銀の道53 Santiago カミーノマジックみたび 6月18日 メノールのアルベルゲの朝。ゴールのサンチャゴなので7時だがまだみんな寝ている。0階のキッチンへ降りていってWi-Fiがある内に明日からのプリミティボの道の情報を収集する。冷蔵庫に入れておいた、昨日食べきれずに持ち帰った豚肉ソテーをチンして暖め、カステラ、それにコーヒーで朝飯。レストランからの肉が入っただけでとても豪華な朝食に感じるしインスタントでもコーヒーを飲むと凄く気分が落ち着く効果があるのでうれしい。 ベッドルームへ戻る階段の途中で韓国のユーサンとバッタリ再会する。ユーサンとは何日ぶりだろう?1ヵ月?もっとかな。ユーサンは足が速いので、4日前にサンチャゴに到着して、既にフィステラ・ムシアも回ってこれからパリ経由で韓国に帰るそうだ。ユーサンは日本語を少し話せるので楽しい。会えて良かった。ここメノールには韓国人が何人もいるが日本人にはまだ54日間一人も会ってないので、そろそろ日本語で喋ってみたいな。 リリアンが12時のミサには巡礼がどのくらい来るのかと聞いてきたので、グーグル翻訳を使って11時には殆ど席が埋まるので10時半ならOKと教えたる。足を痛めてタクシーを使ったイタリアのロリーおばさんが声を掛けてきた。イタリア人は相手がイタリア語が分かろうと分かるまいと一方的にイタリア語で話しかけてくるのが特徴だ。翻訳を使って今日のミサでイタリアのセルジオに会えるかとか、同じくイタリアのレンソに会った時のことを伝えてあげる。ロリーの足は治ったそうなので良かった。 メノールの玄関では昨日から泊まっているガールスカウトの子供たちがゲームに興じている。子供はいつ見ても可愛い。リーダーの女性に、娘はずっとガールスカウトで息子はビーバーからボーイスカウトまで長いことやっていたことを何となく伝えてみる。 ペリグリノミサには早いが10時前にオブラドイロ広場に行ってみたが人が少ないのでカテドラルに入ってみたら既にミサが始まっているようだ。ペリグリノミサの前にミサがあったのかな。折角なので与ってしまおう。席も殆ど埋まっているので最後列の席に座ってみる。変な時間なのでミサでなく祝別式かとも思ったが本物のミサだった。おまけに最後にはボタフメイロのぐるんぐるん迄あったので瓢箪からコマの気分だった。 セルジオが居ないかなーと探しながら外へ出て、オブラドイロ広場へ向かうところにセルジオに似た男が石の上に座って何かやっているのが目に留まる。セルジオ?と二度呼びかけてみるも反応がない。発音が違うのか気がつかないのか。だが目の前に立っている私に気づいて顔を上げたらやっぱりセルジオだった!!オーッセルジオーッ、ハグして再会を喜び合う。 昨年の話だが、セルジオとレンソとは昨年の北の道ビルバオのアルベルゲで一緒にご飯を食べた頃から仲良くなって、その前から顔見知りにはなっていた。翌日5人で一緒に歩き始めたが途中からセルジオだけ行方不明になって、一緒に歩いていたレンソやドイツのヤナと騒いだ思い出がある。更にずっと後になってから再会でき、フェイスブックでも繋がれたと言う縁の深い男だ。 互いのカメラの他に、セルジオはスマホでも撮っているので私のフェイスブックにアップしてくれと頼むも、セルジオには通じなくて自分のとこだけアップして長々とイタリア語で投稿もしている。しょうがないからメノールに戻ったら自分のフェイスブックにセルジオがアップしたのをシェアしちゃおう。 レンソに電話しているらしく、ときどき私の名前が聞こえてくる。北の道で出会ったセルジオとレンソの二人組と再会できたのさえ不思議だったが、二人は今年別の道を別の日程で歩いていたのに、両方に再会できてしまったのは本当に不思議と言うほかない。カミーノマジックここに極まれりと言うところだろう。 セルジオはイタリア語しか話さないし、Wi-Fiが無いので翻訳も使えない。スペイン語とイタリア語は従兄同士なので、知っているスペイン語の中から単語を拾って会話を続ける。それによるとレンソは今はトリノに居るそうだ。銀の道を踏破してもうイタリアに戻っていたか。歩くスピードは私とどっこいの気がしていたが、案外早かったんだな。セルジオとは互いにカミーノマジックを喜び合って分かれる。セルジオはこれからポルトガルの道を逆に歩いて奇跡の地ファティマを目指すそうだ。 意地汚くパラドールのタダ飯を求めて行って見るが今日もやってなかった。ずっと何百年も続いた巡礼者へのサービスだと思うが、ここにきて変更があったのかな。じゃぁ自分の金で食べるかとスーパーへ行って見るが、今日は日曜なので閉まっていた。サンチャゴのような大きな都市でも大手スーパーのFroizはしっかり日曜閉店している。これは昨年も同じ目に遭ったことだが、もしかしたらの希望的観測はあっけなくぺしゃんことなる。Froizはご覧のように入口こそ小さくて、ビルに間借りしているようなスーパーだが中に入ると意外に広く品揃えはばっちりだ。 こういう時は日曜も必ずやっているパン屋へ直行だ。このスーパーからはカテドラルを挟んで間逆の位置にあるが、どうせ暇なんだから何てことない。暑い日差しの中をせっせと歩いていく。パンが専門だが他の物も売っているのが嬉しい。冷えた1リットルビールにヨーグルト4、ピザパン、チョリソーで5.5ユーロ。 また暑い中をフーフー言いながらメノールに戻る。3時までは清掃時間なのでベッドルームに入ることはできない。キッチンの隣にはトイレやシャワールームがあるのだが、シャワーもこの時間は鍵を掛けて利用できないようだ。仕方ないので流しで腕と顔だけ水で洗って少しさっぱりしてからキッチンで昼飯を食べることにする。 左の奥歯に当たると少し痛いところがある。なので硬いパンや肉などを右ばっかりで噛んでいるので少々右が疲れているのが分かる。でも迂闊に痛い所で噛んで、それがきっかけで慢性歯痛になったらそれこそ偉いこっちゃに成りかねないので疲れても我慢しよう。右顎がんばれ。 午後になったらカルロスが同じ部屋にやってきた。我々より一日遅れの到着だがやっぱり会えた。カルロスとの縁は本当に不思議だ。 ギャエレがセマナサンタがあると誘ってくれたので午後8時にカテドラルに行ってみる。セマナサンタって何だろな?ネットで調べたら聖週間と出てきた。聖週間って5月頃だからとっくに過ぎたんじゃ!? 凄い人込みに混ざっていると、調度いいタイミングで行列が出発する。昔風の衣装を着た人や兵隊の格好をした人などが神輿を取り巻いて行列を始めた。神輿には大仰な聖体顕示台が載っているようだ。楽団も従えた古式ゆかしい行列なのでテレビでしか見られないものを見た気になる。これは滅多に見られないものなので写真を撮ったり動画を撮りながら行列と共にずっと移動する。カルロスも同じように行列と一緒に歩いているのが見える。偉そうな人はサンチャゴの市長か何かかな。 ぐねぐねと旧市街を一周して、カテドラルの別の広場まで行進は続いた。そこで何やら口上を述べているが勿論スペイン語なのでさっぱり。カテドラルの階段上部には昔のスペイン時代劇に出てきそうな衣装のセニョーラがいたので、こういう風俗がまだ続いていたのかと新鮮な驚きがあった。歌劇カルメンに出て来る人みたい。 ギャエレが後ろからつついたので振り返ると、そこにはエディスが笑っていた!!オーッ、エディスもサンチャゴに到着してたのか。エディスとは銀の道で特別仲良くなったが、途中からアストルガ経由フランス人の道へ行ってしまったのでサンチャゴで会えるかどうか疑問だったが、お互いに360kmを歩いた末に再会を果たすことができた。嬉しい限り。二人のイタリアおばちゃんもやってきて何語だか分からない言葉で再会を喜び合う。 エディス、ギャエレと3人でバルに移動して一杯やりながら再会を喜び合う。エディスは今日もビールの小で私とギャエレは今夜もお気に入りになったティント・デ・デラード。最後なのでここは私が奢ったる。やっぱり都会だから代金はいつもの倍くらいしたが気分はスッキリ。 エディスは別の宿なので、これで今生の別れになるだろう。エディスがフランス語で「日本人だからハグはしてはいけないのか?」みたいなことを言っているのが分かったので、こちらからハグさせてもらう。良かった、エディスに会えるとしたら今晩しかチャンスがなかったから。明日はギャエレはフィステラの道へ、私はオビエドへ移動してしまう。 アルベルゲに戻って来てからキッチンで夕飯にする。ギャエレは食材を持っているのでキュウリや果物をサイコロ状に切ってサラダにしている。私は残ったチョリソーだけじゃ足りないのでキッチン付属の店でピザパンと缶ビールにオレンジジュース1リットルで5ユーロくらい。イタリアおばちゃん二人とカルロスも来たので一緒に食べる。サンダル届けたイタリアのおばちゃんがお礼にビールを奢ると言ったのを覚えていて1本奢ってくれる。銀の道のメンバーでは最後の写真。みんな明日からは別々の道へ行くことになる。 ルアンの姿が見えないので、ギャエレに聞いたところ、親に電話しているとのこと。へー、そんなことしてるなんて初めて聞いたな。もう明日でお別れだし、ルアンが居ないなら調度いい、とうとう二人の関係についてダイレクトに聞いてみる。ギャエレは姉か母親かと思ったが、ちょっとだけ配慮してギャエレはシスター?ルアンはブラザーか?などと聞いてみるが旨く伝わらないようだ。幸い、ここはWi-Fiがあるから翻訳が使える。充電中のタブレットの所に連れてって翻訳して聞いてみる。ギャエレからは「教師」と言う単語が返ってきた。ギャエレは先生だったのか!で、次に翻訳されてきたのは「非行」という言葉。ここでやっと二人の謎の関係が判明する。ギャエレはぶっ飛んだ見た目とは裏腹に非行少年を導く教師だったのか。思わずギャエレに握手を求める。 ルアンを更正させるために二人でサンチャゴの道を歩いていたのだ。3ヶ月のプログラムだそうだから相当な期間を二人で葛藤を抱えながら歩いていたのだ。初めルアンは誰とも話そうとしなかったが、私と出会ってから徐々に心を開いていったそうだ。それからは他の巡礼者とも話すようになったらしい。それは翻訳を使わなくても両手の平を心臓から開く仕草とオープンハートと言う言葉で伝わってきた。だからギャエレが提案したオウレンセでの連泊に私が乗ったとき、修道院経由の大きな回り道に付き合うと言ったとき、ここメノールのアルベルゲで一緒になると分かった時にギャエレがガッツポーズをしてくれたのもルアンの為だったのかと想像できた。 でもルアンは私に対してはとてもいい少年だったよ。それを後でルアンに伝えてと言ったところ、それは私から直接言って欲しいそうだ。それもそうだな、先生であるギャエレの真意はすぐ分かった。ルアンはフランス語しか喋れないから、その時は通訳してねと伝える。でも咄嗟にいい外国語が出る訳ないのでマリアカードの裏に翻訳が使えるうちにフランス語で書いて上げることにする。前にルアンから自分の名前を日本語で書いてと頼まれたときに留安と書いて上げたので「日本の文字には意味がある。ルアンは安らぎを留めると言う意味だ。ルアンはとても良い友達だった。」などとフランス語に翻訳して書いておく。明日分かれる時に渡そう。 銀の道おしまい つづきはプリミティボの道へ |