銀の道43  Campobecerros - Albergueria  貝の家

6月8日
 カンポベセロスのアルベルゲ、ここはベッドルームからガチャッと扉一枚開けるとそのまま外なので食べるスペースはないし、まだみんな寝ているから明かりも点けられないので朝飯は食べずに出発するしかない。それに今日はハードコースなので早めの6時にスタートする。7時前後が多い私にしては一番早いスタートかも知れない。

 スペインは夏時間を採用してるので日本としたら実質5時。日の入りが10時と遅いスペインは日の出も遅い。真っ暗けの中、ヘッドランプを頼りに歩き始める。今までは薄明るくなってからの出発ばかりだったのでライトを使うことがあっても手に持ってベッド回りに忘れ物がないかをチェックするだけだったが、やっとヘッドランプと言う名前のとおりの使い方が出来る。そこで気がついたことがあった。真っ暗の中を出発する村や町ではランプの明かりだけで巡礼路の矢印を探さないといけなかった。これは結構ストレスを感じるものだった。当り前のようだが薄明るくなってからいつもスタートしてた私は気が付かなかったことだ。いくつものカミーノを歩いているのに今頃と言う話だが、スタート地点には他より多くの目印が必要なのをやっと分かった。


 真っ暗けの中を暫く歩いていくと、やっと前方に巡礼が照らす明かりが見える。おっ、これは追いつかないとだ。顔見知りの夫婦ものだった。一言ふたこと言葉を交わして離れないように付いていく。次の村はまだ寝静まっていて村人は誰も起きていないようだった。そんな村を越えていくと見事な朝焼けが見られた。こういうのを見ると早起きした褒美をもらった気になる。

 7時50、AsEirasの村の民家の前に私設休憩所があった。良く一緒になるじいちゃんが休んでいたので一緒に休むことにする。いつもいるおばちゃんが今日はいないので夫婦じゃなかったようだ。色んな食べ物と飲み物があって、小さな寄付用の入れ物が置いてある。なんか用意してくれた村人の暖かさが伝わってほっこりするような小さな休憩所だ。温かいコーヒーとバナナを1本食べさせてもらい1ユーロを入れてみる。あとから暗い中で出会った夫婦連れもやってきて休みだしたところで出発する。暫くは舗装路が続き下り坂なので快調。

 Lasa村の中にあった民家の壁に、昨日のアルベルゲにあった謎の像と同じものがあった。有名なものらしいがググッてもさっぱり見つけることができない。もっとも昨日カルロスから教えてもらった時には幾つものサイトを見つけることが出来たが、どれ一つとして日本語の説明はなかったのでもし見つかってもチンプンカンプンだろうが。

 途中10分程の休憩を挟んで全行程27kmの最後は100m進むうちに10m上るという急坂が5kmも続くという本日のメーンエベントが登場。膝はもう曲がったまま伸びることなく上り続ける急坂なのでスティックを突き立てながらグイグイ体を上に押し上げていく。1時間以上その状態を続けているので、とうとう腕の方も痺れてきた。昔に比べ腕の筋肉落ちすぎ。トレーニングは歩くだけじゃなく腕も鍛える必要があるな。足も腕ももうへとへとで汗びっしょ。

 暑いし水もやたら飲んでいるので、昔、サイクリングで熱中症になった記憶が頭をよぎる。ここで水が尽きたら倒れるかな?坂が緩くなってきたので、そろそろ頂上かなと期待するがまだ先があった。いつもこんな感じだよな、もう山登りあるあるだ。

 やっと本当の頂上に辿りつくことができる。そこでカタルーニャからの男性二人組みが追いついてきた。下段ベッドが取りたい私は少し焦るが、二人は連れのオーストリア婦人を待つとかで、ここで休みだしたのを幸い、下り始めた道をひたすら早足で歩き出す。


 辿り着いたアルベルゲは有名なユニークアルベルゲ。2階のベランダからギャエレ、ルアンといつものおばちゃんが声を掛けてくれる。チェックインは向かいのバルと教わったので入っていくと巡礼が書き記して行ったコンチャで埋め尽くされていた。このバルはこれが有名で、日本人のも数枚ある。私にも大きな帆立貝とマジックペンが手渡されて何か書けと言っている。やって来た全員に書いてもらうようだ。何千枚という帆立貝が所狭しと並べられている様子は圧巻、それとカタコンベみたいで少し気味悪いかな。

 バルの方は壁も天井ももう取り付けるところがないようで、アルベルゲの壁にも取り付けてあった。さらに増設するために ベニヤ板を壁に取り付ける作業をしている。そのうちホタテ貝を取り付けるために建物を増築することになるんじゃなかろうか。

 宿賃はドナティーボで冷蔵ケースには缶ビール・ジュースが冷えていてこれらは1.5ユーロと値段が付いていた。でも勝手に飲んで支払いはキッチンに1つだけ置いてある大きな木製貯金箱に入れればいいらしい。キッチンの戸棚にはパスタやツナ缶、豆缶などが揃っていて1~2ユーロで自由に使え、お金はやっぱり貯金箱に入れるようだ。ドナティーボを採用している所は常に性善説に基づいている。巡礼者同士も性善説が前提なので、これもカミーノの大きな魅力だ。

 取り合えずシャワーしてから缶ビール2本を手持ちのチーズとチョリソー肴に飲ませてもらおう。昼間はエライ上りがあったけどこうしてベッドがあってシャワーも浴びられてビールが飲める。至福の一日だ。飲み終わったところでスパゲッティを作ろうとお湯を沸かしだしたら先ほどのカタラン(カタルーニャ人のこと)がスパゲッティをシェアしようと言い出したので乗ってみる。カタラン二人とオーストリア婦人、それにスペイン夫婦も加わって6人の食事会になった。味はスペイン人の作ったスパゲッティなのでまぁこんなもんか程度。自分で作ってインスタント・ペペロンチーノが使いたかったのだが好意は素直に受けないとだ。

 ベッドルームでボーっとしてから夕方またバルに遊びに行ったらギャエレ達がいたので一緒にお喋り。まぁお喋りできるような語学の持ち合わせはないのだが一緒にいるだけで楽しい。おばちゃんが私達3人にビールやコーラを奢ってくれた。おばちゃんはスペイン語を喋っていたことがあったのでスペイン人かと思っていたが、おばちゃんがギャエレとフランス語で話しているので、フランス語を話せるのかと聞いたらフランス人だった。

 ギャエレがABC・・・を漢字で書いてと言うのでやってみることにする。1文字で書けないのは数文字を使って書いてあげる。そしたら今度は自分の名前を漢字で書いてと言い出した。これも巡礼あるあるだ。少年の名前はアルファベットで見たときはロアナと読めるようだったが、今回改めて聞いてみるとルアンと聞こえたので留安と書いてみる。これは漢字の意味もまぁまぁで簡単に思いついたがギャエレは難しいなぁ。逆江礼。まぁ文字の意味は置いといて発音はなんとかなったかな。おばちゃんはリリアンと日本でも馴染みのある分かり易い名前だったので一発で覚えられた。

 ギャエレはサンチャゴに着いたらどこに泊まるのかと聞いてみたら私と同じメノールだそうだ。同じだと言ったらヤッタみたいなことを言ってくれたので嬉しかった。

 夕飯のつもりで缶ビールを飲んだけど、やっぱり物足りないのでスパゲティを茹でてペペロンチーノの素をふりかけ大盛りにして食べる。缶ジュースも飲んだし前みたいに忘れないように夜の内にドナには15ユーロを入れておく。


銀の道44へつづく