何ちゃって四国遍路旅16  災難は忘れ頃にやって来る

11月16日 (水) 遍路30日目イーストパーク栗林

タイトルと日付が被ってますが関係ありませぬ。
「遍路○日目」の数字ですが、実際の日数より二日少なく書いていることに気づきました。10月25日と11月7日に1日ずつ減らしていました。面倒なのでこれ以前の旅日記は訂正しませんが、今日からはプラス2日して「遍路32日目イーストパーク栗林」と変更します。すいません。


5:45 からパッキングはじめて7時にホテルを出発。出がけに何を思ったのかバックパックを背負ったまま意味不明な写真を撮っていますが、自分でも記憶にありませぬ。なんだったのだろう??脳軟化?アルツハイマー?


近くの琴電栗林駅から乗って、すぐ同じ琴電の別路線に乗り換えて琴電屋島駅へ。駅前から屋島の山が目の前にドーンと横たわっていました。今日は朝からあのテッペンまで上るんだってよ。


町中を離れて行くと、屋島の山全体が見渡せる所に出たので、その全貌を動画でなめるように撮影してみました。現在は陸続きになっていますが、源平合戦の頃の屋島は本当に独立した島だったようです。


写真に撮るとそれほどに見えないでしょうが、そこからはすんごい急坂に痺れました。こんな急坂は車でも大変じゃなかろうか。滑り止めのための模様が路面に施してあるので、その急角度が分かると思います。地元の人は慣れているのか、数人の散歩途中の人とすれ違いました。何も背負ってなければ簡単に上れるもんなのかな?こんな角度の坂が延々と頂上の屋島寺まで続いています。


途中には何やら謂れのありそうな石仏群があったり、地元の婦人会らしき人たちが落ち葉を掃いている所を見ると地域で愛された散歩コースなのかも知れません。大分上まで来たところで下界が良く見える所があり、石のベンチがあったので持参の弁当をパクパクしていると、上から降りてきた婦人が「もうすぐですよ」と声を掛けてくれました。大きなリュックと菅笠を持っているので遍路とわかるのでしょう。ニセ遍路ですがこういう声掛けは力になって嬉しいです。わざわざ声を掛けてくれると言うことは、やっぱり地元の人でもこの急な坂が大変と言うことを理解しているのでしょう。

昨日は飲むことがなかったペプシのペットボトルを良く見たら、ずんぐりと太い。それで気がついたが、これは500ミリじゃなくて600ミリのサービスボトルだったんですよ。牛乳パックも積んでたし、どうりで普段よりバックパックが重く感じたはずです。


やっとのことで84番屋島寺に到着しましたが、左のふくらはぎが悲鳴を上げだしました。こむら返りは突然やって来て一過性のものですが、今回のはじんわりやって来てずっと続いてるので始末が悪い。普段より重いリュックに加え、急坂を上って来たので無理が祟ったようです。結局、この後はずっと足を引きずりながら歩くことになってしまうことになるとは。歩き旅では何度もこういった不調に悩まされていましたが、肉離れは初めてでした。もう無理が出来ない年齢になってきたと言うことなんでしょうか。気持ちだけは若い気になっているのですが。


ここはテレビで何度も見た、瓦投げの展望台がありました。道々の土産物屋にはセットで200円の瓦(平べったいお猪口サイズ)が並んでいますが、そんなの絶対やらないけどね。瓦を投げて、あの空中に吊してある輪っかを通過すると何か良いことがあるそうです。商売とはいえ色々考えますね。物好きな人は挑戦するのでしょう。

この辺りは急峻な崖になっているので、源平合戦の時に義経が「鹿が降りられるんじゃ馬だって降りらんじゃない?」と言って崖を下り、平氏の後ろから攻めたとか何とかはこの辺なのかなーと思いながら見ているが、それらしい看板がないので皆目分かりません。折角源平合戦の舞台に来てるんだから、もっと歴史の情報を仕入れてくれば良かった。遍路の旅は全国旅割りが始まったので急遽決めたのでロクナ準備をしないまま出発してしまったので、アチコチで抜けがあります。これを間抜けと言います。

次の八栗寺は一端屋島を下ってから写真に見えている向こうの山の中腹にある筈ですが、瓦投げ周辺をぐるっと廻って見てもその降り口が見つかりません。どうやら下る道は寺の外に有るらしいのが分かったので血の池と言う物騒な池の隣を歩いていくと、ようやく次の山が見えました。


屋島の山から遥か彼方を見ると、次に上る山が見えてます。これから山を下って向こうに見える85番八栗寺まで登らなくてはなりません。その全貌を見渡せるのはちょっとうんざりします。嫌なら最初からやるなですけどね。好きでやってるんだから仕方ないです。大金使って文字通り苦労を金で買いに来てるんです。

帰ってからこの旅行記を書くに当たって屋島での源平合戦についてググってみると、屋島を降りて次の寺がある向こうの山との間がかつての古戦場だったのが分かりました。有名な那須の与一の扇を射抜く話もここでした。扇を射抜いた所は正面の海岸ですが、写真には見えてない左の方で、そこには記念碑があるそうです。その頃の屋島は独立した島だったので、本当に屋島だったそうです。行く前に調べておけばそのイメージを元に見られたのですっごく惜しいことをしました。せめて屋島の歴史だけでも学習しとけば良かったです。


向こうに見えている山に渡らなければならないので、下山ルートを探しながら歩くと、どうも地図と違うので散歩中の地元の人に教わりました。既に下山の遍路道は通り越しているとのこと。こういうちゃんとした道じゃなくて、うんと細いのがあるって。そう言えばそんなのがあったと思い出しました。崖下に落ちていくような余りに粗末すぎたので、もっとマシな道があるだろうと高を括って通り過ぎていたのです。500mほど戻ると、確かに小さくへんろ道と書かれている木片がありました。落っこちるんじゃないかと思わせるほどの急な下りなので道には見えなかったのです。


落ちないようにスティックで支えながら慎重に降りなければなりませんでした。うっかりすると捻挫くらいじゃ済まないような、まるで崖下りです。余りに危険な箇所には掴まって降りるためのロープまで張られていました。

やっと一段落できる所に出られたので、飲み残しのペプシを飲んで一息入れてると、後続のソロの男性がやって来ました。お互いに、すごい下りだったねーと慰めあいました。この人は隣の徳島の人でした。だから歩き終えたら今日の内に家に帰れるそうです。その後、青年3人の外国人パーティーもやってきました。国を聞いたらフランスだそうです。一人が少し日本語を喋れたので交流がしやすい。コロナの為に厳しかった入国審査が軽くなったので外国人遍路も増えてきたってことなのでしょう。インバウンドと言うやつか。


デンジャラスゾーンを抜けて、やっとのことで平地に降りられたので、昼飯を食べたいなぁ、うどん屋がないかなぁと欲が出てきました。食べられるところを探しながら歩くことしばし、またマルナカがあって壁には大きく「マルナカで休憩」と書かれた看板があったので期待して入っていくと、店の一角に自由に飲食できるコーナーがあり、そこにも「店内で買ったものをここで自由に食べられます」と書かれています。渡りに船!早速、クーポン券が使えることを確認してカツ丼と鶏肉、それに初めて飲むプロテインと書かれた栄養ドリンクを追加(クーポン券の千円にするため)してお昼にしました。このコーナーには電子レンジも水道もあって至れり尽くせりです。


店内をウロチョロしたときに、イージーパンツがあるのを見ていたので、そろそろ穴が空き始めたズボンを交換しましょうかね。まだ暫くは持つだろうけど、次に洗濯したときに力を入れて絞ると破ける気がします。その時にタイミング良くズボンが手に入るとも思えないので前倒しです。黒のLL千円を購入。安いだけに生地がペラペラだけど歩いていれば暖まるので問題ないでしょう。ボロクなったズボンは即刻暇を出しました。荷物増やしたくないので。

足は時間と共に痛みが増すので、それから宿に到着する5時近くまで7時間ずっと足を引きずらなくてはなりませんでした。災難は忘れた頃にやってくる。


85番八栗寺へ上るにはケーブルカーがあります。痛い足を引きずりながらなのでケーブルカーの一択と決めてましたが、全ての遍路(みんな車遍路)はケーブルカー利用で何人もが待合室で出発を待ってました。遍路道はケーブルカー駅の隣りから上って行くので、よっぽどの人じゃなくちゃケーブルカー利用になるでしょう。運賃は往復で千円。切符売場にはご丁寧にクーポン券が張り出されてあって、利用可能なのが一目で分かりました。


と言うことで本日最後の寺に到着~。嬉しくも何ともありません。そう、四国遍路って不信心者の私には喜びも楽しみも何もないのです。寺は遍路に興味がないようだし、坊さんが遍路を労っている姿を見たことがなかった。サンチャゴ巡礼みたいなホスピタリティーを四国遍路の寺に求めてはいけないのが分かりました。遍路は甘えてはいけないのです。


それからは予約した宿までひたすら歩きました。歩き続けると痛みが増してくるので悪化してるようです。徐々に立ち休みを入れながら歩くようになりました。道端にレディの薬屋があったので塗るアンメルツを買ってぬりぬりしながら歩いてみましたが効果がすぐに現れる訳がありません。

向こうからやって来たパトカーがプップと鳴らした気がするので、もしかしたら応援のプップだったのかも知れないと都合の良いように想像しました。同じ国道を足を引きずりながら何時間も歩いているので巡回中のパトカーが覚えていたのかも。そうなら嬉しいけど実際は不明です。この近くに道の駅「源平の里むれ」があることをチェックしていましたが、今はそんな寄り道どころじゃないのでひたすら宿を目指して真っ直ぐ歩くことしか考えられません。


少し迷ったけど、やっとのことで本日の宿たいや旅館に到着~。足が痛いので宿から数百メートル離れた寺には明日訪問します。


この宿は遍路の為の宿なので、朝食付きでも4000円とリーズナブル。ただ、全国旅割りはなしですが、部屋はツインでキレイで広いし値段以上と思います。洗濯物もかごに入れとけば洗濯乾燥されて部屋まで届けてくれます(無料)。こう言う人たちが四国遍路を支えていると強く思う今日この頃です。肉離れについてググると冷やせと書いてあったので、湯船から片足を出した変な格好で入浴しました。


写真はいつものとおりコンビニで買ってきた今晩の夕飯です。酒の肴は昼間あのマルナカで食べきれなかった鶏肉です。腹が一杯になったら無理して食べきらなくても持ち歩けば後の楽しみに繋がります。


11月17日(木) 遍路33日目 たいや旅館

6時前から起きて入念にパッキングに精を出しました。スペインで買ったボルタレンを持っていることを思い出したのでふくらはぎに塗ってみました。出きることは何でもやってみます。宿の近くに整体医院があるが、一回やっただけで改善するとは思えないので行かない。逆に揉み返しで悪くなったらそっちの方がもっと困るし。


6時55に朝食の用意ができたと知らせてくれました。米も味噌汁も驚くほど美味いです。誉めたら自慢の何トカ米らしい。テレビではポーランドにウクライナの迎撃ミサイルが落ちたと騒いでいます。それと土曜、日曜は雨の予報が出ています。取り合えず明後日の大窪寺まで歩くのは降られずに済みそうです。

今日はショートコースなので、朝食後はじっくりと今後の作戦を練っています。明日の88番へのバスと帰りのバスの算段。宿から琴電の駅がすぐ近くで、琴電で高松に戻れて高松からなら徳島行きの電車があるのが分かりました。でもちょっと遠回りだな。

ご主人に納め札を進呈して出発。知ってる人は知ってると思うけど、納め札は遍路が寺にやって来た印に「納め札入れ」に投函する札です。お接待してくれた人にも渡すのが習いらしいです。ニセ遍路の癖して特に金の掛からないことは真似してます。


朝イチでやって来たのは86番志度寺。昨日は近くまでやって来たのに足が痛くて寄りませんでした。まぁ金の臭いがプンプンする寺とは真逆の寺に見えました。荒れ放題と言うと言いすぎか知れないけど、見かたによっちゃ自然がいっぱいの寺で私は好感が持てました。


ここで職業遍路さんを初めて見ました。余り聞かない言葉と思いますが、ようするに遍路みたいな事をやってるけど実態はホームレスらしいです。以前、ひとの遍路ブログでこの荷物をいっぱい付けた乳母車の写真を見ていたのでピンと来ました。乳母車には「全国徒歩旅行中カンパ願います」との張り紙がありました。


寺の近くに平賀源内の墓がありました。ここにねー、へーと思いましたが平賀源内のファンでも何でもないのでそれ以上の事はありません。平賀源内の墓はここと東京の二カ所にあるとか何とかだそうです。どなたかが綱引きでもしたんでしょうか。

ここ、志度の地も源平合戦の古戦場でした。ネットでは何でも探せるけど、帰って来てから見つけてもなぁ。

足が痛いので今日はショートコースで良かった。どちらかと言えばショートコースは痛いまま長い距離を歩き続けなくてはならなかった昨日のほうがずっと良かったけど。でも昨日よりはずっとましでした、痛みが少ない歩き方を開眼したのです。痛む方の足をちょっと外向きにして、歩幅を小さくすると痛みが少ないのです。昨日気づけばもっと良かった。宿の階段も痛い方の足を先に下ろして、痛くない方を揃えながら下りると痛くないことも発見しました。


立派な遍路休憩所があったので休んでいきましょう。ちゃんとした家の作りでサッシの扉まで付いています。蹴上がりの後ろには仏像があるので、その前で寝るのは憚れるが、泊まるには絶好の休憩所です。美味そうな最中がいっぱいお供えしてあるが、これも自由にいただいて良いものじゃなかろう。ここの柱に今晩の宿tek-tekさんの名刺が画鋲で止めてありました。あとでtek-tekさんに言ったら、泊まった人が勝手に張ってくれたものだそうです。

遍路道は幹線道路から一本離れた所を続いていました。またこのパターンか、そろそろ昼飯時なのに、こっちを歩いていると店が無いんじゃないかな!?と一抹の不安がよぎります。12時近くにまた遍路の休憩所があったので休んで行くことにしました。隣りに大きな駐車場があって車がいっぱい停まってるけど、その割りに大きな会社も店も無いので不思議だったが、これはもしやと思って駐車場を探索に行くと

店には見えないうどん屋さんがあって客が吸い込まれて行きます。間口が極端に小さいので気がつかなかった。ここは地元の人しか来ないんじゃないかな。

中に入ると入り口からは想像できいないほど広くて客がわんわんいます。すっごい幸運です。沢山あるテーブル席の他に、座敷にも人が沢山居ました。キツネうどん470円で薬味をいっぱい入れました。ここも出汁が濃厚で美味かったです。


写真は87番長尾寺。今晩の宿はこの近くですぐ見つかりました。宿の近くには今晩の宿候補に上げていた小さな遍路宿があって、臨時休業の札が掛かっていました。歩き遍路は少なくなっているそうだし、もしかしたら私がこっちの宿に予約を入れたら今日も営業してたのかも知れません。気の毒ですがどうすることも出来ません。

tek-tekさんの入り口には「お遍路さん中で自由に休んでください」と書かれています。入り口から声を掛けても応答がないので勝手にソファーで寛がせてもらいました。上手い具合にwi-fiもあったので遊んでいられます。


親切なオーナーがやって来て面倒を良くみてくれます。やっぱり遍路の宿って一般の宿とは違いますね、すごく親切。今日はここまで来るのにうどん休憩いれて4時間近く掛かったことを言うとビックリしていました(遅くて)。こんな足なので明日は遍路センターからはバスにすると言うと、遍路センターまで送ってくれると言います。遍路センターはここから5.2kmしかないけど、足が痛くても3時間あれば着くので遠慮しました。最後の寺に行くのに全部車じゃさすがに情けないので。

明日、88番の大窪寺に着いてからの身の振り方を相談しました。琴電だと直接徳島へ行く電車はないが、JRならあるらしいので今朝出発した宿に再度泊めてもらって、次ぐ朝の電車で徳島に行くことに決定。携帯がないので電話を貸してくれと言うと、たいや旅館に自分の携帯で電話してくれました。おまけに、それなら重い荷物はたいや旅館に届けるので身軽になって歩いて行けば!と言う有り難い申し出までありました。私みたいに前日の宿がたいや旅館の遍路もいることだし、たいや旅館さんに一度挨拶しておきたかったそうです。

これで明日の道筋がハッキリしたので気持ちが晴れ晴れしました。四国に来る前から88番を詣でた後の身の振り方が曖昧で気持ち悪かったのです。大体、来る前は雲を掴むようでも現地に来ると何となく上手く行ってしまう見本のようなものですが、前日に明日の事がハッキリするのは度が過ぎているかなぁ。

じゃぁ次は徳島に二泊する宿の選定です。明後日は土日なので、すんなり決まるとは思えませんが運に頼ります。私は4つの予約サイトから一番適切なホテルを探しますが、それぞれ契約してる宿が違うようで別々の宿を提示してきます。その中から徳島駅の目の前にあるちゃんとしたホテルを選びました。ビジネスホテルですが、何度か利用したチェーンのホテルよりイッカク上の気がします。滅多に選ばない類いのホテルなので料金もイッカク上ですが、全国旅割りの威力は大きくて、ちょっと高級なホテル(私にとって)でも躊躇なく選ぶことができます。土日なので二泊の宿賃が違いますが合計で19600円。あの素泊まり9000円の宿を越えました。旅割り40%オフの値引きが7840円で差し引き11760円。クーポン券4000円貰えるので実質7000円弱です。一泊3500円は普通ならドミトリー価格でしょう。ありがたいありがたい。

明日は最後の88番寺を目指しますが、足がこんななので途中からコミュニティーバスを利用する作戦です。ひとの遍路ブログでもひとつだけこのバスの事に触れてましたが、年数も経っていることだし一抹の不安がありました。でも、貰ったバスの時刻表で確認したので間違いありません。ちゃんと88番大窪寺の表示を見つけました。現地に来ると色んなことが鮮明になってきます。


キッチン右側ににあるコーヒー紅茶やお菓子は自由に食べて良くて、冷蔵庫にある飲み物とテーブル上のツマミは有料とのこと。早速缶ビール(第三ね)と、ツマミには砕いたチキンラーメンを頂きました。


ここんちは基本素泊まりですが、希望者には近くの仕出し屋から弁当を注文できます。もちろんお願いしました。朝晩二食で千円なのでクーポン券でお支払い。この弁当が値段よりずっと豪華でした。ちゃんとしたレストラン並みの弁当なのに、二食で千円は安すぎだろう。こんなところもやっぱりお遍路の宿なんかなー。何から何まで親切なので、感謝の気持ちでいっぱいになりました。


宿賃はドミトリーじゃなくて一人部屋をお願いしたので5000円。その方が旅割りの関係でドミトリーより逆に安く泊まれるそうです。旅割り分2000円を引いた宿賃が3000円。クーポン券3000円貰えてそこから千円の弁当代払いました。実質タダで泊まってます。


キッチンにいたドイツのカップルと話したあと部屋に戻ると、いきなりフェイスブックの友達申請が来ました。覚えのない名前だったので、もしかしたらとドミトリールームに確認に行ったら当たりでした。勿論オーケーです。女性はカミーノ経験者だったので、和風マリアカードを進呈したので、それで私のアカウントを探したようでした。四国遍路やってる外国人はカミーノ経験者が多いです。

ドイツ語で「おやすみなさい」は何て言うのかタブレットの翻訳で調べてから言ってみたけど、発音が全然違うようで伝わりません。そしたら女性がスペイン語で「ぶえなすのちぇす」と言いました。カミーノを歩いたのでスペイン語も少し喋れるらしい。外国の方に旅割りは関係ないので、一番安いドミトリーを選んだようです。ドミトリーにはこのカップルしか泊まらなかったので快適だったでしょう。私の隣の個室には同じ群馬県の若者が連泊していました。この青年は遍路じゃなくてオートバイで旅行をしているようです。

キッチンでハイボール缶など3つ頂いてツマミを貰っていたので、千円のクーポン券上げたら貰い過ぎだから、あと缶を2つ貰ってと言うので缶酎ハイ1つと歯ブラシを2本貰えば十分です。私は素泊まりの安宿ばかり専門に泊まっているので歯ブラシが貰えないことが良くあるのです。ここんちも歯ブラシは50円と有料だったので丁度良かった。


何ちゃって四国遍路旅17へ続く