はじめに

サンチャゴ巡礼とは

 イエス・キリストの十二使徒の一人、ヤコブ(スペイン語名サンティアゴ)の墓が9世紀初頭にスペイン北西部で発見され、それ以来、サンティアゴ・デ・コンポステラはローマ、エルサレムと並ぶヨーロッパ三大巡礼地の一つとなっています。巡礼路のうちスペイン国内の道は、1993年にユネスコの世界遺産に指定されました。現在、サンティアゴ・デ・コンポステラを目指す巡礼者は毎年20数万人に上ります。巡礼者はさまざまな道をたどりますが人気があるのは「フランス人の道」です。出発地は、フランスのサン・ジャン・ピエ・ド・ポーで、ピレネー山脈からすべて歩くと780〜900kmの距離で、1日平均20〜25km歩いて40日前後かかります。また、コンポステラからスペインの最西端へ続く道を「カミノ・デ・フィステラ」と言い、多くの巡礼者はコンポステラ到達後にフィステラへも詣でます。更に、その北にあるムシアも聖地とされており、そこまで行けばカミノ満喫コースと言えるでしょう。全部徒歩で歩くと、900kmを越えてしまいます。




これから歩く人に知っておいてもらいたいこと

 サンティアゴ巡礼路は多くのボランティアの方々の尽力の上に私たちが歩かせて貰っているものです。彼らの無償の奉仕は巡礼を行う人の信仰を愛でてのことで、信仰心のない徒歩旅行のためにやっている訳ではないということを私たちは頭に入れておかなくてはならないと思います。日本人は正月は神社に初詣、葬儀は仏教、クリスマスも祝うし結婚式は神社にしようか教会にしようか迷うという、世界でもまれな宗教観を持った民族ですが、キリスト教国では考えられないことかと思います。その彼らにしてみれば、カトリックでない者がサンチャゴ巡礼をすること自体が想定外と思った方がいいと思います。 「巡礼路は異教者、異端者、真面目な者、怠け者、すべての者に開かれている」と言うのは、受け入れる側の心意気を示すもので、こちらがその文言をタテに取って正当化してはいけないと思います。これは私がアルベルゲである日本人の傍若無人な行いを目にした時に強く思ったことでした。そういう人は出会った日本人の中で一人だけでしたが、欧米の方たちは明らかに眉を顰めていました。キリスト教信者以外でも巡礼路を歩くことはできますが、少なくともキリスト教のことを知る努力とマナーを持って行ってもらいたいと強く思うものです。

 もうひとつ大事なことがあります。ミサについてですが、キリスト教について知らないままミサに与る人が沢山います。それは良いとして、小さな煎餅みたいの(ホスチア)を何もしらずに貰っている人が時々います。私もコンポステラのミサで実際に目にしましたが、司教様から頂いたホスチアを手で受け取ったまま持ち帰ろうとする人がいて、司教様が慌てて取り返しました。同じ日本人として非常に恥ずかしかったです。ネットの紀行文の中でもホスチアを貰って財布にしまい、最後は捨ててしまったことを書いている人もいました。これは実はとんでもないことなのです。聖職者が聞いたら震え上がるでしょう。
 キリストが最後の晩餐でパンを掲げ「これは私の体である」と言って弟子たちに食べさせたのを、カトリックでは2千年経った今でもミサの中で忠実に再現していて、ホスチアはキリストの体と信じています。もちろん、信者以外は頂くことはできませんし、昔は拝領する8時間前には水以外の飲食は禁止でした(現在は1時間前)。それくらい神聖なものなのです。
 このことだけ頭の片隅に入れてもらえれば、あとは素晴らしい体験があなたを待っていますよ。

ps. 日本人は珍しいこともあり、英語が堪能な人は必ず巡礼の動機を聞かれますよ。心の準備が必要と思います。私は片言英語しか使えなかったので外国の人からは滅多に聞かれませんでしたが、出会った日本人数人から聞かれました。


巡礼者の必携品

 巡礼者は巡礼の身分証明となるクレデンシャル(巡礼手帳)を持たなくてはなりません。アルベルゲ等の宿泊施設に泊まる時には巡礼手帳がないと巡礼者として認められず、泊ることはできません。クレデンシャルに宿のスタンプが押され、集めたスタンプが巡礼の証明となり最終的にコンポステラで巡礼証明書が発行されます。
 ホタテ貝は中世から巡礼のシンボルとなっていて、巡礼者はその証としてホタテ貝をザックなどに下げて歩いています。


きっかけ

 自分がこの道に興味を持ったのは遥か20年も前でした。NHKだと思いますが、そこでサンチャゴ巡礼特集としてこの道の紹介がありました。フランス・スペインの国境近くのサンジャン・ピエ・ド・ポー(以下SJPP)という村を出発して、スペインを東から西に横断する約800kmの道のり。普通に歩けたとしても40日間も掛かってしまうと言うことです。しかし、面白そうだなと思っても仕事があり家族を養う大黒柱としては夢のまた夢でした。
 数年がたち、ネットや図書館からサンチャゴ巡礼に関する情報を得るにしたがって、この道に強い魅力を感じるようになり、50歳を越えると定年退職が目先にちらつき出し、退職したあとなら私でも行けるんじゃないかと思うようになりました。それから漠然とながらこの道の情報を十年も漁り続け、60歳で退職したあと5年間の嘱託を勤め上げて四月に完全フリーの身になった五月に成田から旅立つことを計画しました。


準備

 出発までまだ数年ある内は、行きたい行きたいと思っているだけで漠然としたものでしたが、一年を切るとさすがに具体的な問題の数々が見えてきました。海外へはお気楽ツアーでしか行ったことがなく、歩き出すフランスの田舎町へ行くために必要な航空券の購入や途中の宿の手配からフランス新幹線TGVのチケット購入に空港から宿、宿から駅への移動、更に歩き終えてから日本へ帰ってくるための算段など、気の遠くなるような下調べが必要でした。
 まず一番重要な航空券はどうやったら買えるのか、まったく未知の世界なのでHISの営業所を尋ねてみました。航空券と言うのは出発300数十日前から買えるそうなので、そのころに訪れてみたのですが、そこでパリ片道40万円という額を提示され目玉が飛び出しそうになりました。これは幾ら何でも高すぎるので、じゃそれでお願いしますと言うわけには行きません。話をしているうちに、安いチケットならネットで買うのがいいと言う事だけ教えてもらい帰ってきました。
 飛行機のチケットと言うのは旅行代理店の専売特許ではなく、考えれば当然のことながら航空会社からも買うことができます。ANAから買う正規航空券なら乗る予定の飛行機が運休しても遅延しても必ず日本まで届けてくれると言うのをどこかで聞いたので、海外初心者としては多少高くてもANAで購入しようと決めました。高いものだから、少しでも安く買うために夏から頻繁にANAのサイトに接続してはパリ往復のチケット価格をチェックしまくりました。その結果、どうやら3ヶ月前に購入するのが一番価格が下がるらしいのが分かり、更に、フライト日は往復とも土日を外すと安くなるのも分かりました。更に、65日以上の滞在だとエコ割ロングステイというのが適用になり、これも安く購入できる手段と分かりました。以上を踏まえて、とうとう2月にパリ往復14万円弱のチケットをゲットしました。途中の外国で乗り換えるのは不安なので往復とも直行便です。クレジットカードを使い、ネットで買い物をしたのはこれが生まれて初めての体験で、日にちが間違っても大問題だし申し込み時にパスポート番号を一字でも間違えると飛行機に乗れないので緊張しまくりましたが無事に買うことができました。

 パリ往復の日時が決まったら、次はパリから出発地の田舎町へ行くための電車の手配と、帰りにパリに戻ってくるための手段を考えなければなりません。SJPPへはモンパルナス駅からTGV新幹線を利用して500km離れたバイヨンヌまで移動し、そこからはローカル線を乗り継いで行くようです。TGVの予約はネットから日本語でチケットを購入できるので、これも何とかクリアできました。ローカル線はバイヨンヌに着いてから考えるしかないようです。日本からパリへ着くのが夜になるので、どうしてもパリで一泊しなければならないのですが、これもホテルを日本語で予約できるサイトがあり、3000円ほどのドミトリー(2段ベッドで一部屋に数名が宿泊)を予約できました。帰ってくるときにパリを観光しようと思い、同じホテルに帰り分8泊も予約しました。これは無理やりエコ割ロングステイ適用になる65日間にするためです。更に、サンチャゴからパリに戻るための飛行機も予約しとかないとならないので、これはスペインのビーゴという空港から戻ることにして、エアーフランスで片道チケットをゲットしました。これで事前に購入できるものが全て揃いました。ただ、何ぶん海外に一人で行ったことがないので心配の種は決して尽きることはありません。

 巡礼に必要な物ですが、まず寝袋は必携です。年によってはピレネーに雪が残っているという5月の山の中を考慮して、気温が0度でも寝られるというちょっといい物を買いました。靴は山でもドカドカ歩けるトレッキング・シューズにするか、軽いウォーキングタイプにするか最後まで迷いましたが、ナイキのエアーマックスを購入して、決行までの4ヶ月間足慣らしで履き続けました。ザックは巡礼用に既に買ってあったドイターの40リットル、帽子はツバがぐるっと付いているカンボジアで買った安物にしました。野球帽よりこっちの方が雨の時や日差しが強い時に実力ありそうですから。あとの小物は普段使っている物で間に合わせました。特に、カッパや衣類は捨ててもいいような物ばかりを選びました。

日本出発へつづく