何ちゃって四国遍路旅17 88番大窪寺到着

11月18日(金) 遍路34日目 tek-tekさん

菅笠の頭に乗せるヒゴの部分が壊れかけているので修理を試みました。だが道具も材料もないので大したことは出来ないが、運良くヒモだけはあるのでこれで応急修理ができます。やっぱりヒモは応用が利いて重宝するときがあります。家に居れば何てことない道具やヒモさえ旅先では手に入りにくく貴重なパーツとなります。


7時前にキッチンに降りていってコーヒーを頂くことに。ドイツのカップルはもう出発するようなので、一緒に写真を撮らなくては。オーナーも泊まった人の写真は撮り続けているのか、一緒になってスマホで撮っています。カップルの方もスマホを取り出して、順番に大撮影大会になりました。

カップルは昨日、近くの永尾寺にお参りしてなかったので、一足先に出発して行きました。最初に87番永尾寺を廻ってから88番を目指すとのこと。

ところでこの長尾寺についても帰ってきてからググったところ、あの静御前が義経と別れたあと、故郷のこの辺りに帰ってきてこの寺で得度したそうです。つまり尼さんになったようです。その時に剃髪した髪の毛を埋めたという髪塚がこの寺にあったんですよ。そんなエライ歴史があるとは知らなかったので髪塚はおろか静御前のことを髪の毛ほども思い出さなかったので惜しいことをしました。いつものことで仕方ないですね>自分

さて私も出発です。自分のバックパックの中の重たい荷物はオーナーが今晩予約した「たいや旅館」に運んでくれることになったので、シュラフはじめ、不要と思われるものをいっぱい預けて軽くなったザックで出発。これなら足の負担がかなり減ると思います。


まもなくドイツカップルが追い付いてきてsee you laterと言い残して風のように追い越して行きました。二人とも長身なのでさすがに歩くのが早く、みるみる内に遠ざかっていきます。私の方は相変わらず足を引きずっているので普段の3分の1くらいのスピードしか出ないが歩いていられるだけ増しです。今日も昨日開眼した痛くない歩き方でペタペタ歩いて行きます。


道端で昨日貰っておいた弁当を広げました。ベンチでもあればと思ったが、この道沿いにそう言うのはないし、遍路小屋もないのでガードレールのコンクリートが朝食会場になりました。人里離れた山の中なので通る人がまったく居ないので道ばたで食べていても気楽です。


小さいおむすびとオカズが一緒に入った弁当で、やっぱり歩いているときは米の弁当はありがたいな~。そうこうしていると車が止まって知らないおじさんが「遍路会館に寄ってね」と声を掛けてきました。遍路会館の関係者かな?もちろんその積もりですよ。


他の人が書いたブログに良く登場していたダムが見えてきて、手前の薄暗い所には東屋がありました。ブログで読んだ時には東屋かダムの上で野宿した人がいたような気がするが、こんな何もないところで寝たのか?野宿するだけあって良い根性だなと思った。私も若い頃は野宿前提のサイクリングを何十回とやりましたが、さすがにこの年で野宿はやりたくないです。

話はまた脱線しますが、これ読んでいる人の内、何人の方が野宿を経験したことがありますかね!?私の野宿スタイルはテントを持たずにどこかの屋根の下を拝借するコバンザメ野宿でした(過去形)。元々ビビリなので一層そう感じるかも知れませんが、野宿って物音に凄く敏感になるんですよ。暗闇で寝る訳ですから一番怖いのは人の足音です。翌朝に空が白んでくるとようやく安心して眠ることができたりするんですよ。もし貴方がこういう体験をやってみたいなら簡単にできますよ。自宅から離れた所ならどこでも良いですから道ばたで一晩寝てみて下さい。即座に野宿の心持ちが手軽に無料で体験出来ちゃいます。


予測より1時間早い9時20に遍路会館に到着しました。足の具合は昨日より増しになった気がします。本当にそうなら嬉しいけど無理は禁物です。入り口には「四国遍路を世界遺産に」と登り旗がたっています。このキャッチフレーズは四国のあちこちで良く目にしたので関係者は躍起になっているようです。中に入っていくとドイツのカップルがいました。もっと先に進んでいると思ったが、ここでゆっくりしていたようです。最終目的地の大窪寺までは元気な二人ならあと2時間ほどでしょうか。時間が早いことだし今日は余裕なのかも知れません。

係の女性がアンケートを書いてねとお願いしてきました。全部歩いた人にはナントカ認定証みたいのを発行してくれるそうです。私は愛媛の34寺をスルーしてるので、その対象ではないよと言うと、じゃぁ後で残りの寺を参拝したと連絡してくれれば発行するので、申し込みだけしてと言ってます。どうやら歩き遍路の実績が欲しいらしい。世界遺産申請に必要なんかな?

同じテーブルに山積みになってる認定証なんか欲しくないので断りました。もとからニセ遍路だし興味がありませんがな。ティッシュ入りの綺麗なティッシュケースをプレゼントするので好きな柄を選んでくださいと箱に入った沢山のティッシュケースを見せてくれますが、少しでも荷物を増やしたくないのでそれもお断りしました。それよりミカンが欲しいけどないの?


遍路会館の中には四国全体のジオラマがあって、ボタンを押すとそれぞれの寺の位置に赤いランプが点く物でした。面白いので自分が歩いてきたあちこちのボタンを押しまくりました。山の形もちゃんと作ってあるので、遍路転がしの辺りを覗き込みました。上の写真で赤いランプが灯っているのがその焼山寺です。小さな茶色い小屋みたいのは遍路が巡るお寺です。ジオラマの他にも施設の中には遍路と関係する色んな物が陳列してあるので、そこそこ楽しめました。

ドイツカップルは出発していったけど、自分は足が悪化すると困るのでここからはバスを利用します。11:33のバスなので、まだ2時間も待たなくちゃならないけど仕方なかろう。日の当たるベンチに座って行き交う人や車をボーッと眺めることにしました。オートバイの兄ちゃんが威勢良くやって来たが、遍路の白衣を着て長い金剛杖をバイクにおっ立てています。自転車遍路は見たことあったけど、オートバイ遍路は初めて見たな。金剛杖は必要ある?オートバイに立てておくのは危険なだけなんじゃ!?

バスの時間が近づいて来たのでバス停となりに移動しましょう。すぐ前の道を年配のお遍路が通りすぎて行き、かなりの歳に見えるのに達者だなぁ。私も肉離れさえなかったら歩けたのに、ここでバスを待ってるのがちょっぴり恥ずかしいよ(ちびまる子風)。

バスは5分遅れでやって来たが、予想に反して満員御礼状態です。通路まで人がびっしりと立っています。カーブがきつい山道で右に左に振られ、つり革に掴まっている手が痺れてきます。運ちゃんは近くの乗客とずーっと大声で喋りっぱなしなので、このバス会社は随分と緩いんだなと思った。幾ら地元の人で顔馴染みと言ってもねぇ。バス旅プロの太川さんが見たらなんと言うか。

寺まではバスでも結構な時間が掛かったので、元気な人でも歩いたら2時間は必要だった気がする。私なら5、6時間かも。バスにして正解でした。


バス停は寺のすぐ前だった。門前は店が数件並んでいて、うじゃうじゃ居るのは殆ど普通の観光客のようです。遍路らしい人は余り目につかない。寺の周辺は紅葉真っ盛りでした。それで観光客が多いのかな。


ここは打ち込みうどんと言うのが名物なので食べようと思っていたが、昼の時間なので大行列になっています。時間的にこうなのか、それとも何時に来てもこうなのかは知らないが、店の外にはどこそこのテレビ番組がいついつ来てタレントは誰だったとかの看板が何枚も掛かっているので有名らしいのが分かりました。近くにもう一軒打ち込みうどんを食べさせる店があるが、そちらには行列がないので空いているのには理由があるだろうと、食べるならこっちと決める。


取り合えず昼時を過ぎれば大行列も減るだろうと、先にお参りを済ますことにします。と言うことで、とうとう88番大窪寺に到着~。と言っても途中の寺は34もスッ飛ばしているのでやった~と言う感激はありませぬ。この寺で最後になるので、般若心経もこれで最後。小さな声でぶつぶつと唱えました。これでもう一生唱えることはないでしょう。


思ったより広い寺なので、あちこち徘徊しました。お砂踏み道場と言う一風変わった建物があって「希望者は寺まで」と張り紙がありました。意味不明なので後で調べたら、八十八ヶ所の寺の砂が踏めて、一周すると八十八の寺を廻ったのと同じご利益があるとかないとか。ホントか!?もちろん有料です。仏教って大きな数珠をぐるぐるするだけで経を何十回も唱えたのと同じご利益があるとか、灯籠みたいのを回すだけで経を唱えたことになるとか、何かと御利益に繋げるとこあるよね。御利益って具体的に何なんだろな?

遍路最後の寺なので、苦楽を共にした金剛杖をここで奉納できるそうです。1本2000円なり(まっぷる情報)。同様に最後の寺なので、結願証明書と言うのを書いてくれるそうです。こちらも1枚2000円。最初の寺では坊さんが遍路の心得を一人2000円で解説してくれるそうです(まっぷる情報)。遍路に出発する人がいるのは僧侶としたら喜びの筈で、金を取るどころじゃないと思うんですがね?

実は今回の遍路旅には二つ目的があって「お接待の体験」と「寺の悪評の確認」の腹黒い使命がありました。沢山読んだ歩き遍路ブログで寺を酷評している記事を何度も目にしたからです。中には「◯◯寺の坊主は糞坊主」と表現している女性遍路もいましたし、坊さんとバトルになった女性遍路もいました。実際に出会った人達から聞く寺の評判は思わしくなく「あの寺の住職は良い評判を聞きません」と話す遍路宿の主人とか、特にベテラン遍路さんは詳しいので拝金寺を酷評していました。御朱印帳に書いて貰うと300円ですが、協定破りの寺は勝手に500円に値上げしているとベテラン遍路さんは激怒していました(これ書くの何回目?)。私はもちろん大金が必要な御朱印集めは最初からしません。モチベーション低下のひとつかな。サンチャゴ巡礼でも毎日スタンプを押して貰いますが全て無料です。まぁスタンプ押して日付を記入するだけですから。


遍路で結願証明書に当たるのを最終目的地であるサンチャゴの巡礼事務所でも発行してますが、立派な証明書なのに無料です。距離証明書を書いて貰うと3ユーロ。証明書を入れる筒は2ユーロです。サンチャゴから更に遠く、フィステラとムシアと言う聖地まで歩く巡礼がいますが、その二ヶ所でも無料で立派な到達証明書を発行してくれます(左の2枚)。

宿坊にあたる巡礼宿を教会や修道会が運営していますが、料金の殆どは巡礼自身が決めるドナティーボ(寄付)の形態です。定額であっても千円程度と格安です。その代わりドミトリーですが。このようにサンチャゴ巡礼と比較するとあらゆるものが高額なのが四国遍路でした。私は余計な金は使わないニセ遍路ですが、真面目な本物遍路さんは出費がかさんで大変だと思います。以上のことから四国遍路が世界遺産に認定されるのは難しいと思います。もし登録されるとしたら、四国の人たちのお接待の心と思います。これは世界に誇れるものでした。


話しは元に戻って、うどん屋に戻って来ました。やっぱりまだ行列を作っていますが前よりは短いので並んでみました。大きな店なので意外と早く座ることができ、小さなヤカンがまず運ばれて来ました。これもまた味がある接待です。安い方の打ち込みうどん900円とオレンジジュース200円。ジュースはクーポン券の千円にするためです。運ばれてきたうどんは白味噌仕立てでボリュームがありました。鍋の下から色んな具材がザクザクと掘り出せます。味はと言うと、まぁ普通です。私の地元群馬は元々うどんが美味い地域なので(日本三大うどんの水沢うどんが近いです)、ここのうどんは特別美味いと言うよりテレビで話題になったので混雑してる気がしました。香川は元々「うどん県」なので、他と同じで美味いうどんでした。

バス停の時間をチェックしてたら離れたベンチから手を振るドイツカップルがいました。寒いのに日陰で座っています。「寒くないの?」と聞いたけど平気らしい。ドイツって寒い地域だったのかなと思いました。国によって肌感覚が違うことは知ってました。以前一緒になったイギリス人が寒いのに日陰で寛いでいたので今回のように「寒くないの?」と聞いたら、自分が住んでいるところは寒い地域なので、ここが丁度良いと話してました。そういうもんなのか。


自分にとって今の時間帯は既に寒いので、日向になっている本堂前に移動して待つことにしました。帰りのバスは16時の1本しかなくて、まだ3時間も待たなくてはなりません。日が陰ってくるとまた日が当たっている場所に移動するを繰り返すと言う、何とも情けない待ち時間を過ごしました。

とうとう日向が全てなくなりました。せめて防寒着がもう少し増しだったらと思うも今着ている雨ガッパしかありませんから、じっと耐えるしかありません。情けなか。西原理恵子の漫画の中で「幸せとはお腹が空いてないことと寒くないこと」とあったのを思い出しました。


待ち時間が1時間を切ると嬉しく感じてしまう。30分前になったのでバス停に移動すると、遍路のおじさんがバス停は道のどちら側だろうと話しかけて来ました。それから話すようになって、バスに乗ってからも隣の席でずっとお喋りすることができました。遍路はこれで6回目で全て歩いているとのことですが、これで最後になるだろうと言っています。かなりの歳に見えたので聞いてみると81歳だって言うから凄い!


今晩はどこに泊まるのか興味があったので聞いてみると、このまま東京に帰ってしまうそうです。えっ、そんな魔法みたいな手段があるの?私と同じバスの終点の志度駅から電車で高松へ、高松空港からは最終の飛行機を予約してあるそうです。ベテランらしく、やることがなんとも素早い。私は肉離れしてるので遍路センターからバスに乗ったと言ったら、このオレンジのカッパに見覚えがあるとのこと。じゃぁ遍路センター前を歩いていた年配者はこの人だったのかとこちらも気づきました。


山の夕暮れは早く、市内のあちこちを回るバスなので志度駅に着いた頃は、もう真っ暗になってました。

志度駅のチケットセンターで明日の徳島行きを購入、1100円もちろん各駅停車。チケットセンターを出たところで駅の切符を購入してきたおじさんと再会しましたが「待っててくれたんですか!」と感激しているので本当のことは言いませんでした。せっかく感激しているところに水を差すのも何なんで。


たいや旅館へ行くと既に風呂の用意ができていました。ずっと寒い思いをしてたのでありがたい。今回も無料の洗濯をお願いして駅前のローソンで夕飯を調達。缶ビールと、今日は寒かったので日本酒の熱燗が飲みたいからワンカップも購入しました。つまみ用には餃子で、主食はオムレツを選択。熱燗は部屋にあるティファールを利用すれば可能です。最初から熱湯にガラスのワンカップを入れると危険なので2段階で温めました。

カミーノ友達のCさんからメッセンジャーが入って、私のFacebookを覗いたら四国に居るのが分かったので連絡してくれたそうです。現在は淡路島が見える本州側に住んでいるので四国からは近いとのこと。11月は忙しいが12月なら時間があるので一緒に食事でもどうかと誘ってくれますが、ちょっと予定が立たないな。

肉離れになったので暫くゆっくりすると書いたら、Cさんは仕事で3日間東京に行くから留守になる自宅で療養しても良いですよと言ってくれました。幾ら何でも、さすがに留守のお宅に入る訳にはいかんでしょう。しかもCさんは女性だし。でもその申し出はとても有りがたいと返事をしておきました。

また夜中に寝汗をかきました。要するに厚い布団を掛けて寝ると暑くて寝汗になるようです。うえるカメでは毛布だけだったので、4晩とも寝汗がなかったので。



11月19日(土) 旅に出てから35日目 たいや旅館

もう遍路は昨日でおしまいになったので、今日からは普通の観光客になります。なのでこれからは単に35日目だけとしました。


5時前に起きて準備開始。朝食まで時間がたんまりあるので、これから行くかも知れない熊野古道の情報収集に時間を掛けました。ノートとタブレットの地図に、熊野古道中辺路(なかへち)ルートのポイントである王子を全て記入して、宿のある地点も書き出しました。田辺から熊野大社を目指す中辺路ルートの間には宿が少なく、近露と言う村に集中してました。近露の民宿には数年前に熊野古道を歩いた時に泊めてもらいました。近露以外では宿はほとんどないのがはっきりしたので、長距離を歩けない今の足では不安です。熊野古道は山の中をずっと歩くので、四国遍路みたいに歩けなくなった時の脱出ルートが望めません。足を怪我している身としてはこれは危険なのがハッキリしました。と言うことで熊野古道歩きはあっさり諦めました。何でも自由決められるのが一人旅の良いところです。


今朝の「たいや旅館」さんの朝ご飯、一昨日と同じくとても美味しい米と味噌汁で感激です。本当に遍路に優しい宿で、こういう宿は歩き遍路が年々減っていくのに伴い、年々減っているそうです。昨晩の宿泊者は私だけだったし、遍路に最適な今の時期にこれではやってけないでしょう。

不器用なご主人で愛想は言えないようですが、遍路を応援する心持ちがじんわりと伝わる良い宿でした。これからも末長く遍路の為に続けてもらいたいと願いました。もちろん一般の旅行者も泊まれるので、こっち方面を訪れた際はたいや旅館をお勧めします。同様にtek-tekさんもとっても良い宿ですよ。遍路でない青年も泊まっていました。これらの宿を拠点にして近隣を観光すれば、とてもリーズナブルに楽しめると思います。


食後はそそくさと準備をして志度駅から早朝7:25の電車に乗って徳島を目指しました。途中には遍路を始めた坂東駅があったので車内からパチリ。1ヶ月ちょっとしか経ってないけど懐かしい徳島駅に戻って来ました。


徳島の阿波おどり会館、博物館240円、阿波おどりの実演640円でした。少々高くても徳島に来て阿波おどりが見られるなら逃す手はありません。1ヶ月前にこの近くのドミトリーに宿泊しましたが、グループで行動していたので自分だけ見に来ることが出来なかったので、ちょっぴり心残りだったのです。フリーのWi-Fiもあったので接続してFacebookとメールのチェックができました。


ここの目玉は1日4回開催される阿波おどりの実演です。踊り方も指導してくれて、何となく踊れる気になりました。阿波おどりって右手を出したら右足を出す難波歩きだったんですね。それと後ろに引いた手を高く上げると阿波おどりぽくなるのも教わりました。なるほど。

この後は予約したビジネスホテルのチェックインまで何の予定もないのでお昼ごはんを探しましょう。徳島駅って駅前だけは近代的ですが、阿波おどり会館までの町並みはどこか地方の時代遅れの町並みに見えました。地元前橋と同じように、繁華街と駅は離れているのかも知れないと思った。


駅前に手頃なラーメン屋さんがありました。表の看板に「餃子定食650円」の嬉しい張り紙を発見。ここんちって、単品で頼むと餃子は300円ですが、それが2食分付いてご飯とスープ、おまけにきんぴら迄ちょこっと付いてプラス50円です。あんまり安いので、テーブルにあったお薦めメニューと一緒に撮りました。

時間が来たので二泊するホテルにチェックイン。今回で一番の高級ホテルです(ビジネスだけど)。部屋は広めだし11階の温泉「びざんの湯」も無料で入れます。部屋の付属品も色々揃ってて私にしては豪華です。1泊7000円の宿ですが、旅割り適用後の宿泊代は2泊で11760円。これにクーポン券平日と休み前日の4000円が付くので実質一泊3900円です。今日も旅割りの恩恵を存分に受けてます。素泊まり7000円は高知で泊まったビジネスと同額ですが、あちらは町外れにポツンとあったのに対してこちらは徳島駅の目の前なので価値が違います。近くには飲食店もコンビニも溢れるほどあります。


Wi-Fiパスワードはどこかなと探していると、テレビ画面にあるそうです。画面にはその他にホテルの詳細な案内が表示されてて、これなら紙で案内するより機能的で安上がりだなと感心しました。どこかでこのスタイルを見たことがあると思い出しました。


写真は今日のビジネスホテル「サンルート徳島」の部屋からの眺めです。正面に見えるビルにはホテルの2階から渡り廊下で直接店に入れます。夕飯を買いに行きましたが、広い店内には食品売場はあるものの、クーポン券が使えませんでした。ビル内には独立した店舗が入ってるのでクーポン券の対応はマチマチのようです。

明日の鳴門の渦潮見物の段取りと、もしかしたら明後日、和歌山県に渡るかも知れないので交通機関の調査にせいを出しました。スペイン・ポルトガルと違い、日本語が通じて文字が読める恩恵をもろに感じました。

1,徳島駅で鳴門への行き方を聞けば、バスで行くのがいいからと外のバスセンターを教えてくれ

2,バスセンターに行けば「それなら向かい側の徳島バスです」と教えてくれ

3,そっちでは往復チケット買うより千円で1日乗り放題チケットのほうが安いと教えて貰えました

4,おまけに行きと帰りの時刻表まで貰ってしまいました

5,調子に乗って、駅前外れにあった高速バスセンターに行って和歌山県へのバスがあるか尋ねたら、バスはないので6番の南海フェリー乗り場行きに乗ることを教えて貰えました。

言葉が通じればこんなに簡単に有益な情報収集が可能です。言葉が通じない文字が読めないスペインとポルトガルでは3ヶ月のあいだ、一体どうやって凌いでたんでしょうね?いま思い返すと自分で自分が哀れに思えますが、当時は毎日真剣だったのでそんな風に思ったことはありませんでしたが。


向かいのビルでは食料調達できなかったけど、このホテル1階にはファミマがあるので便利です。クーポン券が使えるか確認して、1600円ほど食料を仕入れて部屋で夕飯です。今回も部屋のティファールを使って熱燗にしました。昨日・一昨日と3日間も歯ブラシのサービスなしの宿でしたが、さすがにここには歯ブラシの他にT字カミソリに櫛もありました。ビジホとしたら一流です(?)。

明後日の作戦をずっと考えてます。未練たらしく熊野古道を今一度検討するが、近露にしか宿がないと言うことは、近露から熊野大社まで1日で行けと言うことらしい。数年前に熊野大社から近露まで歩こうとしたが、へばって途中からバスを利用したことがあったので、怪我のない状態で歩けなかったんだから、今の足で歩ける訳がない。やっぱり危険すぎるのでやめとく。代わりに京都に二泊して帰ろうかな?


何ちゃって遍路旅18へ続く