銀の道52   Outeiro - Santiago  サンティアゴ到着

6月17日
 昨晩は「明日は5時に出発してコンポステラには9時に着こう」なんて話してたので簡単に寝られるように数少ない睡眠導入剤のお世話になった。良く寝られ過ぎて目が覚めたのが5時。すでにギャエレとルアンは出発した後だった。幸いリリアンおばちゃんが私と同じタイミングで動き出したので連れ立って6時に出発。二人ともヘッドランプで照らしながらのスタートとなった。リリアンおばちゃんはこんな道を一人で歩くこともあるだろうに、良く怖くないな。もういつ死んでもいいなんて思わなくちゃやってらんないだろう。

 サンチャゴが近くなったところで一人旅になってしまう。ま、いつものことだ。やがて山の間からサンチャゴらしき町並みが見えてくるが、サンチャゴだとしてもまだ町の端っこだろう。大きな町は見えてから1時間2時間かかるのは普通だ。町の入口に入って来ると、数年前に列車事故があって多くの人が亡くなった陸橋に差し掛かる。あ、ここだったんか!橋には沢山の品々が結わえ付けてあったのですぐ分かった。事故では巡礼から国に戻る人たちも亡くなったと言うことだ。渡り終えた所には慰霊なのか、十字架が立っていた。

 やがて見覚えのある通りが現れてきた。銀の道がサンチャゴ市内へはどこから入ってくるのかとても興味があったが、ポルトガルの道からの進入路と同じようだった。何度も買物したことのあるパン屋の横を通ってカテドラルへの坂道を登っていく。このパン屋さんは日曜日もやってるしシエスタ中も開いているので節約巡礼者の強い味方だ。

 カテドラル到着も一人だった。相変わらず感動のカの字もない。さっさと巡礼事務所へ向かうことにする。事務所に入るには防犯のためかクレデンシャル(スタンプ帳)の提示を良く要求されるが、今日は混み合っているので省略しているようだ。さすがスペイン、混んでる時こそ危険が潜んでるんじゃないのかね?

 巡礼証明書をもらう人の列がこれでもかと続いていて廊下をグルッと回って外まで伸びている。その中にドイツのヨセフとインゲ夫婦の顔もあって再開を喜び合う。私が並ぶとその後ろにも続々と到着した巡礼が並びだして、あっという間に数十人が後に付いた。

 無料で発行されるコンポステラーノの他に、初めて距離証明書3ユーロも貰ってみる。今までで一番遠くから歩き始めたので記念だ。係の人は銀の道が何キロあるのか分からないようで、隣の係に聞いてからSevillaから1,007kmと記入してくれた。しかし折角もらった距離証明書だが、これは数日後には残念なことになってしまうのだがちょん。

 ここには同じ建物の中に国鉄RenfeとALSAバスの出店がある。明後日はオビエドに移動してプリミティボの道を目指すのでアルサのバスチケットを買っておく。オビエドへは列車でも行くことが出来るが、それだと乗換えが入るので却下。バスなら乗り換えなしでオビエドに行くことができる。しかも列車より安い。

 11時40分に発行してもらえたので、12時からのパラドールのタダ飯にあり付けるかと急いで行ってみるが今日は誰も待ってなかった。あれ?ばかに空いてるなぁと思いながら時間まで待ってみるが一向に誰もやってこない。ギャエレ達とはここで待ち合わせすることになってたんじゃなかったかな?私の勘違いだったのか?時間を過ぎるとパラドールの人が外からチラッとこちらを覗いてみるが、何も言わずに行ってしまった。今日は一人だけだから中止になった!?訳が分からないが無いらしいのだけは分かったのでスゴスゴと退散する。仕方ないからカテドラルのミサに参加するか(こら)、バチが当たってミサには入場制限が掛かったので入れなかった。

※お役立ち情報
 カテドラルのペリグリノ(巡礼)ミサは12時からですが、1時間前に入ることをお勧めします。それでやっと座れるくらいで30分前の入場だと満席の可能性大です。さらに、入場者数が定員(人数は適当だがいっぱいになること)に達すると入場制限がかかり入ることが出来ません。中を見たくてもみんな入り口の通路に並んでミサが終わるまで待ちぼうけです。

 余りに暑いので巡礼事務所に戻って自販機から1ユーロのコーラを買って飲み、エネルギーをチャージしてから糞暑い中をメノールへと移動する。買物する元気なし。メノールの一番良いところはWi-Fiが誰でも快適に使えるところだ。受付では2泊するので26ユーロのお支払い。去年より1ユーロ上がってんじゃん。指定されたベッドへ行ってみると昨年までは軍隊が使うような毛布だったのがお洒落な薄掛け布団に替わっていた。値上げの原因はこれか!

 ギャエレ、ルアン、リリアンも無事にメノールにチェックイン出来ていた。夕方にみんなでカテドラルのある旧市街に繰り出す。カテドラル近くは多くの人たちで賑わっていた。道端のテーブル席に陣取るが、微妙に坂になっているのが気になる。私は大ジョッキ、ルアンは珍しくビールの小ジョッキを飲んでるな。ギャエレは今日もティント・デ・デラードでリリアンは何を飲んでたかな?サンチャゴ到達祝いにここは私が奢ったる。

 あれ?テーブルから少し離れた通りを見覚えのある人が歩いているのが目に入る。昨年、北の道で仲良くなったセルジオに似ているので大きな声で「セルジオーッ」と2回呼びかけたが無反応で行ってしまった。髭ボーボーはあちこちに居るので見間違いだったのかなぁ?セルジオはイタリアから海路を挟んでスペインに上陸。バルセロナからサンチャゴを目指しているのをセルジオのフェイスブックで知っている。時期的には私とここで会っても不思議ではないが、まっさかなー。

 店を換えて夕飯を食べに行こう。昨年、イギリス人の道を一緒に歩いたスペイン家族に誘われて行ったはいいが満席でて入れなかったレストランに行く。

 今回は運良く入れたが、いつ来ても大混雑の人気店だ。定食はどれも10ユーロだったかな。私はサラダと豚肉のソテーにデザートにはアイスを頼む。出てきた肉は骨付きの馬鹿でかいものだったのでビックリする。こんな肉の塊見たこと無い。とてもじゃないが食べ切れないので店の人に手まねでドギーバッグをお願いする。ドギーバッグでお持ち帰りするなんて生まれて初めてなので何となくパックに詰めていたら、リリアンが蓋をしたら回りのアルミを手で織り込むことを教えてくれる。なるほど、こうすりゃ中の物がこぼれない様になっているのか、初めて知ったよ。て言うかドギーバッグ自体初めてだし。

 アハハと楽しくやっていたら誰かが隣にやって来てニコニコと話しかけてきた。オーッ、タバラの良いベルゲで一緒だったイギリス人じゃないか。えーと、この人は何ドラゴンと言ってったっけなと思い出そうとするも、イギリスでスコットランドやアイルランドという名前はすぐ出ても、ウェールズが思い出せなかったので「ドラゴンドラゴン」とだけ言って再会を喜び合う。近くのテーブルではもう一人の大人しいイギリス人も食事をしていたので二人の所に行って写真を撮らせてもらう。彼らは足が速いので、もっと早くにサンチャゴ到着してたかと思っていたが再会できて良かった。先に食べ終わった彼らとは固い握手をしてお別れする。

 その後、路上のコンサートを幾つか見たり、教会でシスター達が歌う綺麗な歌声を聴いたりしながらメノールへ戻る。玄関でバックパックを背負ったカップルが出てきたので「コンプリート?」と聞いたらそうだって。200人以上が泊まれるメノールでも満員になることがあるんだな。10時過ぎの到着だとこんな憂き目に遭うのか。でもサンチャゴには私営のアルベルゲがいっぱいあるしオスタルもホテルもあるんだから別の宿が見つかるだろう。今日のメノールには40人程の子供の団体が入ってたのでそれでかな。

 Wi-Fiがある所でセルジオのフェイスブックをチェックしたら、私たちが見ていた路上コンサートの模様がアップされていた。えっ、じゃぁやっぱりあれはセルジオだったのか!グーグル翻訳でイタリア語にしてセルジオに送ったらやっぱりそのようだ。返信には、明日の巡礼のためのミサに行くのかと書かれていたので、あした運が良ければ会えるかも知れない。


銀の道53へつづく