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何ちゃって遍路旅20 旅に出てから40日目
11月24日(木) 京都4日目
きょうのきょうとは晴れ時々曇りで雨は降らないそうです。ひと安心。今日も今日とて京都観光です。毎日だらだらと観光してるので、余り京都にいる有り難みが感じられなくなってます。
宿の写真を撮ってみました。こちらは洗面所、沢山の洗面台が並んでいて修学旅行の宿だった(と思う)面影が感じられます。お風呂場の写真は遠慮しましたが、洗うためのコーナーが9つもあって、こちらも大人数に対応した作りになっていました。風呂は毎回貸し切り状態で入っていました。風呂から上がったら教えて下さいと言われてるので、風呂の貸し切りは宿の方針なのかも知れません。
こちらが私が四泊した部屋。変則角部屋と言ったところでしょうか。二階なので食事をするには1階まで降りていきます。さらにその下、お風呂は地階にありました。お風呂は男女別でした。
蛍光灯から何か下がってますね。私の帽子です。あごヒモを蛍光灯スイッチのヒモに繋げて布団の中から引っ張れるように工夫してます。四国の宿でもやりましたが、ここんちの蛍光灯スイッチは前のより短かったので帽子の顎ひもにしました。この方法は気に入っています。宿によってはリモコンで操作できる蛍光灯もありましたが、ここんちは旧型なのでこの方法をとりました。
2泊目は浴衣からタオルまで新しいのと交換されていましたが、部屋を汚す訳でもないし浴衣もタオルも交換しなくていいから歯ブラシだけ下さいと伝えたら、その後は歯ブラシのみ追加するだけになりました。楽な客だよね。その代わりのサービスは特にありませんでした。宿にしてみれば感謝する程のことでもないようです。
今朝の朝食も他の人と少しだけ違っていました。もうこのパターンに慣れたので、今日はどこを替えてくれたのかなと若干の楽しみでもありましたが、ごく普通の一般家庭の朝ご飯です。今回もおひつは家訓に従って空にしました。家訓は嘘です。
食後はまたロビーに移動してコーヒーを頂きました。広島からやってきた一人旅の男性と暫くお喋りできました。京都観光では遍路の時のように人と話す機会が減ったので、たまのお喋りは楽しいです。
今日のスタートは西本願寺から。ちがった、それは昨日だった。京都4日目なのでごちゃ混ぜになっています。
今朝は京都御所にまっしぐら。幕末の頃にこの蛤御門の前でドンパチやったことは歴史で知っているので、興味深く見ました。へー、ここに大砲を据えたんかねーと、これはNHKの大河ドラマで見たまんまの知識ですが、実際はどうだったのか知りません。門はもっと頑丈な造りかと思ってたけど、木の柵なんかは体当たりすれば倒れてしまうようなちゃっちい物でした。こんな門を守るために殺し合いをしたのかと想像すると恐ろしいですね。
昨晩、ネットから京都御所が見学自由でガイド付きで案内して貰えるとの情報を得たので喜び勇んで時間前に集合場所に行きました。事前の申し込みも不要だそうです。それなのに集合場所に行ってみると昨日何かのイベントがあって、今日明日は閉館だとよ。なんだとーッ、後かたづけに二日も使いやがって、税金で暮らしてる癖にもっと仕事しろよ。このネット社会なのに閉館のお知らせさえ怠けるとは何てぇ奴らだ。土方歳三なら切り殺してるぞ。ハッ(我に返った音)
門は堅く閉ざされて中では女性警官が警備していました。門前には何の積もりかパトカーまで停まってます。私と同じように期待を胸にやって来たけど入れないと知って、残念そうに中を覗いている女性観光客の姿がありました。「入れろーっ、見せろーっ、仕事しろーっ」と、みんなでシュプレヒコールやりたいようです。
せめてニュースなどで見慣れた御所の塀だけでも撮ってみました。改めて見てみると広大な施設ですね。建物の広さだけじゃなく、何から何まで贅沢のし放題だったんでしょうか。現代でも自宅に何十億円かけたりして何かと話題になってますね。
御所の角には同志社大学がありました。群馬とも縁のある新島襄が設立した大学だし、ここを卒業した友達もいるので「へー、ここかい」と思ったので写真を撮りました。まぁそれ以上のことはないので中まで入ることはしません。群馬には新島襄が設立した新島学園があり、友達の息子が通っていたので新島襄は割と身近な存在です。群馬の誇る上毛かるたには「平和の使徒(つかい)新島襄」と言う札まであるんですよ。
また脱線しますが、私は昔、その上毛かるたをパソコンで遊べるソフトを作ったことがあります。コンクールに出すにあたって、ソフトを入れたCDを手に当時かるたの権利を持っていた事務所を訪ねましたが、理事会に掛けたら駄目出しが出てしまいました。コンクールに出すだけで商業化する訳じゃないのにね。何を恐れていたのか?有名なかるただったので他にも色々面倒ごとがあったようです。
気を取り直して無料の京都市歴史博物館を覗いてみました。無料の施設には積極的に入ります。玄関から入るといきなり事務室があって、中に数人が仕事してるけど部外者の私には無関心なので展示室がある二階にそーっと行きました。竪穴住居のサンプルまであって、まずますの品揃えと感じました。面白かったのは木靴があったこと。この時代の人が木の靴を履いていたとは意外だった。わらじってもっと後の時代に登場したのかな?わらじの材料になる稲作はまだなかったのかな?順序としたらわらじの後に靴が登場すると思うけど。
こちらも無料の京都西陣会館に行きました。大昔にサイクリングでやって来た時も訪問したので西陣織りに興味がなくても再訪しました。でも当時の記憶は殆ど残ってなくて、初めて訪れるのと同じでした。ミニチュアの織機がありましたが、大きな実物大の織機が飾ってあるのが目を引きました。
織物の実演が面白かったです。両手両足を駆使して西陣織をぱたぱたと織っていきます。長い反物のひと織りひと織りをこうやって織るのは気が遠くなりそうだけど、仕事と思えば淡々と実行するだけなので、そうでもないのかな。だから淡々と作業して出来上がった品をタン物と言うそうです(うそ)。
先程のご婦人が織っていた完成品がこちらです。見事な幾何学模様になっています。帯のほか、色々な小物に加工されるようです。基本的に、私は歩き旅では土産は買わない主義なので、お土産コーナーには手頃なお土産がいっぱいありましたが、何も買いません。
展示されていた西陣織の帯を裏表から撮ってみました。こんな複雑な模様はどうやって織るのでしょうか?ぐちゃぐちゃの裏面は見せられないから商品にするには裏打ちするんでしょうね勿論。
近くの安倍晴明神社に寄りました。陰陽師(おんみょうじ)で一世を風靡したので安倍晴明の銅像まで造られていました。あんな時代の肖像なんて残ってないだろに、神社を盛り上げようとする気概を感じました(?)。
物販コーナーは全て女性で埋め尽くされていました。やっぱり女性に人気の神社なんですね。祭壇に上がって祈祷を受けてる人も多数いました。祈祷まで受けたいという心理と魅力はどこから?天の邪鬼の私には理解できません。
お昼の時間になったけど、歩いている道筋には手頃な食堂が見あたりません。やっと地元でも入ったことのあるカレーのチェーン店があったので、京都だけどカレーでいいやと入ることにしました。一応、旅割りクーポンが使えるか確認しましたが、千円ちょっとのカツカレーを頼んだ積もりが支払いの段になったら800円ほどだったのでクーポン券を使うわけにはいきません。レジの人は「レトルト買ってくれれば千円になりますよ」と言うけど、京都でレトルトカレー買って何になると思うので現金支払いにしました。
やっぱり若い時に訪問した二条城に大枚1300円払って入りました。二条城内は昔より(45年前)セキュリティがガチガチのようでした。二条城特有のうぐいす張りの廊下ですが、やっぱり歩くとキュッキュッと音がして感じが良いです。昔はなかったと思う案内板には、セキュリティのためにわざと音の出る廊下にした訳じゃなく、年月の経過で釘がゆるみ、それで音が出るようになったと身も蓋もない解説が読めました。たしか昔はそんな解説なかったと覚えてますが、これも時代と共に「嘘はいかん」と言う方針に変わったためでしょうか。城内は撮影禁止のため、写真はありません。
昔入った時は雨降りだったため、庭は入り口辺りをちょこっとしか見なかったけど、今回は暇を持てあましているので順路に沿って城内は全て回りました。
廻ってみると広い広い、二条城って本物の城だったのが分かりました。いまで言う防衛機能の無い迎賓館みたいなのかと思ってました。城内の紅葉も良い具合に色づいてました。紅葉のこの時期に来られたのは儲け物でした。
少々疲れてきたし余り歩くと足も心配なので二駅だけ地下鉄を利用しました。地上に出た辺りに本能寺跡と長州藩跡があるらしいけど見つけられなかった。
池田屋跡は見つかったけど、やっぱり石碑が1本立っているだけでした。同じ名前の池田屋はあったけど、縁もゆかりもない店でしょう。このネーミング、幾らか売り上げに関係するのかな?
先斗町は飲み屋街でしたが、「お茶屋」の小さな表札を出してる店が何軒かありました。テレビでしか見たことないけど、こういう所にお大尽が通って舞妓さんや芸妓さんを呼び寄せて遊んでいるのかー。車は入れない路地なので客も舞子さんも歩くっきゃないようです。夜に来れば舞妓さんと会えるのかな?
広い通りに出ると、これもテレビで見たことのある鴨川の風景が目に入りました。噂の、等間隔でアベック(古っ)が並ぶという風景もそのまま見ることが出来ました。夏になると店の前には大きな縁台が作られて、お金持ちが楽しく飲み食いするらしいですね。私にとっては縁のない世界です。
いい加減疲れてきたのでバスか地下鉄で帰っちゃおうかと現在地をタブレットで確認すると、バスを使うほどでもない位置まで戻って来ているのが分かりました。じゃぁ次の角を左に行けば駅方面だとへこへこ歩いて行く先に京都タワーが見えたときは嬉しかった。やっぱり宿が駅の側と言うのは分かりやすくて有りがたいです。京都タワーが作られた時は古都京都にそぐわないと物議を醸したんでしょうが、今となっては大事な京都の顔となりましたし、誰でも駅を目指すには良い目印です。
宿に戻る前に今晩もお馴染みのコンビニで夕飯を仕入れました。宿にチンがあるので便利です。明日はとうとう群馬に帰る日です。
11月25日(金) 旅に出てから41日目
日本館での朝食もこれで4回目ですが、さすがに今日でおしまいです。今朝のおかずは特に京都らしいものはありませんでした。宿の方でももう種切れなんでしょうか。少しばかりの野菜が一緒に載っていますが、切っただけのハムが今日のメインらしいです。うちでもこんな料理は出たことありませんぜ。
今日は群馬に帰る日です。夜行バスなので夜の9時過ぎに出発になります。時間が有り余っているので暇潰しが大変。
取りあえず、お土産を少し買いたいので宿に荷物を置かせて貰って京都駅のお土産コーナーへ行ってきました。もう歩くことは無いのだしバスに乗れば群馬まで運んでくれるのでお土産を買う気になりました。京都の山椒入りの唐辛子が好きなので、それを土産にしようかと思いましたが、誰もが好きじゃないだろうと考え直してしば漬けにしました。唐辛子は自分と友達用にふたつだけ購入して今晩乗るバス停を再度チェックしに行きました。
京都駅の反対側に大きなバスターミナルがあって、群馬行きはその端っこのG2です。バス停にごちゃごちゃと各社の時間表が張り出されてる中に、群馬行きのバスを見つけて一安心です。私が乗ろうとしている時間もちゃんとありました。G2ってまるで吹きだまりのようなバス停なんですね。
宿に戻ってバックパックを回収。4泊もお世話になったので、最後にお姉さんと一緒に写真を撮らせてもらいました。なかなかの京美人さんに見えますが、一度もマスクを取った姿を見てないので、記念写真もマスクのままです。
自分が泊まった部屋がどこだったのか、横に廻ってみるとこの宿は奥行きがあるのが分かりました。間口は狭いけど奥行きがある京都の伝統家屋なんでしょうか?まぁこの地域はそういうの関係ないと思うので、単に土地の問題かな。
昨日、冷やかし半分で尋ねた京都観光バスに今回は本気でやってきました。時間も早いことだし一番早いバスに乗れるそうです。このバスは全員が天井のない二階席になるので、大きなバックパックはトランクに仕舞えると事前に調べてありますが、トランクじゃなくて1階のシートにゴロンと置けば良かっただけでした。雨でもなくちゃ誰もが二階席だよね。
バスが走り出すと一瞬で予想外の寒さだったことに気づきました。いつものようにTシャツの上にカッパだけなので、中にフリース着てれば良かったです。走るバス、しかも天井がないバスの寒さを嘗めてました。ずーっと寒くて観光は半分しか楽しめなかった。ガイドさんも同乗しているのでいちいち説明してくれますが、寒くてそれどころじゃないです。
でっかい鳥居の下を潜りましたが、何の神社だったのか寒くて覚えてません。他にも私が三日かけて歩き回った名所を幾つも説明付きで訪れることができました。寒くて説明ほとんど覚えてないけど。
南座だったかな、昨日、先斗町の帰りに遠くに見えていた建物です。歌舞伎役者の名前が書かれた看板が沢山掲げられていました。もう帰ることだし静止画のほか、動画でも沢山撮りました。
京都駅が近づいてくると本願寺の横を通りましたが、もとは東西本願寺ってひとつだったそうですね。巨大になった本願寺の力を恐れた徳川家康によって二つに分けられたそうです。これもバスに乗らなくちゃ知らないことでした。
お昼は地下街にもぐって物色したところ、こちらの天ぷら屋が価格も手ごろで良さそうなので入ることにしました。上天ぷら定食1430円。でもハゲ天って名前、一部のお父さん達に反感もたれないのかな?思い切った名前を付けたもんです。
天ぷらは揚げたてをいちいち板前さんが運んでくれるスタイルでした。3回目には「これで終わりです」と言ったかな。でないと次があると期待しちゃうからね。エビと何か白身の魚に、あとは野菜でした。ここんちは値段の割に良かったので、京都に来たらまた食べたいと思いました。
この後は何の予定もないので、ただじっと地下街のイスに座ってました。バスの発車まで7時間もあります。外は寒そうだし、地下街に暖房はないけど外よりはマシだろうと思って。
向かいのレストラン待ちの客が付近に溢れているので、一度席を立ったが最後、二度とイスに座ること叶わずなので我慢してじっと座ってました。こんなことなら昼出発のバスにすれば良かった。
いい加減飽きてきたので、何か甘い物が食べたいなーと思って地下街をうろついてみましたが、あんみつやパフェなどを食べさせる店はこの地下街にはありませんでした。甘い物が食べたいのだから、やっぱり幾らか疲れているようです。寒いし。
やっと2時間前になったので地上に出ました。すると京都タワーがライトアップされてたのが見えたので儲けた気になりました。意外とこの夜の京都タワーって見たことがなかった気がする。
夜行バスに乗る前、京都最後の食事は「なか卯」のうどん。下見に来たときにチェックしておきました。今回の旅を締めくくるに、安いうどんはぴったりです。なか卯の店内は広く、店員さんから死角になる良い席があったので、日記を付けながらのんびりと食べることができました。温かいし明るいし、言うことありません。うどんの横にあるのは愛用のアンメルツです。今日も痛めた足にぬりぬりしていました。でも結局最後まで治りませんでした。
長居をしてから空になった食器をかたづけて出発の準備をしていると、どこからか店員さんがやってきて、食券を買いましたか?との質問が!?え、さっき食器を戻したんだけどと言うとすぐ納得してくれたけど、食事をしない旅行者がバス待ちを店内でしていると思ったようです。見て無さそうで見てるんだな。見てるならもっとちゃんと見とけよ、失礼なやっちゃな。
21:40 群馬に向けてしゅっぱーつ。徳島に来るときの夜行バスは一人一人に覆いが着いていたのでプライバシーもそこそこ守られてましたが、今度のバスにはそういうの無くて、代わりに走り出すと車内は真っ暗闇になりました。カバーがあるとマスクを外せたけど、今度はマスクしたままで寝なくてはならないのでちょっと嫌だな。睡眠導入剤飲んだけど、結局一睡も出来なかった。横にならないと寝られないタチです。
11月26日(金) 旅に出てから42日目
10/16に出発したので42日間の放浪旅でしたが無事に帰って来られました。定刻通りに翌早朝、前橋駅前に到着。駅構内のマックで軽く食べてから自宅に向かいました。群馬のマックでこの菅笠はかなり浮いていると思いますが、仕舞うことも出来ないのでバックパックに下げたまんまです。この傘、来年のサンチャゴ巡礼に持ってくかどうか思案中です。
行く前は全ての寺を廻るんだと意気込んでましたが、モチベーションが途切れてしまいました。後半は肉離れになってしまったので、電車やバスも利用しましたが、徳島県と高知、香川の寺を合計54寺廻ってきました。中途半端な何ちゃって遍路でしたが、まぁ遍路の一端くらいは体験できました。
全国旅行支援の宿を利用できたのが22回で、貰ったクーポン券が57枚、金額にして57,000円。休み前日は1枚しかくれないので22×3ではありません。クーポン券使える店がなくて無駄になったのは千円券1枚だけでした。
宿の40%割引もクーポン券と同程度の割引とすると、両方で10万円くらい恩恵に与れたと言うことになります。ありがたや。憎らしいのは40%割引に乗じて同額程度の便乗値上げをしている宿が数件あったようです。許せん。一緒に遍路していた大阪のおばちゃんは「ガイドブックより高いようですけど~」とストレートに聞いてました。また他の民宿に予約を入れる時には「二つの部屋の値段が違いますけど、その違いはなんですの?」とも。さすが大阪のおばちゃんと思いました。おばちゃんが足の怪我で離脱しなくちゃ私は何処まで歩いただろうかと時々思いました。
自宅に帰って一番有りがたいと感じたのは温かくしてられると言うことでした。今まではペラペラのフリース一枚にカッパだけで凌いでたので京都ではいつも寒かった。今は重ね着して炬燵に入ってます。自宅はありがたいねー。
翌日、風邪でボーッとしてるのに気になるので今回の収支を出してみました。現金を使ったのが約156,000円でカードで支払ったのが121,000円。総額で約277,000円程でした。
旅割りがきく宿では宿泊代40%引いてくれてクーポン券貰えるので、それがなかったら10万円以上も余計に掛かったと思います。旅割り無しで四国遍路は経済的にも辛いですね。旅割り無かったら凡そ38万円掛かったと言うことです。もっとも旅割り期間中だから行く気になったんですが。
サンチャゴ巡礼では飛行機代含めても安上がりな年は日数倍の80日以上もふらついて35万円だったので、いかにサンチャゴ巡礼が安く巡礼できるかと言うことです。もっとも私みたいに節約が趣味と実益と思っている者だからこそかも知れませんが。
長い間、しょーもない旅日記を読んでくれてありがとうございました。
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