銀の道31 Villa nueva de Campean - Zamora さよならベルギー夫婦

5月27日
 朝飯を食べて7時5分、ベルギー夫婦と一緒にスタートする。みんなして昨日の午後だけで3回も寄せてもらったバルの写真を撮ってみる。Wi-Fiを使わせてもらったりいっぱい楽しませてくれてありがとう。曇っていはいるが雨は降っていない。歩くのが遅いベルギー夫婦をすぐぶっちぎる。

 
 太陽が昇ってきたら昨日の雨の影響か、辺り一面が霧に覆われて白一色の世界になる。中々幻想的な景色。これも道標なのか、立派すぎてモニュメントと見間違えるような道しるべが現れる。記念碑に見えなくもないが、その後も時々現れるようになったので、この州ではこれが銀の道の正式な道標のようだ。他の州の割と簡単なのから比べたら相当立派で金も掛かっていそう。もっと安いのでいいから沢山設置してもらった方がありがたい。

 この辺りの巡礼路は間違いようが無いほど単純なので呑気に歩いていられる。歩いていくと、エディスが道端の石に座ってリンゴをかじってたのでその隣でバナナとミニカステラでエネルギー補給。韓国のおばちゃんカンさんも何か食べて休んで行く。しかし、この後は1キロくらい泥だんごの道になり、靴にこびりつく泥をスティックで叩き落しながら進むことになる。

 
 9時40、Zamoraの町が遠くに見えてくるが辿り着くまでにはやはり1時間は必要だ。町の中に入っていくと大きな川沿いを歩くようになり、川の対岸が旧市外で、アルベルゲも旧市外の中心にあるようだ。ここから見渡すサモラの町は凄く綺麗な町で写真を何枚も撮りながら川沿いを歩いていく。ローマ時代と思われる崩れた石の橋脚が川の中に残っていた。

 アルベルゲ前には11:20に着いた。オープンが11時半と思っていたのでグッドタイミングの気がしたが、実際にはオープンは2時だったので2時間半も待たなくてはならないようだ。どうしようと考えながらアルベルゲ前の石段に腰掛けていたら、その前をエディスが素通りして行った。どこに行くのだろう?コリアのおばちゃんもやって来たが、2時を確認したらどこかへ行くようだ。でも時間には戻ってくると言い残して行ってしまった。サラマンカの4時よりマシだが昨日のアルベルゲみたいに、扉を開けておいて自由に利用できてチェックインは夕方のスタイルが一番好きだ。Zamoraのアルベルゲはご覧のように奴隷小屋みたいだが、中は広くて近代的です。

※お役立ち情報
 スペインの巡礼情報サイトにはアルベルゲ情報も載っていますが、受付時間のところに「no tiene」とあったら、それは何時でも利用できて夕方チェックインする便利なスタイルです。たとえばこんなサイトがあります。https://www.gronze.com/via-plata

 ずっとこの玄関に居てもしょうがないので近くを探検することにする。旧市街なので古い建物などがそこかしこに点在していて博物館もあるようだ。そこへエディスがレジ袋をぶら下げて歩いているのを発見する。そうだ、スーパーがあるのならビールを買って近くにあった公園で飲んでやろうと思いつく。エディスがやって来た方向に歩いて行くと案の定小さな店を発見する。さすがに公園で1リットルビールのラッパ飲みは不味いだろう。500mlの缶ビールとキットカットを買ってみる。これなら品位を保ったまま飲むことができる(公園でビールを飲むこと自体どうかと思うが)。

 おかみさんが「ウノ ノベンタ イ シンコ」と言ったので、1.65ユーロかと思ってコインを出したら、まぁ良いかみたいな顔をして受け取ったので、あとで良く考えたら1.95ユーロだったことに気づく。レジ前に並んでいたときに客のセニョーラから「セビージャから歩いてきたのか!」などと質問されていた。巡礼路の町なので関心を持つ人は多そうだ。おかみさんはそれを聞いてたので負けてくれたのかも知れないな。おかみさんありがとう。

 アルベルゲ隣にある見晴らしのいい公園で早速一杯やる。今日は雲が多くて涼しいのでシャワー前でも快適だ。チョコレートのキットカットもビールとはそこそこ相性が良いようだ。飲み終わったところに隣のベンチに座っていた巡礼の奥さんが何か話しかけてきた。北アフリカのケープタウンと言う珍しい所からやって来た人だった。そこってアフリカ最南端の喜望峰ってとこだよな、白人も住んでいたとは意外だった。ベルギー夫婦も到着してきたが、2時オープンを知ると近くを巡ってくるようで行ってしまった。

 この町の教会前に二人の小さい子供を連れた物乞い婦人がいることをブログで知っていた。そのブログを書いた人は人間的に素晴らしい印象を受けていたので、もしその物乞い婦人がまだ居たら、私もその人に倣って少し上げたいなと思って探してみたが、それから数年経っているので見当たらなかった。それとも今日はいなかっただけの話なのか分からないが。

 2時が近くなってくると、あちこちから巡礼が集まりだして20人位の列ができる。いま到着した人だったり市内のどこかに行っていた人たちだ。時間が来てやっとオープン。狭い入り口を入ったそのすぐ先で二人のオスピタレラが受付業務をしているので玄関の中に人が入り切れない。一人一人に丁寧に応対してるので中々進まないが文句を言う人は誰もいない。

 ここは朝食付でドナティーボ。不織布のベッドカバーと枕カバーもくれる。その場で小さな木箱に寄付金を入れるスタイルだった。私の前の人は1ユーロコインを二つコトンと入れた。ベッド代5ユーロで朝食3ユーロとしたら8だが、そういう金種はないので10ユーロ札を入れたらグラシアスと言われた。公営アルベルゲを運営している人たちの殆どは全て無報酬のボランティアだ。ドナティーボは「タダだ」なんて夢にも思ってはいけない。

 午後、定食でも食べたいなーと安い食堂を物色していたら、広場のテラスで食事をしていたエディスとベルギー夫婦から声が掛かった。一緒のテーブルに座らせてもらって、同じのが食べたいと給仕に伝えたら、もう時間を過ぎたので提供できないと言われてしまう。でも、そのあとやってきて大丈夫になったので無事に昼兼夕飯を食べられそうだ。人生3度目のガスパチョはとてもお洒落だった。

 3人の内、奥さんだけは英語を喋れるので、奥さんが通訳みたいなことをして楽しくお喋りができる。と言っても私の外国語は半分以上が身振り手振りだから英語が分からない二人にもそこそこ通じてる気がする。たはは。

 ここでちょっとショックな事を聞かされる。ベルギー夫婦は今年はここサモラ迄で、明日はベルギーに帰ってしまうそうだ。初めて会った日から15日間も仲良くやってきたのでとても残念。そしてエディスはこの先で道が二手に分かれる町からアストルガ経由でフランス人の道と合流してサンチャゴを目指すそうだ。私は分岐の町からはサナブレスの道を歩いて直接サンチャゴを目指す。両方ともサンチャゴまでは360kmほど距離がある。ずっとサンチャゴまで一緒に歩ける気になってたけど別々の道を行くことになるとは。せめて半月後にサンチャゴで再会できると良いな。

 最後なのでベルギー夫婦に名前を書いてもらう。夫がリムで奥さんはジョセッテ。メルアドも書いてくれたので、日本に帰ってからメールしたらちゃんと返事が来たので、大量の写真を送ってあげることができた。

 アルベルゲは一部屋に2段ベッドが2台ずつ入ったプチ個室設計。同じ部屋にはエディスとコリアのおばちゃんが入ってきた。エディスが下段でその上がコリアのおばちゃんだ。私の上は空いてるので、このまま誰も来なくちゃいいなと思ってたが甘かった。若いスペイン人(と言っても40代か)らしいのが上になった。この男のイビキが尋常でなかった。夜中、私の足を寝袋の上からペチンペチンと叩かれたので目を覚ますとエディスが足元に立っていた。それまでもボーっとしていたのだが、それで一気に目が覚める。同時に轟音が耳をつんざく。エディスはそのイビキに腹を立てて私に同意を求めているようだ。エディスそんなんで人を起こさないでくれよ。金属パイプをカキンと叩いて「ギーギーッ」と意味不明な擬音を出している。そうとう癪に障っているのが分かるがどうしようもない。


銀の道32へつづく