銀の道21 Carcaboso - CAPARA - Hostal Asturias カパラ遺跡 5月17日 起きるとキッチンには既に朝食の用意がしてあった。オスピタレラさんは昨晩のうちに用意してから帰ったらしい。エディスは一足先に起きて、朝食を食べるとさっさと出発して行った。キッチンのテーブルにはコーヒー、ミニカステラ、クッキーにジャム2種類が置かれている。乾きもんばっかだが思ったより種類があったので楽しい。パンをトーストにして2枚食べる。スペインのトースターは日本と違って一風変わった形をしているのがあるが、写真がないのが残念。 エディスより30分遅れて7時15に出発する。エディスは足が遅いので2時間で追いつくだろう。この時間でやっと薄明るくなって来るくらいなので、エディスが出発した頃は真っ暗じゃなかろうか。それでも歩くのが遅いので頑張って毎日朝早く出発しているようだ。偉いぞエディス。 早速道を間違えて往復30分のロス。歩いていると後ろからトラクターがやって来て隣に止まった。ここはカミーノではないそうだ。あれーそんなー!どこで間違えたんだろう。親切なトラクターのおじさんにお礼を言って引き返すと、15分ほど戻った所の分岐点には普通に歩いていたのでは見落とす場所に道標が置かれてあり、おまけに銀の道を示す黄色い色は歩いている人からは見えない裏側にあった。道標も半分壊れている代物だったので車にでもぶつけられて道路の端に無造作に置かれたのかも知れない。結果、たくさんの巡礼が迷うということに。 トラクターの人に教えてもらわなかったら一体どこまで行ったかとゾッとする。私の前にいたドイツ人も戻って来た。「ファーマー バック セイ」と言っているので、やっぱりトラクターに教わったんだ。二人してあっという間に間違えるんだから、あの道標はさっさと直して貰いたいもんだ。田舎の人は総じて巡礼に優しいです、ありがたや。 牧場の柵の向こうで大きいのと中くらいの犬が吼えまくっている。気にしないで通り過ぎたら後ろに気配を感じる。大きい奴が柵を越えてすぐ後ろまでやって来て吠えていたのだ。振り向いたらすぐ踵を返して腹を擦りながら無様な格好で柵の下をくぐって戻っていった。近づいて吼えれば逃げ出す人がいるのだろう。それを追いかけるのが病みつきになっていると思われる。誰かがこっぴどい目に遭わせてやると懲りるだろうが、普通、巡礼はやらない。 今日もコルク樫の森を歩く。ところどころにずっぱり皮が剥かれている木があって痛々しい。ベルギー夫妻に追いつたと思ったら、エディスもそのすぐ先を歩いていた。予想通りスタート2時間後に追いついた。坐骨神経痛を抱えている私よりも三人とも足が遅い。私は立ち上がったときこそ変な格好をしているが、歩き出せば数分で絶好調に変身するのだ。 森を4時間以上歩いて本日のと言うか銀の道のハイライト、ローマ遺跡のカパラに12時10に到着する。やっとここまでやって来たとの思いで、ひとしきり写真を撮りまくる。女性の自転車巡礼2人組がいて、お互いにシャッターの押しっこをする。この二人のおばちゃんはスイスの人らしいが、バルセロナを出発してセビージャ経由でサンチャゴを目指しているらしい。それだと凡そ2,000キロは走るんじゃなかろうか。小柄な女性なのに凄いパワーだ。 少し遅れてエディスが到着してきたが、ベルギー夫妻はずっと後ろを歩いているらしく、ぜんぜんやって来る気配がない。この夫婦は歩くのが遅いことに加え、しょっちゅう立ち止まっては相向かいになってお話をしているので遅いことこの上ない。夫妻もオスタルを予約済みなので、安心してのんびり歩いているんだろう。 カパラは小さな丘を越えた向こう側に博物館があって、当時の再現CGを見せてもらえた。今は廃墟になっているが、当時は大きな町で随分と栄えていたのが分かる。夜は無人になりそうだが大き目の博物館なので、ここで野宿という手もありそうだ。 ※お役立ち情報 村のない区間38kmを一気に歩く自信のない人は、ここでHostal Asturiasに車で迎えに来て貰うか、この博物館の屋根の下で一夜を明かすこともできそうです。博物館はカパラの門からは見えなくて丘を越えた向こう側です。オスタルへの電話は博物館の人に頼むこともできそうでした。 ここにオスタルから迎えが来て翌朝またここに戻してくれると思ってたけど朝はオスタルから歩き始めるらしく、オスタルからは青い矢印が巡礼路まで続いていて1時間ほどで黄色い矢印に出会えるそうだ。他にもう一人、フランス人のソロ巡礼おじさんが同じように迎えの車を待っていたが、結局ベルギー夫妻はこの車には間に合わなかった。 迎えに来てくれた運転手は、道路沿いを黙々と歩いている巡礼に運転席からなにやら声を掛けているが、巡礼の方は乗る気が更々ないようで手を横に振っている。その姿を尊敬の念で見送る。 オスタルに到着してみると、回りにはまったく店がなくアメリカ映画に出てくる荒野のドライブインみたいな宿だった。エディスが気を利かせてくれてツインルームになる。一人16.5ユーロと格安。フランスおじさんは一人部屋なので少し高いようだ。 チェックインが済むとオスタルの名前入りのボールペンと黄色いナップザックをくれた。ボールペンはスペアを持ってるけど貰っておくがナップザックはデザインがえげつないのでいらない。エディスもいらないそうで部屋に置いてくことにする。 部屋には狭いながら専用のシャワーとトイレが付いていた。エディスがシャワーは5分で出ると言っているので10分でいいよと何となく伝える。 スーパーがないので付属のバルで巡礼定食10ユーロを食べることにする。ご覧のような大ジョッキのビールも10ユーロの中に入ってるから良心的な価格だ。日本ならビールだけで6ユーロは取られるだろう。生涯3度目のガスパチョに2皿目は焼き肉。銀の道は宿代が高いので、一日20ユーロで収めるのは難しいようだと諦める。 食べている途中にベルギー夫婦が隣のテーブルにやってきた。良かった、ちゃんと到着してきた。この夫婦とは5日前に会ってから毎晩同じ宿になっている。4人は歩くスピードは違っても一日のペースがそっくりなので毎日一緒になっているから楽しい。すっかり仲良しになった。 エディスに明日は何時にスタートするか聞いたら何か言いながら紙に絵を描き始めた。とうとう絵で会話をするようだ。太陽の絵と6:15の文字。日の出らしい。で、出発は6:45で10km歩いた次の町で朝食にするらしい。エディスはフランス語しか喋らなくて、たまに英単語を言うくらい。相談はいつもこんな調子だが何となく通じる。こちらからはWi-Fiがあればタブレットの翻訳が役立ってるがエディスは日本式キーボードが嫌らしく使いたがらない。 ずっと頭にのし掛かっていた難関のカパラをクリアできたので安心して眠ることができる。エディスが「ドルミール」と言ったので、スペイン語が喋れるのかと聞いたら喋れないと言う。そしたらフランス語でも「寝る」はドルミールでスペイン語とまったく同じだった。ホントに欧州の言葉は良く似ているから羨ましい。 銀の道22へつづく |