銀の道51  Bandeira - Outeiro  レストランで初ディナー

6月16日
 アルベルゲで朝飯を食べて8時に出発。全員並んでは歩かないが、遠くに見える程度の距離を取ってはいるから、まったく単独よりは安心できるし心強い。男の私でもそう思うんだから、女性ソロのリリアンはメンタルが強いんだろなと想像する。暗い道を歩いたり舗装路を歩いたりしながら黙々と進んでいく。

 山を抜けたところの村にバルがあった。今日初めてのバルだし休むにも手ごろな時間を歩いてきたのでみんなで寄っていく。バルの犬なのか、真黒な中型犬がルアンに妙に愛想よくしている。ルアンは犬が好きらしく、テーブル下に寝転んだ犬の腹を盛んになぜている。ここはリリアンが奢ってくれた。

 途中にあった枯れる一歩手前の木には沢山のカードや花が供えてあった。ここで誰かが亡くなったようだが肝心の墓標がなかった。上の方にはプラスチックの覆いがあり、その中にマリア様の小さな像やロザリオが供えてあった。どういういわれがあるのか知りたい所だが、分かりようがないので残念。

 次の町はそこそこの大きさだった。今日の目的地までは残り数キロかな。その村には店がないのが分かっているのでここで買い出ししておこう。ギャエレもその積もりのようで二人でスーパーDiaに入っていく。大量のカステラ、バナナ2、ポテチ、アスパラ缶に缶ビールで5ユーロちょっと。レジに並んでいたらカートを押した地元の婦人が強い口調で何か文句を言っている。通るのに邪魔だとでも言っているようだ。顔つきからギャエレがカチンと来たのが分かった。ギャエレがそのおばさんにスペイン語で何か言ったら掌を返したように優しくなった。ハポンと言う単語だけは聞き取れたが後はなんと言ったんだろう?

 先に会計を終わった私はスーパー入り口のベンチに座って今買った缶ビールを飲みだす。缶ビールをゆすりながら歩けないし折角冷たいのが温まっちゃうから。ギャエレも会計が終わって出てきたので、飲む?と勧めてみたがノグラシアスだった。ま、飲みかけを勧めたんだから当たり前か。

 12時50、オウテイロのアルベルゲに到着する。近代的でゆったりと広く作られたアルベルゲだ。先着に一人男性がいただけで、我々はその次だった。ここは13時オープンだが鍵は掛ってなかったので入ることができた。暑い中の歩行なので少し疲れたが元気に歩きとおせた。シャワー、洗濯後、寛ぎスペースで買ってきた物でお昼にする。ルアンが牛乳をくれたので飲んでみるが、日本のと同じ味がしたので何だかほっとするものがある。ビールやワインと違って牛乳の1リットルは飲みきれないので買うことがない。なので飲むのは久しぶりだ。スペインの牛乳も日本と変わらないんだな。

 オスピタレラは4時ころやってきた。公営なので今日も6ユーロ。大きなアルベルゲだが残念なのは周りに店もバルもないこと。でも少し歩いた所にレストランがあるそうなので、夕飯は皆でそこに行くことになった。7時にホテルのレストラン目指して歩き出す。ホテルのレストランなんて初めてだけど、うんと高いのかな?ちょっと緊張だ。

 着いたホテルは山の中なのでシティーホテルと言う訳には行かなくて小さなホテルだった。付属のレストランもバルのあんちゃんくらいか。メニューの中にプルポ(蛸)があったのでそれと白ワイン、デザートはエラード(アイス)にしてみた。4人全員用に1皿のピニエント・デ・パドロンを頼む。これは私の好物で、小さなピーマンの素揚げに岩塩をまぶしたものだ。とても美味い。ギャエレとリリアンは今日も赤ワインでルアンは今日もコーラ。いつもみんな飲む物が決まっている。割る4での支払いは21ユーロだった。ホテルのレストランなので、これでも安い方かも知らないが、一日の目標経費20ユーロを一食で軽く越えてしまったよ。

 隣のテーブルには12人ほどの大所帯がコース料理を食べだした。見ると全員が同じシャツを着ていて、Camino de Santiagoの文字が縫い付けてあるので、なんだろな?ホテルに泊まっている団体の巡礼?それともこの辺りの巡礼友の会のメンバーか?私たちの他に一人の男性巡礼もアルベルゲから一緒に着いてきたが、この人はレストランには入らずに外のテラスでビールを飲んでいたな。帰りも一緒に帰ってきたので、帰り道が分からなかったのか?

 明日はなんと5時スタートに決まったので、今晩の内にできることをやっておく。パッキングはできる限り進めておいてヘッドランプの用意もオーケー。みんなの朝食用に買っておいたカステラも全員にデサジュノだよと念を押しておく。でないとまた遠慮されるから。10時を回ったがまだ明るい。


銀の道52へつづく