長崎五島の旅14 旅先の親切ふたつ

10月17日(火) 「民宿旅の宿」最終日

5時半に起きてパッキング開始。昨日仕入れた食べ物が多いのでバックパックはぎゅーぎゅー。でも食料の半分はこれから向かうフェリーターミナルで朝飯にするので平気。


6時20、宿を出発。初めて福江にやってきた時に泊まったのを入れると合計4泊もした「旅の宿」さんなので、出掛けにおかみさんの写真を撮らせてもらいました。お世話になりましたと言ったら「うちも助かりました」と正直な返事。4泊の内、私以外が泊まったの見たのは1組の家族だけだったもんな、そりゃ助かったんでしょう。


夜明けの港の風景の中、予定どおりターミナルの片隅で朝飯にする。旅行客が行き交うターミナルなのでベンチで食事してても普通の光景なので気楽だ。奈留島行きの発券は相変わらず2時間前にならないと売らないのでこれもお約束どおり。どこかの中学校なのか修学旅行らしく港に集結しだしてワンワンし出す。遠く関東からやって来ると、この辺りの修学旅行先と言うものが想像つかない。


乗船券って乗るときに半券をもぎられて、下船の時には手元に残った半券を回収されちゃうので、記念に取っておきたい私はなるべくカメラで撮っておくようにしてました。切符なら軽いし記念に持ち帰りたいんだけどな。その他、あちこちの記念館で貰える冊子は重いので片っ端から捨てちゃってますが。

フェリーは時間どおりに出発して奈留港にも時間どおりに到着。日本の交通機関はどこも凄いと感心する。江上天主堂往復はレンタル自転車の案も考えたが、前回の久賀島と違って今回は時間に余裕があるので結局歩くことにしました。歩き巡礼に来てるんだから、なるべくそこは守りたい。

奈留島は思ったよりずっと賑やかで、久賀島とは比べ物にならないほど発展していた。久賀島はフェリー乗り場でさえ倉庫みたいな待合所がポツンとあるだけだったもんなぁ。


来る前にチェックしといた奈留島世界遺産ガイダンスセンターが通りにあったので入っていくと様子がおかしい?ここはガイダンスセンター隣の役場でした。ガイダンスセンターはまだ開店前のようです。部屋繋がりでガイダンスセンターがあるので、この役場の誰かがガイダンスセンターの係なのが想像できるけど、滅多にやってこない観光客が珍しく来たんだから時間前だけどどうぞってならないのかな?大勢の職員がいるけど部外者の私がキョロキョロしてても誰も無関心なので残念ながらここは通過。

奈留島には世界遺産の江上天主堂の他に、奈留教会があります。歩いていると今度は奈留教会への看板が目に入るが、やっぱり遠い方の江上天主堂に先に行った方が気持ち的に楽なのでここも通過。


江上天主堂への道は海岸べりを歩くことが多いので景色がとても良かったので嬉しい。道端に運動場みたいのがあって、コンクリート台座が座るのに具合良さそうなのでバナナを食べて大休止。バナナの良いところは食べやすい所に加え、皮は捨てても自然に帰るのでゴミ箱を探さなくても良いところだ。藪の中にポイしとけばそのまま自然に帰ってしまう。


ずっと歩き続けてやがて山の中へと入って行くが、ここには長いトンネルがあることを地図で知っていたので山も驚異には当たらない。暫く登り坂を行くと案の定トンネルが現れる。トンネルは壁面が崩落し始めたのか注射器のような物で接着剤を注入してるようだった。歩行者は狭い歩道を行けば良いそうだ。車は交互通行。


トンネルを出るとすぐ江上天主堂の付属物らしい広場が現れる。どっかのツアーらしい集団もたむろしているので、やっぱり世界遺産だと観光客も来るようだ。ツアーの人たちからは、予約してないと入れないですよと言われるが、まぁいつも何とかなってるので心配ご無用だろう。案の定、天主堂前にやって来ると管理人らしき人が近づいて来て扉の鍵を開けてくれる。マスクが必要だそうなので、バックパックを下ろしてゴチャゴチャ探していると新品のマスクを貸してくれた。私が見つけるのより早いだろうとのこと。すいませんね。


装備品の選定でサンチャゴ巡礼では必需品の固形石鹸を持ってきたのだが、国内旅行でそんなのいらないと分かって来たので、案内してくれた管理人さんに貰ってもらいましょうと計画していた。石鹸は軽量化を図るために半分にカットして網の袋に入れ更にジップロックに入れてたので丸ごと進呈すると貰ってくれたので一安心。石鹸なら誰でも使うし腐るもんじゃないので便利だろう。未使用ですと言うのも忘れない。

さて無事にスタンプもゲットできたことだし、これから帰り道だと天主堂を後にしようとした所にご婦人グループから声が掛かりました。私が歩いてやって来たことを見ていたそうです。良かったら奈留港まで一緒に乗ってきませんかと申し出を受ける。往復の道の場合は復路は乗り物オッケーのルールなので喜んで受けさせて貰いました。ご婦人二人に男性が運転手でした。途中の奈留教会までお願いしました。


車はビューンと奈留教会までひとっ走り。三人の方たちも奈留教会を見たいそうなので一緒に駐車場へ。来る前にネットで見ていたが、奈留教会には野宿出来そうな長い下屋があるのを知っていた。来てみたらそれは教会付属の幼稚園で屋根の下にはスノコが並べてあって、これも野宿には具合良いなぁとすぐさま思いました。どこ行っても同じ事を考えてます。


教会の正面扉は閉まっていたので皆さんはすぐ諦めたが、五島の教会をもう何十と訪問していた私は諦めることなく側面に廻ると横からの入り口は開いていたのを見つける。無事にスタンプをゲット。皆さんも中を見学できたので嬉しそうです。


これから近くの「みかん食堂」でチャンポンを食べるんだけど一緒にどうですか?と誘われるが、流れからきっとご馳走してやろうと言う雰囲気が伝わったので遠慮させてもらいました。そこまでお世話になったんじゃ申し訳ない。って気の回し過ぎ?ここで皆さんとはお別れしましたが、歩いて旅していると色んな親切な方と出会えるので、これが歩き旅の良さかも知れないな。一番は素晴らしい景色。


みかん食堂の前を通って奈留のフェリーターミナルまで来てしまった。ターミナルは朝見ていたが、二階ならレストランがあるだろうと期待してやって来たけどないわ!こりゃ困った、もうお昼の時間を過ぎているので、ここで食べられないといつ食べられるか分からないよ。奈留島のインフォにはお姉さんがいたので教えて貰いましょう。少し戻れば食堂があるそうです。外まで連れ出してくれて「ほらあそこに自販機があるでしょう?その後ろの白い建物です」と。メガネを掛けてても良く見えない私だが、確かに自販機の赤いボックスは見えます。お礼を言って向かいました。


食堂の外にはおじさんが何か洗っているようでお愛想が良かった。店の名前が「まち協もやい場 どがんね」と変わった名前なので、普通の食堂ではないらしい。本日のランチが運悪く魚定食だが、ランチに外れはないのでお願いしました1100円。五島のブログには必ずと言って良いほど登場していたキビナゴの刺身も付いていたので魚は得意じゃないのに何となく嬉しくなる(右上の皿)。左にはカツみたいのが載ってますが、これも魚のフライです。食べるとマグロみたいだったけど違う魚だった。名前を教えて貰ったけど聞いたこと無い魚だったので秒で忘れた。最初こそスカスカの店内だったが、やがて一杯になり私のテーブルも相席になりました。人気の店のようです。


奈留港ターミナルに戻ると外に緑の公衆電話を発見!五島と言うか、九州にやってきて初めて公衆電話を見たよ。余りの嬉しさに写真に撮りました(ただの公衆電話なのに)。今晩の宿が決まっていない私はタブレットのメモを開いて早速安い民宿から始めて順に6件かけましたがいずれもフル。えーっ!今日は火曜日でド平日だよーっ!?今まではスンナリ決まっていたのに何故だろう?しかもこれから向かう若松島って小さな島で、観光するような所もないんじゃないの?どうなってんだろう。

4時半のフェリーで若松島の土井の浦港に渡ります。宿も決まらないまま、延々と待合室で頑張って、コーラとジュースまで飲みました。土井の浦には宿が一軒もなくて、2キロ先の集落と5キロ先の若松の宿にも掛けたけど全滅なので、これはもう緊急事態と認識して、今夜の宿は土井の浦教会に頼るしかなさそうと腹を決めました。もしもを考えて水道がある内にボトルに水だけは満タンにしときましょう。水だけに背水の陣です(?)。

長い時間をターミナルで待って、やっと20分前になるとフェリーの発券となりました。少しすると土井の浦港へ渡るフェリーが到着。フェリーからは何十人という意外なほどの人たちが降りたので、この辺りの生活がどうなってるのか想像できなかった。


土井の浦へ向かう船内から遠くの島に白い何かが見えたので、あれ?もしかしてあれがキリシタン洞窟かなと気がついたが、カメラを出す暇もなく見えなくなってしまった。巡礼手帳にはキリシタン洞窟を船上から見るという判子スペースがあったので、まぁこれは見たってことにしようと都合の良いように決めました。

キリシタン洞窟というのは、迫害を逃れるために船でしか行くことのできない洞窟に身を隠していたキリシタン家族が外からは見えない洞窟に隠れて生活していた場所で、煮炊きのためか寒さを凌ぐためか、火を炊いた煙を沖を行く漁師が見つけて通報。全員が捕まって拷問の責め苦に晒されたと言う悲しい洞窟です。禁教時はキリシタンを見つけた者には最高で銀300枚の報奨が支払われたそうなので、そりゃ人の事なんか考えない連中に取っては勿怪の幸いの儲け話なんでしょう。人間の心を鬼に変える酷い時代があったもんです。

さて、土井の浦港に到着したらシスターが下船途中だったのでお喋りしました。シスターはこれから土井の浦教会に行くので一緒に乗ってきますかと言ってくれました。教会は港から見えてるけど、これも何かの縁なのでお願いしました。もしかして今晩の宿になるかも知れない教会に口添えしてくれるかも知れないな。そんなことを車の中で話していると「さーどうでしょう?近頃は色んな人がいますからねー」と、不審者のことを言ってるようです。それは遠回しに私の事を言ってるんじゃ?「可能かどうかは神父様によるんじゃないですか?」と、残念ながら余り良い返事は貰えませんでした。


教会に着くと聖堂入り口には広目のスペースがあって、土足をスリッパに履き替える所です。カーペットが敷かれているので、あっ、ここに寝られるならここでも良いんですけど!?と言うと「だめですよ、お御堂ですよ!」ですと。どうも私みたいな不良信者と違ってガチガチのシスターらしいのでそれ以上のことは言えませんでした。まぁ取り合えず神父さんに頼んでみましょうと、司祭館でベルを鳴らすとすぐ神父さんが登場。前橋教会の神父さんに書いて貰った紹介文を見せると二つ返事でOKを貰えたので一安心です。司祭館隣にある信徒会館に案内してくれ、自由に使ってくださいとのこと。キッチンもトイレも確認して、おまけに畳の部屋までありました。やった!

泊めてもらう仁義を通すためにミサにも与らせてもらいました。仁義と言うより教会に泊まるのでミサがあるなら与るのは当然だろけど。早めの15分前に聖堂に入ると、10人ほどの人たちがロザリオの祈りの最中でした。そう言えば10月はロザリオの月だったと思い出した。先ほどのシスターが先読みしてました。オルガンもシスターの係のようなので、このために土井の浦教会に来たのかも知れないな。


ミサ後に皆さんがぞろぞろと外に出たところを捕まえて明日の宿をどなたか紹介してくれませんかと頼みました。明日もここに泊めて貰えれば簡単だけど、神父さんは明日出張でいないそうなので真剣です。教会の外は街灯もない真っ暗な中でしたが数人の方が相談に乗ってくれ、2キロ離れた民泊(民宿でなくみんぱく)に二泊取れました。これで2日間は安心です。明日は有福教会を往復して明後日は大平教会往復ですと言う話の中で、大平教会へのルートには店があるけど有福の道は食べるところも店もないですよと怖いことを知らされました。うーん、五島ってこんな所だらけだなー。

神父さんが夕飯を食べさせてくれるそうです。食料が底をついているので誠にありがたい。夕飯は五島うどん!五島うどんこれで3回目だ。どうやら五島うどんって五島の人たちには広く行き渡ってる県民食みたいな物らしいと想像した。お陰で意外なほど食べられてるので嬉しい。

ちなみに日本三大うどん三番目の座を五島うどんと私が住んでいる前橋市の隣りにある水沢うどんが競っているらしいですが、五島うどんは五島市の中で広く一般的に食べられているけど、水沢うどんって高くて少ししかないから普段食べるモンじゃないんですよね。私も生涯で3,4回しか食べたことありません。なのでどちらが三大うどんに相応しいかと聞かれれば五島うどんと言うしかありませんのぢゃこれが。


今晩の五島うどんはネットで見ていた地獄炊きスタイルだった。卓上コンロでグツグツ煮ながら食べるので地獄炊きと言うそうだ。タレはすき焼きみたいな生卵汁とアゴ出汁に花鰹を入れた二種類で、どちらも旨い旨い。神父さんは自分用にパック寿司を用意してあり、これも食べてと言うけど私には五島うどんの方が価値があるのでうどんばかり食べさせて貰いました。パック寿司なら前橋でも食べられるしね。でも後で考えたら五島のパック寿司なら鮮度が違うんだろなーと思った。


他にもあり合わせの材料で、見るからに男の料理を作ってくれました。これ私がいつも酒の肴に作っている料理と良く似てるよ。缶ビールのスーパードライも飲ませて貰い、誠に良い夕食となりました。

そうだ、電話があるんだから3日後の宿を予約できるかも知れないと思い付いたので、早速電話しました。中通島の「民宿あらた」さん。店の方で空きがあるかチェックして折り返し電話くれるそうです。「土肥ノ浦教会ですね」と、今時の電話なのでこちらが誰なのか分かるらしいです。それでピンと来たことがありました。もしかして奈留ターミナルの公衆電話から予約をお願いしたときは、公衆電話だからフルと言われたんじゃ!?だってド平日なのに6つの宿からフルって言われたんですよ。この電話機のように所在がはっきりしてるとか携帯電話からじゃないと予約できないのかも知れない。公衆電話の前には「いたずら防止のために通話を録音しています」なんて張り紙まであったし、どんだけ公衆電話って信用ないんだよ。これじゃぁもし公衆電話があったとしても宿の予約は取れないってことじゃんね。


本日の歩数 不明

長崎五島の旅15へつづく