銀の道38 Mombuey - Asturianos   ギャエレ復帰する

6月3日
 簡単な朝飯を食べて出発の準備をする。アルベルゲの鍵はカルロスが通り反対側にあるオスピタレラの郵便ポストに放り込んで来てくれた。7時20、元気に出発。と言っても歩き出しは必ずひょこひょこ。

 最初は平地だったが、徐々に上りになってきて後半の2時間は山の中になる。昨日のアルベルゲはドナティーボだったが、宿には昼も夜も管理人が一切来なかったので寄付するのを忘れたことに気がつく。いまさら戻れないので勘弁してもらおう。数十回ドナのアルベルゲに泊まったことがあるが、寄付を忘れたのは初めてだ。もしかして昨晩泊まった全員が忘れてたりして。

 次の村の中で後ろからやって来たチャリグループが声を掛けてきた。昨日の夕方アルベルゲを訪ねてきたイタリア人の一人だった。ちょっと話をしたので覚えていてくれたらしい。ブエンカミーノと言って見送る。自転車のスピードは歩きの4,5倍だろう。この時間に追いつくということは宿を9時ころ出発したか。さすがに自転車は余裕がある。

 カルロスを抜くときに膝の具合はどうだと聞いたら、ムイビエンと言ってるので安心した。
 この辺りの家畜柵は石を積んだ垣根で区切ってあった。石は重くて運ぶのは大変だろうがただ積むだけで腐ることもないので便利そうだ。
 今日はショートコース、4時間歩いただけで今晩の宿があるAsturianosの村に到着する。短時間だったが山の中だったので平地の倍疲れた。

 村に入ると道路上に黄色いペンキで足跡がアルベルゲまで続いていると言うお茶目な案内があった。迷うことなく体育館に併設された一風変わったアルベルゲに到着する。受付はこれも体育館横に併設されたバルだった。取りあえずビールを一杯飲ませてもらおう。何か食べたい気もするが、スーパーがあるならそっちの方が安上がりなので村の様子を見てからにする。

 ベッドルームは2段が3台。6人しか泊まることができないようだがベッドの間隔はゆったり置かれておりマットレスの色も赤と黒でお洒落だ。いつもの習性で一番奥のベッドに寝袋を広げていたらギャエレ達が到着してきた。あれ?ギャエレは最後にあった時にフランスに帰るようなことを言っていた筈だがな。何故なのか言葉がほぼ通じないので判明のしようがないが、今度はサンチャゴまで行くと言っている。フランスに帰ると言うのは私の聞き間違いだったのだろうか。それにしては8日も会わなかったので真実は謎のまま。二人の関係も謎のまま。何はともあれまた道連れになれるなら嬉しい。

 シャワーから出てきたらカルロスが到着してきた。また膝はどうかと聞いてみるが今回もムイビエンだった。フランスの老夫婦がやって来てこれでベッドはコンプリート。その後やって来たイタリア爺ちゃんは廊下にべったり敷いたマットレスになった。ここのアルベルゲは定員オーバーしたらマットレスになることをブログで読んでいたが、体育館が併設されているのでマットレス泊は何人でもいいのかと思っていた。でもマットレスで寝られるのもアルベルゲ内だけで、マットレスを敷けるスペースはひとつだけのようだ。これ以上の人はやって来なかったので良かった。

 明日は日曜で買い物ができないのに、この町には店がなさそうだ。仕方ないので体育館隣のバルでビールとボカディージョを食べてみる。でもその後ギャエレ達がレジ袋を提げて帰ってきたので、どこで買ったのかと教えてもらい10分ほど離れた村のメインストリートまで出かけてみるもシエスタ中で入れなかった。5時過ぎたので午後のオープン時間だろうと思ったが、入り口の紙には6時とあった。残念な気持ちでアルベルゲに戻る。

 シャクだが飲み食いできないのはもっとシャクだし何しろ明日は買い物が出来ないので真剣だ。6時になったらまた行って見ることにする。そしたらマットレス泊の爺ちゃんが「ティエンダ?」と言って付いてきた。この爺ちゃんはイタリア語しか話さないが面白いキャラなので言葉は通じなくても結構楽しい。髭もじゃで小柄なので妖精みたいな爺ちゃんだ。二人で訳の分からない会話をしながら店に行くと今度はちゃんと開いていたので一安心。

 缶ビール、ファンタ、ナッツ1袋、トマト、バナナ2にヨーグルト4で5ユーロと35だった。アルベルゲにキッチンも食堂も無いけど外に出してあるテーブルで食べることが出来る。昨日から持ち歩いているチョリソーも加えて晩飯とする。ナッツのプラケースの開け方が変わっていて、縁にある「Open」のつまみをパチンと破ると開けることができた。文章だとちょっと説明できない。

 ここの丘の上にはクレー射撃場があって、バンバン撃ちまくっている。滅多に見られないものなので見物に行って来る。5,6名ほどのグループが3つ位あって、1グループが撃つ場所をひとつずつずれて移動しながらぶっ放している。一人が10発くらい撃つようだ。遠くに打ち出される皿なのにみんな上手に当てているので関心した。散弾ってどのくらいの範囲で広がっていくのだろう。1回の射撃で撃ち漏らすと飛んでいる同じ皿をもう一発追加で撃てるのだが、2発とも外すと恥ずかしそうだった。女性がただ一人混ざっていたが、この人が撃つところは見られなかった。あんだけぶっぱなしてるので弾の値段が気になったのでネットで検索してみたら、一発40円前後とたいしたこと無いのが分かった。鉄砲の弾ってそんなもんだったのか300円はするもんだと思った。

 さて、肝心の日程のほうだが坐骨神経痛のお陰で予定より大幅に遅れている。今日現在で5日の遅れで、この調子だとまだ遅れるだろう。昨年は予定より3日先行したので、予備日を加えて予定になかったイギリス人の道6日間まで歩けてしまったのとは対照的だ。こうなったらしょうがないから、この後に歩く予定だったプリミティボの道かポルトガルの道のどちらかをカットするしかない。プリミティボの道は昨年歩いた北の道から分岐する道で、昨年私は海沿いのラ・コスタを選択したので今回は残ったプリミティボの道を歩きたい。なのでポルトガルの道をカットすることに決める。昨年とは別のポルトガルの道を歩く積りで12日間を予定していたので今後どんなに遅れてもへっちゃらだ。むしろ日数が何日も余ってしまう気がする。


銀の道39へつづく