銀の道1 日本出発 - セビージャ

 86日間の一人旅から帰って早1ヶ月と一週間が過ぎました。ぼちぼち旅日記を作り始めないと忘れてしまいそう。と言うことで、今日(2017/8/28)からコツコツと作り始めることにしました。完成は多分数ヶ月先かと思われますが、気長にお付き合いください。

 今年歩いた中でメインルートに当たる銀の道(Via de la Plata)が赤い線です。スペインを縦に縦断する感じです。スペインの地図だとどの位の距離なのか見当が付かないと思います。同じ縮尺の日本地図を載せるとこんな感じです。日本も意外と大きかったんですね!
 赤い地図の中に白く囲ってあるのは私の住む群馬県です。鶴舞う形の群馬県。

 スペイン地図の上の方でカクンと左に曲がってますが、そこからはサナブレスの道と言う名前になります。銀の道は曲がらずに直進してアストルガの町でフランス人の道と合流します。Camino銀座のフランス人の道は歩きたくないので、殆どの人はサナブレスの道へと舵を切ります。それに銀の道を歩くような人は殆どがフランス人の道を経験してるのもサナブレスの道を選ぶ理由と思われます。

 スタート地点セビージャの南12kmに、コリア・デル・リオと言う町があって、支倉常長の慶長遣欧使節団の子孫600人がハポン姓で暮らしていることで有名です。(ハポンはスペイン語で日本)ちょっと行ってみたい気がするけど、行ったからどうだってことになりそうなので行きませんが。

 さてここからは旅の話です。
 出発まで一週間を切ったので、いつものことながら期待と不安でドキドキです。一番の心配はアブダビでの乗継時間が少ないのでロストバゲージに遭わないかと言うこと。そんなことになったら言葉が分からないのでイキナリ崖っぷちです。今回はその場合の対応策は用意してないので無事に荷物も運んでもらえる事を祈るばかりです。

4月23日
 出発2日前になりました。と言うことで携行品を本気で集めてみました。
元々荷物は絞って厳選してきたので、前回より減ることはなく、むしろ増えてしまった。まず水タンクが2リットルと大容量に。銀の道は村と村の区間が長く、内陸部で乾燥しているので水も多めに持ってないと干上がってしまうようです。印刷物も41枚と大幅増量。一日分の地図データを一枚に印刷し、重量を抑えるために両面印刷にしました。通り過ぎた区間の地図はそのつど捨てていくので、これは徐々に減っていきます。きっと捨てるのは快感になることでしょう。衣類は前2回着ていった物と殆ど同じで、これはラッキーアイテムの積もりです。捨ててもいいような物ばかり選んだけど愛着が沸いたと言うか、これらを身に付けると一気に旅モードになる気がする。

4月25日
 途中はとばして出発当日の成田空港です。前橋駅まで見送りに来てくれたうぶちゃんが持たせてくれたワンカップで飛行機の離着陸を見ながら前祝い。日本最後の和食は空港で釜たまうどん450円。節約を旨とする貧乏旅行にはピッタリの食事です。

 成田のチェックインでは私のeチケットに記された日程が余りに長いので、シェンゲン協定に引っかからないかと心配される。知っている人が多いと思いますが、EU加盟国はほとんどシェンゲン協定というのに加盟していて、EU以外の外国人は180日間の内の90日間しかシェンゲン内には居られないという決まりです。私は今年、フランスツアーで6日間Eに滞在していたので、残り84日間ぴったりの日程を組んできました。それなら合計90日でセーフです。でも係の女性は出発の日も入っていますかと念を押しますが、当然のことながら出発の日はEUに入ってないので計算外です。でも普通に考えて入国スタンプを押すのは出発の日は入らないので問題はないでしょう。なんでそこまで心配してくれるかな。

4月26日
 飛行機のシートは往復4回の搭乗が全て最後尾座席をゲットしておきました。最後尾と言っても中仕切りの最後尾と言うことでリクライニングを目いっぱい倒しても気兼ねがいらないのがお気に入りです。前に席がない最前列も魅力ですが、そこは赤ちゃん連れの客のために取っておくようで、事前に予約はできないらしいです。

 飛行機内は座ってるよりやることないですが。その為心配してた腰がガタガタ言ってます。でも、飛行機を降りてそろそろ歩き始めるとあら不思議、痛くなくなります。これもいつものパターン。もし最悪の場面を迎えたとしても、今年はボルタレンの必殺技があるので気が楽です。腰痛にボルタレン、今年も効いてほしいです。

 今回はエティハド航空を使ったのでアブダビで乗り換え。出発ゲートがひとつ変更になってましたが隣なので問題なし。ここで乗り込んだら隣のカップルの女性のズボンに日本語が!「我が刃は血を流す」と大きくプリントされているので日本土産のようです。すっごいセンスに写真を撮らせてもらい、紋どころが織田信長なので、侍キングだよと教えてあげました。

 マドリッド空港には予定より10分早く朝の8時半に到着。空港からバスで市内へ。

※ もし銀の道を目指している人がいたらと思い、今回は所々にお役立ち情報を入れることにしました。私も先達のブログで情報をたくさん頂いたので。
 ◎マドリッド・バハラス空港から市内へは専用バス利用が一番簡単です。空港から外へ出て道路を渡らずに右に100m行くと黄色いバス停がありバスの車体も黄色です。市内まで5ユーロ。頻繁に出ていてアトーチャ駅の裏側に到着します。
アトーチャ駅からセビージャへ行く鉄道乗り場は2階にあります。アトーチャ駅は乗り場が3箇所あるので注意してください。


 マドリッドではコルドバ行きの電車の時間迄たんまりあるので、巡礼が終わってから2泊するオスタルに顔繋ぎをしておきました。とても感じのいいセニョーラだったのでマドリッドに戻る楽しみができた気がする。最後の2泊が確保できていて、おまけにシングルルームと言うのは明るい希望です。およそ80泊は予約なしの飛び込みで2段ベッドの日々が続きますから。

 アトーチャ駅に戻りウロチョロしていたら、私のバックパックに取り付けてあるホタテ貝を見つけた女性が何やら話しかけてきました。どうもサンチャゴ巡礼に興味があるようで幾つか質問されたあと、女性が引連れているツアーの人たちに紹介したいそうです。添乗員か、もしくはガイドさんのようだ。英語なので外国人のツアーらしいのが分かる。「この人はペリグリノ(巡礼者)でセビージャからサンチャゴまで歩くんだ」と皆さんに伝えて私を持ち上げてくれてるので照れくさくなる。聞いている人たちからは、ほーとかへーとか聞こえてくる。その中の台湾人というおばさんからは日本語で頑張ってくださいと言われました。

 マドリッドからコルドバへの移動には初めて一等車を使いました。でも料金は2等と同じ値段でネットから予約が取れました。でなきゃ私が一等に乗るはずないですよね。スペインの一等車は待合室のサロンが使えたり食事も出るらしいですが、私のは何ちゃって一等チケットだったので、そういうのは無し。ただ一等車に乗れるというだけです。そのためか、中はガラガラ。

 ずっと順調かと思ったのも束の間、コルドバ市内で行方不明になる。タブレットのGPSがまったく働かなくて、勘で動いたら往復1時間のロスをしてしまった。飛行機の中では殆ど寝てないし、既に丸2日は起きっぱなしじゃなかろうか。もう疲れてきたので一刻も早く宿で休みたかったのに、歩いている途中で城壁を見つけたらテンションが急上昇して観光を始めちゃいました。でも、一番見たかったメスキータは閉店してました、ガチョン。

 コルドバではメスキータさえ見られれば後はどーでも良かったので、明日リベンジです。下の写真の古い建物はメスキータの外観です。上の写真の城壁の中にあります。外から見ただけじゃ特徴ありすぎのメスキータの内部は想像できません。明日は必ず入るぞと誓いました。

 メスキータの近くにはローマ橋があったり、昔の砦みたいのもあったり、まるでトレドみたいだと思いました。と書くと私の場合(  )カッコして「トレド行ったことないけど」の文字が続くのが定番ですが、私は昨年トレドに2泊してるんですよね。だからこの感想は本当です。

 ローマ橋から予約しといたオスタルまでは歩きで行ける距離なので難なく到着。チェックインしてスーパー探索です。もう初日からスーパー通いで思ったとおりです。1リットルビールに生ハム、チーズにパン。こう言う食事にすると、あースペインに帰って来たんだなぁと実感します。


4月27日
 今朝は7:30から行動開始してコルドバ見物。メスキータは朝8時半から無料で入ることができます。その前に時間があるので、有名な「花の小路」を見物。早朝なので完全貸し切りでした。掃除のおばさんしかいません。ガイドブックで読んだとおり、ものすっごく短い路地でした。ここに観光客が押し寄せたらギューギュー詰めになること必至でしょう。写真では分かりにくいと思いますが、花の小の隙間を通してカテドラルが見られるのが見所だそうです。

 さてコルドバのハイライト、メスキータですが、バックパック背負っては入れませんでした。普通、そういった場合は貸しロッカーが用意されてるものですが、メスキータにはなかった。世界遺産なので手を加えられないのでしょう。門番と色々交渉して最後はここにバックパックを置かせてくれとまで提案しましたが取り付く島がありません。コルドバにはメスキータを見にきたんだから焦りまくりました。有料の時間まで待つとセビージャ移動が遅くなるので何とかいま入りたい。

 外の道には警官が何人もいて警備していました。訳の分からないスペイン語と身振りで何とかならないかと相談し、ここでもバックパックをそこに置くからあんたが見ててくれない!?と言ってみるも、そんなの出来るわけないですよね。でも、最後は親切なポリスの機転で少し離れたところで預かってもらえ、走って戻りながらロッカーの鍵を掲げて挨拶すると、ポリスもとても嬉しそうに手を振ってくれました。

 おかげで無事にメスキータ見物ができました。中に入ってみると、ここにしか無い異質の空間が広がっていて、想像より遙かに広く素晴らしいところでした。諦めなくて良かったと心底思いました。見終わってから親切なポリスの所に行って丁寧にお礼を言ったところ、共に喜んでくれました。写真も一緒に撮りました。困っている時に親切にされた時ほど嬉しいことはありません。不真面目な私は一人のポリスが機関銃を抱えてたので、そこも撮れば良かったと後から思いました。

お役立ち情報
 メスキータから西へ歩いて5分ほどの所に小さな広場があって、そこにアルベルゲ(実態はユースホステルかな)があります。そこでコインロッカーを貸してくれます。2ユーロ。メスキータにバックパック持参で訪れたときは思い出してください。


 午後の列車でセビージャに移動してスペイン三大カテドラルの一つに入りました。絶体見たかったので9ユーロは惜しくありません。何せここにはコロンブスの棺があるのです。棺はスペインの4人の国王(当時スペインにあった4つの王国、カスティージャ・レオン・ナバラ・アルゴン)に担がれているそうなので、コロンブスがいかにスペインに取って重要な人なのか想像できます。それにここでは大切な銀の道のスタンプ第一号を押してくれます。私の場合はチケット売り場のお姉さんに「セージョ?」と言いながらスタンプを押す仕草で頼むと、奥の部屋に入って行って押してきてくれました。たぶん、普通の観光客が頼んだら断られると思います。

 コロンブスの棺を担いでいる4人の王で面白いことに気付きました。前を担いでいる二人は顔を上げて誇らしげなのに対し、後ろの二人の王はうつむき加減なんですよね。これにはきっと意味があるのだと想像できますが、真相は不明です。

 スペイン三大カテドラルはここのほかブルゴス、トレドにあります。そう、過去2回のスペイン行で私はどちらにも入っています。不良信者なのにこう言う所だけは一人前ですいません。

 セビージャのスペイン広場は映画アラビアのロレンスとスターウォーズで舞台になったところです。そこへ行く途中の広場では路上フラメンコをやってました。歌劇カルメンの舞台になったセビージャはフラメンコの本場だそうですが、節約旅の私が見られることはないと最初から諦めてたので凄いラッキーでした。何曲も情感込めて踊ってくれたことに感激して、たった1ユーロだけだけど、感謝を込めてザルに入れました。その後、このお姉さんは地面に置いてあったザルを拾い上げて周りの観衆におねだりを始めましたが、私の前は素通りしたので、私が自主的に寄付したのを見ていたようです。


 最後に明日からの巡礼路探しをしました。カテドラルの近くからスタートするようなので、外に居た係員に教えて貰い探しました。しばらくキョロキョロ見て回ったら街路樹に黄色い矢印があるのを見つけることができました。これで明日は迷うことなくスタートすることができます。

※お役立ち情報
  カテドラルのスタンプはチケット売り場のひとから貰えます。
  最初の矢印は大きなカテドラルの北西の角にありました。

銀の道2 へつづく