19 Montamarta から Granja de Moreuela 分岐の町

5月13日(月) 誰かが湖沿いのカミーノは通行止めがあるようなことを言ってたので、幹線道路を歩くことにする。


上の写真、湖上に浮かぶように見える教会は崖の上にあって、前に見たときはすっごい景色と思ったけど、ここから見る分には普通の教会に見える。近くに行かないと迫力が伝わらないのかも知れない。あの教会を見るのが楽しみだったが、致し方ない。


平原にででんと打ち捨てられた古城が現れる。城壁の長さを見ると相当な大きさだが説明版があっても読めないので謂われが分からない。夫婦の巡礼は物好きに城を見物するようで向かいだした。私はあんな城見ても仕方ないので行きませんよ。


そろそろあるだろなーと思って次の村に入っていくとやっぱりあった。7年前にエネルギーを充填したバルと言うには余りに地味なバル。老夫婦が運営しており、雨の中を歩いてきたためにびしょ濡れになった地図を乾かしてくれたバルだ。その時の写真をタブレットの中に入れてきてあるので見せるのを楽しみにしていたが、残念ながら店じまいしていた。どこもアチコチ店じまいしてるなぁ。

バルにありつけないので次の村に期待していると、バルではないがコーヒーが飲めると張り紙があった。入っていくとスティーブンがコインが無いので飲めないと言うので1ユーロコインが2個あったのでスティーブンに1個上げたら大袈裟に感謝される。1ユーロでこれだけ感謝されるのなら悪い気はしないというものだ。


今日も今日とて歩き続ける毎日です。とうとう銀の道とサナブレスの道が分岐するGranja de Moreruelaが前方に見えてきました。もうすぐだと気持ちが高揚していると、草むらにポツンと立っている塔にスティーブンが座っていて手招きしています。行ってみると冷えたアクエリアスとサンドイッチを貰えました。先ほどの1ユーロコインのお返しのようです。こっちは1ユーロどころじゃないですが遠慮無く頂きました。冷えてて美味い~。

Granja de Moreruela村への進入路は以前とは違っていて裏側から入るものだったので訳が分からなかったが、アルベルゲの受付をやっているバルは同じものだった。幾らかカミーノが変更になったのが分かった。シーツと枕カバーを貰って道路を隔てたアルベルゲへ。1階には何人も入っていたが2階はまだガラガラだった。シエスタぎりぎりの時間なので急いでティエンダへ行くと同じ店がまだやってたので良かった。冷凍庫に缶ビールを2本放り込んでからシャワー洗濯してからお待ちかねの一人宴会。2本目を飲もうとしたら、食堂に居た親父が冷蔵庫のビールが足りないとか言い出したので腹が立った。何言ってやんでいと無視したけど気分が悪い。


名物になっている、右はアストルガ、左はオウレンセ方面の看板です。この看板の他に進んでいくと2つも注意を促す看板があります。ここで行くべき方向を間違えるとエライこっちゃなので親切に幾つも表示してくれてるようです。

夕方詰まらないので村唯一のバルに遊びに行くと、巡礼が来るわ来るわ、私の他に7人が同じテーブルを囲みました。みんな申し合わせたようにひとつのテーブルに集まり、それが当たり前とみんな思っているようです。イギリスとスイスが親切にスマホの翻訳で日本語にしてくれます。翻訳があれば私でも少し凝った話もどんとこいです。スティーブンは冗談でなく29才でリタイヤしたそうです。ホントか!?私はとても幸運だったと言ってるので本当のようですが、それからどうやって生計立ててるのかは聞かなかった。スイスからやって来たテレサ(60才くらいか?)はイビキが嫌なのでアルベルゲには泊まらずにオスタル専門のようです。テレサは今日もアルベルゲには泊まっていません。この人は小さい体だが足が速いので私は登りでは置いてかれます。さすがアルプスの少女スイス人。


ミントキャンディーが好きなのはコナー。コナーとスティーブンは同じ英国同士なので気が合うようです。英語圏だしね。フランツ・インゲ夫妻はドイツでウィルとクレメンス夫妻はオランダで二人とも私と同い年の74才。今回は不思議のように私と同い年の人と何人も会っている。来る前は私はどこに行っても私が最年長だと思ってたけど、銀の道は距離が長いのでリタイヤした人が多いようだ。ベルナルドもドイツだが、この人とは数回しか会わなかったけど、他の人たちは何度も何度も会いました。私の他に4人が明日のタバラのアルベルゲで再集合を確認できたので嬉しい。

今日の歩数         40,358歩
メリダからの銀の道累計 651,632歩
アルメリアからの累計  1,721,874歩

銀の道はここまでです。この村からはカミーノは分岐して、フランス人の道にあるアストルガに行くか、オウレンセ方面に行くサナブレスの道に行くかになります。この道を歩くような巡礼はフランス人の道は既に歩いているので、殆どの人がサナブレスの道へ行きます。私もそうです。