サントドミンゴ・デラ・カルサダへ


 歩き10日目の5月23日。まだ暗い6時半にナヘラを出発する。1時間半歩いた最初の村にあったバルでカフェコンレチェ1.5ユーロくらい(相変わらず金額が聞き取れない)。一緒に昨日買ったでかいパンを半分食べる。バルもこういう利用の仕方ならさほど金を使わないで済むようだ。

 途中はパッと飛ばして、と言うか、日記に何も書いてないので。12時半、サントドミンゴ・デラ・カルサダに到着。ここも中世の伝説があるので楽しみにしていた町だ。いつものようにシャワー、洗濯を済ませるとシエスタの2時が近いので急いで町に買い物に出かける。洋品店があったので、靴下が欲しかったから入ってみる。巡礼道は大小の石がいっぱいなので、靴底が薄目で足裏が痛いから靴下を二重にすることで凌ぐ作戦なのだ。でもこの店には薄手と厚手しかない。ウォーキング用の靴下に厚手の靴下を重ねるのはきつ過ぎるので仕方ないから薄手を1足買ってみる。2.5ユーロ。近くの店のウィンドーを覗いてみたら刃物を売っていそうなので爪きりが欲しいのを思い出し、プチンプチンと爪を切るジェスチャーで聞いたところ、この店にはないらしいがわざわざ2軒隣のスーパーの店員に聞いてくれ、無事に爪きりをゲットできる。店内は食料品が充実しているので、ここで生ハム、ビール2本、ヨーグルト2個、締めて4.61ユーロを買う。大きなスーパーがあると嬉しい。

 アルベルゲに戻って外のベンチで飲んでいたら、昨日の宿から一緒だったイスラエルの女の子がやってきた。空いているベンチは他にもあるのに同じベンチに来るというのは人との触れ合いを求めているようだ。昨日のアルベルゲが開くのを待っているときも私が座っている長いすのベンチに座ってきて簡単な英語でお喋りしたので、いくらか親近感を持ったのだろう。同じテーブルになったので、ビールを飲むかハムを食べるかと勧めてみたがどちらもいらないそうだ。ハムのビニール袋を開けられないでいたら無言で自分のナイフを貸してくれる。女の子はオレンジを剥いて半分を勧めてくれるがビールを飲んでいるのでノーサンキューと断ってしまったが、貰った方が優しかったかなと後で反省する。マリア様のカードを上げようとしたら「アイムノークリスト」と言いつつも貰ってくれた。かなり独特の雰囲気のある子で年は25くらいか?一人でこんな所に来るのだから普通の女の子である訳ないが、とても不思議な子だ。二人とも英語は片言なので、それ以上の話ができないのがもどかしい。

 このベンチのすぐそばに鶏小屋があって、数羽の鶏が飼われている。ここサントドミンゴ・デラ・カルサダの伝説にまつわる鶏で、その伝説というのは中世の頃にサンチャゴ巡礼の親子がこの地にやって来た時に息子が泥棒の濡れ衣を着せられ絞首刑になってしまった。父親は嘆きつつもコンポステラまでお参りして帰りにまたここを通ると息子は聖ドミンゴのご加護でまだ生きており、食事中の役人に申し出ると相手にされず「それが本当ならテーブルの上の焼き鳥が歌い出すようなものだ」と言った瞬間、丸焼の鶏が高らかに歌い出したので息子の無実が証明されたと言う話です。それを記念してこの聖堂の中には立派な鶏小屋があって二羽の鶏が常住しているのだとか。鶏にはストレスが掛かるので、このアルベルゲに何羽もいる鶏小屋から交代で出勤しているということです。

 さて、飲んだだけで空腹のままだからアルベルゲ近くのバルでペリグリノ定食を食べることにする。11ユーロ。最初の皿にパエージャの文字を見つけたので、本当は体のためには野菜サラダを選んだ方がいいのだが、これは食べないとだろう。定食に付き物のワインはデカンタだった、残念。食べ物が来る前に飲みきってしまいそうだ。パエージャは想像よりずっと旨くて、エビ、鳥肉、オリーブその他が入っていて、何しろ米なのが嬉しい。雑炊ぽいのも自分のツボに合っている。2皿目は骨付き鳥肉だが付いてる肉が少ない。山盛り付いてるポテトのフライはセグンドプラト(2皿目)の定番だ。最初に出してくれたパンを食べきってしまったら、またくれた。昼夜兼ねてる食事なのでこれも全部食べる。
 アルベルゲの自販機にサンミゲルの色違いがあったので飲んでみる。アルコール3.2%のレモン味でチューハイそっくりだった。まぁ呆れるほど良く飲んでるけど不思議なことにまったく酔うと言うことがない。何で?
 アルベルゲの広い共用スペースにけたたましい大声で喋りまくる若い韓国女性がいた。周りの欧米人たちはみな眉を潜めているのが見て取れ、私の方をチラチラと見ているので同じグループと思われたようだ。私は日本人なので別だよと言ってやりたいようだった。

 歩き11日目の5月24日、サントドミンゴ。6時半に起きて二階の食堂で持参の朝飯にする。アルベルゲで朝飯にするのは初めてだ。ロボットアームみたいな面白い動作をする自販機からカフェコンレチェを買って、昨日買ったヨーグルトとパンを食べる。このキッチンで朝飯にして行く人が結構いてアルベルゲライフを楽しんでいるようだ。暗いうちに懐中電灯頼りにせかせかと出発して行く人と対照的。自分も今日は11km歩くだけにする予定なので、初めて朝飯みたいのにしてみたと言うことだ。こっちの方が楽しいかも。欧米の人たちはシリアルとミルクを食べている人が多いようだ。
 ゆっくりめの7時半に出発する。小雨になるが40分ほどで止んでくれる。途中のバルでオレンジジュース、高めの2ユーロだが、でっかいコップで出てきた。どっかのおばさんがわざわざ自分の所までやってきて「ブエンカミーノ」と言い残して行ってしまう。え?何だったの今のはと考えを巡らしていたら、離れたところにもう一人相棒らしきおばさんがいたので、あ、パリのモンパルナス駅で最初に会ったカナダの二人組のおばさんかと想像し、今度はこちらから話し掛けてみたらやっぱりそうだった。自分とほぼ同じ日程で歩いていたのか!12日ぶりの再会だった。仕事は?と聞くのでリタイヤして65歳だと言ったら、自分から68歳と言った。自分より三つも年上だったが欧米人はパワーがあるので足も速い。この二人とはこれ切り会うことがなく残念だった。
 2時少し前にベロラドの公営アルベルゲ着。7ユーロだ。町を歩いていたら連れの女性が前日のアルベルゲにパスポートを忘れた日本のご婦人がいたので、どこにチェックインしたのか聞いたら、教会付属のアルベルゲに泊まっているそうだ。外から覗いてみたら古くてボロくて趣がありそうなところなので自分のとこより面白そうなのでこちらに泊まりたいと思った。この人は知っていたので最初からここを目指したそうだ。自分は情報不足だった。


中山夫妻との出会い

 歩き12日目の5月25日。アルベルゲで朝食が食べられる。3ユーロ。コーヒーにジュース、歩き続けるエネルギーの元なのでトーストにバターやジャムをいっぱい載せて食べる。なのでちょっと遅めの7時半にスタートする。
 あいだは省いて、今回の旅で一番早めの10時40分にビジャフランカのアルベルゲに到着。この町を過ぎるとオカの山越えが始まるので、どうしてもこの町に泊まるのだ。さすがに早すぎるのでホスピタレロ(管理人さん)はまだやって来ない。宿の前のベンチで日記を書いたり、近くの教会を覗きに行って時間つぶしをしている。その間にもアルベルゲの前を通り過ぎて行く巡礼がパラパラいる。みんな元気にオカの山越えに挑戦して行く人たちだ。山越えには多分3・4時間は必要だろうから、次の町には午後の2・3時に到着か。私の日程はすごく余裕があるので、一日の距離はなるべく短い方が具合がいいのだ。

 管理人がやっと現れて13時にチェックイン、5ユーロだった。シャワー、洗濯後に近くのスーパーに買出しに行ってみる。スーパーと言っても日本のコンビより小さいが、こちらではスーパー・メルカードと言う名前になっている。小さいけれど色んな物があって楽しい。特に巡礼に必要とされるようなのが多いので、アルベルゲの近くと言うこともあり巡礼目当ての店のようだ。このように小さな村だと巡礼で持っているような所が少なくないように見受けられる。ビールのサン・ミゲールを2種類、ヨーグルトも2個とつまみ用に色んな種類が入ったスナック、色んなドライフルーツが入ったの一袋に、チンして食べられるチャーハンみたいのを買い、占めて7.55ユーロ。日本円なら1050円といったところだ(1ユーロ140円)。小さな店だけどちゃんとレジがあって、バーコード処理してレシートまでくれるのでちょっと意外だった。
 このスーパーに日本人らしい夫婦がいたので話し掛けてみたらやっぱりそうだった。旦那の方が昨年この道を歩いて、とても良かったので今年は奥さんを誘って歩いているそうだ。私をコリアと思ってたので話し掛けなかったそうだが、そう見えるのか?昨年一人で来た時は私が泊まっている公営アルベルゲを利用したので、今回は近くの私営アルベルゲに泊まっているそうだ。私と同じ日にサンジャンを出発しているそうなので、ほぼ同じ日程で行動しているようだ。この夫婦とはこの後の道中で何度も同じ宿になりとても親しくなった。最後はひと月以上後の7月1日に会うことになるのだから不思議なものだ。

 スパゲティの大盛りを作って食べたかったのだが、この宿の電子調理器具の使い方を近くの女性に聞いても良く分からなかったので、チンして食べる米にしてみたが、これは長粒種で旨くない。夕方又同じスーパーに買出しに行ってみる。また懲りずにチンして食べられる野菜のトマト味を買ってみる。それと紙パックに入った赤ワインが1ユーロだったので、ビールばかりじゃなくたまにはワインを飲んでみるかとこれも買う。オレンジ1個とチーズも買って、それでも合計4.85ユーロしかしない。アルベルゲに戻り、チンする野菜の上に薄いチーズを載せ温めて食べる。まずまずかな。ワインの1リットルはさすがに飲みでがあるので、隣のテーブルのイタリアグループに上げたら喜ばれた。胸焼けするので明日用に買っておいたオレンジも食べちゃう。オレンジは0.6ユーロだったので、バルで同じ量のオレンジジュースを飲む半額以下だ。これからはオレンジが買えるときは買っておいて持ち歩くことにしよう。冷蔵庫に入れといたヨーグルトは朝のドタバタで忘れそうな気がして、これも食べてしまう。今日は朝からしっかり3食食べている。食べすぎの気もする。


 歩き13日目の5月26日。ビジャフランカを8時近くに出発する。すぐに急坂が始まるが、上りきってしまうと後は大したことでもなくなった。坂の途中でキャンプしている若者がいて、昨日私が宿の前のベンチでに座っていたら恨めしそうにアルベルゲを覗きながら前を通った青年だ。テントの前に帽子を置いてSOSと書いた紙が載せてある。金を恵んでもらいながら巡礼をしてるってことのようだ。暫く行った所でパンとチーズを食べていたら若者もやってきた。顔をみたら二十歳くらいのお兄ちゃんでギターを持って巡礼してるって、どういう人なんだよ。日本から持参の飴がまだ幾つか残っているのを袋ごと上げる。

 今日の宿に決めているオルテガが近くなってきたところで昨日の中山夫妻が追いついてきた。とても足が速い。オルテガには10時過ぎに到着する。次の大きな町のブルゴスには是非泊まりたいし、このオルテガのアルベルゲでは、ミサに出た巡礼に神父さんがソパデアホ(にんにくスープ)を飲ませてくれる伝統があるので、ここもやっぱり泊まりたいアルベルゲなのだ。1時に受付開始なので、3時間待つことにする。アルベルゲは教会に併設してあって、その教会も石作りで大層伝統が感じられる教会だ。ここでリュックに朝日ツアーのワッペンを付けた一団と遭遇する。ブルゴスなら分かるが、こんな田舎の教会にもツアーで来るんだなぁと不思議に思う。話し掛けてみたら、ツアーだけど歩くツアーで、一日歩いたらバスが迎えにきてくれてホテルまで行き、次ぐ朝バスが歩き終えた地点まで届けてくれるそうだ。だから巡礼の人と同じだけ歩いているんですよと胸を張っている。予約済みのホテルに泊まり、重たい荷物はバスの中で同じかぁと思ったが、そうですかと特につっこみも入れずに素直に聞いておく。そのツアーは今回はこのオルテガで終わるので、持ってきたアミノバイタルなどのスポーツ食品はいらなくなるからくれると言う。他にも塩飴やら頂いたので有効に使わせて頂こう。
 チェックインしたらすぐシャワーだが、ここは水しか出ないようなので洗濯だけしておく。ずーっと出しっぱなしにしておくと温水になるのかも知れないけど、待ってられないのでいいや。今日は幾らも歩いてないし。


カミノ友達エミール

 夕方6時、オルテガ教会のミサに与る。終わったらセント・オルテガの石棺の前に巡礼を集め、何やらいわれのある十字架のペンダントを一人ずつ首にかけ祝福してくれた。ミサに参加しない巡礼の方が多いので、これは出た人は幸運だなーと思った。ミサの後はお待ちかねの食事が待っている。アルベルゲの食堂でペリグリノ・メニューが7.5ユーロで食べられるのだ。男性オスピタレロが一人で作ったと思われる無骨な料理だが安いからいいや。6人がけのテーブルの人たちは全員が英語を話せるが、私は片言しか話せないので話の輪に入っていけないので残念〜。英語の大切さを身を持って感じる夕食だった。最後に「ソーリー、アイスピークイングリッシュ、ベリーリトル」と言ったら、大丈夫だよと言ってくれる。アホスープはその中で出てきたが、想像してたのとまったく違っていて野菜みたいのが結構入っていた。にんにくのスライスが数枚入っただけのシンプルなスープを想像してたのだ。
 別の日本人カップルがここにも居て、中山夫妻を知っていた。この新しい若いカップルは身長差が30Cmもあって、一緒に歩くには歩幅が違いすぎるだろーと心配になるほどだった。このカップルとも今後何度も同じ宿になる。

 カナダに住んでいるクロアチア人のエミールと親しくなり、お互いにタブレットを持っているのでメールアドレスをを交換し、早速一緒に撮った写真をその場で送ってくれる。WiFiがあるとネットの翻訳ができるので片言英語の私でもグンとコミュニケーション力が上がる。エミールはタブレットの中の写真を沢山見せてくれて、一人でヨットを操り大西洋を横断したこともあるそうだ。そんなに休める仕事ってなんだろうと聞いてみるが、エンジニアとしか分からなかった。今日のベッドはエミールが隣だ。


 歩き14日目の5月27日。7時過ぎオルテガ出発。今日はブルゴスとの間にある村で一泊入れようと思っていたが、予定変更してブルゴスまで行ってしまうことに決定。最近は足の具合も調子いいので朝から飛ばすことにする。ちょうど前を歩く女性二人組が早く歩くタイプなので、自分もハイペースで付いて行く。今日も快調だ。次の町でカフェコンレチェと大きなクロワッサンみたいなのがセットになったデサジュノ(朝飯のこと)3.8ユーロを食べる。原人の骨が見つかったと言うアタプエルカを通過、10時リオピコ通過したところにベンチがあったので、少し長めの休憩を取り昨日貰ったアミノバイタルを飲んでみる。ゼリー状で実力ありそうだが効いたかどうかさっぱり分からない。その後も黙々と歩き続け、12時ころに大きな街に入ってきたのでブルゴスが近いようだ。大きな街は道標が少なくて間違い安いので、スペイン人らしい巡礼の一団に離されないように付いて行くことにする。スペイン人かと思った人たちはイタリア人だった。交差点で地元の人に公営アルベルゲの位置を聞きに行って、私に紙と書くものを出せと言っているので日記帳とボールペンを渡すとアルベルゲへの地図を書いて丁寧に説明してくれる。だが、その人たちは今晩はアルベルゲには泊まらずにホテル泊まりだそうだ。私のために地元の人に聞いてくれて地図まで書いてくれたのだった。ありがとうイタリアチーム。


イーデンと最初の出会い

 イタリアチームと別れ、一人でアルベルゲを探すべく歩いていると、交差点の別方向からバックパックを背負った見るからに巡礼のおばさんとばったり出会い、二人でアルベルゲを探そうと言うことにして歩き出したが、疲れているのかこのおばさんは歩くのがとても遅い。少し離れたり、交差点に差し掛かると追いつくまで待ってやったり、アルベルゲ方面の表示板があると杖で指して元気付けてやったりしながら40分ほど掛かって一緒にアルベルゲまで到達する。どこから来たの?が得意な英語なので聞いたところ、ドイツから一人でやって来たそうだ。このときはアルベルゲまで一緒に歩いたに過ぎなくて、その後はずっと忘れてしまっていたのだが、このおばさん(イーデン)とは後で他の誰よりも親しく家族のようになるのだった。その話はまた後の方で出てきます。


 1時15にブルゴス公営アルベルゲ着。5ユーロだ。エレベーターまである巨大アルベルゲで5階まである建物だった。隣のベッドには昨日も一緒だったエミールがいて再会を喜ぶ。昨日も隣のベッドだったし、今日は100人以上が収容できる巨大アルベルゲなのにまた隣になるとは凄い偶然と更に喜ぶ。頑張ってブルゴスまで来て本当に良かった。
 いつものルーチンをこなしてから昼飯を食べに街に繰り出す。値段が重要なので安い店を探し歩くとケバブのプレート料理が5ユーロと最低のようなので入る。それと生ビール大で7.7ユーロ。

食後、ブルゴス大聖堂を見物に行く。巡礼は半額割引で3.5ユーロだ。中は凄い迫力で写真をいっぱい撮っておく。聖堂の外側をぐるっと回っていたら日本人の身長差カップルにまた再会する。ごらんのように写真で見ると30cmどころか40cmくらいの差がありそうだ。

 エミールがトマトやパンを持っていたので店の場所を聞いて再度出かけてみるが、結局食料品店は見つからなかったが、欲しかった小さなナイフ(ハサミ付き)が買えたので良かった。
 靴下を脱いだら親指のマメが化膿しているのに気づく。エミールに患部を見せて消毒薬を持っていないか聞いてみるがないそうだ。じゃぁファルマシア(薬局)を探しに行ってくると出かけようとしたらエミールが走って追いかけてきて「みっしゃん、みっしゃん、ファルマシアに行ったら足を見せるんだよ」と英語と身振りで伝えてくれる。本当に私のことを心配してくれてるのが良く分かる。薬局でも身振りで消毒が欲しいことを伝えたら、手ごろなスプレータイプを出してくれる。いいのが買えたとアルベルゲに戻ったら、エミールが中国青年と何やら真剣に話していて、私が戻ったのを見たらすぐ中国青年はザックからジェル状の消毒を出し、まず両手をよく消毒してから患部を消毒するようにと身振りで伝え、それが済んだら乾かしてのち普通のカットバンより高性能なのを貼ってくれた。スペアとして2枚同じのをくれようとするので、似たようなのを持っているから大丈夫と遠慮しておく。二人に大いに感謝の意を表す。言葉はサンキューしか言えないので後は身振りで合掌だ。中国青年はブエンカミーノ(良き巡礼をの意)と言ってくれる。昼間のイタリアチームと言い、巡礼仲間は助け合い精神にあふれているのが実感できる出来事だった。エミールはいつもミッシャンと言うのだが、訂正しないでおく。


趙雲君

 歩き15日目の5月28日。7時過ぎにブルゴスを出発する。大きな街なので、街から出るだけで一苦労だ。人家が途切れるところまで来るとホッとする。1回小休止を入れて10時にタルデホスと言う町にあった小さな雑貨屋でトマトとバナナを仕入れる。昨日、足の手当てを手伝ってくれた中国青年がやって来た。昨日上げたマリア様のカードの裏に私の名前を書いてくれと言っている。自分に取ってとても大切なカードだそうだ、謝謝〜。三国志の英雄「趙雲子龍」と同じ名前で趙雲(ジョユウ)君だ。
 ここで少し前から顔見知りになったコリアの青年グループ5人が代わる代わる私の前にやってきてはアンニョンハセヨと言いながらニコニコしている。滅多にいない日本人なので交歓する機会を楽しんでいるようだ。

 12時半、オルミジョス・デル・カミーノの公営アルベルゲに到着。昨日のオルテガからブルゴスへの疲れがたっぷり残っていてしんどいし、化膿した親指も少し痛むのでここ迄の20kmが調度いい感じだ。いつものルーチンをこなして村の雑貨屋へ行くために通りを歩いていたら中山夫妻がやってきて、私営に入りそうだったのでムニチパル(公営のこと)があるよと教えたら一緒について来た。公営は私営の半額が多いので、多くの人は公営に泊まりたがるのだ。
 小さな村の雑貨屋でも欲しいものは一通り手に入る。トマト、オレンジ、サンミゲールビール500ミリ、生ハムは塊を切ってくれるようなので、トレスポルファオールと言って3枚頼む。村の小さな雑貨屋でも、ちゃんと生ハムをスライスするための機械が入っている。それとT字カミソリで合計3.9ユーロ。アルベルゲのキッチンで早速トマトと生ハムを肴にビールで乾杯、毎度ながら極上の時間だ。残りのユーロがまだ210あるので、あと8日は持つだろう。残りが100になったらキャッシングのチャンスを伺うことにしよう。
 今度は夕飯の買出しに同じ雑貨屋に向かう。トマト、ヨーグルト2個、でかいチーズサンドにまたビールの500ミリを買う。5.8ユーロ。村に一本しかないこの通りには私営のアルベルゲが3つもあって、みんな10ユーロのようだ。だいたいどこの町でも公営に辿り着く前に私営があるのがパターンなのが分かってきた。1時台でFullの看板を出している宿もあったので、私営も人気があるようだ。
 アルベルゲの本棚を見たら、何と日本のカミノデ・サンチャゴ友の会の本が置いてあった。巡礼路の地図や各地のアルベルゲ情報が日本語で載っているので日記帳にせっせと転記する。8ページまで書いたところでホスピタレラがキッチンの片付けを始めたので消灯時間が近くなったのが分かり、ドルミール?と寝る仕草をしたら首を縦に振ったので残念ながらメモはここまでにしてベッドに移動する。


 歩き16日目の5月29日。アルベルゲを7時に出発する。毎日自分の好きなタイミングで行動できるので、これもまた楽しからずやだ。かと言って、普通のホテルのように9時10時までチェックアウトしなくていいと言う訳には行かない。せいぜい8時出発が最後くらいだろう。前に泊まったアルベルゲでは、朝の6時に部屋の電気が一斉に点いたこともあったし、アルベルゲの壁に各国語に混ざって日本語で「最終出発8時」と書かれている所もあった。
 暫く歩いたところでバナナを1本食べる。バナナは食べるとすぐエネルギーになるらしいので、行動食としては優等生だ。安いし。スペインではバナナもトマトも野菜は全て計り売りだった。日本みたいに1個幾らじゃないから大きいのを選んで買う必要はないのだ。1時間歩いた所の村にバルがあったのでカフェコンレチェとチョコのクロワッサン1.9ユーロ。安っ。ここで中山夫妻も休んでいたのでお喋りする。
 12時過ぎにカストロヘリスのサンファン公営アルベルゲに到着。地図と大分違うような見方が悪いようなで大分探してしまった。受付は3時と書いてあるので相当待たなくてはならない。時間つぶしに銀行を探しに行ってみる。見つけたのは村の銀行にしてはちゃんとした建物だった。中に入れたので早速クレジットカードを見せてキャッシングと言ったら愛想良く手伝ってくれる。今回も300ユーロをゲットできた。まだ200ユーロも残っているが、早めに追加した方が精神的に落ち着く。合計500ユーロにもなったので、一日25ユーロで賄えるなら20日も持つってことだ。


アルベルゲですること

 受付が遅いアルベルゲに戻って室内を見ていたら、ここには公営がもうひとつ有るのが分かった。どうせまだ2時間も待つんだったらそっちを見に行ってみようと地図を頼りに行ってみる。確かにこの辺りのはずだが、ここにはインフォメーションらしき建物しか見当たらないのでウロチョロしていると、上から声を掛けられた。インフォメーションの上にアルベルゲはあり少し離れた所に登るための階段があった。
 こっちは既に沢山の巡礼が寛いでいたので自分もチェックインする。5ユーロ。こっちの方がロケーションはいいし、WiFiはあるしで大正解だった。おかげで三日ぶりにフェイスブックにもアップできた。大きな部屋には二段ベッドが沢山あるが、どこも間隔を大きく空けてゆったりと置かれているので広々と感じる。しかも今回も下段が取れたので言うことなし。受付のテーブルにはクッキーが沢山置いてあって食べてもいいらしいので3つ頂く。すぐシャワーと洗濯をする。洗濯はいつも着ている長袖シャツとジャージのズボンにパンツを洗濯し、午後の日差しで夕方までに乾かすパターンだ。それでまた明日も同じ格好で出発できる。2枚持ってきたフリースは気候が暖かくなってきたのでその内一枚捨ててもいいだろう。ザックのスペースを行動食用に少しでも空けたいし。
 近くの店に買い物に行く。食料品店やバルに巡礼グッズを売る店が宿の近くに幾つもあって、これらはきっとアルベルゲに泊まる巡礼によって発展した商店街なのが容易に想像できた。ビール2本、トマト、生ハムにチンすれば食べられる米で4.9ユーロ。アルベルゲの外にあるテーブルでお昼にする。
 アルベルゲでは毎回、いつものルーチンのほかにやることと言えば、次ぐ日の巡礼路の高低差を考慮してどこまで歩くのが適当か、更にその町に手ごろなアルベルゲがあるかを元にした作戦を練ること。あるいは大きくて有名な街や名所がある町には距離を無視して泊まるように計画を立てる。WiFiがあればフェイスブックを更新したりして遊んでいられるが、ないアルベルゲではやることが大して無いので散歩するか寝てしまうくらいだ。それに一番大事なこと、食べ物の調達だ。2時から5時まではシエスタで店が軒並み閉まってしまうことが多いので、その前後に買出しをしなくてはならない。で、今日も5時を過ぎたので夕飯と明日の朝飯の買出しに同じ店に行って来る。ビール、さくらんぼ、バナナ、トマトと小さなパンで2.9ユーロ。これらをアルベルゲに数台ある外のベンチに座って夕飯にする。やることもないのでその後また商店街へ行ってみたところ、二度買った店の反対側にも似たような店があり、ヨーグルトを売ってそうなので入って行く。ヨーグルトは胃腸のためにいいので、買えるときは必ず買って食べるようにしているのだ。2個買ったところ、欲しかったプラスチックのスプーンをくれたので、使った後、洗って大事にしまっておく。これがあれば何時でもどこでもヨーグルトが不自由なく食べられる。


エステージャ運河

 歩き17日目の5月30日。このカストロヘリスのアルベルゲでは寄付で簡単な朝飯が食べられるのでコーヒーとミルク、小さいクッキーみたいなパンにジャムやマーガリンを付けて食べさせてもらう。
 7時、フロミスタへ向けて出発。陽が上ってくると段々暑くなってきた。季節的にそうなのか、それとも平地になったからなのか。大きな運河沿いの道を延々と歩きうんざりする。映画「サンジャックへの道」でも登場したエステージャ運河の水門が出てきた。おっ、これか、ついに此処までやって来たんだなと写真をいっぱい撮る。

 1:40、フロミスタの公営アルベルゲに到着。自分にはこの位に着くのが理想的な気がするが、今日は暑かったので時間の割にヘロヘロになった。すぐ近くにスーパーがあったので、やったと思ったのも束の間、シエスタになっていて買うことができない。仕方ないのでシエスタはしないバルに入って2ユーロの高いビールを2杯飲む。日本なら生中が500円も600円もするのだから、2ユーロなら280円で半額なのだが、すっかりスペインの物価になれてしまったので2ユーロでも高いと感じる。そう思うなら1杯にしとけばいいだろうが、暑い中を歩いてきているので1杯では気持ちが許さないのだ。
 5時を過ぎたので買出しに行く。ビール2、バナナ、オレンジ、干しぶどう、生ハム、トマト、オリーブその他のピクルスをお玉一杯量り売り、チンするグラタン、ヨーグルト2と盛大に買っても7.1ユーロで円なら千円ほどだ。オレンジは当たりがあって変色してるのを見つけたので、すぐ店に戻ってエスト(ここ)と指差したら簡単に交換してくれた。アルベルゲの食堂に広げて夕食タイム、今日は大量に買ったお陰で食べでがあって嬉しい。バナナとオレンジは明日の行動食だ。
 隣のテーブルにやって来たコリア達に翻訳サイトを使って「私の教会には時々韓国人の神父さんがミサをしにやってきます」と表示させて見せたら伝わったようだ。カトリック?と聞くので、前橋教会のサイト、子羊ねっとの中にある韓国人神父の写真やフェイスブック繋がりの韓国の人の写真を見せて上げる。ネットが使えると翻訳サイトが利用できるのですっごい便利。食後に近くのサン・マルティン教会へ行ってみるが入場料が必要なので受付でスタンプだけ押してもらう。
 明日はカリオン・デ・ロス・コンデス迄の19.8kmだけなので楽勝だろう。注意すべきは日曜日なので店が閉まっているということだ。買い物には不自由するかもしれない。


シスターの生ライブ

 歩き18日目の5月31日。ちょっと早めの6時45にカストロヘリスをスタートする。段々と暑くなってきたので、それに合わせて少しだけ早く出発することにした。たったの15分だけだけどね。10時20、村の中に不釣合いなほど大きなサンタマリア・ブランカ教会があったので有料だけど入ってみる。巡礼割引があって1ユーロ。スペインの教会はどこも凄いの一言だ。近くのバルの外テーブルにはコリアの女の子二人が座っていたので挨拶して出発する。

 カリオン・デ・ロス・コンデスの大きな町に入って来ると通りの角にインフォメーションがあったのでアルベルゲの位置を教えてもらいスタンプも貰う。そっから今晩の宿のサンタ・マリア・アルベルゲに11時58に到着。顔見知りになった元気なイタリアおばちゃんが離れたベンチに座っているのが見えた。扉は開いておらず、小さな紙に受付は12時からと書いてある。グッドタイミングですぐ受付が始まった。いつものルーチンの後、買い物に町に出て行く。日曜なので店は閉まっているかと思ったが、大きな町なので観光客も沢山いるからか、意外や開いている店のほうが多い。ここでも日本人の身長差カップルと再会する。男の子が風邪を引いてしまい、この町で2泊目だそうだ。1泊目は私がチェックインしたアルベルゲで、2泊目はオステルに泊まっているそうだ。アルベルゲは基本的に2泊できないので、同じ地で連泊しようとすると、どうしてもそうすることになるようだ。オステルとはHostelと書き、スペイン語は最初のHは発音しないので英語読みならホステルと言うことで安めのホテルと言うことだ。昨日はミサ後にシスターによる生ライブを見たそうで、日本の歌を歌ってくれと言われたそうだ。即興でギター演奏もつけてくれたらしい。今夜の宿のサンタマリアはそれが見たくてこの地を選んだのだが、巡礼者にまで歌わせるとは知らなかった。指名されたら釜山港に帰れでも歌おうかな。

 買い物の方はいつものようにビール2、トマト、オレンジ、スナック菓子、エンパナダ(スペイン風お好み焼きかな?)で5.7ユーロ。スーパーの袋を下げて歩いていたら巡礼姿の若者がやってきたので公営アルベルゲの場所を教えてやるが、5ユーロでも高いそうで「チーペスト」と言っている。そうか、チープの最上級はチーペストと言うのかと、珍しく言葉も仕入れる。自分がチェックインした公営で、更に安いアルベルゲを紹介してもらったらしく、そちらの方に向かって歩いて行った。5ユーロはアルベルゲとしたら最安値と思っていたが、もっと安いアルベルゲもあるんだなぁ。もしかして寄付制のアルベルゲを探していたのかな。アルベルゲの食堂で買ってきた物を並べてお昼にする。

 夕方(と言っても暗くなるのは10時ころ)5時過ぎたので今度は夕飯の買出しに行く。ピクルス、乾燥野菜、ビール、クロワッサンにヨーグルト2で5.5ユーロ。店で食べる半額だ。買い物から帰ってきたら、玄関先でシスターのミニライブが既に始まった所だった。初めの歌はアメージング・グレイス。とても綺麗なハーモニーでうっとり。隅っこに食堂の椅子を持ってきて聞くことにする。巡礼の中にもう一人日本人がいて、日本の歌はその人に振られたので一安心。スペイン語の出来る人で、幸せなら手を叩こうを歌ってくれた。コンサートは6時半に終わり、7時からは隣の教会でミサと言うことなのでみんなに付いて行く、ぞろぞろ。日曜日なので一般の地元の人たちも沢山来ていて、ミサ前にロザリオの祈りをやっているようだ。ミサが終わると巡礼者を前に集めて一人ずつ祝福をしてくれた。星型に切り抜いた紙に色鉛筆で着色しただけの素朴なものを記念にくれたので、日本まで大事に持ち帰ることにした。

 アルベルゲに帰って、外のベンチで夕飯。近くのテーブルではコリアの5人組(男2、女3)が楽しそうに夕食を食べている。この連中は歩くのも鈍いし、いつも歩きながら楽しそうにふざけている。アルベルゲでは一緒に夕飯を作って楽しく食べているしとても羨ましい連中だ。「ゆるゆるアンニョンズ」と密かに命名する。この人たちとも頻繁に会うので翻訳サイトで使えそうなハングルを幾つか仕入れて紙に書いておき、話す時のアイテムにする。珍しいところでは「パンモゴッソヨ」と言うのがあって、これは「ご飯食べた?」という韓国独自の挨拶言葉だそうだ。これを言ってやると韓国の人は一様に嬉しそうに返事をしてくれる。韓国では徴兵制があるために、それを境に長い休みが取り易いという事情があり、それで若者の巡礼が多いようだ。アジア顔をみたらほぼコリアと思って間違いなく、驚くほど沢山いる。それに比べて日本人は極端に少なく、フロムジャパンと言うと珍しがられ、中には「初めて日本人に会った」とまで言われたことがある。


忘れ物とのたたかい

 歩き19日目の6月1日。とうとう6月になり、既に370km以上を歩き続けているが、昨日はずっと痛かった左足の踵が今日は痛くない。少しだけ厚手の靴下を重ね履きしているお陰か?洗濯して乾いたら、明日も同じ組み合わせで履くといいかも知れない。
 暗いうちに出立していった隣のおっさんのベッドの足元にゴムぞうりが残されていた。あぁやっぱりか〜、暗いうちに懐中電灯便りにパッキングすると忘れ物をし易いんだよな。自分の場合でも、アルベルゲにつくとザックの物数十点の殆どを出して使用して、それをまた詰め直すの繰り返しだから何時なんどき忘れ物をするか知れない。これまでに私が失くしたもの、うぶちゃんがくれた高機能下着とカメラを首から下げるストラップに石鹸の3点。巡礼の旅は毎日が忘れ物との戦いだと感じる。絶対になくしてはならないもの5点は、パスポート、クレジットカード、現金、カメラ、タブレットで、これらだけは毎朝必ず確認を怠らない。

 7時前にカリオン・デ・ロス・コンデスを出発する。ずーっと一直線の道が延々と続き、その途中でバナナ、オレンジを食べながら休憩をはさむ。バナナを食べると一時的に元気が出る気がする。バナナはすぐエネルギーに変わると言うのは本当かも知れない。

 11時少し前に狙いを付けておいたカサルディージャ・デル・クエサの町に到着。大分早いけどここに泊まるのが都合いいのだ。これで明日はサアグン迄の23.5kmが決定なので、明日は少し早めに出立することにする。アルベルゲ一番乗りは時々挨拶を交わす元気なソロのおばちゃんだった。イタリア人で英語も喋るのかと思っていたが、イタリア語だけしか話さずに、こちらが理解しようとしまいとイタリア語で元気に話し掛けてくるとてもパワフルなおばちゃんだ。「サアグン?」と言うと「明日はサアグン迄?」と通じ、スペイン語のアニモ(頑張れ)も通じる。イタリア語は全然分からなくても何となくコミュニケーションはとれる。

 受付後にゲットしたベッドの隣には新顔のコリア二人連れがやって来た。いつもの「ゆるゆるアンニョンズ」とは知り合いらしく、アルベルゲのキッチンで一緒に昼飯を食べたあとアンニョンズは次の町を目指して立って行ってしまった。言葉が分からなくても、あの連中が一緒だとこっちも楽しくなるので残念。

 今日の買い物は町外れまで歩いて行き、8.4ユーロと大量に買い込んできた。アルベルゲから遠いので夕方の分まで買った積もりだったが、結局夕方にも買い出しに行くことになってしまった。昼にビール2本、夕飯にも2本飲むので結局二度買出しに行かないとならないってことだ。コリア二人の食事は工夫がいっぱいで、電子レンジしかないのにジャガイモを茹でたりニンニクを茹でたりして食べている。ただ、同じように生卵も茹でようとしたらしく、ボカンと破裂してしまい、中をキレイにするのに苦労していた。


 このアルベルゲの立地はちょっと変わっていて、公営と私営が隣り合って建っている。公営には公営を示す「Arbelgue Municipal 」と言う文字が壁面に書かれているだけだが、私営のほうには大きく5ユーロと書かれていたり、大きな絵まで壁一面に描かれていて、やって来る巡礼を吸い寄せようとしている。外のベンチに座って巡礼がどちらに入るのか見ていると、私営のオーナーが通り道まで出てやってくる巡礼に話し掛けて自分の宿に連れて行こうとするのだが、巡礼は手前で隣に公営があるのを見つけるとオーナーに挨拶して公営の方に入って行ってしまった。公営効果恐るべし。私営の前のベンチには黒いパンツ姿のご婦人がくつろいでいて、ショートパンツでなく下着のパンツなのだ。日本の海外旅行の注意点にはホテルの廊下は外と同じなのだからパジャマで歩かないようにと良く言われるが、これはどーなん?男女ミックスの室内や廊下をパンツ姿でウロチョロする男女には驚かなくなったが外は珍しい。文化の違いってとても面白い。

サアグンへつづく