銀の道13  Carrascalerjo - Alcuescal  養老院のアルベルゲ

5月9日
 6時起床。大きなアルベルゲにたった一人だったので良く寝られた。ベッドの上でいつものように坐骨神経痛用のストレッチをしてから足の肉刺防止にニベアをすりこむ。どちらも効き目があるのか無いのか分らないが、悪い結果が出てからでは遅い。

 キッチンに行って冷蔵庫からミルクを出し、レンジでチンしてコーヒーと砂糖を入れる。好物のコーヒー牛乳の出来上がり。昨晩、巨大過ぎて食べ切れなかったボカディージョの残りを軽くチンしたら柔らかくなって食べやすい。朝食用に用意してくれたリンゴとサンドイッチにミニカステラは持ち歩くことにする。これは昼飯用。広くて綺麗なアルベルゲの中で、のんびりと自由気ままに飲み食いして、この旅で初めてまともな朝飯を食べた気になった。普段がロクなもんじゃなかったので。

 旅の記録用には毎年A5サイズのノートを持ち歩いているが、昨年も80数日間の長旅だったために後半はページが足りなくなり、仕方なく裏が白い紙を何枚も利用して書き続けた経緯がある。それで今回は最初から小さい文字で書いてページを節約している。まだ残りが2ヶ月もあるので、その成果やいかに。

 これも効いてんだか効いてないのか分らないボルタレンを塗って7時5分にカレスカレホ出発。7時でやっと夜明けって感じだ。若干、膝に違和感が感じられるので慎重に歩くことにする。早足は禁物。

 昨日に引き続き、緩い上りがずっと続くが、腰も膝も心配するほどじゃないので快調に歩くことが出来る。今日は誰にも会わないなーと思っていたが、休んでいたらホセ夫婦がやってきた。あれ?ホセ達は昨日20km先まで行ったんじゃなかったのかね。実は私が泊まった所から2キロだけ先の村に泊まったそうだ。そんなのがあったとは知らなかった。値段を気にしなければアルベルゲ以外の宿はあるのだろう。私にはアルベルゲ以外に泊まる考えはないので知らなかった。ほかにもスペイン爺ちゃんと夫婦の巡礼がいたので前後しながら歩くことができる。歩く人が少ない銀の道では貴重な仲間なので、出会ったらなるべく離れたくない。絶滅危惧種動物同士の出会いか?

 向こうから羊の群れがやってきたが、前方に私が居たので先頭の群れが戸惑って足を止めてしまった。でもそのあとには凄い団体が続いているので、戸惑っていた羊は意を決したのか私の横を勢いよく駆け抜けて行った。そしたら来るわ来るわ、一体何匹いるのだろう、少なく見ても500匹はいそうだ。面白いのでその様子を動画でも撮っておく。ドドドドドーッ。この群れを数匹の牧羊犬と一人の牧童だけで動かしているんだから大したもんだ。

 広大な土地には家畜が自由に放牧されているので、自分とこの家畜が逃げ出さないように境界にはそれなりの策が施してある。これもその一つで、この手の策はそこかしこにある。人間は歩いて渡れるが、ヒズメを持った羊や牛には渡れない橋なのだろう。これがないところには施錠してない扉が設けられているので、我々は開けては閉めて通らせてもらっている。ありがたや。

 銀の道の名物は水たまりだとは何度も言っているが、ここも雨が降ったりするとまともな川に変貌するに違いない。いちいち橋を架けられないようで、こういう簡易橋が頻繁に架けられている。この上をポンポンと飛び跳ねて渉るのだが、どうですこの適当さ加減。高さを揃えましょうという発想は余りないようです。でも、これがなかったらタダでは済まない日があるのだから、ディスるのは罰あたりと言うものです。

 目的の村かと思った分岐にAlberugueの看板があって、そこでホセ夫婦が何やら言っている。 「No Alcuescal」とか言っているので、どうもこのアルベルゲは目的の場所じゃなくて、目指すところはあと2キロ先にあるそうだ。教えて貰わなかったら間違いなく看板に従い曲がってしまっただろう。そこへあの謎のカップルがやって来たので、この二人はどういう関係なのかまた妄想が始まった。


 暫く歩くと大きな村に入ってきて、そこにはネットで見た修道院に養老院とアルベルゲがドッキングした大きな建物が現れた。これこれ、これに泊まりたかったんだよ。良かったホセに教えてもらって。ここは夕飯が提供されてドナティーボだそうだから。つまり寄付。金額は置いといて、夕飯をみんなで一緒に食べるのは大歓迎なのだ。それがあるとみんな仲良しになれるから。

※お役立ち情報
 Alcuescalのアルベルゲは巡礼路沿いにあるので迷いません。ここは銀の道を歩く上で外せないアルベルゲです。

  チェックインで私が日本人と分かると、一人のオスピタレラがスマホの画面を見せだした。そこには四国の遍路装束に身を固めた本人の写真が。この人は四国遍路を歩いて踏破したそうだ。あなたも遍路をしたかと聞いてるが残念ながらノーだ。四国遍路にはちょっと興味があるが、仏教徒でもない私が四国の方々からお接待を受けるのは筋違いだろうとの思いがあるので、極端に言うと行ってはならない気がする。勿論、そんな複雑なことを伝える語学力はないので、単にノーしか言えないのが悲しい。

 そのあと、この人が小さな陶器の人形を手にやって来て「オセッタイ」と言っている。この人も四国を歩いていたときに沢山のオセッタイを受けてきたのを思い出したのだろう。誠に申し訳ないが荷物を増やすのは厳禁なので丁重にお断りする。代わりと言っては何だが、この人の気持ちに応えて和風マリアカードを進呈させてもらった。

 シャワー、洗濯してから石鹸を外の洗濯場に忘れたことに気づいて戻ったら、ジヌがそれを使っていた。謝っているが、「バレバレ~(全然オッケー)」と伝える。シャワーと洗濯の両方で使う石鹸は手放すことが多いので忘れ物ナンバーワンなのだが、今回は何とか一度も忘れずに持ち堪えている。この後も忘れ物無しで過ごしたいが、そうは問屋が卸さないだろう。

 Wi-Fiがないこと4日目なので、フェイスブックの更新も滞っている。そろそろ心配してくれてる人たちがいるだろうと、Wi-Fi目的で近くのバルでビールを飲んだが、ここんちのWi-Fiはフリーなのに繋がらなかった。マスターに聞いても原因が分からないので諦める。ビールにはピンチョスが付いてきたが油っぽくて不味い。付近に店がないのが分かっているので帰りに冷蔵庫のセブンアップを1本買って帰る。最近、寝る前に炭酸系の飲み物がやたら飲みたくなるのだ。

 アルベルゲに戻ったら入り口の扉がロックされていたので、ぐるっと回って炊事場から入ろうとしたら調理のおばちゃんに慌てて止められた。そう言えば受付の時に何か言ってたらしいと思い出すが、言葉が分からないので右から左だった。炊事場のおじさんが鍵を持ってきて正面扉を開けてくれるらしい。そこにはフランス兄ちゃんも同じように締め出されて、インターホンを押している最中だった。みんな同じようなことをやってるね。

 4時近くなってベンがやってきた。メリダから37kmを一日で歩いたらしい。と言うことはメリダで2泊したのか。大きなアルベルゲなので、この時間にやって来ても下段ベッドが空いていたので良かったね。

 6時半からモナステリオ・ツアーと言う事で、この修道院内と養老院の中を案内してくれた。ドン・ボスコの大きな肖像画があったので、そう言えばドンはスペイン語だった。ドン・ボスコってスペインの人だったのかと今更ながら気が付いた。ツアーの最後に養老院の中にある聖堂で祝福の何かがあって、数人の巡礼に何か喋らせ始めたので困ったなと思ったが私に振られることはなかったので命拾いした。

 外に集合したところで、明日は7時に扉が開けられて、それから7時半の間にみんな出発しましょうと告げられる。7時半になったら鍵を閉めてしまうそうだ。時間厳守らしいが、みんな一斉に起きだすだろうから心配は無用だろう。

 8時からみんなでディナー。大体こういうところで出てくるのはスープが定番だ。人数が増減しても対応できるからだろう。次はちゃんと肉がでてきたので意外だった。お遍路やった女性も一緒のテーブルで食べているが、その人の皿には肉はなかった。足りなかったのかな?誰か写真を撮り出したら、いつものように我も我もになる。

 ここのベッドルームは大きな部屋がひとつだけで、中には数十台の2段ベッドが並んでいる方式だ。充電ポイントを探していたら、言葉が通じないけど自分が使っているコンセントを提供してくれたり、立ち上がった時にヒーコラ歩いているのを見てたのか、私の腰をポンポンと叩いて心配してくれる人がいる。どこでも巡礼者同士は助け合って暖かい。

銀の道14へつづく