、舗装路なので今のところは雨水も靴に染みてこず歩きやすい。Lesamaの町の中に入ってきた。3年前にスペイン語を話す夫婦と宿が見つからずに三人で彷徨った所だ。あの辺りもグルグル回ったんだよなーと言う教会もそのまま見つかる。夏だけやっているアルベルゲは巡礼路から見られるかと記憶していたが、もっと奥に入らないとないようで見ることはできなかった。見たところで写真を撮るだけで用はないが。 霧雨は止む気配はなくて、今日はずっとこんな感じのようだ。通りに設置してあったお天気情報も一日雨と無情の予報を出している。雨宿りしているヒッピーのジルベルトと夫婦を抜かして歩き続ける。分岐点にある教会には大きな下屋があるのでバックパックを下ろして大休止。この後は山に入るのでビルバオまで休めるところはないだろう。持ち歩いているファンタを飲んで体力回復に努める。 9時、そこを過ぎると一気に山の中だ。高速道路をまたぐ陸橋を越えるとぐんぐん山の中に入っていく。ここの山越えは3年前とまったく同じで雨の中となった。本当にこの時期は雨が多い。いつも記憶が曖昧なのだが、今回は記憶より登りが短く感じたので儲けた気分になる。トイレ後にカバーがちゃんと掛かっていないことに気づく。教会で雨宿りしたときにザックから飲み食いの物を出した時にカバーを掛け忘れていたのだ。何気にやってしまうと大体忘れることになっている。 山の中の自然公園まで来ると、やっと人の気配を感じられる。前に青いポンチョ姿の巡礼を見つけたので付かず離れずの距離を保って後ろを付いていく。30分ほど付いてから並んだときに挨拶したら、昨日のララベツのバルで一緒だった50代の女性だった。ここビルバオではアルベルゲでなくオスタルを予約してあるそうだ。町の中ほどに入ってきたらどこかへ行ってしまった。みんなアルベルゲがあっても良くオスタルを利用しているようだ。私は経済的理由で公営アルベルゲがない場合は私営アルベルゲで、それも無い場合のみオスタルを利用する。 ビルバオは坂の街。ずっと坂を下りて大きな川にぶつかると、そこが街の底になるようだ。この川を遡って行けば有名なグッゲンハイム美術館がある筈。まずそこを目指そう。思ったより歩きでがあったが、ちゃんと美術館前に到着。昨日のアルベルゲで一緒だったおっちゃんが盛んに写真を撮っている最中だった。やっぱビルバオに来たらここに来るよね。私は3年前にもビルバオに泊まったが、そのときは夢中でグッゲンハイムには来られなかったので、今回は何としても来るんだと決めていた。その割りに中には入る気がないのはどうなんだろう。この美術館は現代アートだそうなので、そういうのは興味がないんだよね。建物と周りに散らばっている巨大クモやパピーのオブジェが見られればそれで満足。 さて用が済んだので今晩の宿を目指そう。ここからは街を貫いて山の斜面にあるアルベルゲに行くのだが、少し回り道になっても確実な道を選んだ方が身のためだろう。それに川沿いを行けば曲がりくねった有名な橋も見られる筈だ。歩いているとNHKの「テレビでスペイン語」に登場したガラス張りの地下鉄入口も見ることができた。GPSは当てにならないので川から離れたら地図だけでアルベルゲを目指す。地形が分かりやすいので暫く歩いた先に難なく黄色い矢印を見つけることができる。これでもう安心と、通りにあったパナデリアに入って甘いパンとコラカオで小休止、3ユーロと20。街の中では立ちションは出来ないのでトイレも借りる。 アルベルゲは街を少し外れた中途半端な山の斜面にある。そこへの途中で道路反対側を逆方向に行く女性巡礼を目にする。逆コースを行く人なんかなと思い声を掛けなかったが、その人が追いかけてきた。アルベルゲを探しているが迷ったので市内に戻る途中だそうだ。だったらまかしとき!(とは言わなかったが)自分はビルバオのアルベルゲ2回目だから付いて来てと誘導する。よっぽど困ったのか、嬉しそうに一緒に歩くことになる。韓国から一人でやってきた女性で、年齢は40くらいかな?ハードで有名だと思う北の道だが、ソロの女性巡礼は不思議なほどいる。みんな勇気があるね。 ビルバオの公営アルベルゲのオープンは3時だ。到着は2:15だけどものは試しとインターホンを押したら入れてもらえた。ここはドナティーボだが夕飯を食べさせてくれる筈なので10ユーロ札を入れさせてもらう。先客がいて日本人のSさん、東京は三鷹の人だった。ジブリの町だよ。前に聞いた話、、、私は泊まらなかったが日本人のソロが3人揃ったアルベルゲがあったと教えてもらっていた。その内の一人かとピンと来たので尋ねたらその通りだったようだ。しかし、この人はたまゆりちゃんを知らなかったので、一緒にはならなかったのかな。それとも初対面の日本人に自分はたまゆりだと名乗るのが恥ずかしかったのか?年齢は68歳で私よりひとつ若いが見た目がすっごく若く見える。私と同様に65歳から巡礼を始めてフランス人の道、ポルトガル、プリミティボ、イギリス人の道と巡礼はベテランの部類だ。来年は銀の道を歩きたいそうだが、親が心配するので千キロ以上の銀の道は一気に歩けないから2回に分けないといけないだろうと言っている。それも飛行機代が勿体ない気がするけど、人の事情はさまざまだ。 道案内したコリアのお姉さんが、今度はグッゲンハイムへの行き方を教えてと言うので、タブレットを見せながら分かりやすい道を教えたる。コリアの人は大体が英語が達者なので、英語が話せるスペイン人を捕まえられれば迷うことはないだろう。私が迷うよりずっとマシだ。 ジルベルトとグッゲンハイムで会ったメキシコのおじさんも到着してきて、初めて見る女性も到着してきた。どっかで会っているかも知れないが、話したことがない人だ。Sさんがワインを買ってきたので自動的にジルベルトと私も飲ませてもらえる。ジルベルトの歳が想像しづらかったが、私よりずっと若い65歳と判明。老けたやっちゃなー。 夕飯は3年前と同じで全員で食べるものと思い込んでいたが、時間になったら4人分の皿しか用意しない??Sさんとジルベルトも食べられるものと食堂にやってきたが二人の分は用意してないと言われて狐につままれたようだった。私は食べられるのに二人が食べられないのは合点が行かなくて、何故かと聞いたところ、どうも二人のドナは規定以下のようだ。そう言えば廊下に張り出されていた紙には「セナ(夕飯)3ユーロ」と書かれていた。オスピタレロに「私も10ユーロしかドナしなかったよ」と伝えると、「あなたは7ユーロがベッドで3ユーロが夕飯だ」と言われる。なんとも後味の悪い夕飯になってしまった。このアルベルゲは町からかなり離れたプチ山の中なので買い物できる店もバルも一軒もないので、二人は腹を空かせたまま寝なくてはならないだろう。Sさんに、クッキーなら持っているよと言ったみたら、自分でも何か食料を持っていると言っていた。その通りならいいのだが。 コリアのお姉さんはグッゲンハイムの帰りに大量の野菜・果物を買ってきて食べだしたので問題ないのだが。。。3年前は宿泊した巡礼十数人で面白おかしく食べた夕食会とは大違いの夜になってしまった。それにSさんには前もって3年前の楽しい夕食の話をしてたんだよなー。だから尚更食べられないと知らされたショックは大きかったんじゃなかろうか。 北の道11に続く |