銀の道22 Hostal Asturias - Baños de Montemayo
                   スパニッシュ・イングリッシュ

5月18日
 昨日立てた予定通り、6時40に出発する。まず教わった青い矢印を目指す。今朝は寒いので合羽を着たいようだが面倒なので手袋だけ着ける。エディスも寒いようで手袋をしている。今日は太陽が出ているが風があって薄ら寒いのでずっと長袖のまま歩き続ける。


 青い矢印を辿って本来のカミーノと合流できる。ここで朝飯にするがエディスは先に進んだのでこの後はずっと一人旅になる。食べ終わってザックの中に残りを戻したら、何故かビチョビチョなのに気づく。食べ始めるときにザックを逆さまに引っくり返したが気にせずにそのままにしてた。じゃぁ下に水溜りがあったのか。大して気にせずに歩き始めるが、後になって水を飲もうとしたらジュルジュルと空気交じりの水が!タンクの水が尽きてしまったようだ。昨日、給水するのを忘れたのかなと思ったが、さっきザックがびしょ濡れになったのを思い出した。面倒でも粗方の荷物を出してタンクをチェックしてみると蓋が緩んでいたために中の水が全部こぼれてしまったのが判明。がーん。この暑さの中を水なしでは歩けないので通りにあったバルに入って1.6ユーロの高いコーラを飲んでトイレの水道で給水する。これ以降、タンクの蓋をきつく閉めるようになったのは言うまでもない。

 今日のアルベルゲがあるBaños de Montemayoに12時15に到着。エディスが先着しているかと思ったが、私が一番だった。知らないうちに追い越してしまったようだ。

 ここのオスピタレロがとても癖のある英語を話すスペイン人で、まったく聞き取れない。どうも英語を喋っているらしいと気づくのに少し時間が掛かったほど。こんな英語を聞くのは初めてだったのでむしろ新鮮な驚きがあった。まだスペイン語で喋ってもらった方がマシなくらい。こちらが理解できないのが分かったらしく、今度はスマホに向かってスペイン語で喋りだしたのでネットの翻訳を使うらしい。これだと日本語に翻訳してくれたのでほぼ通じた。日本語への翻訳は少し変ちょこりんだったが英語やスペイン語で話されるより遥かに通じる。

 私の勝手な解釈かも知れないが、日本人の喋る英語は発音がネイティブと違ったとしても、ジャパニーズイングリッシュとして堂々と喋っていいのだと思うようになった。実際、英語ネイティブ以外の人たちの英語はそれぞれ癖があってもネイティブよりずっと聞き取りやすいのは事実だ。特に韓国人の英語は母音がしっかりくっついているので非常に聞き取りやすくありがたい。それは私も同じで片言なら片言ほどお互いに通じるから楽しい。

 変に立派なアルベルゲで、本格的な展示コーナーがあったり、銀の道の紹介ビデオまで見せてくれる。苦労して作ったのか、後からやってきた巡礼全員にこのビデオを見せたがっていた。そうしている内にエディスが到着してきた。やっぱりどっかで抜いていたのだ。エディスは今日も私と同じ5人部屋になった。この部屋の造りは一風変わっていて、階層構造になっているが2段ベッドではない。一番乗りの私は平置きベッドをゲットできて喜ばしい。


 2時近いのでシャワー前に買い物に出かける。せっかくシャワー浴びてさっぱりしてもシエスタでビールをお預け食らうのは嬉しくないから。小さな村なので少しうろつくだけで店を見つけることができる。6畳ほどの小さな店だがほしい物はみんなあった。今日も1リットルビールにヨーグルト4個、でかいパン、生ハム、こないだ覚えた洋ナシ、青リンゴ、チョリソーと豆が入った缶詰で7ユーロとちょっと。もちろん2食分だ。

 アルベルゲに戻る途中の広場にキツイ顔をした中国系カナダ人のお姉ちゃんがいたのでぐねぐね曲った路地を伝ってアルベルゲまで連れてってやる。玄関に着いたらイージーだったと言ってるが、私が連れて来てやったんだから当たり前だ。でも自分で探そうと思えば目の前にあっても迷う時があるのが知らない町だ。別にどうでもいいことだが。

 ベッドの上に荷物を広げたら、まだパンの残りが4個あることに気づく。まぁ足りないよりはいいだろう。ここんちのキッチン・食堂には立派な食器はあるのに流しがなかった。カウンターの中には小さな流しがあるが、そこはスタッフだけしか入ってはいけないようだ。豆の缶詰をチンで温めて洋ナシの皮を剥いて皿に並べる。今日は食べすぎ。

 食堂には日の光が入らないので寒くなってきた。裏庭に置いてあるテーブル・イスに移動してビールを飲み続ける。人のよさそうな青年(でも40くらい)が居たのでビールを1杯勧めてみる。この人は気持ちよく飲んでくれたので嬉しい。青年はベルギーからだった。

 「ユーはファーストカミーノか」と聞くので私の歩いたカミーノを披露すると、青年も北の道、フランス人の道、ポルトガルの道を歩いていてほぼ私と同じだった。ポルトガルの道ではサンチャゴからファティマと逆に歩き、そのあいだ出会った巡礼は4人だけだったそうだ。サンチャゴからファティマへ歩く人はたまに居るようだ。私もちょっと興味があるが、どうせならやっぱりリスボンからファティマ経由でサンチャゴまで歩いた方が面白い気がする。

 ここで思い出したが、今日の午前中に聞いた話ではエディスはフィステラ・ムシアの道を3回歩いているそうだ。勿論その前に長距離を歩いてるのは言うまでもない。他はどこを歩いたのか聞いたらフランス国内からの道をふたつ上げていた。ベズレーの道と言うのは聞き取れたが、あとは分からなかった。やっぱり銀の道を歩くような人は他の道を幾つも歩いている。


銀の道23へつづく