銀の道47 Ourense - Cea カミーノマジックふたたび 6月12日 ベッドで昨日の残りのクロワッサンをもそもそ食べて6時半に出発する。まだ薄暗いが前に数人の巡礼が歩いているので心強い。大きな町だが巡礼路は昨日の内に確認できていたので迷うことはない。テルマエに行くときにバスで渡った大きな橋の袂に黄色い郵便ポストがあるのを確認しておいたので、ここでやっと日本へ絵葉書を投函することができる。切手を買ってから既に二十日は経っていたんじゃなかろうか。 オウレンセは大きな町なのでどこまで行っても中々人家が途絶えない。道端に蒸気機関車を展示してたり、日産とスバルを同時に扱っている店もあった。スペインでは仲良くやってるね。 やっと人里離れた道になって来たところに細いトンネルが現れる。車一台がやっとの狭さなのでどっちから車がやって来ても歩きがすれ違うのは難しいようだ。そしたら、地元の人が入り口に押しボタンの信号があるのを教えてくれる。これを押せば一定時間車が入ってこない寸法のようなので安全に通り抜けることができる。トンネルを過ぎると地図の高低表で見たとおりの急坂が3km続くことになった。でも数日前に歩いた10%の急坂5キロよりずっとマシ。この坂が一日の終わりじゃなくて、まだ馬力がある早い時間にあって良かった。 野を超え丘を越え小さな村の中に入って行くと、妙チクリンなバルがあった。トレードマークは巨大な蜘蛛のようだ。どんな趣味だよ。ドナティーボで巡礼をもてなしてくれるようだ。先に休んでいた顔見知りの巡礼と変人ぽい親父がスペイン語で盛んにお喋りしている。目を見て話しかけてくれると少しだけ分かるが、こちらに話しかけられてないスペイン語はまったく分からない。カフェコンレチェを飲ませてもらい、ここぞとばかりに手持ちのバラ銭を全部入れるが1ユーロにも満たないだろう。次の村のバルでファンタオレンジ1.5ユーロを飲ませてもらった所で残りが8キロくらいかな。 鬱蒼とした森を超えて12時過ぎにCeaのアルベルゲに到着。外観は凄く古いが中は近代的に改装されていた。ベッドも木製で頑丈そう。オスピタレロも既にいてチェックインできる。ガリシア州なのでここも6ユーロ。昨日は都会だったので、稀にいる無愛想なオスピタレロだったが、今日は村なので愛想はなくても親切なのが伝わってくる。水が入った大皿に小ぶりのさくらんぼが沢山入っていて自由に食べていいそうだ。きっとオスピタレロの家に成ったさくらんぼなのだろう。ありがたく頂く。 シャワー洗濯してスーパー探し。歩いている途中、銀行があったらキャッシングしなきゃと言うのを思い出す。手持ちが100ユーロ切っていて、次に泊まる予定の村には銀行がないのが分かっているので、ここで見つけないとだ。小さい村なのですぐ見つかって今回も300ユーロゲットに成功する。路銀を十分持っているととても安心できる。一日の経費を20ユーロに設定してるので、まだ数日は大丈夫なのだがその数日の間に銀行が見つからない可能性を考えるとやっぱり不安だ。 スーパーでは毎度同じものを買い集める。1リットルビール、桃缶、ヨーグルト4、野菜の瓶詰め、でかいパンにペプシ。スーパーから帰るとギャエレにルアン、リリアンが到着してきていた。ギャエレがスーパーの場所を聞いているのでぐねぐねと分かりづらい道順を何となく教える。ここはもうサンチャゴまで80キロを切っているので100キロだけ歩く見知らぬ若者が増えているように見える。 ここに先ほどから大量のスイカをカットして配っている女性がいた。量からして丸々1個を買ってきたようだ。同じテーブルに座ってギャエレと話しているのを聞いてると、昨年は北の道を歩いたと言っているので、私も昨年歩いたと伝えてみる。聞いてみるとお互いに歩いた時期が重なっているようだ。驚くことに私を知っていると言い出した!!えっ、何ですと?東洋人は目立つので、そういうことは今までに何度かある。残念ながらこっちはまったく覚えてないけど。カメラには昨年の巡礼写真がすべて入っているので北の道の辺りを見せて上げたところ、友達が写っていると騒ぎ出した。それは数回追い越されたことがある女性で、まるで機関車のように両手を大きく左右に振りながら凄い馬力で歩く女性だった。その様子が面白いので追い越されたときに後姿を写したものだった。その後ろを必死に追いすがっていた女性の姿も覚えている。それが目の前に居るこの女性だったのだ。ひぇ~。 ※下の写真、左は私を知っていると言い出した女性。右は昨年の写真で青いザックは機関車歩きの女性で、その前を行くのが彼女のようだが、そこはハッキリしない。 他にも南米のおばちゃんノエミを撮っている後方から両手を大きく振りながら近づいてくるのが写っていたので見せたところ、すぐに友達だと分かった。歩く姿が特徴ありすぎ。最後に出会ったとき、機関車の女性は道の真ん中に突っ立って私が来るのを待っていたことがあった。連れの女性を見なかったかと言われる。そう言えばここへ来る途中、100m左に道を反れた所にバルがあったのを思い出したので、きっとそこで休んでいるんだよと伝えたが、その女性がこの女性だったのだ。そのこともこの女性に言ってはみたが、これも私の英語なので何とも。何はさておき、この女性と私が昨年会っていたことは事実だった。イタリアのレンソに続き、昨年出会った人に再会したのはこれで二人目だ。これもカミーノマジックのひとつか。 夕飯はルアンがパスタを作ってくれたのでリリアンと共にご相伴に預かる。私のインスタントと違って、チョリソーも加えてホワイトソースで作られた本格的なものだった。ルアンは少年なのに色んな料理が出来そうだ。ちゃんと美味しい。私も桃缶とオレンジジュースを提供するが、ジュースはルアンがを飲んだだけだったが桃缶はギャエレとルアンも食べてくれたので良かった。自分が提供したものを食べてくれると嬉しいので、女性が提供してくれたスイカをもう一切れ食べさせてもらう。提供するのも親切、食べるのも親切だ。 明日の行程を話し合う。私は14.8kmの上り下りの激しいショートコースを希望してたけど他の仲間は大回りのOseiraのモナステリオを経由してDoson泊だと気の触れたような事を言っている。それだと正に三角形の2辺を行くことになる。マジかい!仕方ない、折角なので付き合おうか。 銀の道48へつづく |