ピレネー越え
2015/5/13 歩き1日目。SJPPのジット、明るくなるのが遅い。6時ころには起きだして荷造りを始めるが慣れてなくてエライ手間取る。みんなまだ起きださないようだが、歩くのが遅いのが分かっているので、昨晩一緒に夕飯を食べた4人組の一人の子に断ってみんなより早めの7時に一人で出発する。町の出口にコンポステラへの道を示す道標が埋め込まれているのを記念に撮っておく。これから先、約50日間をこの道しるべに導かれて歩き続けることになるだろう最初のひとつだ。
最初からもうずーっと上り坂が延々と続いている。しばらく行くと特別急な坂の途中で、風船玉みたいな女の子二人がへばっているので、マンガで覚えた楽な登り方を身振り手振りを交えて教えて上げる。しかしその後ずっと歩いて分かったことだが、あの子たちには絶対に無理だと思った。へばっていた所は今日一日の工程の中で全体の3%くらいの場所だったのだ。その後もずっと登り坂が続くので、あのまま無理をしたら死んでしまうだろう。実際、ピレネー越えの途中で亡くなった人の墓標を幾つも目にした。
朝飯は食べてなくて、食べるところも店もないので昨日食べきれずに持ち帰ったピザを一切れ食べてみる。昨晩、無理して全部食べないで本当に良かった。こんなに店も食堂もない道だとは思わなかった。朝飯はピザ1切れで昼飯は日本から持参のカロリーメイト2本だけ。凄い重労働やってるのに食べるのが適当すぎ。今日だけで体重5kgは減ったんじゃないかと思う。
大きな丘を幾つも越え、あの丘を越えたら今夜の宿のロンセスバジェスかと期待するとまた別の丘が現れるを本当に何度も何度も何度も何度も経験し、やっと本当にロンセスバジェスの建物が見える所までやってくることが出来た。こんなにすぐ近くまで来ているのに、あろうことかこんな所でも2013年に亡くなったブラジル人青年の墓標が立っている。この人も私と同じようにようやく現れた建物を目にしたことだろうに、その手前で命が尽きてしまうって想像もできないほど残念無念なことなんだろうなと思う。自分にしたって、ここまででもう一歩も歩けないほどにヘロヘロになってしまったので、その青年が体験した苦労の一部くらいは分かった気がする。
テレビのサンチャゴ巡礼特集で何度も見たことのあるロンセスバジェスの中庭へ入って行き、憧れのアルベルゲ入り口を見たら感極まったのか、それとも精根尽き果ててのことなのか分からないが、涙がはらはらと流れ落ちてきた。恥ずかしいので涙が止まるまで中には入れず立ち尽くしてしまう。
部屋は想像してたのよりずっと綺麗で近代的。ここでは何と二段ベッドではなくシングルベッドが並んでいた。しかも囲いで区切られたひとつのブースにはベッド2台と個別のタンス付きだ。料金は12ユーロとアルベルゲとしては高めだが、それに見合う施設だ。ここでSJPPで一緒だったカナダの女性と再会する。聞くと自分より30分早く到着しただけのようだ。途中、追いつかれた時に写真を撮っていたらシャッターを押してくれたり一緒に撮ったり、彼女とはすっかり親しくなったがこれ以来一度も会うことはなく、まさに一期一会だった。
ほかのブースではビール瓶をラッパ飲みしてる人がいたので、シャワー後のビールを何よりの楽しみにしていたのだが、どこを探してもビールは売ってない。どうやら彼らは外まで行って買ってきたようだ。そこまでの元気が残っていないので、自販機からジュース類とサンドイッチを2つ買って今晩の夕食とする。よほど喉が渇いていたのか、ジュースを4本飲んだらやっと落ち着いた。洗濯は1.2ユーロで乾燥までしてくれるので頼んでみるが、靴下を出し忘れたので自分で洗ってブースに掛けて置く。隣のベッドの女性はたんまり洗った洗濯物をポール2本を使ってブース内に上手に干していた。それを写真に撮っていたので良い巡礼記念にするようだ。ブース内で延々とヨガをやっていたので声をかけたのがキッカケで話すようになる。カナダから一人でやってきたそうだ。女性の一人巡礼は本当に多いので驚く。この女性とも2日間ほど顔を合わせるたびに挨拶をしていて、会うとヨガマスターと呼んでやるとニコニコしている。だが、自分は歩くのが遅いのでそれっきり会わなくなってしまった。まさに毎日が一期一会の連続。
昨日、巡礼事務所で貰った日本語の案内には「この区間は1250mの標高差で27kmの工程。7から10kgのリュックを背負って約8時間かかります」と書いてあって、自分が8時間40分だったので年齢を考えればまずまずか。コンポステラ迄辿り着くにはこのあとも峠越えは幾つもあるのだが、何しろこのピレネー越えが一番の難関なので、ここを無事に越えられたら後はオッケーだろうと強気になる。
朝から雨
歩き出してから2日目の5月15日、ロンセスバジェス。朝から雨がバシャバシャと音を立てて降っている。二日目にして雨の洗礼かよと憂鬱。みんな雨支度をして、一人また一人と雨降りの中を果敢に出発して行く。自分も荷物を全てビニール袋に入れなおし、上下のカッパに身を包み出発だ。このカッパは十年以上前のもので、来る前に丹念に防水スプレーを掛けてきたのだが少しすると何のために防水スプレー掛けたのか分からないほどグショグショになってくる。ゴアテックスでもないので、中は蒸れてびちょびちょ、ポケットに入れておいた紙幣もグショグショ。
ブルゲーテまではほぼ平坦の道のりだったが、やがて山道に代わり、暫く行った所にこの道に唯一あったバルに入る。雨の日の地獄に仏のようなバルなので、殆どの巡礼者はここに寄っていくようだ。サンジャンで一緒だったドイツのカレーン達もやってきた。カフェコンレチェと言う牛乳たっぷりのコーヒーにスペイン風サンドイッチのボカディージョを指差しで注文したが値段を言っている言葉が聞き取れないでいたら、カレーンが私の札の中から5ユーロを抜いて出してくれる。お釣りを見たら3ユーロ20だったのが分かる。トレス(3)は聞き取れたが、次の20が分からなかった。同じテーブルに韓国の青年が座ったのでアンニョンハセヨと挨拶したら「こんにちは」と返してきた。日本人だと分かるらしい。それとも知らないうちに日本語をつぶやいていたのが聞こえたのか?
森の中でフランス人のおっさん三人組がシャッターを押してくれと頼むので、自分のカメラでも一緒に撮らせてもらう。誰でもすぐ親しくなれるのがとても楽しい。更に森の中を進んで行くと、日本人がここで亡くなったモニュメントがあった。Sinji君はここで力尽きたらしい。合掌。こういうモニュメントは道中あちこちに建っていて、現代でも毎年何人かは巡礼中に死んでしまうらしい。
スビリの村には2時過ぎに到着する。どこに泊まればいいのか分からないので、取りあえず先行の巡礼が入って行った宿で値段を聞いたら20ユーロもするそうだ。こんな場合は何を言ったらいいのか分からないが、取りあえずアイライクチープと言ったら、10ユーロの私営アルベルゲを紹介してくれたので、そちらに数人で行って見る。さっきの宿の半額だが、公営ならもっと安いのが段々分かってくる。何しろ歩き始めたばかりなので何もかも分からないことだらけだ。シャワーを浴びて簡単に洗濯もしてみる。天気が悪いので乾く筈ないから乾燥機だけ使いたいと申し出てみるがオーナーは余りいい顔をしないようだ。しつこく頼んでみたところ、洗濯乾燥で6ユーロするのを乾燥だけなら3ユーロでOKしてもらえた。カッパの下に着込んで貴重品を全て入れておく厚手のベストがビショビショになったので、これを乾かしたかったのだ。
やるべきことが全て終わったので4時半に夕飯を食べに村を探検しに出てみたら、近いところにバルがあったので入ってみる。生ビールと野菜がいっぱい入ったトルティージャ2切れで4.3ユーロ。手ごろな値段で腹いっぱいになったのでこれは満足。宿に戻ると頼んだ衣類の乾燥が終わってほかの人の洗濯物と一緒に山積みになっていた。オーナーはこっから自分のものを持って行けと言ってるらしいので、覚えのある自分のものを引っ張り出してレジ袋に収めたのだが、うぶちゃんに貰った山用高機能下着をピックアップし忘れたようで、あとで幾ら探しても見つからなかった。折角高いのを奮発してくれたので残念だが一番大変なピレネー越えと次に大変だった今日の雨の山越えで着ることができたから良しとするしかない。
牛追い祭りの町
歩き3日目の5月16日、スビリ。
2段ベッド8人部屋で早い人は真っ暗な内から懐中電灯便りに旅支度を始め出て行くが、私は明るくなり始めた7時に出発する。暗い中で準備をすると、どうも忘れ物をしそうで気持ち悪いのだ。2,3時間歩いた所に一軒だけポツンとバルがあったので朝飯を食べることにする。スモデナランハ(オレンジジュース)とボカディージョで3ユーロと少し。ボカディージョはハムやチーズがたっぷり挟まっているので活力の元になる。それから40分歩いた村にまたバルがあったので、こんどはカフェコンレチェを飲ませてもらう。小さな村でも巡礼向けにこういったバルが所々にあって飲み食いには困らないようだ。そこを出発して少ししたら何か物足りないのに気づく。そうだ両手にスティックがないんだ!急いでさっきのバルに駆け戻ると立て掛けておいた場所にそのままちゃんとあったので一件落着。それを見ていた他の巡礼者が「インポータント」と笑いながら声をかけてくれる。確かにスティックは歩き旅には最重要アイテムだというのが二日間の歩きで良く分かった。
大きな都市が見えてきたので今夜の宿があるパンプローナかと思ったが、その手前の大きな町だった。このあたりで韓国人青年二人と仲良くなって、一人は数年前には日本人の女友達がいて日本語も少し話せたのだが今はすっかり忘れてしまったそうだ。私と話すと思い出すかも知れないというので、日本語で色々話し掛けてやったり少しの間歩きながら楽しい時間を過ごすことができる。
時々会って挨拶してる人と話してみたところ、マドリッドに住むスペイン人の神父さんだった。自分もカトリックで一人で歩いていることとかを片言の英語とスペイン語で話していたら今日のアルベルゲまで一緒に行くことになったようだが(?)、歩くスピードが違うので鈍い私は着いて行くのが大変だった。(これが後になって肉刺を作る原因になって暫くの間苦労することになる)パンプローナ市内に入り、アルベルゲはあっちだと言ってくれるが、自分の泊まりたいのは別のところで「イエズスとマリア」と言う名前だと伝えたら持参のパンフで調べてくれ、確かにこっち方面にあるようだと又ぞろぞろと歩き始める。長い城壁の横を歩きパンプローナ旧市内に入り、神父さんたち5人グループは博物館にもなっているカテドラルを見学に行くようだが、一人の人は私と一緒に目的のアルベルゲに行くようだ。スペイン人なので地元の人に聞きながら探し当てたら、その人はアルベルゲには泊まらずにみんなの元へと行ってしまった。私のために案内人を付けてくれたのがその時になってやっと分かった。神父さんありがとう。
パンプローナの公営アルベルゲは外観はそのまま博物館のようだが、中は近代的に改装されておりとても快適に過ごすことができそうだ。チェックインしたらまずシャワー、洗濯して干したら食べ物探しと三日目で既にパターンが出来てしまった。今回は神父さん達が見学に行ったというカテドラルを見てみたいので行ってみる。3ユーロだが中はこれでもかと言うほど凄い迫力で見ごたえ十分だった。
ビールが飲みたいので通りにあるバルに入ってみる。以前テレビで見たスペインのバル紹介では飲み物を注文するとタパス(小皿料理)をサービスで付けてくれてたが、どこの店でもあるサービスではないようだ。つまみもないし話し相手もいないのですぐ飲み終えてしまった。ママさんは巡礼と言うのが分かっているようで、出るときに「ブエンカミーノ(良い巡礼を)」と声を掛けてくれた。
パンプローナと言えば牛追い祭りで有名だ。そのサン・フェルミン祭はやっていないがせめて牛が疾走する通りだけでも見ておきたいので町の紹介地図を見ながら探す。どうもこの通りらしいと言う所までやってきたが確証がないので歩いている地元の老人を捕まえて聞いてみる。スペイン語しか話さない人なので両手で頭の上に角を作って「バカ(牛のこと)」と言うと伝わったようだが、バカと闘牛用の牛はまったく別物で名前も違うと力説しだし、こちらの腕を掴んで放さない。牛追い祭りの通りが分かればそれで十分なので、牛の呼び方なんてどうでもいいのだがなぁ。でも、この通りを走り抜けて突き当たった丸い闘牛場がゴール地点らしいのが分かったので、その闘牛場まで歩いて往復してみる。通りには牛追い祭り用の衣装などを売る店が何軒もあって雰囲気は伝わってきた。実際の牛追い祭りは見られなかったがこれだけでも満足だ。
バルの夕飯というものを食べてみたいので、夕飯が提供される時間の8時に町に出てみる。しかし、パンプローナの町は牛追い祭りとは別の祭りの真最中で、どのバルでも夕飯などは出してくれず酒とタパスだけ。おまけにどのバルも大賑わいの大盛況でごった返している。その地元の人たちに混ざり3軒の店を回って一杯飲んではタパスを一皿ずつハシゴしてみた。スペインのバルハシゴと言うのはこうするのだと何かで見たので。10ユーロ近く使ってしまった割りに満腹にもならないけど、異文化体験なので良しとしよう。今日は朝利用したバルも入れると6軒ものバルにお世話になり、バルはスペインに取ってなくてならないものと言うのが良く分かった。アルベルゲには最初に泊まったフランスのジットで一緒だったドイツのクラーラが隣のベッドにやって来ていた。一度仲良くなると再会出来ることがとても楽しい。
王妃の橋
歩き出してから4日目の5月17日、パンプローナ。大きな町を出発するときは大勢の巡礼が一斉に歩き出すから巡礼路は行列になっているので心踊るものがある。これだけの人間が自分と同じように800kもの距離を歩いてコンポステラ目指しているのが目の当たりに見えるからだ。3時間ほど歩いた所に小さな村があって、そこに小さな店があったので食べ物を買いたくて寄ってみる。オレンジジュースとコッペパンを買って隣の教会前のベンチで朝とも昼ともつかない食事を取る。パンは固くて固くて歯が欠けそうだけどメチャウマだ。何も付けなくても十分旨い。日本のパンとは粉が違うようで、かじるとボロボロ崩れるようだけどとても味わいがあるのだ。ボトルに入った濃厚なオレンジジュースは半分飲んだところで水を足して持ち歩き、後の楽しみにする。
11時半、楽しみにしていた鉄製のオブジェのあるぺルドン峠に到着。ネットで読んでいたとおり今日も強風が吹き荒れている。尾根には巨大な風力発電の機械が列を成して立っていて、ぐるんぐるん回っている。苦労してやってきたので同じような写真だけど何枚も撮っておく。峠を越えて暫く行った所にまた亡くなった人の碑があった。立派な碑でマリアさまが上に立っていた。
プエンテラレイナの町に到着。アルベルゲは道沿いにあったので苦労することなくチェックインできる。5ユーロ、今までで一番安い。すぐシャワーを浴びて洗濯したが、干すスペースが見あたらないのでベッドの周りに持参のロープを張って干しておく。あとで気が付いたが、よく調べたらちゃんと外に大きな物干し場があったのだった。昨日洗った洗濯物が乾いていないので、シャワーの後はパンツ・シャツなしで長袖長ズボンを履いている。どうせ見えないんだから何てことないだろう。荷物を減らすためにパンツは履いている他に一枚しか持ってきてないから自転車操業なのだ。一通りの作業が終わったので、ビールが飲みたいので店がある方へと歩いて行ってみる。一軒のバルに入って行ったら、最初のジットで一緒だったブラジル人が定食らしいのを食べていたので、一緒のテーブルに座らせて貰い同じ定食を注文する。定食にはワインが付くが、その前にビールだ。片言の英語でお喋りして一緒に写真を撮って、名前も交換する。カルロス・アルベルト。コンポステラまで行くそうだから、これからも時々一緒になるだろう。仲間が少しずつ増えて行って楽しい。
食後は有名な橋の写真を撮りに行く。プエンテラレイナ、日本語で王妃の橋と言うそうだ。中世のころ、大きな川には橋が架かってなくて巡礼が難儀するのを哀れに思った王妃が橋を掛けてくれたのがそのまま町の名前として残ったそうだ。大きな石の橋は何百年経った今でも立派に役目を果たしており、こうして巡礼を向こう岸に渡してくれている。
アルベルゲへ戻る途中、ドイツのカレーンに会う。同じアルベルゲに泊まろうとしたところ、既に満杯になっていたので他の宿を探すそうだ。知らない女性と一緒に歩いていたので、同じ何でも心強いだろう。
アルベルゲに戻ると、待ってたように日本人の女性が英語を話せますかと聞いてきたが片言だと答える。何があったのか聞いてみたら、同行者が前の宿に貴重品と一緒にパスポートを忘れてきたそうだ。ここのアルベルゲのチェックインでパスポートを出そうとして気が付いたとか。忘れたところが分かっているのなら、同じアルベルゲ同士なのでここで電話番号が分かるだろうから問合せてもらったらと助言したところ、その通り、前のアルベルゲで保管しているのが分かり、タクシーで受け取りに向かうそうだ。命の次に大事なパスポートと言われているのに無くす時は無くすんだなぁと思った。自分も気をつけよう。
髭がだいぶ伸びてきたし爪も意外と伸びるのが早い。どちらも買わないと切る事ができないので、大きな町で買わないとだ。ユーロも減ってきたのでキャッシングにも挑戦したいし、やることが幾つも出てきている。昨日、万歩計を止めるの忘れてたので今日の分と合わせて79,540歩だった。
歩き出してから5日目の5月18日、プエンテラレイナを7時前に出発する。もう来ることがないかも知れない王妃の橋を、渡った側からも撮っておく。最初の村に雑貨屋があったので、バナナ1本とヨーグルトを仕入れ、ヨーグルトは店の前で食べるのだがスプーンがないので蓋を使って食べるしかない。スプーンも欲しいなぁ。
足のマメが気になるのでカットバンが買いたくて村を通るたびに薬屋を探していたところ、やっと道沿いにファルマシアの看板を見つけたので入って行く、オラ!店内に置いてあったのを買おうとしたら、もっと適当なのを出してくれる。マメ防止のために足に塗るクリームも欲しいので、身振りで訴えると分かってくれてそれらしいのを出してくれる。二つで4ユーロと少し。全て身振りで伝えたのだが、店主のおばさんはカミーノ沿いの店なので巡礼者なら何が欲しいのか良く分かっているのだろうと思った。最後にブエンカミーノと送り出してくれる。
村の出口で靴を脱ぎ買ったカットバンを貼り休んでいたらフランス人夫婦がやってきて同じベンチに座った。奥さんが靴下を脱いで足を乾かしてるのを見たら、親指にガッチリと何かを巻きつけている。自分のマメよりずっと重症のようだ。自分も靴下を取ってカットバンが二つ貼ってある足を見せると言葉は分からなくても通じるものがあって楽しいひと時を過ごせる。英語はまったく話せないようだけど、パリからバイヨンヌ、サンジャンと自分が来た道を言ってみるとみんな分かるようなので夫婦も同じルートを通ってここまで来たのだろう。コンポステラからフェステラまで歩くと言ってみると、これも通じる。その後の予定である、ビーゴからパリに戻り、8日間パリを観光するという意味で指を8本出して、パリ、サイトシーイングと言ってみるが、これは通じてない。ルックパリと言ったら、これは分かったようだ。夫婦より一足先にたつ時にオルボワと言ったら喜んでくれて、サオナラと言うのでサヨナラと正しい日本語で返してあげる。同じ道を歩く巡礼者同士は、どこでもいつでもすぐ打ち解けられるのが素晴らしい。
1時40に目的のアルベルゲに到着。思ったより早く着いたのでほっとした。シャワー・洗濯を済ませて宿にあった自販機でハイネケン2本と、とんがりコーンみたいのを買いキッチンのテーブルで飲む。一日の中で最良の時間だ。ここで最初のジットで一緒だったコリアンの金髪女性とバッタリ再会したのでコーラをご馳走する。自分は歩くのが遅いほうだけど彼女もかなり遅かったようだ。若いのでもっと先に行っていると思った。会うのはもう三度目なので、名前を教えてもらう。チューヤンと呼べばいいらしい。自分のことはミッチャンと読んでくれとお願いする。外国人、特に欧米人には母音がはっきりしている日本語の名前はとても発音しづらいらしいので、こう言うときはいつもミッチャンと呼べと言うようにしている。それでも、ミッチャとか、ミッシャンと呼ばれることが多いけど。
キャッシングがしたくて町の中をぐるぐる歩き回る。道端にあったATMにチャレンジしてみたが完敗。失敗したけどカードが飲み込まれなくて良かったこと。飲み込まれたまま出てこなかったら大騒ぎになるとこだった。銀行の中で人に頼んでやってもらいたいが、シエスタなのか扉は開かないので諦める。食料を仕入れたいがパン屋を見つけても閉まったままだ。シエスタ、とても迷惑。アルベルゲの近くまで戻ってきたら、ペリグリノ・メニューの看板が目に入ったので入ってみる。中には顔見知りになったスペインおじさんがいて、私のテーブルまで挨拶に来てくれる。でも、スペイン人はだいたい英語は話さないので何となくワイワイやってるだけだが、それでも楽しい。もっとも、英語で来られてもこちらは片言なので似たようなものか。
スペインの定食は凄い量なのでサラダでさえ気合を入れて食べないと終わらない感じだが栄養補給にはもってこいだ。ふた皿目は鶏肉にフライドポテトがどっさり。デザートはアイスを頼んだら、スーパーで売っているコーンアイスが出てきた、やっぱり!必ずパンも一緒に出てくるので、ナプキンに包んで持ち帰らせてもらう。これが明日の貴重な朝飯になるのだ。
アルベルゲには大体炊事ができるキッチンがあるのだが、自分にはハードル高そうだ。キッチンを使って買ってきたものを料理して食べられればずっと安く済むだろう。いつか挑戦してみたい。
ワインの泉
歩き出してから6日目の5月19日。エステージャを7時前に出発。多くの人はその前の暗いうちに出ているので、自分はいつもぐっと遅いほうだ。昨日はずっと痛かったマメが今日は今のところ痛くない、ラッキーだ。暫く歩いていると、スペインに来る前からずっと楽しみにしていたワインの泉があった。ワイン工場のイラチ社が巡礼のためにずっと続けてくれているサービスで、二つある蛇口からは片方は水、片方からは赤ワインが無料で出てくる有難い名所なのだ。コップは持ってないので直接蛇口から飲ませてもらい、昨日の残りのパンに赤ワインを浸して食べてみる。願いが叶って超嬉しい。ここを通る巡礼は全員寄っていくし、みんなニコニコ顔でまるでパーティーのようなひと時を味わう。建物の上にはビデオカメラがあって、ライブ映像を世界にネット配信している。日本にいるときに何度も羨ましく見ていたが、とうとう自分もここに来ることが出来た。
9時過ぎに次の村のバルで朝飯にする。ケソ(チーズ)とトマトのボカディージョとオレンジジュースで3.7ユーロ。オレンジはどこのバルでも丸々1個をその場で専用の機械に入れて絞るのでフレッシュそのものだ。フェイスブックを見てくれている友達の進言を聞き入れ、お腹の調子を悪くしないように、なるべく果物を食べるようにしている。次の村に巡礼者向けの小さな食料品店があったので寄ってみる。オレンジジュース、乾燥バナナ、干しぶどうを買ってザックに入れて置く。ピレネー越えで食べるものがなかったので、こういうのを持っていると助かるときがきっとある気がする。
ロスアルコスの公営アルベルゲに到着。ここに来るまでに二つの私営アルベルゲがあったが、10ユーロとやっぱり高い。今日の公営は6ユーロだ。まずはベッドを確保したらシャワーだ。二つしかないシャワールームに入ってキョロキョロしていたらご婦人が入ってきて「レディー」と言っているのでドアを見たら確かにレディーと書いてある。アルベルゲは男女ミックスのトイレ・シャワールームが多いので確認せずに入ってしまった。ソーリーと言って出た反対側にちゃんと男性用があった。シャワーを浴びながら洗濯も済まし外に干す。風が強いので簡単に乾くだろう。
今日の課題のキャッシングに挑戦の時間がやってきた。まずは銀行を探すのにスペイン語初級講座で習ったフレーズがそのまま役に立った。「ドンデスタ エル バンコ セルカデアキ?(近くの銀行はどこですか?)」日本人の喋るカタカナスペイン語は大体そのまま通じるらしい。ただし、スペイン人が早口で喋るスペイン語はお手上げ。トドレクト(真っ直ぐ)、アラデレチャ(右)、イスキエルダ(左)だけは聞き取れるので、取り合えず真っ直ぐと右という単語が聞こえたらグラシアスと言ってその地点まで行き、そこでまた同じフレーズを言って教えてもらうを繰り返し、4度目に聞いたところは銀行のすぐ前だった。こっちの銀行は前に立っても銀行と分からないようだ。中に行員がいるが、扉は開かないので、教えてくれた人がガラス越しに行員を呼び出してくれる。クレジットカードを見せて、キャッシング?と言うと通じたようで、外に設置してあるATMを指差す。それが使えないから呼び出してるんだよ。こっちの意図をすぐ理解してくれ、さっさとATMを操作しだしてくれ、暗証番号だけ自分で入力する。幾ら欲しいのかと聞くので、ムーチョと言ったら600と数字を打ち込んでくれたが、リミットが300らしい。何とか無事に300ユーロをゲットできる。本物の現金が銀行の無料サービスで貰えたようで嬉しくてムチャスグラシアスと握手をしてもらう。ユーロの残りがまだ100あって、合計400ユーロになった。贅沢しなければ一日の出費は25ユーロとして、16日間は持つ勘定だ。残り100になったらまた同じように銀行でやってもらおう。
アルベルゲに戻る途中の広場を歩いていたらドイツのカレーンがやってきた。彼女はもう少し先まで進むそうなので、泊まる村がひとつ違うともう会うことがないかも知れないな。実際、カレーンとはこのときを最後に一度も会うことはなかった。毎日が一期一会の連続だ。
アルベルゲの自販機に生ハム1.25ユーロと缶ビール1ユーロがあったので買って飲む。生ハムは自販機のでもとても美味しい。5時近くなりシエスタの終了時刻なので食料の買出しに出かける。歩いている女性をつかまえ「ドンデスタ メルカード」と商店の場所を聞いてみるとちゃんと教えてくれる。ドンデスタはとても便利なスペイン語だ。スパゲティ1袋に良く分からないソースと明日用にパンを買って帰る。時々一緒になるコリアの女の子二人も買出しにやってくる。みんな知らない土地なのに良く店を見つけるよな。アルベルゲに戻って早速スパゲティ作り。日本でもやったことないけど、要するに食べる硬さになればいいんだ。1本摘んでは硬さを確認して、ここぞと思ったところでザルに取ればオーケー。皿に移してバーベキューソースらしいのを掛け、朝買った干しぶどうをトッピングしてみる。まずくはないけどスパゲティらしくもないな。やっぱりトマト味のソースの方がいいようだ。
歩き出してから7日目の5月20日。
ロスアルコスを7時過ぎに出発。パッキングの時に石鹸だけ見つからない?なので途中の雑貨屋に石鹸を見つけたので仕入れておく。四角く角張ったしゃれっ気のない石鹸で昭和の洗濯石鹸のようだ。買ったりんごはその場で食べてしまう。昨日から見かけている膝を痛めてずっと足を引きずっている女の子も一緒に休んでいる。あんだけ痛そうでこの先大丈夫なんかなぁと心配になるほど。自分の膝を指して、アーユーニーOK?と声を掛けてやると通じているようだ。こんな英語でも通じるんだなぁと感心する。調子付いてスローリー、スローリー、ドントムーブ コンポステラと言ったら、アイノウと返してくれるので通じているらしい。きっと想像力を発揮して理解してくれてるんだろうが。その後休んでいたら隣に座ってきてミントのガムをくれたので、こちらからも持参の和風マリア様のカードを上げる。オランダの近くの小さな国らしいがハッキリと聞き取れない。今日はビアナに泊まりたいそうなので、歩きながら町が見え出したのでニュータウン?と言ったところ、アイシンクソー、アイホープソーと言っている。
1時半、ビアナのアルベルゲ到着。シャワー、洗濯といつものルーチンをこなすが、買った石鹸でシャンプーしたら髪が油ギトギトのようで嫌な感じがする。でも乾くと違和感はないようだ。今日は栄養を取りたいのでアルベルゲ前の看板にあった巡礼定食8ユーロの店に行ってみる。確かに8ユーロで栄養たっぷりの感じで嬉しい。特記すべきはデザートにフルーツを頼んだところ、青りんごが皿に載ってゴロンと一個出てきた。これは明日の行動食として持ち帰らせてもらった。カットするためのナイフも付いてこないので、丸かじりして食べろと言うことらしい。
歩き出してから8日目の5月21日。ビアナを7時ちょっとに出発する。今日はログローニョまで短めの9.2キロにしようと思っていたのだが、10時に着いてしまったので、さすがにもっと先を目指す。ログローニョの町は大きく、道を示す黄色い矢印が少ないので脱出するのに一苦労する。分からずに困っていると、地元の人が3回教えてくれた。みんな巡礼の格好してる人には優しいようだ。田舎の道端で小物を売っているお婆さんがスタンプを押してくれたので、何も買わないのでマリア様のカードを上げる。このカードを上げるとみんな喜んでくれるので持ってきた甲斐があった。小さな公園があったので、昨日仕入れたパンと干しぶどう、水で朝飯にする。干しぶどうは食べやすく栄養もありそうなので便利だ。なくなったらまた仕入れよう。堰止湖のような沼のほとりにあったバルでオレンジジュースを飲ませてもらう。ウノ・オチェンタと言われたがすぐには分からないので、こいうときは大体5ユーロ札を出すとお釣をくれる。オチェンタは80なのが分かった。
山の中の小屋に巡礼達が何人も集まっているので寄ってみる。髭も髪もボーボーに伸びた爺さんが果物や巡礼グッズを売っているようだ。売っていると言うより寄付でプレゼントしているらしい。欲しいものは無かったので、スタンプを押してもらいマリア様のカードを上げたら自分が持っているカードをくれた。マルセリーノと言う爺さんで、コンポステラで中世の巡礼コスプレをやっている人で写真で見たことある人だった。スペイン語の先生はマルセラだとか、マルセリーノ・パン・イ・ビーノと、昔見た日本名「汚れなきいたずら」の映画のことを言ったら、耳の横で指をぐるぐる回してペリクラ(映画のこと)と言っているので通じてる。ハポンで観たと手まねで伝えたら理解してくれて嬉しそうだった。別れれるときにキャラメルや小さなリンゴをくれたけど、歩き出してから一緒に写真を撮ればよかったと思った。
ナバレッテのアルベルゲに2時40到着。ここに来るまで30分くらい町の中をグルグル回って探し回った。とても分かりづらい。この宿は公営かと思ったが、私営だった。棟続きでバルも経営している。どうりで10ユーロだ。でも、私営はとても綺麗なのでこれも悪くないなと思った。一部屋に2段ベッドが4台置いてあるが、入ったのは3人だけだったので快適。2段ベッドの上段に人がいないと雑音がないのでシングルベッドのようだ。いつものルーチンのあと、併設のバルでビールを2杯飲ませてもらう。つまみにポテチを出してくれたが、こっちのポテチはカラッカラに乾燥していて旨い。パンも空気もみんなカラッカラだ。近くの雑貨屋に行ってみる。アルコール度数8.6%というビールがあったので500ミリ缶と生ハム、それとカステラみたいのを買う。これだけ買ってたったの3ユーロ。それを食べてもやっぱり満腹にはならないので手作りパン屋に行ってパンを4個買ってくる。パンは1個幾らじゃなく、目方で売っていた。
水について
フランスもスペインも日本と違って硬水と言う事なので、腹を壊すのが心配だから最初は少し飲んで様子を見ていた。2ヶ月以上もいるのだからミネラル・ウォーターを買って飲み続ける訳に行かないので最初から現地の水を飲んでいたが、なにごともなくて良かった。今まで行った海外ツアーでは添乗員さんは必ずミネラル・ウォーターを勧めていたが、ヨーロッパならまったく問題ないのが分かった。水は安いところで0.5ユーロ。ビールも同じくらいの値段だし、コカコーラ等も同じ値段なのにはビックリ。当然、ビールを毎日2本は飲んでいた。そのうち、1リットルビールがスーパーなどでは1.45ユーロなので、1リットルがあると必ず買っていた。1リットルビールは飲み出があって最高だった。スペインのビールはサン・ミゲール、エステージャ、マホウが美味しい。
コリアのカップル
歩き出してから9日目の5月22日。ちょっと遅めの7時半にナバレッテ出発。
2時間歩いたところで昨日仕入れた干しぶどう入りのカステラを食べる。これはとても旨いのでまた買いたい。今日は既に予定の3分の1を歩いたようなので、あと4時間も歩けば目的地に着くだろう、余裕の一日だ。今日の宿に予定しているナヘラの町に入るための大きな橋を渡りきった川岸の芝生の上で何人もの巡礼達がごろごろと寛いでいる。取り合えずチェックインしたいので公営アルベルゲを目指すが、前を歩く二人連れに付いて行った所、入ったのは図書館だった。道を聞くために入ったらしい。自分も受付に公営アルベルゲの場所を教えてもらう。おかげでアルベルゲには12時半に着いたが、何人もの巡礼が入り口近くで開くのを待っている。昨日のコリアペアも既に待っていて、2時オープンだと教えてくれる。1時間半もあるのでペリグリノ・メニューを見に行ってみるが12ユーロと高いので止めておく。昼飯は受付してから考えることにしよう。
今日のアルベルゲは寄付制だったので、公営だから5ユーロを入れて、これは使わないだろうと予測して新品の単3乾電池2本とマリア様のカードも上げる。キッチンが使えるのでスパゲッティ作りに再挑戦だ。電磁調理器の使い方が分からないので近くにいたアメリカの女の子に教えてもらう。アルベルゲに沢山ある食材は前の人たちが置いて行った物なので後の人が自由に使っていいのだ。ハム1枚と小豆にニンジンみたいのを入れてソースらしいのを作り、味付けは冷蔵庫に残っていたトマト味のチューブを使わせてもらう。今回は前より大量に作り、そこそこの味になった気がする。コリアの女の子がオリーブ油はもっと入れた方がいいと教えてくれる。持参のバーベキューソースはスパゲティに合わないし、スパゲッティも持ち歩くには重いので後の人に使って貰おうとキッチンに置いておく。誰かが使ってくれるかな?
食べ終わったらコリアの二人がワインを勧めてくれるので一杯いただく。女の子の方は日本語が上手に話せるので聞いたら、大学で取ったそうだ。男性の方はコリアには珍しく英語も私並の片言だった。二人は婚約者同士で、今回はブルゴスまで一緒に歩いて韓国に帰るそうだ。日本語を喋ってくれる人は貴重なので、また会えると嬉しいのだが。
二人は私と同様に、フランスのサンジャンを5月9日に出発し、一日に15kmくらいしか歩かないそうだ。自分が13日に出発したと言ったら早いと驚いていたが、二人が遅すぎるんだよとは言わなかった。明日はサントドミンゴ・デラ・カルサダ迄行くというのでまた会えるかも知れない。楽しみが出来た。
サントドミンゴ・デラ・カルサダへ続く
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